「移民団、出航」

「じゃあ、これからみんなにも船に乗ってもらうわけだけれど――」

「ちょっと、待て」


 亜人たちの集団を押し分けるようにして、一際ひときわ目立つ巨漢きょかんのオーガが一人、ずしりとニコルに迫った。

 フィルフィナがさりげなく後ろ手に手を回すが、側にいたニコルもまた自然な仕草でそれを制した。


「あんた……」

「大丈夫だ、だまってろ」


 妻だろうか、両腕に赤ん坊――人間の幼児くらいの体格がある――を抱いた女性を手で退しりぞけ、そのオーガはニコルの前に立った。

 元々小柄なニコルからすれば、誇張こちょうなしで倍の背丈がある大男だ。背丈が倍であるということは、体重は八倍になる。取っ組み合いでもすれば、ニコルはまさしく子供同然だった。


「お前が、領主なのか」

「そこのオーガ! 呼ぶなら領主様だろう! 最低限の礼節れいせつくせ!」

「アリーシャ先輩、いいんです。僕に任せてください」


 オーガが差させる影に隠れてしまうようになったニコルが微笑ほほえむ。


「聞きたいことがある。何故、オレたちと人間、分けた」

「人間の方は子供たちばかりだからね。船倉に入ってもらうのは決まっていたからさ。これから君たちも大人の男と、女性と子供に別れてもらうよ。なんせ全員が船倉に入らないんだ」

「お前、オレたち、奴隷どれいとして売り飛ばすつもりじゃないか」

「僕が信用できないのかな」

「オレたち、人間嫌いだ」


 岩をノミでけずったようにいかつい顔が、無表情でしゃべり続ける。表情を変えられるほど顔の筋肉に自由がないのだろうか、常に不機嫌で少し怒っているような印象があった。よくよく見ると、顔に結構な古傷が浅黒い肌にもれるようにして隠れている。


「君の名前は?」

「イェガー、それ、俺の名前」


 帽子に上着、ベスト、ズボンに靴と全てがツギハギで修理されている形跡だらけの格好をしているオーガは名乗った。とはいえ、そんな粗末そまつな服装はこの一団に共通している。身綺麗みぎれいな格好をしているのは、ニコルやフィルフィナたちといった管理側だけだった。


「人間、オレたちとの約束、守らない。いつもオレたちから奪おうとする。オレたち、何度も何度もだまされた」

「じゃあ、どうしてこの移民団に参加したんだい?」

「ティーグレ、いった。お前、信用できる。ティーグレ、オレたち、だまさない。だから、話、乗った」

「でも、ティーグレは信用できるけれど、僕は信用できない、ということだね」

「家と土地をもらえるっていうのは、本当に本当なのか」


 側にいた少し若めの犬獣人が声を上げた。こちらも妻と小さな子供を二人連れていた。


「島にいる限りは無償むしょうで家と畑を貸与たいよ、貸します。もちろん税として収穫物しゅうかくぶつの一部はいただきます。当面は開墾かいこんが主になると思いますが、その期間は無税です」

「税はだいたい二割っていうのは、本当に本当なのか」

「高すぎるかい?」

「安すぎる。普通は四割は取られるもんだ」


 ニコルは思わず苦笑した。


「四割は高すぎるね。父上の領地ではだいたい三割だったよ。これでも領民に無理をさせているって父上はなげいていたなぁ」

「オレたち、この王都で生活、行き詰まった。だからお前の話、乗った。だが、もう騙されたくない」

「僕を信用する必要はないよ。ただ、僕は君たちに信用してもらいたくはあるかな……。悪いけど、男性たちには島への航海の一晩、甲板で寒い思いをしてもらうことになる。僕ももちろん甲板で一夜を過ごす。君たちに混じるっていうことになるね。僕自身が人質になる。これでいいかな?」

「…………」

「島に着いた後でも、もしも僕に不満があるんだったら、反乱でもなんでも起こしてくれていいよ。僕たちはさっさと逃げ出すから。あとは島をみんなで好きにしてくれたらいい。僕は不始末をとがめられて、貴族から格下げさ。別に貴族の立場に未練みれんはないからね。それでもいいと思ってる」

「……お前、変わってる奴。その側のエルフ、お前、守ろうとしている。エルフ、亜人の中でいちばん人間嫌ってる。なのにお前……わからない奴」

「僕には実感のない常識なんだよね……知り合いのエルフはみんな人懐ひとなつっこいくらいに感じるからさ」

「……オレたち、一時いっとき、お前信じる。裏切ったら、オレの命に代えても、殺す」

「君が亜人代表っていうことでいいのかな。みんなの意見をとりまとめてもらえると助かるよ。これからもよろしくね」


 ニコルが片手を差し出した。そんな握手の誘いを、イェガーは無視した。


「女子供、分かれろ。先に船、乗れ」

「あんた……」

「なにかあったら、必ず助ける。安心しろ」

「ニンゲンの子供といっしょになるなんて嫌だよ。あいつら僕たちいじめるもん。ねえ、行くのやめようよ。ここでいいじゃん……」

「もうパパとママで決めたことなの。お前もお腹を減らすのは嫌でしょう。ほら、行くのよ」


 ぐずつく男の子の手を引いて、獣人の母親が船に向かう列に子供たちを引いていく。移民船に見せかけた奴隷船ではないのか、という認識が広まっていることに、ニコルは苦笑いするしかなかった。


