第04話「天界の快傑令嬢リロット」

「ふたつの世界樹たち」

 転移鏡の表面の硬い水面に体を接触させ、離れた場所に跳ぶ・・際に受ける小さな目眩が晴れたと思うと、フィルフィナとリルルは全く様相をことにした部屋に出ていた。

 リルルが見慣れない雰囲気の部屋だ。夜の闇が全てを見えなくしているが、メガネの力を借りるリルルには多少の薄暗さはあれど、視界は確保できていた。


「ここは……」


 レースつきの天蓋てんがいがあり、頑丈そうな作りで広々とはしているが、さほどの装飾は見当たらない簡素な寝台が部屋の半分を占めている。家具も多くはない。化粧台、細長い箪笥タンス、一人が座るだけで小さなくらいの書き物机、装丁そうていがあまりしっかりしていない本が積まれている棚――。


「母の部屋です」

「ここが?」


 リルルは思わず声を上げていた。


「屋敷の私の部屋の方が立派なくらいだわ。お母様の部屋ということは、女王様の部屋ということでしょう?」

「これでもまだ、エルフの中では物持ちの方ですよ。エルフに物の所有欲はほとんどないんです」


 リルルはその言葉に納得していた。十年暮らしていても、私物がほとんど増えないフィルフィナのメイド部屋が全てを証明しているようなものだった。


「確かにミーネの話の通り、ここに帰ってきたようですね……」


 箪笥の扉を開き、中の様子を確認してフィルフィナが呟く。


「でも、ここにはいらっしゃらないわ」


 転移鏡で長距離を一気に跳躍したこのエルフの里が具体的に世界のどこにあるのか、リルルの知識にはない。窓の外は真っ暗闇で、太陽の高さで時刻を推定することもできなかった。エルフは時刻を重要視しないのか、時計が部屋に見当たらない。


「もう夜分よ。いったいどこに」

「心当たりはあります。……お嬢様」


 闇の中でフィルフィナが向き直る。感情を抑えながらも胸の中に光る決意を引き締めた口元に見せて、フィルフィナは自らを戒めるような冷静さを見せていっていた。


「おそらく、おそらくこの先はまた、戦いの場になると思うのです。母が急ぐように王都を去った理由、その行き先がわたしには見当がついていますから」

「戦いの、場って」

「母は、国王ヴィザード一世の野望を天界に伝えるために、天界におもむいたのでしょう」

「ウィルウィナ様が、天界に……!?」


 天界。

 次元が重なるように存在し、しかし構造としては縦の関係にあるという地上と魔界。その上に存在するという、第三の世界。


「天界には、水の世界樹を伝っていかなければ到達できないんじゃなかったの? どうやって――」

「わたしたち『西の・・森の森妖精』が監視していたのが『水の世界樹』なのです。つまり」

「……『東の・・森の森妖精』が存在するということ……」

「ええ。ふるくにわたしたちの一族と分かれた同族です。交流はほとんどありませんが、最低限の繋がりは持っています。わたしも、向こうの女王に一度だけお目にかかったことがあります。そんな程度の繋がりです」


 フィルフィナは廊下に繋がる扉を開けた。廊下に灯されている明かりが隙間から差してきて、真っ暗な女王の私室を薄暗く浮かび上がらせる。それでもフィルフィナは外に出ようとしなかった。


「その一族は『土の世界樹』を監視……いえ、正しくは保護ですね。この『土の世界樹』は、過去から現在に至るまで、ずっと存在し続けていますから」

「ウィルウィナ様はそのもう一つの世界樹を使って、天界に行こうとしているの」

「国王も今、『水の世界樹』を昇っている段階だと思います。母は『土の世界樹』を伝うことでなんとか先回りし、天界の守りにつこうとしているのでしょう。事態は一刻を争います。わたしは急いで母を助けに行きますが……」

「が、なに?」


 急いでいる、といいながらもフィルフィナの足は動かなかった。いつの間にかリルルから視線が外され、苦悩に陰った顔が床の一点を見つめている。薄い明かりの中にエルフの少女の瞳が震えている様を見て、リルルは次の言葉を待った。


「……行けば、あの国王との戦いになるのは必至なのです。老いたりとはいえ、魔王をも倒したあの力は計り知れません。天界の神をも凌駕りょうがする自信があるからこそ、こんな無謀としか思えない行動に出ているのでしょう。そんな相手との戦いに、お嬢様を巻き込むことなど、わたしには……」

「なんだ」


 あっけらかんという表現が相応しい軽い反応が返ってきて、フィルフィナの顔が反射的に上がった。


「そんなことを心配していたのね」


 リルルの顔から、春の残雪が溶けたように緊張がほぐれていた。


「大丈夫よ。私、ウィルウィナ様を助けに行くわ」

「お嬢様、危険だということを理解して……」

「理解しているから行くんでしょ。ウィルウィナ様を見捨てられないし、お母様を助けようとするフィルも放っておけないわ。それに私がいた方が勝算が増えるっていうものよ」

「…………」


 フィルフィナの顔に、微かな無常の色が浮かんだ。それも一瞬のことだったが。


「……そうおっしゃると思っていました。迂闊うかつでした。ミーネの部屋に行くまでに、お嬢様を帰しておくべきでしたね……」

「フィルも慌てると、結構ドジなのね。でも仕方ないわ。お母様の危機ですもの。――私、ウィルウィナ様のこと、好きよ。お人柄があったかくて、三人目のママみたいに思えるから」

