「最後の語らい」

「私は婿養子なのだよ、ニコル」


 就寝。

 ニコルとゴーダム公爵は、固い地面に薄い毛布を敷き、もう一枚の毛布とマントを掛け布団にし、甲冑かっちゅうを着けたまま並んで横になっていた。


 ここから明日早朝、攻撃をかける地点までは数カロメルトしか離れていない。万が一にも敵の襲撃を受けたら――陣地を歩哨ほしょうが立ち警戒はしているが、寝込みを襲われた時の用心は全員がしていた。

 その、眠るには困らないくらいに明かりを薄暗く落とした天幕の中。


「父上が、婿養子……?」


 ニコルは閉じかけていた目を思わず開いた。うとうととしていた眠気が飛ぶ。


「知らなかったか。まあ、あまり口にしていないことだから、私と同じ年代の者しか知らないかも知れんな。私をゴーダムの家の生まれだと勘違いしている者も多い……」

「……では、お母様がゴーダム家のお生まれなのですか?」

「そうだ。私の家は貧しい平民の家でな。父も早くに亡くした……私が物心つく前にな。それで母は私を負ぶさりながらゴーダム家の下働きを勤めていた。私も文字が読める程度になると、母の手伝いをして働いたものだ。幼い頃だというのに、こんな真冬の日にも、冷たい水に手を濡らして……」


 ニコルが首を横に捻る。薄闇の中でゴーダム公が目を開き、天幕の一点を見つめていた。


「私は先代の当主の目に止まった。貴族の学校に行くことも許された。席は与えられず、廊下の外で漏れ聞こえる講義を聞いて学んだ。道場の出入りも許され、そこでは貴族たちにいじめられながらも、剣の腕を磨き体を鍛えて逆襲したものだ。一対一の試合では、実力しかものをいわんからな」


 ニコルは父の穏やかな目に、それが過去をているのだとわかった。


「そして騎士団に騎士見習いとして入団を許され、准騎士となり、十八歳の頃には正騎士にじょせられた。二十歳では上級騎士で、先任騎士だ。どうだ、すごいだろう」

「……そんなに早く正騎士になられた方を、僕は見たことがありません」

「なにをいう。お前は十六歳で准騎士から男爵になっているではないか。私なんぞより早い」

「父上、それは……」

「まあ、本題はここからだ。――先任騎士に任ぜられて間もなく、当主様から打診を受けた。一人娘と結婚し、ゴーダムの家を継ぐ気はないかと。いわないでもわかるな。その一人娘がエメスだ。だが、私は少々事情を抱えていた」

「……事情、とは?」

「私には恋い慕う女性がいた。エメス以外にな」


 はっ、とニコルが息を飲んだ。強烈に意識に刺さるものがあった。


「ち……父上、それでは……」

「おかしなものだ」


 ふふ、と壮年の男が小さく笑った。


「思い出したろう、ニコル。お前がゴッデムガルドを去ろうとした日、私が止めたことを。サフィーナとの結婚をちらつかせて、私の元から去るのをはばもうとしたことを」

「父上は……」

「そうだ。私はお前と同じ立場だったのだよ、ニコル。お前に、リルル嬢がいたように」


 人生の面白さを噛みしめるように、ゴーダム公は唇を刻んだ。


「……私が慕っていたのは、年上の娘だった。裕福な商人の娘でな。昔から屋敷に出入りしていたのを、私も見知っていた。お前ほどの歳になる頃には、お茶をするくらいにはなっていたかな……。一度嫁に行ったが、一年も経たずに相手が亡くなったらしくて帰ってきていた。運のない娘だったな」

「…………」

「私はその娘に告げたよ。騎士として立派に身を立てられるようになったら、結婚してくれと」

「……お相手は、どうお応えに?」

「寂しそうに笑うだけだった」


 言葉が途切れた。ニコルも接ぐべき言葉が見つからない。

 少しの時間が空転し、自分の想いを噛みしめるようにゴーダム公は再び、口を開いた。


「是、とも否、ともいってなかったな……。私もどちらか確かめるのが怖かった。それで、当主様の打診だ。その時の私の気持ちがわかるか?」

「迷われ、ましたか」

「いや」


 男の目が閉じた。二十秒の時を心の中で刻んで、話し出した。


「二つ返事で了承した。たかが平民の家の出の男が、貴族、それもエルカリナ王国の大貴族の公爵家の一員になれ、行く行くは当主となれるのだ。その時の私の有頂天ぶりといったら……軽薄で、恥ずかしい。私はお前に偉そうな顔で説教を垂れられるような男ではないのだ……」

