エピローグ

「ニコルとロシュの帰宅」

 海に突き出て長くびる桟橋さんばしに対し、曳船タグボートの力も借りず微速びそくで近づいた『森妖精の王女号』は、風を全く無視して自らの力で制動ブレーキをかけ、完璧な位置で停船した。


 一斉にがバサリと音を立ててひとりでにたたまれ、舷側げんがわのタラップが自働で桟橋さんばしに下りる。湾内わんないに入ってくる小さな波に船は揺れる――走っている時の方が揺れは小さいくらいだ。

 船首に陣取じんどっていたリルルとニコルは改めて、この船が不思議な技術テクノロジーによってつくられていることを確認した。


 それぞれの行李スーツケースかかえ、出発前よりも一人乗員が増えた一行は船を下りていく。

 その追加された一人であるロシュは、黒い瞳・・・の目をいっぱいに開き、目にうつるものの全てを数えるように、ゆっくりと景色を見回した。


「とても情報量が多いです」


 上空から見れば、に出入りするようなアリの行列にも見える、港を出入りする船の数々。クレーン場に接舷せつげんし、大型鉄箱コンテナの上げ下ろしを行う大型船。それを支えている万人規模まんにんきぼの労働者が、足がめる全ての領域りょういきせわしなく行き来している。


「塔ではこんなに人はいなかったよね。ここが王都エルカリナ。ロシュがこれから暮らす街だ」

「王都、エルカリナ。ロシュは記憶します。ここはロシュが暮らす街です」


 桟橋に降りたニコルは、その真ん中に立ってゆっくりと体を縦軸たてじくで回転させているロシュの体を端に寄せた。そうしなければ人の行き来の流れに弾き飛ばされそうだった。

 肩を触れさせるようにして自分の側を通り過ぎていく何人、何十人もの人間。その全てをロシュは頭の中に入力していた。


「ロシュは情報を持っていません。ニコルお兄様、王都エルカリナについての情報をください」

「ロシュの言い回しは変わってるね。自然な話し方も練習しなきゃね。ロシュが機械であると知られるのは、あんまりよくないから。ロシュはできるだけ、人間そのものとして暮らしていかなくっちゃ」

難易度なんいどが高い任務であると予想されます。ロシュは努力します」

「ロシュならできるよ。がんばって」

「はい、ニコルお兄様」

「――仲がいいわね、お兄様と妹君は」


 行李をクィルクィナとスィルスィナにかつがせ、自らは手ぶらのサフィーナがあきれたようにいった。


「リルル、大丈夫? あのロシュちゃんにニコルをられたりしてない?」

「――ふふん」

「お、余裕顔。それではリルルさん、お聞かせ願いたいのですが――あなたのその余裕はどこから来ているのでしょうか?」

「私、お父様と対決するの」

「――――」


 それだけでサフィーナには全ての意味が伝わった。エメラルドグリーンの瞳がきゅっとちぢんだ。


「……本当の、本気なのね? ようやく決心をつけたの……じゃあ……戦争になるか……」

「ニコルと決めたことよ。もう私、こわがらない。たとえ令嬢じゃなくなってもいい。ニコルと一緒になれるなら」

「――リルル、もしも困ったことがあったら、なんでもいって。友達の公爵令嬢は頼りになるわよ」

「サフィーナ……」

「早くニコルとくっついて、子供ぽこぽこ産んでくれたら私がすっきりするわ――あっ、ニコル似の男の子が産まれたらちょうだいね! うちの家の跡取あととりにするから!」

「そう気軽にあげられるかぁ!」


 あはは、と二人の令嬢たちは笑い合った。


「――リルル、がんばって。応援しているわ」

「ありがとう、サフィーナ……」



   ◇   ◇   ◇




 桟橋を歩き、港の入口まで一行は進んだ。ラミア列車の駅には列車の到着を待つ人々が列を作り、辻馬車つじばしゃが客を待つ広場にも相当数の人間たちが集まっている。港に訪れる者、港から去る者を次々にさばく様は、心臓が拍動はくどうして全身に血を送り、全身から血を送られる様に似ていたかも知れない。


「――では、ここで別れましょう。みんな大変だったわね。今日一日はゆっくり休んで、また明日からがんばりましょうね」

「ウィルウィナ様、お疲れ様でした」

「――フィル、どうしたの?」


 それぞれが別れの挨拶あいさつをする中、車輪付きの行李を押しているフィルフィナの肩が、わかりやすいくらいに落ちていた。


「――お嬢様」

「昨日からずっと元気がないわ。食も細いみたいだし。体調がよくないの? 樹にされた後遺症こういしょう?」

「体は大丈夫です。少し気が張らないだけで……。そういう意味では、疲れているのでしょう……」

「なにかあったらすぐにいってね、フィル。私はあなたを頼りにしているのだから」

「お嬢様……」


 ありがとうございます、といって顔をせるようにしたフィルフィナの瞳のはしに、涙のつぶが光っているのをリルルは見逃みのがさなかった。いつも泰然たいぜんとしているフィルフィナがこの両日、おかしい。


「リルル、僕たちはあのラミア列車に乗るから」


 北から南に向かって走ってくる遠くのラミア列車をニコルが指差す。終末端しゅうまつたんの大きなカーブを曲がることで百八十度反転し、北行きの系統けいとうになる列車が終点の駅で停車して、大勢の乗客をき出していた。


