「冷たい敗北」

「無駄な抵抗はよせ。進んで首を差し出すなら、苦痛の欠片かけらもなく殺してやろう。それがかつての英雄に対しての敬意だ。私は、無駄ななぶり殺しは好まない」

「……はいそうですかって、大人しく殺されるわけにもいかないのよ!」


 ウィルウィナは左手の小剣を防御、右手の小剣を攻撃のために使う構えを敷いた。

 その、強固とはいいがたい構えにヴィザードは苦笑する。


「ヴェルザラードは――」

「ヴェルがなによ!?」

「攻撃魔法もそこそこ使えたな」


 ヴィザードの左手が持ち上がり、その指が小さく印を宙に刻む。紫の光が空中ににじむ線となり、それが術式の回路を描いた。


「少し、冷える・・・ぞ」

「ううっ!!」


 ヴィザードの指が描いた紫の図形の意味に答えて世界が荒ぶる。この世の均衡バランスが大きく傾いたようにウィルウィナの周囲の温度が数十度下がり、同時にヴィザードの真正面で輝く幾何学模様が氷色にきらめくやじりを超高速で吐き出した。


「つっ! くっ!」


 ウィルウィナの剣が旋回しそれらを叩き落とす。直撃の航路を取らなかった数本がウィルウィナの体をかすめ、黒いマントの肩口を切り裂いて駆け抜けていった。


「小手先の術式でこの威力か。なかなかすごいものだな」

「……先祖から、血を引いているというだけで手に入れたそれを、得意顔に振り回して……!」

「貴族というのはそういうものだ。――まだ行くぞ。気をつけろ」

「くうっ! ふうっ!」


 さらなる鏃の攻撃がウィルウィナを群狼ぐんろうの襲撃のように襲い、その体にきばを突き立てようとする。冷たい刃を身を捻ってかわし、剣で叩き、マントの裾で弾き飛ばす。が、ウィルウィナの動きの限界を超える数の氷刃ひょうはがさらに渦を巻いて降りかかる。


「あぐぅっ!」


 ウィルウィナの肩と膝が切り裂かれ、服の下からでも血の飛沫が飛び散った。白い顔が痛みに歪む。


「どうした。このまま一方的に切り刻まれるか。それなら私も楽なのだが」

「――ちいいっ!」


 ウィルウィナは前に向かって駆けた。距離を詰め、剣の間合いで勝負を決するしかないと自分にいい聞かせるようにして、駆けた。


「――それしかないだろうな。捨て身の突撃というわけか」


 術式の図形を維持していた左手を解き、ヴィザードは大剣を両手で握る。


「剣技もそこそこなのだろうが……まあ、いい、一撃で終わらせる。ヴェルザラードもそれを望んでいるだろうからな」

「――この、先祖の遺志を無視する出来損ないの子孫! 先祖は天の国に行くが、あなたは地獄行きよ! 覚悟しなさい!」


 まるで地をうような前傾姿勢でウィルウィナが疾走しっそうする。真正面から食らいつくように走ってくるマント姿のエルフを視界の真ん中に捉え、ヴィザードは大剣を大上段に振り上げた。得物の間合いリーチも段違いにヴィザードの方が長い。


 ヴィザードの首筋に小剣を突き刺そうと腕を伸ばす直前に、大剣の刃がウィルウィナの頭を砕くだろう。そうするように追い詰めたヴィザードの戦術勝ちといったところだが。


「残念だ」


 完全に頃合いを読み取り、計り、完璧な間合いで相手を照準にとらえ、雑念の全てを払い落とし――ヴィザードは、渾身の力を込めて大剣を打ち下ろした。

 大剣の切っ先が、神殿の床を粉砕した。


「なにっ!?」


 その目を見開いたヴィザードが振り返る。大剣の一撃を、そして自分の体を通り抜けて・・・・・行ったウィルウィナの影を追って!


