「三人目の求愛者」

「……あなた、本当に誰なの!?」

「俺のことを人間じゃない、なんて思ってるな? ――ま、実際その通りなんだけどよ」


 少年の気配を残す顔が悪戯いたずらげに笑った。


「リルル、あんなおっさん国王より若い俺の方がいいだろ――とかいっても、実年齢はあのおっさんの倍は生きてるんだけどな。それにこの尖塔もひでえな。若い時期をこんなさびしいところに閉じ込められて過ごさせんのか。まったく、人間のやることっていうのは、魔族よりも冷酷れいこくなもんだぜ」

「魔族……?」

「俺はダージェっていうんだ」


 どこかに獣の気配を見せて少年――ダージェは笑った。喧嘩けんかの最中に相手にみつきそうな荒々しい気性きしょうと、どこか可愛げのある幼さが入り混じり、見る人間に人懐ひとなつっこささえ覚えさせる印象を残す。


 ニヤニヤと笑いを浮かべながら話しかけてくるその少年をリルルは、奇異きいとは感じても、恐ろしいとは思わなかった。


「リルルよ、俺の嫁になれって。そうすればこんなせまいところで窒息ちっそくしなくていいんだぜ。お前のために屋敷だって建ててやる。その気になりゃ、こんな城よりでっかいやつをお前にやれるんだ」

「……あなた、魔族なの?」

「魔族を見るのは初めてなんだろ? なのに大しておどろきもしてない。やっぱ変わってる奴だな」


 ダージェと名乗った少年は、壁に着く手で自分の体を支えながら、鉄格子に顔をぶつける勢いで身を乗り出させた。鉄格子には魔族を退しりぞける仕掛けがしてあるのか、そこから先には手をばせないようだったが――。


「俺の通り名は魔界皇子まかいのおうじ、ま、意味はそのまんまだ。親父が魔王で、魔界でいちばんえらい立場、俺は王位継承権けいしょうけん第一位――意味はわかるな?」

「は――――」

「俺と結婚すれば、お前は将来の魔王のおきさきだ。一国の王妃なんてケチなもんじゃねぇよ」


 熱のこもった声にさらされてリルルは目眩めまいを覚えた。一昨日に国王との婚約が決まったことを聞かされて、今日は魔界の王子に求婚されているわけか。

 現実感もなにもない。これが夢ならこの、瞬間に覚めてほしかった。


「どうだ、リルル。俺は誰にでもこんな話をして回ってるんじゃねえ。まあ、たまに女と遊ぶけど、お前が結婚してくれるといってくれたら一穴いっけつ主義に切り替えるさ。浮気はしねえ――俺はマジだぜ」

「……なにもかも唐突とうとつすぎるわよ! 魔界だとか王子だとか結婚だとか、馬鹿なんじゃないの!」

「まあまあ、そういうなって。な、この通りだって!」


 手を着く地面があるのなら、土下座をしているのではないかという勢いでダージェが頭を下げ、リルルのほおがカッと熱くなる。引きずられてはいけないと理性の制動ブレーキはかかっているが、感情はどうしてもそれを引き離そうとしてくる。


「……私には心に決めた人がいるの! その人を裏切ってあなたに乗り換えるなんてあり得ない!」

「は? あのおっさんがそうなのかよ」

ちがうわ! 国王陛下じゃない! 私の騎士よ!」

「はぁ――――!?」


 ダージェの顔が、驚きに思いっきりゆがんだ。


「騎士だ!? 王族でもなんでもないのか!? 待て待て、その騎士っていうのはあれか、金持ちなのか!?」

「お金なんてそんなにない人よ! でもね、私にとってはこの世でいちばん大事な男性なの!」

「はぁ――――」

「あなたが好意を向けてくれるのは光栄よ。でも、そういうわけだからしからず! 私はニコルを裏切るつもりはないわ!」

「――ニコルっていうのか、その騎士は……」

「そうよ! あなたよりずっと誠実で、まっすぐ私を見てくれる! なにより、あなたみたいな強引な人じゃないの!」

「……面白え」


 あきれ顔だったダージェの顔に、笑みが戻った。のどの奥で愉快ゆかいげな音が鳴った。


「騎士の分際で俺の好敵手ライバルってわけか! そいつの顔を是非ともおがみたくなったぜ! どこに行けばそいつに会えるんだ!」

「……知らないわよ! 自分で探せばいいじゃない!」

「お前につきまとっていれば、そのうち会えるかも知れないな。……はは、お前って本当に面白い女だな! これからもちょくちょく顔を見に来るからな! まずはあのおっさんをどうにかしてやる!」

