「島から、王都へ」

 魔界皇子まかいのおうじは、大木の木の枝にふわりと着地した。その三方を地上から囲んだニコル、フィルフィナ、ロシュが視線を集め、後者の二人は驚くべき威力の遠距離武器を向けた。


「手を挙げ、大人しく降りてくるんだ。飛び去ろうとしたら、二人に撃たせる」

「ニコル様、降伏をうながす必要なんてありません。今すぐてと命じてください。決して外しはしません。あの生意気な顔面に命中させてみせます」

「ニコルお兄様、ロシュは準備完了しています。指示をください」

「二人がバケモノ射手か。これはちょっと逃げようがないかもな……」


 敵の能力を正確に読み取った魔界皇子の笑みに、ほんのわずかなあせりがにじんだ。


「おい、ニコル、降伏した俺をどうあつかうつもりだ。この島で奴隷にしたりするんじゃねぇだろうな」

捕虜ほりょとしての待遇たいぐうを与える。三食は出すから安心してくれていいよ……イモばかりになると思うけれど。でもこの島の三日月イモは絶品だよ。是非ぜひ食べていってほしい」

「イモかよ。魔界とそう大差ねぇな」

「君みたいなのは手枷足枷てかせあしかせくらいじゃ自由を制限できないだろう。かなり不自由な思いをさせることになるのは、了承りょうしょうしてほしい」

「やなこった――といったところで、断ったらこの場で串刺し消し炭か。しゃーねぇ、大人しく降りてやるよ」

「ロシュ、少しでもおかしな素振そぶりを見せれば撃ってかまいません。全力で腹をねらいなさい」

「了解しました、フィル」

「女の方がる気満々なのはどうにかなんねぇのかよ」


 苦笑いしながら魔界皇子は両手を軽く挙げ、綿帽子わたぼうしが落ちる速度で降りてくる。最大限に広げられかすかに発光した翼は、羽ばたきもしないのに自由落下に転じないだけの揚力ようりょくを与えているようだった。


「んで、俺をつかまえたらどうするんだ。性的虐待せいてきぎゃくたいはやめてくれよ」

尋問じんもんだ。聞きたいことが山ほどある。何故君のような者が王都エルカリナ、それも城のど真ん中にいたのか。そもそも魔界とはなんなのか。お茶でも飲みながらゆっくりお話しよう」

「ああ……お前と茶を飲みながらリルルの乳の大きさについて語り合うっていうのも、おつなもんだ。でもな、魔界の次期魔王候補がふんじばられて拷問ごうもんされるっていうのは、死んだ方がマシな不名誉なんだよ。だから――」


 魔界皇子が軽く広げている手の平に、雷が閃くほんの刹那せつなの光がまたたいたのは、その瞬間だった。


「ここは逃げさせてもらうぜ!」

「ロシュ!」


 フィルフィナがさけぶよりも先に、魔界の少年が巧妙こうみょうにフィルフィナとロシュの方に向けていた手の平、それが猛吹雪もうふぶきよりも激しい勢いで、雨粒あまつぶのように細かい炎の粒をき出した。


「くぅっ!?」


 二人の視界が炎の色で赤く染まりきる。回避しようのない広い射角でき散らされた炎から身をかばおうとして、反射的に体が動く。


 その炎の粒たちは射手ふたりに降り注――ごうとして、到達するまえに燃えきて消えた。


「ハッタリか……!!」

「はーはははは!」


 ふたりがひるんだ一瞬のすきをすかさず拾い、魔界皇子が空高く舞い上がっていた。フィルフィナとロシュが一射するが、翼が生えた少年は大木のみきを盾にしてそれをかわした。

 矢と光弾に直撃された大木が折られた――というよりも、その先端を切断されていた。


わりィがそんな暇はねぇんだよ! 時間がなくて急いでいるんだ、ここで失礼するぜ――予定がくるったが、これからリルルをおむかえに行かなければならないんでな!」

「お嬢様を――!?」

「リルルをどうするつもりだ!」

私事わたくしごとと仕事をねて、さ。理由の半分はお前らが大好きなクソ国王に聞け! ま、一生懸命海を泳いで追いかけてくるんだな――じゃあな!」


 魔界皇子の背中に、空から染み出るように紫色をした円形の魔法陣が現れる。フィルフィナの矢が彼の胸を貫く前に、魔界皇子は魔法陣の中に飛び込んでいた。ほどなくして魔法陣も空の中に溶けて消える。


「あの魔法陣は……王都につながっているのか! リルルが危ない!」

「ニコル様、屋敷へ! 屋敷の転移鏡てんいかがみからわたしたちも王都に飛びます! ロシュ、あなたもついて来なさい!」

「わかりました」


 この場で対策を協議している暇もない。三人は示し合って丸太屋敷へと走った。


「魔界皇子の計算には僕たちも瞬時に王都に移動できることが入っていない。そこが逆転のきっかけになるか……しかし、わからないことだらけだ……! 『私事』はまだわかるが、『仕事』とはなんなんだ。……それと、何故国王陛下がここで口に上る……!?」



   ◇   ◇   ◇



 島の中央部からやや南に外れた位置に、ニコルの屋敷と政庁を兼ねた『丸太屋敷』は建っていた。前回の『旅行』の際にウィルウィナがあらかじめ建ててくれていた、丸太作りといってもちょっとした貴族の屋敷を彷彿ほうふつとさせる大規模なものだ。


 それを見ても島民たちはニコルが贅沢ぜいたくをしているとかは思わない。丸太屋敷には島民たちが気軽に出入りでき、解放されたテラスとバルコニーなどでは、皆がちょっとしたき時間にお茶とおしゃべりを楽しんでいた。ニコルがさほど広くない部屋で寝起きしていることも全員が知っている。