「私たちは辻馬車を待つわ、荷物が多いから一緒に乗るのは無理ね」

「なにかあったら、すぐに連絡して。――リルル、しっかりね」

「ニコルも、ロシュちゃんをソフィアやローレルに紹介しないといけないんでしょう。がんばって」

「……うん。大丈夫だと思うけれど、大変そうだなぁ……フィル、気をつけてね。リルルを頼んだよ」

「はい……ニコル様もお気をつけて」


 フィルフィナの目にかげりが見えるのにニコルは気づいたが、歩き出したロシュの手に引かれ、首をひねっただけでそのまま離れた。


「……フィル?」



   ◇   ◇   ◇



 大カーブを曲がり、進行方向を北に転じたラミア列車が目の前でまるのを、ニコルとロシュは停車駅で待っていた。

 濃紺のうこんの制服に身を包んだ、人間体の大きさにほぼ等しい女性型の上半身と、三輌さんりょうの鋼鉄製の車両の下に差し込んでそれを牽引けんいんする長大な蛇型へびがたの下半身の比率ひりつに、明らかなゆがみがある巨大ラミアが改札を行う。


「これが、『ラミア列車』ですか」

「安くて便利。百エル払えば、王都のどこにでも行ける。僕らみたいな貧乏人の強い味方だよ」

「あら、ニコルさん、この時間におめずらしい」


 動力と車掌しゃしょうねるラミアがニコルに声をかける。こんにちはとニコルは礼をし、身分証と同時に百エルを差し出した。


「これは後ろの子の分です。乗り換え切符をください」

「あら、あらあら、女の子のお連れさん? 二重に珍しいこともあるものね――ひょっとして恋人? あれ、でも姿はメイドさんね――メイドさんの恋人かしら?」

ちがいます、妹ですよ」

「ロシュと申します。よろしくお願いいたします」

「妹さん? いるのは知らなかったな――また今度お話しましょう」


 乗り換え切符を受け取り、ニコルとロシュは先頭から客車に乗り込んだ。ほどなくして列車が走り出し、大通りを行く列車の左右の窓で景色が流れ始める。

 港湾施設こうわんしせつが主だった建築物の並びに工場の数が増し、幾度いくどかの停車をて商業施設が入る高層建築群に変わっていった。


 二つ区画くかくを移動した大通りの交差点の停車駅で、二人はいったん車両から降りる。東西と南北の大通りがまじわる地点にある東西系統の駅で、今度は東行きのラミア列車を待ち、到着したそれにニコルは身分証を掲示けいじし、ロシュは乗り換え切符を渡すことで乗り込んだ。


「ラミア列車、仕組みがわかりました。乗り換え切符をもらうことで東西系統、南北系統を乗り換えて目的地に向かうのですね」

「僕の家はもうちょっと東だよ。――今、大運河だいうんがに差し掛かるところだ。鉄橋てっきょうだよ」


 はば四百メルトという大運河にけられた鉄橋を、ラミア列車は東に進んだ。その左側に平行して大量の馬車がそれぞれの速度で走り、欄干らんかん近くには徒歩で河を渡ろうとする人の姿も多く見えた。


「王都エルカリナ、情報が集まってきました。この規模きぼの情報を一度に取得するのは……」


 座席から窓に向けた目を左右に走らせてロシュがつぶやく。そんな新しい妹の姿にニコルは目を細めた。ロシュを連れて帰るという発想は衝動しょうどうから来るものではなかったが、この街で問題なく暮らせるかどうかという問題までは、頭で考えていなかったからだ。


「――でも、安心そうだね。なんとかなるか」


 まだ陽はいくらか高いが、夕方に向けてゆっくりとかたむきつつある。旅行に行って疲れた身と心を座席に沈めて、ニコルは小さく細い息をく――戦いはまだ、終わっていないからだ。



   ◇   ◇   ◇



「――この子を妹として置いてほしい、だって!?」


 帰宅直後、荷物をほどいとまもなく話を切り出したニコルの言葉に、母のソフィアは頓狂とんきょうな声を上げた。


「なんだいなんだい、小さな家なんだ、大きな声を出すんじゃないよ! ボロこわれるだろ!」


 奥の部屋からニコルの祖母そぼ、ローレルが飛び出してくる。


「そうはいってもお義母かあさん、ニコルがこの子を家に妹として置いてほしいというんですよ、びっくりしないわけがないじゃないですか!」

「――ふん」


 ニコルの横でロシュは深々と頭を下げたままぴくりとも動かない。ローレルは真っ白な髪をひとつき上げてから、達者な足取りでズカズカとニコルたちの前に歩み寄った。


「あんた、名はなんというんだい」

「ロシュと申します」


 初対面なら大抵たいていはひとにらみで相手を威圧いあつさせられるローレルの迫力はくりょくにも、ロシュは動じなかった。


「ロシュ? ロシュってニコル、あんたが大事にしていたロシュネールの愛称だろ」

「そのロシュネールにも関係があるんだ」

「わからないねぇ。――ニコル、あたしゃね、あんたがいい加減なことを振りまいて他人様ひとさまをからかう、なんてことを嫌う真面目な子だって知ってるよ。だからあんたのいうことにがあるんだろ。でもね、いくらなんでもこれは突飛とっぴすぎるさ。あたしたちにわかるように説明する責任はある」

「わかってるよ、ローレルばあちゃん。事情は結構入り組んでいてややこしいんだ――その前にロシュを座らせてもいいかな」

「ダメだね。お前の話を聞いてあたしたちを納得させたら、座らせてやる。それまではこの娘は、どこの馬の骨とも知れない完全な他人だよ」

きびしいなぁ、婆ちゃんは。じゃあこのまま話すよ。このロシュは――」


 自分でもなんてややこしいんだと自嘲じちょうしながら、ニコルは頭の中で整理しながら話し始めた。

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