「移民団、出航」
「じゃあ、これからみんなにも船に乗ってもらうわけだけれど――」
「ちょっと、待て」
亜人たちの集団を押し分けるようにして、
フィルフィナがさりげなく後ろ手に手を回すが、側にいたニコルもまた自然な仕草でそれを制した。
「あんた……」
「大丈夫だ、
妻だろうか、両腕に赤ん坊――人間の幼児くらいの体格がある――を抱いた女性を手で
元々小柄なニコルからすれば、
「お前が、領主なのか」
「そこのオーガ! 呼ぶなら領主様だろう! 最低限の
「アリーシャ先輩、いいんです。僕に任せてください」
オーガが差させる影に隠れてしまうようになったニコルが
「聞きたいことがある。何故、オレたちと人間、分けた」
「人間の方は子供たちばかりだからね。船倉に入ってもらうのは決まっていたからさ。これから君たちも大人の男と、女性と子供に別れてもらうよ。なんせ全員が船倉に入らないんだ」
「お前、オレたち、
「僕が信用できないのかな」
「オレたち、人間嫌いだ」
岩をノミで
「君の名前は?」
「イェガー、それ、俺の名前」
帽子に上着、ベスト、ズボンに靴と全てがツギハギで修理されている形跡だらけの格好をしているオーガは名乗った。とはいえ、そんな
「人間、オレたちとの約束、守らない。いつもオレたちから奪おうとする。オレたち、何度も何度も
「じゃあ、どうしてこの移民団に参加したんだい?」
「ティーグレ、いった。お前、信用できる。ティーグレ、オレたち、
「でも、ティーグレは信用できるけれど、僕は信用できない、ということだね」
「家と土地をもらえるっていうのは、本当に本当なのか」
側にいた少し若めの犬獣人が声を上げた。こちらも妻と小さな子供を二人連れていた。
「島にいる限りは
「税はだいたい二割っていうのは、本当に本当なのか」
「高すぎるかい?」
「安すぎる。普通は四割は取られるもんだ」
ニコルは思わず苦笑した。
「四割は高すぎるね。父上の領地ではだいたい三割だったよ。これでも領民に無理をさせているって父上は
「オレたち、この王都で生活、行き詰まった。だからお前の話、乗った。だが、もう騙されたくない」
「僕を信用する必要はないよ。ただ、僕は君たちに信用してもらいたくはあるかな……。悪いけど、男性たちには島への航海の一晩、甲板で寒い思いをしてもらうことになる。僕ももちろん甲板で一夜を過ごす。君たちに混じるっていうことになるね。僕自身が人質になる。これでいいかな?」
「…………」
「島に着いた後でも、もしも僕に不満があるんだったら、反乱でもなんでも起こしてくれていいよ。僕たちはさっさと逃げ出すから。あとは島をみんなで好きにしてくれたらいい。僕は不始末を
「……お前、変わってる奴。その側のエルフ、お前、守ろうとしている。エルフ、亜人の中でいちばん人間嫌ってる。なのにお前……わからない奴」
「僕には実感のない常識なんだよね……知り合いのエルフはみんな
「……オレたち、
「君が亜人代表っていうことでいいのかな。みんなの意見をとりまとめてもらえると助かるよ。これからもよろしくね」
ニコルが片手を差し出した。そんな握手の誘いを、イェガーは無視した。
「女子供、分かれろ。先に船、乗れ」
「あんた……」
「なにかあったら、必ず助ける。安心しろ」
「ニンゲンの子供といっしょになるなんて嫌だよ。あいつら僕たち
「もうパパとママで決めたことなの。お前もお腹を減らすのは嫌でしょう。ほら、行くのよ」
ぐずつく男の子の手を引いて、獣人の母親が船に向かう列に子供たちを引いていく。移民船に見せかけた奴隷船ではないのか、という認識が広まっていることに、ニコルは苦笑いするしかなかった。
「……ニコル様、大丈夫なのですか」
「僕に
「しかし……なにかあったらお救いのしようが……」
「むしろ剣が側にあると危ない。これに頼る気配はない方がいいよ。フィル、安心して」
ニコルは剣をフィルフィナに手渡す。覚悟を決めるようにしてフィルフィナはそれを受け取った。
「じゃあイェガー、君たちも甲板に乗ってくれ。僕は最後に乗り込むから」
「お前、常にオレの腕が届くところにいろ。小便する時も、オレが付き
「恥ずかしいなぁ」
ギロリと
「船倉にはフィルに詰めてもらった方がいいね。船室は気分が悪くなった人のために
「なあ、ニコル、俺はどこにいればいいんだ」
何故か顔に新しいひっかき傷を作ったラシェットが申し出てきた。
「どこでもいいんだけど、あのアリーシャって女とは
「誰があんたと同じ所にいたいんだ。それにニコルの側にいたいっていうのが顔に出てるんだからそういえば? あたしのことなんかいうみたいだけど、あんただってニコルにベタベタしてるでしょ。ニコルのおしりでも
「俺はそういう趣味はねぇ! ニコルは俺の弟分なんだ、面倒見るのは当然だろうが!」
顔を合わせただけで火花を散らし合うラシェットとアリーシャの騒ぎようを見てフィルフィナは今日、何度目かのため息を漏らした。
この二人は