「最後の最後まで取っておくものなのよ、切り札ってヤツはね!」


 それは比喩ひゆでもなんでもない。文字通りにヴィザードの体を透けていったウィルウィナの声が響いたと同時に、ヴィザードは見た。ウィルウィナの背中を覆っていたマントが爆発したように内部から破裂し、次の瞬間には巨大な八本の蜘蛛クモの脚が八方に広がったのだ。


「うむぅっ!?」


 脚を広げた大きさが人の背丈に迫る、黒い鋼鉄の巨大蜘蛛がヴィザードの胸にその胴体を張り付け、八本の脚をヴィザードの背中に絡めて鍵のように閉じる。マントの破片を脱ぎ捨てたウィルウィナが蜘蛛から伸びた綱を引っ張って引きちぎると同時に、蜘蛛の内部でなにかが刻みを数え始めた。


 ウィルウィナの右手首にまっている『黒い腕輪』が鈍い輝きを発している。その内部に人が運べるほどの物を格納でき、同時にほんのわずかな時間、現実の世界と位相をずらすことで物質を透過することができる道具アイテム


「五百年以上生きている雌狐めぎつねエルフの古知恵をめないでほしいわね、半世紀も生きていないハナタレ国王! 接近戦に持ち込まれれば弱いですって? そんなことはね、私がいちばん思い知っているに決まっているじゃない! 対策せずして挑むものですか!」

「ぐうう、ううっ……」


 抱きついた人間をその巨体の全てで絞め上げ、黒金の巨大蜘蛛はヴィザードの体を粉砕する勢いで関節の全てを内側に折り曲げようとする。それはあおい鎧にはばまれてかなわないようだったが、彼の動きを縛るには充分だった。


「それは蜘蛛の形をした術式爆弾よ! もうあと、十数秒で爆発するわ――あなたと私を吹き飛ばしてバラバラに砕くだけの威力を封じ込めてある! 今からでも、ヴェルにびるがいいわ!」


 さらにウィルウィナはムチを取り出し、腕を一閃させて巨大蜘蛛ごとヴィザードの体にそれを幾重にも巻き付けた。二者の間は十歩とない。まさしく至近距離だった。


「――この距離で起爆させれば、お前も死ぬぞ。いいのか」

「こんなことになった責任を感じているからね。ヴェルの鎧も砕かれ、取りいたその魂も天の国に帰るでしょう。――ヴェル、一緒に死んであげる。それが私からの気持ちよ……受け取って……」

「くだらん」


 ヴィザードの声は冷静だった。あと数瞬で突然の死を迎える人間のものとはとても聞こえなかった。


「あと五秒よ、四……」

「さん」


 ウィルウィナの目がかれた。


「にぃ、いぃち」


 巨大蜘蛛に覆い被さられた下で、ヴィザードが自分の死の秒読みをしている。

 その結果はまさしく、一秒後に出た。


「――ゼロ


 ――――――――。


「どうした」


 ヴィザードがしゃべった。


「なにも起こらなかったぞ」

「そ……そんな……」


 ムチを握りしめたまま、目を見開き唇を戦慄わななかせて、ウィルウィナがその手を震わせていた。


「嘘よ……起爆の綱は引き抜いた。作動しないはずがないわ。必ず……必ず起爆するはずよ!!」

「――ふん」


 ひとつ声を発し、ヴィザードが上から抱え込まれている腕を広げる。巨大蜘蛛の凍結・・した数十個の関節がいとも容易たやすく引きちぎられ、死んだように静止した鋼鉄の蜘蛛が石畳の上に転がった。


「お前からは見えなかったか。指で冷気の魔法の術式を描き、こいつの内部を凍結させてやった。絶対零度、氷点下二七三・一五度。その温度では全ての運動が停止する。術式の魔法といえども例外ではない。それ以前に、その起爆を促す機械的な機構が凍結したようだがな」

「そんな……そんな手段が……」

「最後の最後で詰め切れなかったな。……しかし、よくぞここまで私を追い詰めた。今までのお前を侮辱した私の発言は、撤回しよう。さすが、ひとつの時代を築いた英雄の一人だ。だから、私もまた、敬意を払う」


 目の前に突き出されたものがなにであるのか、絶望したウィルウィナにはわからなかった。

 だから、ヴィザードの大剣の切っ先がゆっくりと胸を狙ってきていても、微動だにできなかった。


「――さらばだ、ウィルウィナ」


 ヴィザード一世の宣告と同時に、旧き英雄の剣、若き日に恋い焦がれた少年が持っていた剣が、ウィルウィナの胸に、


「う」


 突き入れられた。

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