「ニコルの母・ソフィアの受難」
王都の地下には謎が多い。
いや、王都は謎を基盤にして地上に建設されている、といえるかも知れない。
整備された下水道が、かつては
十二カロメルト四方という広大な王都の根を支えている下水道網は実際、不明な
有機物・無機物を問わず吸収して栄養にする巨大スライム、下水道網の至る所に存在するその魔物が浄化装置そのものとなっており、百六十万人が垂れ流す汚物を
犯罪者が逃げ込めばほとんど生還することはない、と信じられている下水道網には様々な伝説も付与されていて、盗賊団がそこを根城にしているとか、政府の秘密機関が置かれているとか、正義の味方がアジトを置いているとか、無責任な噂が両手両足のいくつも
結論をいうと、その噂の一部は当たっていた。
◇ ◇ ◇
完全に地下だというのに、
三人は紙でぐるぐる巻きに梱包した
ここは、下水道と下水道の間を
施錠された無愛想な鉄の扉を特殊な鍵で開けることで何枚か抜け、男たちはひとつの大きな部屋にたどり着いていた。
「ご苦労」
腕を組んで待っていたのは、相変わらずの固い軍服に細い体を包んだメガネの女性、コルネリアだった。どう見ても真っ当な筋のものに見えない男たちが彼女の前に梱包されたものを置く。乾いた紙と細い
「解け」
その一言で三人の男たちは一斉に紐を解き始めた。ものの一分で厳重な梱包が解かれ、中から四十歳に届こうかという年代、いかにも主婦といった風情の女が、目隠しを巻き付けられ猿ぐつわをくわえさせられた姿を現す。
コルネリアがひとつ
「ソフィア・アーダディスに間違いないようだな」
一人納得し、コルネリアは控えている三人組に視線を向けた。
「祖母の方はどうした」
「それが、不在でした」
「いなかったか。……周辺には、不審に思われなかったろうな」
「別段騒ぎにはなりませんでした。少し大きな荷物をかついで通ったくらいのものです」
「よくやった。下がれ」
コルネリアは懐に入れていた袋を男たちの目の前に放った。床に落ちた途端、じゃらりという無機質な金属音が響く。男の一人がそれを掻き抱くようにして拾うと、三人はそそくさと退室していった。
「さて」
これから一仕事だ、というように首を傾けて鳴らしてからコルネリアは、地面に横倒しにされて
「こんな形でお招きする無礼を
たっぷりとよだれを含んだ猿ぐつわを外す。その途端に口撃が始まった。
「国王陛下の秘書ですって!? 冗談じゃありませんよ! どうして王様が
「あなたは
ソフィアの目が
「ただの主婦に用はない。我々が用があるのは、リルル様の元乳母で、現在でも母親同然に慕われている女だ。加えて、そのリルル様と親しいニコル・ヴィン・アーダディス男爵の生母とあれば、これは二重に価値がある。あなた一人で、リルル様とニコルを
「そこまで、あたしのことを……!?」
「政府を
コルネリアの声には
「端的にいおう。あなたは人質だ。リルル様を
それはサフィーナを確保していれば達成できることでもあったが、二重の保険という意味があった。
「あたしが、リルルとニコルのための人質……!?」
「全てが上手くいけば誰も死なずにすむ。大人しくしていることだ。リルル様を慕うニコル・アーダディスがなんらかの行動を起こそうとするのは想像に難くない。心配されずともいい。祖母含めて一家三人、仲良く暮らすことができるように手配はする――
「そんな無茶な話が、通って……!」
「伝えるべきことは伝えた。後は明日の大舞台のために、よく休まれるがいい。おやすみなさい」
コルネリアがポケットからガラスの小瓶を取り出した。中に紫色の液体が詰められているそれの
「あぅ――――」
百万の花を集めて煮詰め、
小瓶を仕舞ったコルネリアがぱちん、と指を鳴らす。その合図に応えたかのように部屋の壁に人体状の盛り上がりが二体浮かび上がり、それは壁から離れて人間大の棒人形となった。
「運べ」
磨かれた木の質感を思わせるつるっとした棒人形が、二体がかりでソフィアの体を持ち上げる。軍服の肩から羽織ったマントを
◇ ◇ ◇
いくつかの転移魔法陣を抜け、ソフィアを運ぶ棒人形を従えたコルネリアは、サフィーナを監禁している部屋の前までたどり着いていた。小窓を開いて中を確認すると、奥の寝台の上で眠り続けているサフィーナの姿が見える。
その眠りが見せかけでないことを確認し、コルネリアは扉の錠を開けた。感情もなにもない、本当に意思が存在しない棒人形が床にソフィアの体を置く。
「無力な女ふたり、同じ部屋にしたところで問題もないだろう。管理の手間も省けるしな……」
ソフィアの腕や脚を拘束していた縄を解き、棒人形たちは外で待つコルネリアの元に戻った。油断もなくコルネリアは素早く施錠し、起きる気配もない二人の様子を小窓越しに確認してからその場を離れた。
一人と二体の足音が遠ざかって行く中、二人の女性が身動ぎもせずその場で横たわり続ける。
全くの静寂が空間に落ちた。静かに繰り返される寝息以外、この場で動くものはなにもない。
扉に背にし、部屋の奥を向いて横倒しにされたソフィアの片目が開いたのが、唯一の例外だった。
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