「ですが……」

「返事をする前にその娘の顔がちらつかなかったといえば、嘘になる。しかし私は、明確な返事をもらっていないことを言い訳にしたのだ。自分から結婚を申し込んだというのに。母に楽をさせたいなどと、それらしい理屈を持ってきてな」

「……父上、その女性は……」

「私か婿入りしてほどなくして、病気で亡くなった」


 ニコルは喉を詰まらせた。父の目の端に涙が浮いているのが、暗い明かりの反射でわかった。


「元々、体を壊していたのだ。だから私の求めにも応じなかったのだろう。……悲しかったが、同時に私は安心もしてしまった。自分の判断が間違いではなかったとか、そんなつまらないことを。その娘のことを本当に好いているのなら、どんな状況であろうとも側にいるべきだったのに……」

「だから、父上は、僕を……」

「フォーチュネット伯からお前を騎士団に入団させたいという報せを受け、お前の身元を載せた書類を見た時、私は笑ってしまったよ。過去の私自身がそこにいたのだから」


 皮肉なものだ、とその口元がいっていた。


「写真の中で私を見つめているその利発そうな顔に、すぐに惚れ込んだ。実物も期待通り、いや、それ以上だった。私よりも体格に恵まれていないというのに、お前は何度叩きのめされても立ち上がって、立ち上がって……そのうちお前とまともにやり合える者は少なくなり、目に見えて成長して……だから私は試したのだ」

「……サフィーナ様との、結婚の話を……」

「面白いな。私はお前を欲しかった。義理でも本当の息子として手元に置きたかった。だが、私は祈っていたのだ」


 目の前にこの少年がひざまづき、別れの挨拶あいさつをした時の光景。

 現実と過去の両方を同時に見ながら、ゴーダム公は言葉を繋いだ。


「断ってくれと。弱かった私のてつを踏まずに、自分の心を貫いてくれと。……そしてお前は、見事私の願いに、期待に、祈りに応えてくれた」


 いつしかゴーダム公の涙は、粒から流れになって、その目尻から細く零れていた。それが様々な意味を持つ涙であると知るニコルは、黙すだけだった。


「私は嬉しかった。負けなかった自分がここにいてくれると。同時に悲しくもあった。だが、お前がゴーダムの徽章きしょうを着けてくれると応じた時、救われたのだ。自分がなりたいと思っていた自分が、私の息子になってくれると。それがどれだけ私を励ましたか。人生とは、面白いものだ……」

「父上……」

「ニコル、今の話は、エメスには内緒だぞ。この話はあいつには話していないからな」

「……はい……」

「私はエメスを愛している。確かなことだ。あやつは、私の生まれの卑しさをおくびにも出さなかった。私を愛してくれてもいた。エメスと結婚したことに後悔などない。強い娘も産んで育ててくれた」

「……父上がもしも、お母様との結婚を断っていたら、僕はこの場にいなかったのかも知れませんね……」

「そう思うと、断った方が良かったのかも知れん。その咄嗟とっさの判断が大勢の人生を変えてしまう。人と人との関わりというものは、本当に面白い。だが……」

「僕は父上の息子になれて、本当に良かったと思っています」


 初めてゴーダム公が、ニコルの方を見た。


「僕は父上の息子にしていただいて、初めて父親を持てたんです。フォーチュネットの旦那様は僕によくはしていただきましたが、息子にはしてもらえなかった。そんな父を持たない寂しさを、父上が埋めてくれたんです。この嬉しさと幸せは、たとえ明日死んだところで、後悔のないものなんです。父上はそこまでのものを僕に授けてくれました。父上、感謝します……」

「……いったろう、私は泣き虫だと、最後の最後で泣かせるな……なんという親不孝者だ、お前は」

「申し訳ありません、父上」

「許さん。罰として、私はお前を、私の死出の旅の供にはしない。いいな」

「……はい」

「長々と話をしすぎたな。明日も早いというのに」


 ゴーダム公が天井に向き直る。その目を閉じた。


「もう、眠るぞ」

「父上」

「もう、眠ると……」

「僕も、明日は力いっぱい戦います」


 ゴーダム公は、もう目を開かなかった。


「ゴーダム騎士団の一員として、立派に戦います。僕の戦いを見届けてください。それだけです」

「……うむ」


 わずかに、しかし確かに公爵がうなずき、ニコルが微笑む。

 ニコルも前を向き、静かに目を閉じた。眠気が押し寄せるさざ波のようにやってきて、意識の浜辺に打ち寄せる。


 いいたいことはいい、聞きたいことは聞いた。その思いが二人の心を満たして、運命の時までの眠りに二人をいざなった。

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