「淑女の窓は三回叩かれる」

「ご苦労様」


 背中からかかった声に、第八階層に通じる階段を警護する重装兵士たちは振り返った。


 二十分前にここを通した曲芸師一行の三人が階段を下りてきているのが見え、兵士達は道をける。顔の化粧けしょうが相変わらず派手な陽気な少年、フードを深くかぶった陰気な従者二人、計三人が七階につながる階段を下りていくのを、珍しいものを見る目で兵士達は見送った。


 三人は特に会話を交わすこともなく、そのまま一階に向けて長い階段を下りていく。


 夜更けに差し掛かる城内は、依然いぜんとして人の気配はあったが、昼間に比べればかなりまばらだ。官僚かんりょうや文官の姿はほとんどなく、行き来するのは巡回じゅんかいの兵士と、ほぼ二十四時間の間走り回るメイドたちくらいになっていた。


 誰ともすれ違わない階段を下りる中、外套ローブに自分の印象をたくみに隠した連れの一人が、先頭を行く少年に口を開く。


「あの国王の印象はいかがでしたか、若」

「……おっさん、明らかになんかたくらんでやがるのは確かだ」


 少年――魔界皇子まかいのおうじが、苦々にがにがしく口にした。


「不都合があったから計画が遅れているなんていうのは、嘘っぱちだな。それはわかった。が、何故そんなことをしているのかはわからねぇ」

「……我々の足元を見ているのでは?」

「それもあると思うが、ここエルカリナ王国うち魔界パイ世界を半分ずつにするという他に、どんな企みがあるっていうんだ」

我々魔界の土地を欲しているとか……」

万年飢饉まんねんききんのあの土地をかよ?」


 皇子は笑った。笑っているように描かれた道化の化粧が、邪気じゃきはらんだ顔に変わった。


「俺たちはそこを捨てようとしてるんじゃねぇか。奴だってらんだろうよ」

「……五百年前の『事件滅亡』が回避されたための影響ですか……」

こっち地上の『事件』のたび俺たち魔族うち魔界からこっち地上に出る。こっちに出て収穫収奪をする。連中人間が再び復興してきたころに争いになって、俺たち魔族いただいた奪ったものと共にうち魔界に引っ込む。この循環サイクルが断たれるとこうなるとはな……上手いことなってるぜ」


 魔界皇子は瞬時、目を閉じた。

 地上世界の下にある魔界――実際には、次元の位相いそうをわずかにことにする空間に存在するその世界。太陽の光も十分にとどかない魔界の荒廃こうはいぶりを思うと、反射的に歯ぎしりが鳴る。


 魔族は人間ほど繁殖力はんしょくりょくは高くないが、その多くもない人口をやしなえるだけの力が土地にはない。えれば、自然と民の体と心もせ細る。


「来年はねぇぞ。この計画でこっちに進出する計画が成功しなけりゃ、うちは破滅はめつだ。あのおっさんの提案に乗るしかねぇ……が、あのおっさんが土壇場どたんばで裏切る可能性はかなりでかいな」

