「ニコルの母・ソフィアの受難」

 王都の地下には謎が多い。

 いや、王都は謎を基盤にして地上に建設されている、といえるかも知れない。

 整備された下水道が、かつては地下迷宮ダンジョンだったものを転用しているのもそのひとつだ。


 十二カロメルト四方という広大な王都の根を支えている下水道網は実際、不明な箇所かしょだらけだ。下水道局にも正確な地図は存在せず、『水さえ流れていればいい』という投げやりな方針の下、とにかく不具合を解消するための無秩序な改修は日常茶飯事だった。


 有機物・無機物を問わず吸収して栄養にする巨大スライム、下水道網の至る所に存在するその魔物が浄化装置そのものとなっており、百六十万人が垂れ流す汚物を食う・・ことでこの街は破綻せずに存在できていた。この機構システムがなければ、とっくに王都は巨大なゴミ溜めとなっていただろう。


 犯罪者が逃げ込めばほとんど生還することはない、と信じられている下水道網には様々な伝説も付与されていて、盗賊団がそこを根城にしているとか、政府の秘密機関が置かれているとか、正義の味方がアジトを置いているとか、無責任な噂が両手両足のいくつもささやかれていた。


 結論をいうと、その噂の一部は当たっていた。



   ◇   ◇   ◇



 赤錆色あかさびいろのフード付きの外套ローブを着た三人組の人影が、水の流れていない・・・・・・・・下水道の道を早足で歩いていた。

 完全に地下だというのに、松明たいまつを灯す必要もなく道は明るい。床や壁、天井の全てがほのかに発光し、足元がわかるくらいの光量が確保されていた。


 三人は紙でぐるぐる巻きに梱包した人間大・・・のものを縦に並んで肩に担ぎ、分岐も多く迷路になっているはずの道を迷わずどんどん進んでいく。

 ここは、下水道と下水道の間をうようにして掘られた、下水道からは完全に切り離されている地下道だった。


 施錠された無愛想な鉄の扉を特殊な鍵で開けることで何枚か抜け、男たちはひとつの大きな部屋にたどり着いていた。


「ご苦労」


 腕を組んで待っていたのは、相変わらずの固い軍服に細い体を包んだメガネの女性、コルネリアだった。どう見ても真っ当な筋のものに見えない男たちが彼女の前に梱包されたものを置く。乾いた紙と細いひもで丁寧に包まれているそれは、耳を近づけると低いうなり声のようなものを上げていた。


「解け」


 その一言で三人の男たちは一斉に紐を解き始めた。ものの一分で厳重な梱包が解かれ、中から四十歳に届こうかという年代、いかにも主婦といった風情の女が、目隠しを巻き付けられ猿ぐつわをくわえさせられた姿を現す。


 コルネリアがひとつあごをしゃくると、男の一人が女の目隠しを外した。気の強そうな目が早速コルネリアを床からにらみつける。その視線を涼しい風のように受け流しながら、コルネリアは一枚の書類を開き、それに記載されている写真と女の顔を丁寧ていねいに見比べた。


「ソフィア・アーダディスに間違いないようだな」


 一人納得し、コルネリアは控えている三人組に視線を向けた。


「祖母の方はどうした」

「それが、不在でした」

「いなかったか。……周辺には、不審に思われなかったろうな」

「別段騒ぎにはなりませんでした。少し大きな荷物をかついで通ったくらいのものです」

「よくやった。下がれ」


 コルネリアは懐に入れていた袋を男たちの目の前に放った。床に落ちた途端、じゃらりという無機質な金属音が響く。男の一人がそれを掻き抱くようにして拾うと、三人はそそくさと退室していった。


「さて」


 これから一仕事だ、というように首を傾けて鳴らしてからコルネリアは、地面に横倒しにされてうめいているソフィアに目を向けた。全身を包んだ梱包が解かれたとはいえ、大きなハムのようにその体は縄で縛り上げられて手足も拘束されている。できるのは芋虫いもむしのようにうごめくだけだ。


