「絶望を呼ぶ暁(あかつき)」

「ティ、ティターニャ……!?」

「メリリリア様の代わりに里を追われた、あの……!」


 東の森の里のエルフたちが、燃え尽きそうになっている気力の中で騒ぎ出す。四百年前――人間の世界ではひとつの王朝が滅ぶには十分過ぎるはずの時間が、エルフたちにとってはつい少し昔の感覚でしかない。エルフたちは七百年を生きようかというのだ。自分の寿命にも足りはしない時間だった。


「そのメリリリア様の双子が、どうしてダークエルフなんかに!!」

「ダークエルフなんかに・・・・、ですって!?」


 叫びを発したエルフに、ティターニャは研ぎ澄まし毒を塗った刃のような目を向けた。風を寸断する速度で手が旋回し、その手元から光が閃いたと思えたと同時に、ティターニャの憎しみの眼差しを受けたエルフがその場にもんどり打って倒れた。


「ああっ!?」


 上腕の長さはあろうかという長く太い針を胸に刺され、そのエルフは即死していた。


「やめろ! 貴様ぁっ!」

「誰が好き好んでダークエルフになるか! 呪いの封印を施し、私を里から追っておきながら! 王家の娘として生まれたハイ・エルフが、落ち込んだ先の魔界でどれだけの辛酸しんさんを舐めたか! 屈辱を味わったか!! この身にどれほどの汚れを浴びせかけられたか!! 貴様たちにわかるか! 私が身に受けた苦痛と呪いをその身で受けてみるがいい!」

「それ以上の狼藉ろうぜきは許さない!」


 フィルフィナが足元に転がっていた弓を拾い、一呼吸で矢をつがえてそれを引き絞った。


「ふん!」


 フィルフィナの手元から閃光を噴き出すように矢が発射される寸前、ティターニャの姿はその場から幻のように掻き消えた。一秒に足らぬ前の時間にティターニャがいた空間を、岩をも砕くはずの矢が虚しく貫く。


「――まあ、いいわ!」


 女の声だけが響き渡った。その場の全員が、自分の耳に直接声を吹き込まれていると錯覚した。


「私がいちばん殺したかった女は殺せた! ここはそれで退いてあげるわ――西の森の王女! フィルフィナ!」

「なんです!?」


 次の瞬間、矢を番え直して見えない相手を探し、目、耳、鼻、肌、全ての感覚を振り絞っていたフィルフィナの心に、電撃に似たものが撃ち込まれる。

 次に耳に突き刺さった言葉は、フィルフィナの魂を吹き飛ばすほどの威力を持っていた。


「あなたが手を貸している、快傑令嬢という娘! その一人を今、我が手の中に捕らえてある!」

「なんですってぇっ!?」


 嘘だと口を開こうとしたが、それを否定する根拠を見つけられなくてフィルフィナは脳と舌を空回りさせるだけだった。サフィーナは半日以上、リルルに至っては一日その姿を見ていない。


「ふふふ……! 嘘だと思うのなら、自分で確かめるのね! 私は嘘はいっていない! 事実があなたを最も苦しめるのだから! では、おいとまさせていただくわ!」

「待ちなさいぃ――――!!」


 フィルフィナは虚空に向かって叫ぶが、その声は森に囲まれた空に吸い込まれるだけだった。

 今度こそ本当に消えたのだ、その確信はあったが、そんなものは安堵あんどを与えてはくれない。

 本当の恐怖が始まっていた。


「……フィルちゃん、すぐに戻りなさい。ここのことは私たちで、なんとかするわ……」


 クィルクィナに抱き起こされたウィルウィナが、声のひとつひとつを発する度にきしんでくれる痛みに耐えながら口を開いた。


「あなたは早く、二人の安否あんぴを……」

「わかりました!! クィル、お母様を頼みましたよ!!」

「お姉ちゃん、早く行って!!」


 涙目になっているクィルの声に押されたように、フィルフィナは走り出した。自分が踏んでいる地面の感触もわからないほどに心が宙に浮かんで、足の裏が着いていない。


 自分がどこを走っているか、どこを跳んでいるのかわからず、そのうちにどこに向かっているのかも曖昧あいまいになりながらも、フィルフィナは走った。ただただ駆け抜けた。

 距離や時間、その他の全ての認識や感覚が失われていく。無に近づいていく。


 自分が何者であるかという自覚さえ消え失せようとしていた頃、フィルフィナは一枚の扉をほとんど破るようにして開けていた。開けてからそれがようやく、それがサフィーナの私室の扉であるということに気づいていた。


「サフィーナっ!!」


 返事はない。朝にもまだ遙かに遠い夜中だというのに部屋の中には誰もおらず、数時間前までここに誰かがいたような形跡も気配もなかった。


「ああ……朝になったり、夜になったり……頭がおかしくなりそうです……!」


 世界の表と裏を短い間隔で何度も往復しているのが余計にフィルフィナを混乱させる。

 寝室を確かめよう――そうフィルフィナが歩み出した時、カーテンの隙間から漏れ差してくる月の光が、テーブルの上で輝かせているものを彼女は見つけていた。


『フィルフィナへ』


 一枚の手紙だった。封もされていなければ折りたたみもされていない。月の光だけでその文字を読み取ったフィルフィナが、考えるよりも先にそれをひったくっていた。


『リルルは私の父の出陣を追って離れたニコルを追いかけ、王都を離れました。私は事件の報を受けたので出かけてきます。留守をよろしく――』


 フィルフィナの脳から、全ての血が退いた。そんなことは人体的にあり得ないとわかっていても、フィルフィナには自分がそうなったという確信があった。

 どちらが捕らえられたのかは、もう、これで確定したようなものだった。


「――サフィーナぁぁぁぁぁっ!!」


 フィルフィナは絶望した。自分の死を想うよりも遙かに重く絶望した。

 自分はリルルの、サフィーナの居場所もわからない。こんな時に限って。こんな大事な時に。

 お前はなんのために存在しているのか、そんな問いにも答えられないほど絶望していた。


「わ……わたしは……わたしはなんて無能なの……!!」


 このまま自分の心が潰れて死んでしまえばどれだけ楽なのか――そんなせんないことを思いながら、これから展開するであろう悲劇の演目プログラムを、フィルフィナは嫌でも想像させられていた。



   ◇   ◇   ◇



 エルカリナ大陸に、夜明けの気配が迫っていた。

 まだ太陽はその頭の先も見せていないが、もうすぐ空が白々と明けていくだろうという予感だけは、既に東の空に見えている。


 切なく生きる人々、それぞれの運命の道筋を浮かび上がらせる太陽がもう間もなく、昇ろうとしていた。

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