「追跡と詰問」

 ニコルは、伸ばそうとした腕を止めた。

 抵抗のすべうばわれて意識を失い、力なく四肢を垂らして魔族の少年に抱えられている――はずのリルルが片眼を開いて、あまつさえ瞬きウインクしてきたのだ。


「リルっ……!」


 呼びかけようとしてニコルは口を閉じた――リルルの片眼の色が、『呼びかけないで』と言っていた。


「はっ、決闘か」


 そのリルルを脇に軽々と抱えて滞空たいくうするダージェは、リルルとニコルの間につながる気配に気づかない。気づけようがない。


「お前と決着を着けるっていうのは悪くねぇな。ただ、今はちょっといそがしいんだよ。また今度な」


 芝居がかった仕草でダージェが鋭い犬歯を見せ、笑った。


「リルルのことは心配すんな! このダージェ様がもう、それはそれは丁重ていちょうあつかってやる。なんせ俺の嫁だからな! お前が触ったところは全部俺が触り直してやるよ!」

「ダージェ!」

「じゃあな、ニコル。また会おうぜ!」


 勝ちほこるダージェは、王城の方から響いて来た馬蹄ばていとどろきにちら、と意識を向けると、翼を大きく一振りし、北の方向を目指した。


「うくっ……!」


 翼の広さに似合わない突風を受け、ニコルが物見櫓ものみやぐらの屋根から落ちそうになる。


「リルル……」


 風を追い抜く速さでぶダージェ、彼に抱えられたリルルの姿が、点より小さくなる。

 その姿を見送り、とても追いつけない速度で数十騎の追撃隊が北の城門に向けて走って行くのを見届け、腰の剣をにぎったニコルは物見櫓の屋根をった。

 数十メルトの高さから、少年の体が木の葉のように舞い降りる。


「ニコル様!」


 貴族邸の壁を背中にして立っているニコルを認め、こちらも風のような速さでフィルフィナが走り込んできた。


「お嬢様は! お嬢様はさらわれたのですか! ――ニコル様、どうしてあの二人を追わなかったのです! ニコル様なら追うことも可能だったはず!」

「――フィル」


 目の前で恋人を拉致らちされた少年のものとは思えない冷静な表情で、ニコルは振り向いていた。


「リルルは、快傑令嬢リロットの姿になっていなかったんだ」


 さらになにかを叫ぼうとしたフィルフィナの口が、止まった。ニコルの言葉の先にある意味の気配に気づき、そこから先が空回りした。


「さらわれるのを防ぐ最後の手段として、リロットの姿になって抵抗することができたはず。――なのに、リルルはそうしなかった。そして、気絶したふりをして僕にまばたきを送ってきたんだ。それはどういうことか、フィルにもわかるかい?」

「そ、それは――」


 フィルフィナが口の中をよどませた。


「リルルは、わざと自分を連れ去らせたんだ」

「わ……わ、わかります、その理屈は……」


 ぐちゃぐちゃになっている思考を整理して、フィルフィナは戦慄わななきの中で必死に論理を組み立てた。


「お嬢様はおっしゃっていましたね。自分が逃げ出したりしたら、周囲の親しい知人に害がおよぶ、そう釘を差されていると……」

「それは、僕たち周囲がリルルを助けようとしても同じだろう。――でも、今回はちがうよね」

「あ…………」


 ニコルが微笑んだ。フィルフィナの思考が、それに誘導されて正解にたどり着く。


「魔族の者がお嬢様を尖塔せんとうから連れ出しても、わたしたちに害が及ぶはずもない……」

「リルルは、咄嗟とっさに判断したんだ。これが『好機チャンス』なんだって」


 映像の中のリルルがいっていた――『好機チャンスを待つ』と。それが具体的にどんなものになるかは、誰にもわかるものではない。

 その中でリルルは見切ったのか。ここが勝負のしどころであると。


「し……しかし、あんな魔族に身を任せることになるなど……! これでは尖塔にいた方が、いくらかマシではないのですか!? お嬢様がどんな目にわされるかわかったものではありません!」