「……ニコル様、大丈夫なのですか」

「僕に護衛ごえいはいらない。フィル、剣も預かっておいてくれ」

「しかし……なにかあったらお救いのしようが……」

「むしろ剣が側にあると危ない。これに頼る気配はない方がいいよ。フィル、安心して」


 ニコルは剣をフィルフィナに手渡す。覚悟を決めるようにしてフィルフィナはそれを受け取った。


「じゃあイェガー、君たちも甲板に乗ってくれ。僕は最後に乗り込むから」

「お前、常にオレの腕が届くところにいろ。小便する時も、オレが付きう」

「恥ずかしいなぁ」


 ギロリと一瞥いちべつをくれてからイェガーは男の亜人たちを引き連れて船に向かっていった。


「船倉にはフィルに詰めてもらった方がいいね。船室は気分が悪くなった人のためにけておくよ。ロシュがいれば大丈夫か……」

「なあ、ニコル、俺はどこにいればいいんだ」


 何故か顔に新しいひっかき傷を作ったラシェットが申し出てきた。


「どこでもいいんだけど、あのアリーシャって女とはちがう所にしてくれ、頼む」

「誰があんたと同じ所にいたいんだ。それにニコルの側にいたいっていうのが顔に出てるんだからそういえば? あたしのことなんかいうみたいだけど、あんただってニコルにベタベタしてるでしょ。ニコルのおしりでもねらってるんじゃないの?」

「俺はそういう趣味はねぇ! ニコルは俺の弟分なんだ、面倒見るのは当然だろうが!」


 顔を合わせただけで火花を散らし合うラシェットとアリーシャの騒ぎようを見てフィルフィナは今日、何度目かのため息を漏らした。

 この二人は磁石じしゃくの極と同じ関係だ。どちらもニコルが好きだからこうも反発し合うのだと、理屈でわかった。


「先輩方、お二人は僕の大切な騎士団の騎士なんです。お願いしますから、仲良くしてもらえれば」

「今は大人しく島に向かってやるけれどな、どちらがアーダディス男爵騎士団の騎士団長に相応ふさわしいかニコル、判断してもらうことになるぞ!」

「ふん、半年とちょっとニコルの近くにいただけの奴にあたしが負けるわけにはいかないでしょ。ニコル、こんなしょーもない男とこのうるわしい女騎士、どちらに側にいてほしいかじっくり考えるんだぞ」

手前てめェ、こんな時に女の武器を振りかざしやがって――」

「ラシェット先輩はマスト上の見張り台、アリーシャ先輩は船室の控えの配置でお願いします。ラシェット先輩は厚着と毛布、手袋を忘れないでください」

「船のいちばん上か。この女の顔を見ているよりは寒さで震えている方がよっぽどマシだな」

「うるさい、メージェ島で土になる第一号になってろ」


 わめき合いながら船に向かう二人を見て、さすがのニコルも苦笑いの上に肩をがっくりと落とした。


「どうしてあんなに相性が悪いんだろう……どちらか片方をここに残した方がいいのかな……」

「降ろすなら両方ですよ。片方残したら、泳いででも島にやってくるでしょうから」

「ニコル、そろそろワシらも乗り込んでいいのかな」


 最後まで控えていた人物がのっそりと姿を見せた。その後ろに五頭の馬が大人しく列を作って並んでいる。先頭の馬の手綱たづなたくみにあやつって馬の機嫌をなだめている老人が、半分抜け落ちた歯を見せて笑った。


「ジャゴじいさん、甲板の船室寄りに馬を休ませてやってよ」

「ワシは船室に入らせてもらっていいのか? 大人の男だぞ、ワシは」

敬老けいろう精神は持ってるからね。ジャゴじいさんに死なれたら、馬の世話をする人間がいなくなるし」

「そうだな、お前たち素人に馬の世話はさせられんからな。馬が可哀想かわいそうだ」


 ニコルが十四歳でゴーダム騎士団の見習いとして旅立つ間、ニコルに馬を貸して乗馬の練習をさせてやっていた元貸し馬屋のジャゴ爺さんが、歳の割りにはしっかりとした足腰でまっすぐに立つ。その老人の側に、ぴったりとロシュが付きっていた。


「でもジャゴ爺さん、誘っておいてなんなんだけれど、王都に未練はないの?」

「貸し馬屋も完全に廃業はいぎょうして、もう年金で細々ほそぼそ食うしかないからな。馬をあつかう仕事をあてがってもらえるなら正直、どこでもいい。それに……このロシュもいるからな・・・・・・・・・