 その丸太屋敷の屋根の上では、一枚の大きな旗がゆるややかな風に吹かれてはためいていた。

 真紅の薔薇バラを想起させる真っ赤な下地。そこに微かに青みがかった銀色の線で、大きな帽子をかぶった少女の横顔と思しき輪郭りんかく簡略的かんりゃくてきえがかれている。


 アーダディス男爵家の紋章だった。

 その丸太屋敷の正面階段から下に降りようとしていたエヴァが、何者かが全力で走ってくる慌ただしい雰囲気に気づいて顔を上げた。


「あら? 領主様、それに――」

「ああ、エヴァ! いいところにいてくれた!」


 先に行っていて、とフィルフィナとロシュにげたニコルが、一カロメルトほどを全速で走ってきた体に汗をにじませてエヴァの前で立ち止まる。


「緊急事態なんだ。僕たち三人は今から島を空ける。ひょっとしたらしばらく戻れないかも知れない――エヴァ、その間君に領主代理を任せたいんだ。引き受けてくれるね!?」

「な、なにがあったのですか?」

「リルルの身が危険なんだ、だから――」

「わかりました」


 リルルの名を聞いただけで、エヴァは全てを飲み込んだ。


「島のことは心配しないで。私が上手くやります。領主様……ニコル、リルルをお願い」

「ありがとう! エヴァ、本当にありがとう!」


 ニコルはエヴァの手を取ってその甲にキスをすると、屋敷の中に駆け込んで行った。


「ニコル……リルルのことになると、他になにも見えなくなるんだから……」


 百年られ続けた絨毯じゅうたんよりも複雑な色をその口元に浮かべ、かつて物狂ものくるうほどに少年を愛した少女は微笑ほほえんだ。


「リルル、ニコルが今行くわ。あなたはニコルに応えてあげて……私の分まで、いっぱい……」



   ◇   ◇   ◇



 たとえ世界の裏側であったとしても、定められたポイントと点を一瞬にして跳躍ちょうやくする魔法の産物――『転移鏡』。

 それは倉庫の奥に、さも不用品のようにさりげなく置かれていた。


「ニコル様、さあ、お早く」


 薄暗い倉庫の片隅かたすみ、鏡の脇にフィルフィナとロシュが待っていた。ニコルはうなずいて鏡の表面に触れる――冷たく固い感触が一瞬指に伝わった瞬間、ぽちゃん、とそこから広い波紋が刻まれた。固体のはずである鏡が液体のように振る舞っている。


「ん……!」


 板の中に潜るという矛盾むじゅんした感触、まだ慣れぬその感覚に息を詰めながら、ニコルは体を押し込んだ。まさしく高い所から水面に飛び込む際の、一瞬の固い抵抗を示して体が鏡に沈んで行く。

 五感の全てが働かなくなる薄皮一枚の異次元を介し、ニコルの体は、向こう側に出ていた。


「あ――――」

「…………ニコル?」


 固体と液体の中間の感触から外に抜け出たニコルは、その両目をまばたいた。

 先は公爵令嬢サフィーナの部屋だった。

 背中に回した手でブラジャーの留め具を外しながら、鏡に映った自分をにらんでいる下着姿のサフィーナ、上体だけを鏡の中・・・から出しているニコル。

 ふたりの瞳が、正面の真正面から、かち合った。


「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!?」


 悲鳴を上げて動きが止まったニコル、その背中を続いて出ようとしたフィルフィナが押す。その衝撃に簡単に負けたニコルが前につんのめり、留め具を外したブラジャーから手を放した・・・・・サフィーナがそのにニコルの顔を受け止めた。


「ああ、ニコル! ついに私のところに来てくれたのですね! もうあなたを放しはしません! さあ今からそこの寝台にふたりで!」


 幸せの絶頂にほおを染めたサフィーナがニコルの顔を素肌の全部に受け止め、両腕で頭を抱え込んで重いかんぬきをがっちりとかける。ニコルはその悪魔の殺し間から脱出できなくなった。


「放してください! 離れてください! 話せば、放せばわかります! お願いです!」

「いや! もう放さない、離れない! 話なんかいいですから、そこで体と体で語り合いましょう!」

「……なにをやってるんですか。こんな時にサフィーナと浮気ですか。お嬢様にいいつけますよ」

「フィル、どうせいいつけるなら五分間待って。今そこで想いをげるから」

「手遅れになります! 今、リルルが危ないんです!」


 ぱ、とサフィーナがニコルをいましめから解放した。ニコルが顔面から絨毯じゅうたんの上に倒れる。


「……だからサフィーナ様の部屋に転移鏡を置くのは反対したんだ、こういうことが起きるから!」

「それはいいのです! こういうことが起きるように私が賛成したんですから! ……でニコル、リルルの身になにが起こるというのです?」


 フィルフィナがだまってサフィーナを衝立ついたての向こうに隠す。強打した鼻を押さえながら、ニコルはできるだけ端的たんてきに今の状況じょうきょうを話した。


「それは……! ニコル、急ぎなさい。続きはまたあとで!」

「続きはありません! サフィーナ様、大変失礼いたしました、このことはどうか忘れてください!」

「いいえ、日記に書いておきます! 愛しのニコルがキスをくれたこと、しかも私の可憐かれんな桜色の――」

「うわぁ――――!!」


 泣きながらニコルはサフィーナの自室を飛び出した。

 ゴーダム公爵家の屋敷からエルカリナ城までは約三カロメルト、歩けば四十分、全速で走れば四分を切れるかどうか。


 魔界皇子が魔法陣で転移したのは、もう十分弱も前の話だ。その差を埋められるかいなか――。


「……手段は、これしかない……!」


 ニコルは腰のレイピアを抜いた。

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