「あの魔界皇子まかいのおうじ、ダージェはリルルにひどいことはしないよ」

「何故にそういいきれるのです!」

「勘だよ」

「かっ……」


 そんな物が根拠なのか――フィルフィナは気絶しそうになったが、ニコルの正気そのものの色を見せる瞳に、言葉が続かなかった。


「あのダージェとは色々話したんだ。彼は心底リルルのことが好きになって、こんなことをしでかした。リルルを心から自分に振り向かせたいと言っていた。僕の中にある感情をそっくりそのまま、彼も持っている」


 その部分は勘でもなんでもない――真実と思える部分だった。


「同じ女の子にれた男のことを、信じたくなった。僕の勘はあんまり当たらないけれどね……なんせ、リロットがリルルだったということについこの間まで気づけなかったんだから」

「ニコル様……」

「とはいっても、ずっと放っていくというわけにもいかないな。探しにいかないと」

「――ニコルお兄様」

「来てくれたね、ロシュ」


 足音を立てず、風のふところからいて出たようにロシュが姿を現した。そのちょうどいい出現の仕方に、ニコルが微笑む。


「リルルがどこかわからない所に移送された場合、その際に備えていた仕掛けが今役に立つ。――リルルを追えるかい?」

「リルルお姉様がロケットを開いて・・・・・・・・いたので、空気中に残った香り・・を感知できます。空中なので香りが定着せず、数分もすれば消えてしまうでしょう。今なら追跡が可能です」

「じゃあ、急ごうか」


 用意もなにもないが、仕方がない。


「鬼が出るかじゃが出るか――いや、魔が出てくるんだろうけれど……。フィル、ロシュ、頼んだよ」

「ニコル様、お任せください」

「わかりました、ニコルお兄様」


 二人の少女がうなずきを受け、ニコルは北に向かってけ出した。

 まずは、城壁の外に出なければならない――。



   ◇   ◇   ◇



 王都の政庁区せいちょうくを巡視していたヴィザード一世、その元に『リルルさらわれる』の報が届いたのは、事件が起こってから十五分後のことだった。

 王が座する、城に帰還きかんしようとしている馬車に、髪を振り乱すようにしたコルネリアが飛び込んできたのだ。


「……リルルが、魔界皇子にさらわれただと……!!」

「申し訳ありません!」


 暗い馬車の中で立ち上がりかけたヴィザードが、大きな揺れに体勢を小さくくずした。一人乗りには広い国王専用の馬車も、コルネリアという飛び込みの同乗者がいては手狭てぜまになってしまう。


「全ては、わたくし不始末ふしまつによるもの! どうぞおしかりはこの身に!」

「貴様がついていながら、このような失態をしでかすなどと!! この――――!!」


 国王の激高げっこうに空気が吹き込まれ、さらに熱く大きく燃え上がる気配を前に、くちびるんだコルネリアが全力で体を縮め――。


「――――とはいえ……!!」


 爆発の寸前までいったものが、すぅぅと引いた。


「……すんでしまったことは、仕方があるまい…………!!」


 のどまで上ってきたものを無理矢理に飲み込み、の中にまで下して座り込んだヴィザードを前にし、縮み上がったコルネリアはその端正たんせいな目元に涙を浮かべた。これなら、感情に任せて罵倒ばとうされた方がいくらかマシだった。


「今は、そなたの失態云々しったいうんぬんばつしているひまも余裕もないのだ。全てはかたがついてから言い渡そう」

「は、はっ……! か、寛大かんだいなご処置しょち、まことにありがたく、感謝の言葉も――!」

「そんなものはどうでもいい。そなた自ら魔界へおもむき、今回の事態について詰問きつもんしてくるのだ。リルルの身を質にして交渉しようという腹だろうが……これだけは必ず釘を差しておけ」


 次の言葉だけには、国王のいきどおりと怒りが確かに込められていた。


「リルルの身をけがすなどは、断じて許さん、それは完全な決裂を意味するとな――」

「は、は、はい――」


 王城に入った馬車が停止する。それでは、と一礼して馬車を降りようとするコルネリアの背中に、ヴィザードは呼びかけた。


「――例の『作戦』な、早まることになるぞ。部隊の編成はすんでいるか」

「準備、完了しております。後は、陛下のご指示があればいつでも出動が可能です」

臨戦りんせん態勢を取らせておけ。出動は間近まぢかい」

「は――――」


 コルネリアは恐縮きょうしゅくしきった体を無理に伸ばすようにし、馬車から降りた。一刻も早く、向かわなければならない。

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