「男爵ニコル、新天地へ」

「ああ…………」


 リルルは、手の平の中で小さく輝いているそれをじっと見つめた。

 ロケットの中の写真。自分と、ニコルとフィルフィナと、サフィーナとロシュが一枚に収まり、微笑ほほえんでいる写真。


 った覚えのない写真、撮る機会などあり得なかった写真であることはわかる。リルルの知らない、なんらかの技術でロシュが作ってくれたものなのだろう。その写真は、今までリルルが見たどんな写真よりも明るくて、精緻せいちで、色鮮やかだった。


 真ん中で笑っている自分は、最初にロシュがここを訪れて来た時に記録した自分なのだろう。その記録された自分が、精一杯の笑顔を作れていたことが、リルルには涙が出るほど嬉しかった。


「ロシュちゃん……サフィーナ……フィル…………ニコル……」


 そんな自分をかこんで、愛する人々が笑ってくれている。その一人が欠けたとしても、リルルの世界をくずしてしまう人々だった。


「……みんな、みんな、ありがとう……」


 つるつるとしたガラスの奥に収められた小さな写真に指を当て、その向こうにいるみんなの顔のひとつひとつに、リルルは触れた。


「……そうね。私にはみんながいるものね。かけがえのないみんながいるもの……。私、まだ、まだまだがんばれる……」


 ロケットのふたを、ゆっくりと閉める。両手の中で小さく握り込み、自分の胸の中にある勇気のぬくもりでそれを温めるようにして、いのった。


「いつか……きっと、また会える。みんなのところに帰れる。そう信じて待つ……私、あきらめない」


 首に細い金の鎖を巻き、そのはしと端を確実につなぐ。小さなロケットを胸元に入れ、冷たい石の感触が肌に触れてくれていることにリルルは、感謝をささげた。


「あ……手紙もあったんだ……」


 小さく小さく折りたたまれた紙片を広げると、そこには細かい字で、これからニコル達が行う予定がびっしりと書き込まれていた。


「……ニコルは近々ちかぢか、メージェ島に出発する……フィルとロシュちゃんがそれに着いていくの……。でも、転移鏡てんいかがみで王都とは連絡が取れるのか……」


 一度設定すれば、どんな離れた場所の間をも一瞬で移動することができる転移鏡。それで繋がっていれば、距離きょりはないのと同じになる。

 国王はリルルとニコルを離すことで心理的にも引き離そうとしたのかも知れないが、それは無駄むだに終わるようだった。


「ニコルたちはいそがしくなるだろうけれど、サフィーナは変わらず王都にいてくれる。なにかあっても、最低限どうにかなる……」


 最後に『負けないで』としるされていたその手紙に口づけをしてから、リルルはそれを暖炉だんろの中に放り込んだ。青白く燃える炎の中でそれが確かに燃えきるのを確認してから、暖炉の火を落とした。

 もう一度胸元を握りしめ、ロケットの感触を強く確かめてから、リルルは部屋のランプのも落とした。


 昇降機エレベーターで一層下の寝室に移動し、寝間着に着替え、温かな布団に潜り込んだ。


「おやすみ、明日もよろしくね……みんな……」


 一人閉じ込められているこの尖塔せんとうの中でも、確かな繋がりを感じる、感じられる。

 リルルは笑顔のまま体を丸め、目をつぶった。明日も戦わなくてはならない――今は離れている、みんなの想いを胸の中であたためながら。



   ◇   ◇   ◇



 それから、なにごともなく数日が過ぎた。


 ニコルはメージェ島への移住のために大忙しだった。メージェ島に渡って統治の体裁ていさいを整えるには、やはり臣民しんみんがいなくてはどうしようもない。

 とはいえ、南海の孤島では自然に集まってくれる移住者などいないだろう。この王都で集め、連れて行くのが効率的だった。

 

 そんな、メージェ島への出発が現実となった日の、正午。

 水夫すいふや労働者があわただしく行き来する港の界隈かいわい片隅かたすみに、百五十人ほどの人数がぎっしりと固まって集まっていた。


 奇妙な、いや、奇妙すぎるというべき一団だった。


 そのうちの五十人は、上は十二歳ほどから下は三歳くらいにおよぶ、男女比はほぼ半々の人間の子供たちだ。互いにしっかり手を繋ぎ合い、港を出入りする船を見ては歓声かんせいを上げていた。


 それと少し離れて作られている百人ほどの集団は、特に目を引いた。

 獣人、ラミア ケンタウロス、ハーピー、ゴブリン、オーガ、妖精、アラクネ――その他、王都に存在する人間以外の亜人、その全ての種類を集めてきたのではないかという多種多様ぶりだった。


「結構集まったね」

「集めすぎですよ、これは……」


 集団をとりまとめているニコルの隣で、アーダディス男爵家の家宰かさいに収まったようなフィルフィナがあきれ声を出した。


「ティーグレに、王都で食い詰めて外に出たがっている亜人はいないかと聞いてみたら、行き先が無人島でもこうなるとは……集まっても、この半分くらいと思っていたんですけれど……」

