「旅の帰途」

 リルルたちは、心のままに遊んだ。

 全員でそろって温泉にかり、クィルクィナが用意した夕食を満喫まんきつし、温かな布団にくるまって心ゆくまで眠り――翌日は、早朝からみんなで浜辺にり出し、心ゆくまで砂浜を走り、海に体を投げ出して泳いだ。


 神様が用意してくれたような、今日という素晴らしい日。

 青く、青く晴れた空の下で、少年と少女たちの明るく弾む声が、島いっぱいに響くようだった。


 ――そして。

 最も高い位置に太陽が差し掛かったころ、一行を乗せた『森妖精の王女号』は、島を離れた。



   ◇   ◇   ◇



 船長室に呼ばれひとりおもむいたフィルフィナは、母と差し向かいで席についたテーブル、その上に置かれたふたつのものを見て、そのきもこおるかというほどに心を冷やした。


「――何故、これがここにあるのですか」


 あるはずのない、それ。

 いや、正確にいえばフィルフィナが今、この手元に収めているはずのものが、手品のように目の前にあった。


「今しがた、リルルお嬢様とサフィーナから回収してきたところです。これは……」

「三つめと四つめの銀の腕輪よ、フィルちゃん」

「――――」


 その意味の重さを共有しながら、ウィルウィナは静かにいった。この世には実は、もう一つの太陽が隠されていた――というくらいの衝撃しょうげきはあったかも知れない。


「――銀の腕輪は、わたしたち一族に代々、ふたつだけ・・・・・伝わる秘宝ではなかったのですか!?」

「それは間違まちがいないわ。そしてもうふたつ手に入れた。それだけのことよ」

「それだけ……」


 すっ、とウィルウィナがふたつの腕輪をフィルフィナの方にすべらせた。


フィルフィナ・・・・・・


 その呼び方に、フィルフィナの心臓がねた。反射的に視線を向けると、一切の笑いを表情から消している母の顔があった。


「あなたがこの四つを管理しなさい」

「――お母様!」

「声が大きい」


 それをめた一人の者に、一万人の軍隊と戦える力を与えてくれる銀の腕輪。

 十年前、かつての里がエルカリナ王国軍に攻め立てられた時、殿軍しんがりつとめるフィルフィナにもそれはたくされなかった。万が一、人間の手に渡る可能性を考慮こうりょしたがためにだ。


 それは、第一王女の命よりも重要であることを、意味する――。


「これの出所でどころは……わかります。あのフェレスという名の庭師ですね……」


 ウィルウィナがうなずいた。

 いつもの明るい混ぜっ返しもない。女王の威厳いげんというよりは、きびしい母の態度がそこにあるようにフィルフィナには思えた。


「今回の旅行は、明らかに不自然でした。あの銃の山の中にとうがあり、塔の中にあの庭師がいる。そして色んな制約せいやく背負せおわされて、リルルお嬢様とサフィーナは命をけてあの塔をけ上がらねばならなくなった……お母様は全てを承知しょうちで、今回の旅行を主導しゅどうされたのでしょう」

そうだ・・・


 一切の駆け引きなどなく、ウィルウィナは認めた。フィルフィナの神経のあみにぞわ、とさざ波が立った。


「お母様……やめて……やめてください。何故そんな態度なのですか。いつものお母様でいてください。今までわたしたちだけの時は、そんな風にしたことはなかったではないですか……」

「フィルフィナ。全て終わったあとだから、お前には打ち明ける」

「…………」


 フィルフィナは泣きたくなった。一刻いっこくも早く、これがなにかの冗談じょうだんであると混ぜっ返してほしい、そう切に願った。


「私と庭師、フェレスは旧知きゅうちなか。五百年前、五英雄の一人として旅をした時に出会い、戦った。そして彼――彼女、そのどちらでもあるか……彼としておこう、彼が復活したことを知って、お前たちと相見あいまみえさせることを考え、実行した」

「……彼が復活すると、どういう意味があるのです。そんな彼と、何故わたしたちを関わらせたのです。それは、五百年前と関係があることなのですか……お母様!」


 胸を締め付けてくる痛みに、フィルフィナは顔をゆがませた。心臓が見えない手にわしづかみにされ、そのままつぶされるのではないかという収縮感しゅうしゅくかんに、息が止まりそうになった。