 まるで孫娘のような距離で付きしたがうロシュの顔には、心なしかいつもの無表情よりも優しい笑みが浮かんでいるようだった。


「理屈はよくわからんが、この娘が何故かロシュネールみたいに感じる。この娘が機械っていうお前の話は現実感はないが……ま、そんなことはどうでもいい。ワシはこのロシュが気に入った。ロシュもワシを気に入ってくれているらしい。なら、ワシはこのロシュといたい」

「ニコルお兄様、私もおじいさんと一緒にいたいです。私の記憶域がそううったえています」


 その『記憶域』がそこにあるのか、大事なものを温める顔をしてロシュが自分の胸に手を当てた。


「ロシュネールのたましいがこの娘に降りている。うそでもワシには嬉しいことだ。ニコル、ワシはこの娘の側で死なせてもらうことにするよ」

「長生きしてよ、ジャゴ爺さん」

「ああ。お前たちに馬の面倒の神髄しんずいたたき込むまでは死なんさ……じゃあロシュ、行こうか」

「はい」


 立派な体格の馬五頭を引き連れ、二人はゆっくりと船のタラップに向かっていった。


「――これで全員かな。じゃあフィル、僕たちも乗り込んで出発することに――」

「ニコル」


 またも後ろ髪を引かれて、ニコルがつんのめる。振り返ると、倉庫と倉庫の間からフードつきの外套ローブを着た二人の女性らしき影がニコルを手でまねいていた。フードを完全に被り込んでその顔も見えなかったが、ニコルにはそれが誰であるか声だけで判断がついた。


「母さん、ばあちゃん! どうしてそんな隠れるみたいに」

「隠れるに決まってるだろ」


 フードから一瞬顔を見せてニコルの祖母そぼ、ローレルがシワだらけの顔でくちびるとがらせた。


「いきなり島から帰ってきたら男爵様になったとか、あたしゃ冗談としか受け取ってなかったんだよ。機械の娘は連れてくるし、もうわけのわからないことだらけさ。それがあの船で領地に向かうんだって? 実はあたしゃもう死にかけていて、死に際の夢でも見ているんじゃないだろうね」

「現実だよ、婆ちゃん。それでどうしてそんなにこそこそ」

「近所にこんな話がバレたら、ずかしいどころの話じゃないよ。もう建て付けもあやしいあの家で貴族様だ、なんて知れたら赤っ恥だろ。――くれぐれも近所に知られないようにするんだよ!」

「だったら一緒に来ればいいんだよ。ねえ母さん、婆ちゃんを説得してよ」

「ニコル、悪いけど、あたしも王都の暮らしの方がいいんだよ」


 ニコルの母、そしてリルルの元乳母であるソフィアが静かに首を横に振った。


「それにこんなみっともない母親が領主様の母上だ、なんて見せるのも、お前にすまないからね。あたしたちはこっちに残るよ。それにお前の話じゃ、距離は離れていないのも同じなんだろ? 今生こんじょうの別れっていうのでもないし、大したことはないさ」

「ニコル、家に帰って来る時はお貴族様の格好で来るんじゃないよ! いいね!」

「あたしたちのことは気にしなくていい。毎日仲良く元気にケンカしてるからね。お前はお前のやるべきことをちゃんとやっといで。体だけは気をつけるんだよ。あと、みなさんと仲良くね」

「わかった、母さん。婆ちゃんをよろしくね。婆ちゃん、あんまり血圧上げちゃダメだよ」

「生意気な。早く行きな! 男がグズグズしてるんじゃないよ!」


 ローレルは一人で港の出入口に向かって歩き出した。


「――あんなこといってるけどおばあちゃん、あんたが家からいなくなるからさびしくて泣きそうなんだよ。最近ちょっと涙もろくなっちゃって、あたしも心配してるんだ。ニコル、ひまを見つけては顔を出しておやり。五分でも十分でもいいから……」

「わかった。母さん、行ってきます」

「ニコル、気をつけてね。フィル、ニコルをくれぐれもお願いするよ」


 息子のほおに小さくキスをして、ソフィアは義理の母を追って足早に去って行った。


「――ニコル様も大変ですね、こんなに愛されて」


 ニコルの背に隠れるようにして立っていたフィルフィナの言葉に、ニコルは照れ笑いを浮かべた。


「じゃあ、行こうか。本当に色々なものが待ってるからね」

「はい」


 フィルフィナを従えるようにしてニコルは船に向かう。

 今までは本当に自分たち数人のことを考えていればよかったが、今は文字通りの桁違けたちがいだ。自分が百六十人に近い人々の生活を握っているという事実に、ニコルは表情ほどには心では笑っていなかった。


「――とはいえ、領主がおどおどしていたら、治まるものも治められないからね」


 ニコルもまた船のタラップを上がり、船上の人となった。様々な意味で自分たちの運命を左右する土地に向かって、つために。

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