「そんなこと、間違っても本人にいわないでくださいね。絶対図に乗りますから」


 行きましょう、と口にしてフィルフィナは廊下に出た。リルルも躊躇ためらわずにそれに続く。フィルフィナの母を救うためという使命感が、少女の小さな胸の内をこれ以上もなく高揚させていた。



   ◇   ◇   ◇



 女王の私室を出た先は、エルフの里の宮殿の中心部に続いていた。


 短い廊下を歩くと小さな扉に突き当たり、それを抜けると謁見えっけんの間に出る。

 夜中にも関わらず赤々と明かりが灯され、全ての闇が払われている。玉座を隠すベールを手で退けてフィルフィナが広間に踏み込むと、その場で激論を交わしていた数十人が一斉に振り向いてきた。


「王女殿下!」

「姫様、何故この場に!」


 声を発することができたのは数人で、残りの官僚たちは開けた口から息もできないようだった。そのまま時が停止しているかのように固まった臣下たちの元に、フィルフィナがずかずかと歩み寄る。


「大層に驚いてくれるな。わらわがここに来るのがそんなに珍しいか」

「……い、いえ、実際、大変お珍しいことですので……」

「そうであったな」


 無沙汰の限りを尽くしているのを思い出してフィルフィナが苦笑する。その後ろにつくリルルは、見たことが何度かあるとしても、いつもの雰囲気とはまるで違う物腰を見せるフィルフィナの様子を見守るだけだった。


「姫様、その人間は……」

「いいのだ、控えよ」


 フィルフィナの背後に立つリルルをとがめようという声が上がりかけたが、事情に詳しい者がそれを制した。


「ひ……姫様、ちょうどよかった! 女王陛下が、女王陛下が大変なのです!」

「案ずるな。わらわもそのためにきた。――母は、『東の森』に向かったのだな?」

「はい。供も連れず、戦装束での、たったお一人で! 私たちも同行を申し出たのですが、ならんと仰せに! ついてきた者は首をねるとまで!」

「落ち着け」


 既に泡を噴いている臣下の焦りように、フィルフィナやリルルの方が逆に冷静になった。


「母がそこまでいうのだ。そなたたちは追ってはならぬ。わらわが援護に向かうから、安心せよ」

「は……は、ははぁ……! 王女殿下、この不甲斐ない臣のためにお手をわずらわせること、まことに恐懼きょうくの至りにて!」

「打ち首になろうが、構いません! 我々も帯同たいどういたします! 姫様!」

「必要ない。そなたらでは足手まといだ」

「殿下、我々は矢除けでも、弾除けでも本望であります!」

「そなたらの忠義には、このフィルフィナ、心から感謝する。だが、そなたらの犠牲を母も妾も喜ばん。この里のまもりを頼むぞ。転移の間の鍵は開いているのか」

「は、はい……。十分ほど前に、女王陛下がお開けになられたままでございます」

「わかった」


 フィルフィナは目でリルルに合図を送る。リルルもうなずき、女王の私室に繋がる扉からやや離れた、謁見の間の隅に設けられたそれだけは鉄製の頑丈な扉に向かった。


「念のため、いい残しておく」


 扉を押し開こうと手を当てて、フィルフィナは背後を振り返った。家臣たちの全てがそれに反射的に背筋を伸ばす。フィルフィナはその怖れぶりに内心苦笑しながら、いっていた。


「――妾たちが戻らない時は、妹たちを頼れ。これは命令だ」

「フィルフィナ様ぁ!!」


 最後に上がった悲鳴そのものの声を振り切ってフィルフィナは扉を押し開け、涙声が尾を引き始めた謁見の間の空気に哀れさを感じながらリルルも続いた。

 鉄扉の先は、全くの飾り気がない細い廊下になっている。フィルフィナは小さなランプを取り出して明かりを灯し、窓の一切もない真っ暗闇の空間を頼りない灯りだけで歩き、リルルが続く。


「そんなにクィルちゃんとスィルちゃんって、信用されていないの……?」

「あの二人が並んで玉座に座っているところを想像してみてください」


 リルルはいわれたとおりに頭で思い浮かべてみた。


「……似合わないわね」

「もう、本当になにがあるかわからないのです。二人を遊ばせているのは失敗でしたね……」

「帰ってきたら、一生懸命教えればいいじゃない」

「そうしましょう。――その、突き当たりです」


 フィルフィナが念を押すまでもなかった。

 廊下の先、正面には廊下の幅の全てを取っている重々しい扉、それひとつしかなかったからだ。

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