「こんな形でお招きする無礼をびさせていただく。私はコルネリアと申す者。国王ヴィザード一世陛下の秘書的存在だと思っていただければいい」


 たっぷりとよだれを含んだ猿ぐつわを外す。その途端に口撃が始まった。


「国王陛下の秘書ですって!? 冗談じゃありませんよ! どうして王様がただの・・・主婦をこんな目にわせるんですか!」

「あなたはただの・・・主婦ではないからだ。経歴は全部わかっている。十年と少し前まで、フォーチュネット家に出入りしていただろう」


 ソフィアの目がかれた。


「ただの主婦に用はない。我々が用があるのは、リルル様の元乳母で、現在でも母親同然に慕われている女だ。加えて、そのリルル様と親しいニコル・ヴィン・アーダディス男爵の生母とあれば、これは二重に価値がある。あなた一人で、リルル様とニコルを牽制けんせいできるということだからな」

「そこまで、あたしのことを……!?」

「政府をあなどるものではない、ソフィア・アーダディス」


 コルネリアの声にはあざける調子もない。全てを淡々とこなしたいという意思だけがあった。


「端的にいおう。あなたは人質だ。リルル様をおびき出し、妨害をしてくるであろうニコル・アーダディスを押さえるための」


 それはサフィーナを確保していれば達成できることでもあったが、二重の保険という意味があった。


「あたしが、リルルとニコルのための人質……!?」

「全てが上手くいけば誰も死なずにすむ。大人しくしていることだ。リルル様を慕うニコル・アーダディスがなんらかの行動を起こそうとするのは想像に難くない。心配されずともいい。祖母含めて一家三人、仲良く暮らすことができるように手配はする――監獄かんごくでな」

「そんな無茶な話が、通って……!」

「伝えるべきことは伝えた。後は明日の大舞台のために、よく休まれるがいい。おやすみなさい」


 コルネリアがポケットからガラスの小瓶を取り出した。中に紫色の液体が詰められているそれのふたを少し開いてソフィアの鼻元に近づけ、ふっと息を吹いてすぐ蓋を閉じる。


「あぅ――――」


 百万の花を集めて煮詰め、抽出ちゅうしゅつしたような濃厚な香りがソフィアの鼻孔をくすぐり、ものの数秒でソフィアは昏睡こんすいに陥った。


 小瓶を仕舞ったコルネリアがぱちん、と指を鳴らす。その合図に応えたかのように部屋の壁に人体状の盛り上がりが二体浮かび上がり、それは壁から離れて人間大の棒人形となった。


「運べ」


 磨かれた木の質感を思わせるつるっとした棒人形が、二体がかりでソフィアの体を持ち上げる。軍服の肩から羽織ったマントをひるがすように歩を進め始めたコルネリアの後に続き、息しかしていないソフィアを軽々と肩に担いだ棒人形たちは続いた。



   ◇   ◇   ◇



 いくつかの転移魔法陣を抜け、ソフィアを運ぶ棒人形を従えたコルネリアは、サフィーナを監禁している部屋の前までたどり着いていた。小窓を開いて中を確認すると、奥の寝台の上で眠り続けているサフィーナの姿が見える。


 その眠りが見せかけでないことを確認し、コルネリアは扉の錠を開けた。感情もなにもない、本当に意思が存在しない棒人形が床にソフィアの体を置く。


「無力な女ふたり、同じ部屋にしたところで問題もないだろう。管理の手間も省けるしな……」


 ソフィアの腕や脚を拘束していた縄を解き、棒人形たちは外で待つコルネリアの元に戻った。油断もなくコルネリアは素早く施錠し、起きる気配もない二人の様子を小窓越しに確認してからその場を離れた。


 一人と二体の足音が遠ざかって行く中、二人の女性が身動ぎもせずその場で横たわり続ける。

 全くの静寂が空間に落ちた。静かに繰り返される寝息以外、この場で動くものはなにもない。

 扉に背にし、部屋の奥を向いて横倒しにされたソフィアの片目が開いたのが、唯一の例外だった。

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