「それって国王陛下のことでしょ! いったいなにがどうなってるの!」


 リルルが声を上げたと同時に、窓の外から光のかたまりが放り込まれて来た。粗忽そこつな警備兵の手によってまたも投光器の光が窓に直撃され、そのまばゆすぎる光にリルルが思わず手で顔をかばった。


「――そろそろ潮時か」


 網膜もうまくを白くがされたリルルが視力を取り戻したのを確かめるように、光の直撃から身をかわしていたダージェが窓の外に戻ってきた。


「見つかったら面倒なことこの上ねぇな。お前をどっかに隠されてもこまるし――おっとと、今夜俺がここに来たっていうことは、誰にも内緒だぜ」

「どうしてそんなことにしたがわないといけないの! 変な奴が窓の外からのぞいて来たってうったえてやるわ!」

「いいのか? そんなことしたら、閉じ込められているはずのお前が、隠れて誰かと連絡を取っていることをバラすぞ?」

「っ――――!」


 のどを引きつらせ、リルルはひるんでたじろいだ。それで勝負は決まった。


「ハハハ! 今夜はこれで退散させてもらうわ! また来るからよ、次はもう少し色っぽい格好をしていてくれよ!」

「誰がするかぁっ!」

「じゃあな、リルル。愛してるぜ」


 ニッ、と笑いを残し、ダージェの姿が落ちるようにして窓の外から消えた。反射的にリルルはその姿を目で追おうとするが、彼の姿は死角に入って見ることもできなかった。


「ほ……本当にどうなってるの……いいたい放題いってさっさと帰っちゃって……」


 顔と心の両方を熱くし、冷や汗を流してリルルはうめいた。窓下の壁に背中をつけて座り込み、激しく鳴っている鼓動こどうを手で押さえつけるように胸を抱え込んだ。


「……本当にまた来るんじゃないでしょうね。うっとうしい、二度と来なければいいのに……そ、それになんでお城に魔族がいるの? どうして魔族に求婚されなきゃいけないの? も、もう、わけがわかんない……」

『――リルルお姉様』

「ひっ」


 耳元で聞こえたささやき声に、リルルの体が拳ひとつ分、跳び上がった。


「ロ――ロシュちゃん?」

『はい、私はロシュです』


 窓の外にかけられた鉄格子を、昨日のさまそのままにロシュの手首から先だけがつかんでいた。


「ああ……ロシュちゃん、今夜も来てくれたのね。び、びっくりしちゃった……」

『窓の外にいた生物を記録していました。後ほど分析ぶんせきします』

「少し前から来ていてくれたの、ありがとう……でも彼、本当に何者なのかしら……」

『――外部昇降機エレベーターが動いています。現在上昇中。二十秒後にその階層に到達します』

「だっ……誰だかわかる!?」


 リルルはあわてた。まだ心が冷静さを取り戻していない。


『体温分布から、人間の男性と判断します』

「だ、男性……」


 リルルの頭で、一人の人物が瞬時に特定された。


『私はこれで撤退てったいします。今夜は長く留まることができません――リルルお姉様、これをお渡ししておきます』


 ロシュの手が半分開く。小さく折りたたんだ一枚の紙と、手の中に握り込める大きさの紙袋がそこにあった。


『これらは、絶対に見つからない場所に隠しておいてください。次に連絡が取れる時期は不明です――リルルお姉様、がんばってください』

「う、うん――」


 リルルが急いでそれを受け取り、右手首の黒い腕輪の中に素早くしまうと同時に、鉄格子をつかんでいた手が離れ、消えた。


 この階に昇降機が到達したことを示す鐘の音が、高らかに鳴る。リルルは窓を閉め、服装を正しながらソファーに座る。心臓のざわめきを手で押さえ、片方の手で粗く髪をいた。


「こんな夜分やぶんにすまない、リルル」


 扉の向こうから聞こえてきた声は、リルルの予想通りの人物のものだった。


「……陛下!」

「もう寝間着ねまきに着替えているころかな。そうでなければ、部屋に入れてもらえればありがたいのだが」


 理想の父親がいればこうだろう、と思えるくらいに優しげな声が扉の向こうから聞こえてくる。


「大丈夫です、た、ただいま――ただいまお開けします! 少しお待ちください!」

「そんなにあわてずともいいのだよ、リルル。足をどこかにぶつけないようにな」

「は、はい――あいた!」


 実際に足を軽く打ってしまったリルルは苦笑しながら、数ヶ月前に初めて国王と言葉を交わした、あの園遊会のことを思い出していた。

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