「備えが必要ですな」

親父魔王にも十分くぎを差しておけよ。と……おい、『あれ』を出せ」

「『あれ』ですか?」


 外套の男が、いぶかしげな声をらした。


「若、しかしそれは危険では……警戒も厳しく……」

「見つかるようなヘマはしねぇよ。そのための『あれ』だろうが。いわれた通りにしろ」


 渋々といった様子で、外套の男はたもとからひとつの人形を出した。

 頭と胴体、四肢ししという人体を単純な木の棒で繋いで作った木偶デク人形だ。


「俺はそこのバルコニーから出る。お前らは『俺』を連れて正門から出ろ。合流地点は例の場所だ」

「……若、くれぐれも無茶は……」

「俺はそんなマヌケじゃねえよ。行け」


 二人から別れた皇子は、手近なバルコニーに通じる扉を音もなく開け、外に出た。連れの男はそれに小さくため息をいて、手にした人形に念を送った。



   ◇   ◇   ◇



 道化師の少年と外套姿の二人の連れは、エルカリナ城の基盤となっている小高い丘の階段を下り、正門での検問での検査を受けた。

 入る際には厳しい確認も、出る分にはさほど厳しくない。確認するのは風体ふうていと人数くらいのものだった。


「――行ってよし!」


 軽く頭を下げただけで無言のまま門から出て行った三人組の姿が消えたのを認めて、警備兵たちはささやき合った。


「――あの曲芸師の三人が出ていったら、合図を送れっていう通達つうたつがあったな?」

「ああ、あの三人のことだ……なんか意味があるのかね」

「知らん。俺たちはいわれた通りにしていればいい」


 兵士の一人がふところから一本のつつを取り出す。別の一人が篝火かがりびの中で燃えるまきの一本を手にし、その筒の尻から伸びている導火線どうかせんに火を近づけた。



   ◇   ◇   ◇



「国王陛下、くだんの三人は城を出たとの合図がありました」

「そうか」


 警護兵の報告に、玉座に深々と腰を沈めたヴィザードはうなずいた。


はもう休む。警戒をおこたらぬよう、各部署に徹底てっていさせろ」

「はっ」


 敬礼をし、きびすを返した兵士が階段を下っていく。その足音が遠退とおのききり、人気ひとけの絶えた玉座の間に一人残されたヴィザードが、目を閉じてつぶやいた。


「――ティターニャ」

夜伽よとぎのお言いつけかしら?」


 玉座の真後ろで、闇色の肌をした森妖精の気配が浮かび出た。いや、溶け込んだ闇からみ出した、というのが正確かも知れない。


「すぐにバトゥ公国に飛んでくれ。計画を一段階前進させる」

「こんな夜中に? いいじゃない、ゆっくり逢瀬おうせを楽しんでからでも」

「お前とたわむれているひまはない」


 背後からしなだれかかってきた腕を払い、ヴィザードは立ち上がった。


「余も仕込まねばならないことが色々とある。忙しいのだ」

「あのリルルとかいう娘に色々と仕込むんでしょう。憎たらしい」

「早く行け。我々に猶予ゆうよはない。計画は動き出している」

「わかったわよ。ちゃんとお仕事するから、たまにはご褒美ほうびをちょうだいね」


 ふふと笑う気配を残し、闇の森妖精ダークエルフは影すら残さずにそこから消えた。


「……あやつも、なにを考えているかわからん女だ……」


 魔界に落ち込んだエルフが、魔界の瘴気しょうきに影響されて魔族化した種族。魔界に属する種族であるにも関わらず、彼女が自分のたくらみを知りながら協力するその真意を、ヴィザードはいまだにはかりかねていた。


「――が、手駒は必要だ。魑魅魍魎ちみもうりょうであふれているな……どこもかしこも……」


 にごったおもいを息にしてき、ヴィザードは階段に向かって歩き出した。


「そろそろリルルの顔を見るとしよう。夜更けの訪問だが、しばらくは顔も見られなくなるからな」



   ◇   ◇   ◇



 部屋のすみ暖炉だんろの中、魔鉱石は音もなく青白い炎を発し、扉も窓も閉ざされた部屋にゆるやかな暖気を送っていた。

 一日一日と冬の気配が強さを増す王都。そこにある全ての建物の中、最も高い部屋で寝起きすることになったリルルは、この世で最も高貴な囚人しゅうじんとして、窓際でひざを抱えていた。


「今夜は……ロシュちゃんは来てくれるかな……」


 今夜も、地上から空に向けられる探照灯の数が多い。尖塔せんとうの窓にそれを直撃させてまぶしくさせないようにしようという配慮はいりょは働いているようだったが、それでも手元が狂うのか何度かは光をぶつけられ、時折ときおり部屋が真っ白に染められた。


 時刻は、八時半を何分か回っているくらいだ。昨夜、ロシュはこの時間に来てくれて――。


 こん、と窓を外からたたく気配に、リルルはハッと顔を跳ね上げさせた。立ち上がり、カーテンを開けて窓の外に目を向ける。


「ああ、来てくれたのね! 待ってた――わ…………!?」


 喜びの声を上げたリルルののどが、そのまま固まった。

 尖塔の窓の外にいたのはロシュではない――ロシュとは似ても似つかぬ、一人の少年だった。


「俺を待ってたって、か?」

「な…………!?」


 壁にはつかめるものはないはずなのに、手の平を壁に吸い付かせるようにして、その少年は姿勢しせい維持いじしていた。いかにもという曲芸師きょくげいしらしい衣装に身を包んでいたが、その顔には化粧けしょうはない。


 この尖塔まで素手で上がってくるなどという芸当は、曲芸師の芸のうちなのだろうか――リルルは絶句した。


「ちっ、この鉄格子、『魔除まよけ』かされてるじゃねぇか。念の入ったことだぜ」

「あなた……誰なの!?」


 リルルが顔をこわばらせる。壁を上って来たか? それとも空を飛んで来た? どちらにしろ、常人にできる技ではない。道具を使わずにそんなことができるのは、ロシュくらいしか思いつかなかった。


「――お前、面白い女だな」


 興味の光をその目に輝かせ、少年はなんの遠慮えんりょもなく窓の中をのぞき込んできた。


「こんな高さの窓を外からたたかれたのに、お前、それをこわがらなかったな」

「…………!!」


 なんに対しても明けけにものをいいそうな勝ち気な顔が、子供のもののような笑みを浮かべていた。


「ってか、むしろ待ち受けていた感じだぜ。俺の他にこんなご訪問をする変人がいるっていうのか?」

「く――――」


 歯噛はがみしたと同時に、リルルは右手の黒い腕輪に意識を集中する。窓の外にいるこの少年が中に押し入ってきた際、最も効率的に迎撃できる武器は、なにか。


「――いいな、お前。ゾクッとする目を見せてくれるじゃねぇか」


 少年の口が小さく開いた。人間のものにしては鋭すぎる犬歯がのぞいた。


「俺なんかみたいなのは見慣みなれているっていう感じだ。……お前、なにもんだ? ただのお嬢様じゃねぇな。それなりに修羅場しゅらばをくぐり抜けてるっていう感じがぷんぷんだ。面白え……面白えな」

「……下がりなさい! 淑女しゅくじょの部屋を外からのぞき込もうなんて、紳士しんしのやることじゃないわ!」

「紳士じゃないから仕方ないぜ、生まれも育ちも悪いから勘弁かんべんだ。……人間にしては好みの顔だ、可愛いじゃねぇか。ちょっと乳が小せぇか? ま、もんで大きくしてやるのも楽しみって奴かな」

「うるさいわよ! なんでこんなところでまでイジられなきゃいけないの!」


 宿命にリルルは泣きそうになった。


「気も強えのもめっちゃいいな。俺は気の強い女が大好きなんだよ。そういうのを屈服くっぷくさせる瞬間がたまんねえ。――リルルっていったな、お前」

「あなた、私の名前を……?」

「ちょっと顔を確かめようと寄っただけだったが、こんなご褒美があるとはな……ははは、こりゃいい、面白いことはどこにでもあるもんだ。――なぁ、リルル。お前、俺の嫁になる気はないか?」

「はあああ!?」

「俺はこれでも一途いちずなんだ。本気だぜ――どうだ」


 名前も素性すじょうも、種族まで謎な少年に求婚され、リルルは顔をゆがめるだけだった。

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