「先輩方、お二人は僕の大切な騎士団の騎士なんです。お願いしますから、仲良くしてもらえれば」
「今は大人しく島に向かってやるけれどな、どちらがアーダディス男爵騎士団の騎士団長に
「ふん、半年とちょっとニコルの近くにいただけの奴にあたしが負けるわけにはいかないでしょ。ニコル、こんなしょーもない男とこの
「
「ラシェット先輩はマスト上の見張り台、アリーシャ先輩は船室の控えの配置でお願いします。ラシェット先輩は厚着と毛布、手袋を忘れないでください」
「船のいちばん上か。この女の顔を見ているよりは寒さで震えている方がよっぽどマシだな」
「うるさい、メージェ島で土になる第一号になってろ」
「どうしてあんなに相性が悪いんだろう……どちらか片方をここに残した方がいいのかな……」
「降ろすなら両方ですよ。片方残したら、泳いででも島にやってくるでしょうから」
「ニコル、そろそろワシらも乗り込んでいいのかな」
最後まで控えていた人物がのっそりと姿を見せた。その後ろに五頭の馬が大人しく列を作って並んでいる。先頭の馬の
「ジャゴ
「ワシは船室に入らせてもらっていいのか? 大人の男だぞ、ワシは」
「
「そうだな、お前たち素人に馬の世話はさせられんからな。馬が
ニコルが十四歳でゴーダム騎士団の見習いとして旅立つ間、ニコルに馬を貸して乗馬の練習をさせてやっていた元貸し馬屋のジャゴ爺さんが、歳の割りにはしっかりとした足腰でまっすぐに立つ。その老人の側に、ぴったりとロシュが付き
「でもジャゴ爺さん、誘っておいてなんなんだけれど、王都に未練はないの?」
「貸し馬屋も完全に
まるで孫娘のような距離で付き
「理屈はよくわからんが、この娘が何故かロシュネールみたいに感じる。この娘が機械っていうお前の話は現実感はないが……ま、そんなことはどうでもいい。ワシはこのロシュが気に入った。ロシュもワシを気に入ってくれているらしい。なら、ワシはこのロシュといたい」
「ニコルお兄様、私もおじいさんと一緒にいたいです。私の記憶域がそう
その『記憶域』がそこにあるのか、大事なものを温める顔をしてロシュが自分の胸に手を当てた。
「ロシュネールの
「長生きしてよ、ジャゴ爺さん」
「ああ。お前たちに馬の面倒の
「はい」
立派な体格の馬五頭を引き連れ、二人はゆっくりと船のタラップに向かっていった。
「――これで全員かな。じゃあフィル、僕たちも乗り込んで出発することに――」
「ニコル」
またも後ろ髪を引かれて、ニコルがつんのめる。振り返ると、倉庫と倉庫の間からフードつきの
「母さん、
「隠れるに決まってるだろ」
フードから一瞬顔を見せてニコルの
「いきなり島から帰ってきたら男爵様になったとか、あたしゃ冗談としか受け取ってなかったんだよ。機械の娘は連れてくるし、もうわけのわからないことだらけさ。それがあの船で領地に向かうんだって? 実はあたしゃもう死にかけていて、死に際の夢でも見ているんじゃないだろうね」
「現実だよ、婆ちゃん。それでどうしてそんなにこそこそ」
「近所にこんな話がバレたら、
「だったら一緒に来ればいいんだよ。ねえ母さん、婆ちゃんを説得してよ」
「ニコル、悪いけど、あたしも王都の暮らしの方がいいんだよ」
ニコルの母、そしてリルルの元乳母であるソフィアが静かに首を横に振った。
「それにこんなみっともない母親が領主様の母上だ、なんて見せるのも、お前にすまないからね。あたしたちはこっちに残るよ。それにお前の話じゃ、距離は離れていないのも同じなんだろ?
「ニコル、家に帰って来る時はお貴族様の格好で来るんじゃないよ! いいね!」
「あたしたちのことは気にしなくていい。毎日仲良く元気にケンカしてるからね。お前はお前のやるべきことをちゃんとやっといで。体だけは気をつけるんだよ。あと、みなさんと仲良くね」
「わかった、母さん。婆ちゃんをよろしくね。婆ちゃん、あんまり血圧上げちゃダメだよ」
「生意気な。早く行きな! 男がグズグズしてるんじゃないよ!」
ローレルは一人で港の出入口に向かって歩き出した。
「――あんなこといってるけどおばあちゃん、あんたが家からいなくなるから
「わかった。母さん、行ってきます」
「ニコル、気をつけてね。フィル、ニコルをくれぐれもお願いするよ」
息子の
「――ニコル様も大変ですね、こんなに愛されて」
ニコルの背に隠れるようにして立っていたフィルフィナの言葉に、ニコルは照れ笑いを浮かべた。
「じゃあ、行こうか。本当に色々なものが待ってるからね」
「はい」
フィルフィナを従えるようにしてニコルは船に向かう。
今までは本当に自分たち数人のことを考えていればよかったが、今は文字通りの
「――とはいえ、領主がおどおどしていたら、治まるものも治められないからね」
ニコルもまた船のタラップを上がり、船上の人となった。様々な意味で自分たちの運命を左右する土地に向かって、
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