 顔を歪ませながら、すがるような目で見つめてくる娘に、母は毅然きぜんとしていっていた。


「嵐にそなえるために」


 ――嵐。


「フィルフィナ。これだけは胸にとどめておけ。もうすぐ、嵐が来る」


 ――あらしが、くる。


「それがどのような形で来るものなのか、私にはわからない。ただそれは、銀の腕輪が四つあっても足りはしないものであるだろう、ということだ」

「これが……四つあっても……」

「私は次の世代のお前に、生き残るための鍵を託す。――お前たちの世代が、この嵐を乗り切らねばならない。そうせねば、お前たちの次の世代が危機におちいった時、鍵を託せなくなる。生き残るための鍵を次に託せられるのは、生き残れた者でなければならないのだから――わかった? フィルちゃん」


 ウィルウィナが微笑ほほえんだ。

 そのずまいの周囲に漂っていた、張り詰めきっていた空気が変わる。


「若いあなたたちに不実ふじつなことをいている私たちを、許して……。これは私たちの世代で終わらせなければならなかったことなのに、できなかった」

「お母様……」

「フィルちゃん。あなたはみんなのお姉さんよ。あなたがみんなを見守って、守らないといけない。――くれぐれも死に急がないで。つらさに耐えられない時があれば、私をうらみ、憎めばいい。だから、あなたは嵐の中でも先頭に立ち続けて。幼いみんなをみちびくのよ」

「……嵐の中で……」

「そう。――嵐の中で」


 フィルフィナは目を閉じ、息を止め、背もたれに背を預けた。そのままのどの中をなにかが降りるのを待ち――目を開いた。右手首の黒い腕輪を露出ろしゅつさせ、その中に二つの銀の腕輪をしまった。

 心なしか右手がとてつもなく重い。そこに困惑こんわくや不安のかたまりくってしまったようにも感じられた。


「――わかりました。おそらく全ては、ことが起これば全て理解できるのでしょう。ここで問いただすこともいたしません」

「……助かるわ」

「お母様。くれぐれも申し上げておきます」

「――なにかしら」


 フィルフィナは、一拍いっぱくの間を置いた。


「わたしはお母様のことを色々といいますが、お母様を愛しています。……それだけは、お忘れなきように」

「…………ありがとう」


 フィルフィナが椅子から立ち上がり、ほんのかすかに揺れる床をみしめ、扉を開けて去った。

 その娘の気配を目で追いながら、ウィルウィナは椅子いすに深く身を沈めた。十分に満たない会話が、気力のほとんどをけずり取ってくれていた。


「……母上。あなたは私を出来損できそこないといいましたね」


 細く細く、細い息をく。一族の面汚つらよごし――それが物心ものごころついたころから、母から繰り返し繰り返しいわれた言葉だった。実際自分はそうだと思ったし、だからこそ王族の一員、唯一ゆいいつの正統な王位継承者であるにも関わらず、一時いっときは里を飛び出したのだ。


「確かに、私はそうかも知れない……でもね、私の娘は立派ですよ。立派すぎて頭が下がるくらい。本当に私の娘なのかしらね……」


 半ばなまりと化したように重い心を抱えながらウィルウィナはつぶやいた。外の空気を吸おうと立ち上がり――心で支えきれない腰の重さに、再び座面に座り込んだ。


「……れないことはするもんじゃないわね。立てなくなってるわ……」



   ◇   ◇   ◇



 いだ海を昼夜を問わず、船はひた走った。

 島での戦いと遊びに疲れたたましいたちは、うねる波をその舳先へさきで切り裂くように走る船の心地好いれに身を任せ、深く深い眠りについた。


 王都までの航海のおよそ二十四時間。『森妖精の王女号』は一度も止まることなく、速度をゆるめることもなく、見えないつな手繰たぐり寄せられるように、まっすぐ王都を目指して海を滑った。

 そして、寄港予定日の正午近くに、船は他の船舶せんぱくでごった返すエルカリナ港に到着した。


 少年少女たち、特にリルルとニコルは、まだ知らなかった。

 自分たちが王都を留守るすにしている間に、重大な運命が決せられていたことを。

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