「まあ、船に収まればどうにかなるよ。子供と女性は船倉せんそうに入ってもらって――男たちは一昼夜、甲板かんぱんで震えるしかないか、風除かざよけを張ってさ、ははは」


 冬の海上で一日をしのげば、初冬しょとうでも暖かい島に着ける、とニコルは笑う。


「僕は楽観的過ぎるのかなぁ」

「いえ、楽観的なのも領主の才能のうちです。現実的な領域はわたしがめますので」

「フィルが頼りだね。お願いするよ」


 そんな一行を待ち受けるように、桟橋さんばしの一角には白銀に光り輝く中型の帆船はんせん係留けいりゅうされていた。


「こんなに早く、もう一度この船に乗り込むだなんて思ってなかったよ」

「わたしもそうです」


 ニコルとフィルフィナは、二人で背後の船を振り返った。

 つい一週間前ほどに自分たちをメージェ島から連れ帰ってきた『森妖精の王女号』が、一際ひときわえるその勇姿ゆうしをゆったりと小波こなみらしていた。


「母にこれを貸してくれないかと頼んだら、あっさりとゆずってくれました。もう母には無用のものだということでしょうか……」


 頭を下げに母の元へとおもむいた時の、手応えのないくらいの反応を思い出しながらフィルフィナはつぶやいた。これを娘に譲れることが嬉しいような、娘の成長に目を細める母の顔を思い出した。


「森妖精の王女にはちがいないんだ。フィルがこの船の正統な継承者けいしょうしゃだっていうことだよ」

「ニコル、荷物は全部運び込ませたぞ」


 板にはさみ込んだ書類を確認しながら一人の青年が船のタラップを下り、ニコルに話しかけてきた。


「あとはここの連中を船に押し込むだけだ……パンパンになりそうだけれどな」

「先輩、本当にいいんですか?」

「ああ?」


 王都警備騎士団のニコルの先輩であるラシェットが、書類から顔を上げた。


「僕はともかく、先輩は自分で警備騎士をめちゃって……それで僕に着いてきてくれるとか……」

「お前が貴族になったら、俺がその家の騎士団長になる。そういう約束だろうが、んん?」


 バン! と背中をたたかれてニコルはき込んだ。


「どうせ俺は男爵家のすえっ子さ。警備騎士なんてやってたところでそんないいことないしな。どうせなら自由気ままに、楽しいことをやってたいぜ」

「……先輩の給料を払えるかどうかもわからないんですよ?」

「南の島でのんびりできるんなら、食いもんさえあてがってもらえりゃ不満はないさ。俺だって農作業ができないわけじゃないし、食い扶持ぶちくらいなんとかするよ。お前はいちいち気にすんな」


 バン、バンバン! と遠慮えんりょのない強さでニコルは叩かれ続けた。


「おい、うちのニコルをそんな乱暴にあつかうな」


 いつの間にかニコルの側に寄っていた長身の女性が、咳き込むニコルをかばうように抱き寄せた。


「うちのニコルってなんだよ、ニコルは俺の後輩だぞ」

「あたしの後輩でもある。ニコルはうちの騎士団で二年も面倒見てきたんだよ。――なあ、ニコル。お前は今でもゴーダム騎士団の騎士だよな? あの修行の日々を忘れたなんて薄情はんじょうなことはいわないよなぁ?」

「ア、アリーシャ先輩……」

「よしよし、いい子だニコル。あたしを先輩と呼んでくれる素直さが可愛いんだ、お前は」


 勝ち気で男勝りな印象をその顔に見せる女騎士、アリーシャが快活な笑いを浮かべた。


「……あんたはゴーダム騎士団の所属のままなんじゃないのかよ。そもそもなんでここにいるんだ」

「そのゴーダム公爵閣下からいいつかった。出向してニコルを補佐ほさしろってな。ニコル、あたしの給料なんか気にすることはないぞ。公爵閣下から扶持ふちはそのままいただいてるからな。こんな都合のいいあたしを追い出したりするんじゃないぞ」

「まさか、アリーシャ先輩がいてくれて本当に助かります。しかし先輩、向こうには本当になにもないんですよ。全部を一から作らなきゃいけないというのに……」

「いいんだよ。あたしが行きたいって志願したんだ。志願した者の意志をいちいち確かめるな」

「おい、あんまりニコルにベタベタすんな!」

「――幸せそうですね、向こうは」


 フィルフィナはため息をいた。別の意味で新領地での暮らしが思いやられそうだった。


「フィル、そろそろ子供たちを乗せたいのだけれど」

「エヴァ」


 修道女そのものの白い法衣ほういをまとった少女の呼びかけに、フィルフィナが振り向いた。


「そうですね……先に船倉に入ってもらいましょうか。しかしエヴァ……本当にいいのですね?」

「フォーチュネット伯からのご援助えんじょがなくなるかも知れないというのですから、選択肢はありません」


 エヴァ――五十人の子供をようする孤児院を、たった一人で経営する少女だ。

 そして、かつてはそんな立場からはかけ離れた立場にいた、今では捨てたもう一つのちがう名前を持っていた少女。


「燃料代にも事欠ことかくというのなら、これからの冬、子供たちをこごえさせるわけにはいきませんから」

「子供たちをえさせたりしない、それは僕が約束するよ、エヴァ」


 どちらがニコルを猫可愛がりするかでもめだした二人から、ニコルが逃れてきた。


「僕が話を持ちかけたんだ。責任は取る。エヴァの孤児院の子供たちが向こうでやっていける目処めどがついたら、フォーチュネットの家で援助していた他の孤児院にも移ってもらうつもりだ」

「子供たちの面倒はお任せください。下手でもみんなで畑を作って、食べ物を一生懸命いっしょうけんめいに作ります」

「うん、期待してるよ、エヴァ」

 エヴァにひきいられ、手と手を繋ぎ合った子供達が連なって船のタラップを上がっていく。


「子供たちは、未来の生産人口にもなりますからね。――さて」


 フィルフィナは年齢も性別も種族すらもバラバラな亜人たち、百人ほどの集団に目を向けた。


「次は、少し難しそうな一団ですか」


 エルカリナ王国では『臣民』として数えられないこの亜人たちを、新天地でどう活用するか――アーダディス男爵家の未来はそれにかかっているといえた。

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