「回るダイスと、迫るリミット」

 リルルとサフィーナは、さらとうけ上がっていた。

 剣を振り落とし、り上げ、ぎ払い、突き込み、突破口を開いていく。

 機械を部品の破片に分解しながら、薄桃うすもも色と紫陽花あじさい色の風は突き進む。


 九十八階、九十九階、そして百階……。


「うぐっ!」


 機械骸骨ガイコツの鋭い刺突しとつをレイピアで受け流せきれなかったリルルの手から、剣が弾け飛んだ。回転しながら固い床に落ちたそれは、到底とうてい手のとどかかない距離きょりを転がり、壁に当たって止まった。


「リルル!!」


 前衛ぜんえいに立っていたサフィーナが、後衛こうえいの危機に振り返る。が、彼女も相棒に駆け寄れない。目の前に立ちふさがる機械蝙蝠コウモリの群れが、壁を作るように押し寄せてきていた。


 ひざを着いてうずくまったリルルに、機械骸骨が剣を振りかざして飛びかかる。天井の照明が発する明かりをさえぎって影を作ってくれたそれを、帽子ぼうしつばを跳ね上げさせるようにして少女が、鋭い視線を向けた。


「――――ふぅっ!」


 少女の気合いが一閃いっせんしたと同時に、機械骸骨の頭部が粉砕ふんさいされた。空中で横倒しになった機械の胴体が音を立てて薙ぎ倒され、首から上がない残骸ざんがいを前にして、リルルが立ち上がる。


「――危なかった!」


 天に向けて突き上げられた腕を下げ、その拳で光る銀色の拳鍔メリケンサックを指から抜いた。


「……いつも思うけれど、それって私たちのような女の子がつけるものじゃないわね!」


 ムチの先端でうずを巻き起こし、四方八方からおそいかかろうとした機械蝙蝠の全てをたたき落としたサフィーナが、リルルの剣を取って持ち主の元に駆け寄った。


「リルル、集中力が乱れてるわ。剣を取り落とすなんてあなたらしくもない」

「ごめんなさい、サフィーナ……ここは、何階だっけ……頭がだんだん、働かなくなってきてる……」


 リルルが壁に手をついた。服をぐっしょりとらした汗は、それを下から熱する燃えるような皮膚の熱さで、水蒸気になるかと思わせるほどだ。


 リルルは右手首の黒い腕輪から水筒すいとうを取り出し、それに口をつけ、あえぎながら飲みした。


 足を止めている間など一瞬たりともないのだとわかりながらも、四十階に近い階層を上がって来た体は、いよいよ限界に近づきつつある。


「百階よ。残り時間は……三時間と、二十七分……」


 天井のいたる所に表示されている、電光の砂時計と数字をサフィーナはにらんだ。あの砂時計の砂が下に落ちなければ、あの数字が減ることがなければ、ここに倒れていられるのにと思いをめぐらせ、次にそれを振り払う。に変わり、刻一刻こくいっこく枯死こしに向かっているエルフたちの現実を忘れている。


 彼女たちが永遠に樹と成り果て、再生することがなくなるまでの残り時間もそう多くはないのだ。


「あと、十九階……たった、十九階……たったそれだけよ、リルル」

「もう、疲れていて計算ができない。一階上がるのに、どれだけ時間がかけられるの……?」

「だいたい、十分弱よ」

「十分……? 今、だいたい、一階をどれくらいの時間で上がっているのかしら……」

「……三十分ね」


 サフィーナの落ち着いた声に、それがどれだけ必死に感情を押し殺しているものなのかと、リルルは痛くなる胸を押さえながら思った。口にはしないが、この進み具合ペースなら間に合わない。積み重なる疲労によってそれは落ちることはあっても、この調子では上がることはないだろう。


 この百階では殺到さっとうする敵の数にあらがえず、袋小路ふくろこうじに追い詰められ、曲がり角の影から遠距離えんきょり迎撃げいげきするという、消極的しょうきょくてきな戦法をらざるを得なかったために、予想以上の時間をついやした。力に任せて押し通るという手段が採れなくなっている。突進力が確実に弱っていた。


 浪費ろうひした時間を取り戻そうと無理に前進したツケは、確実に回ってきている。まだ気力こそついえていないが、それではおぎなうことができない体力の方は、もう、限界げんかいが目の前にあった。

 ――だが。


「足を止めない。考えない。歩けば進める。進めばつく。先を考えない、機械のように進む……」

「そうよ。時間が切れた時のことは、時間が切れてから考えればいいの」


 サフィーナがリルルに剣を差し出す。エメラルドグリーンの瞳をのぞいてからリルルは、相棒の手から剣を取った。


「――わかった。ありがとう、サフィーナ」

「進みましょう。みんな、待ってる」


 機械たちのしかばねを踏み越えて、リルルとサフィーナは進む。百一階へ続く階段を求めて。



   ◇   ◇   ◇



 フェレスの指が魔王のコマをつまみ上げ、ことんと軽い音を立てさせ、一マス前方に進ませた。全ての駒の移動と待機の行動をすませたのを確かめてから、フェレスはソファーの背もたれに背を預ける。


「これでボクのターンは終わりだ。ニコルくんの巡だよ」


 フェレスが自分の手元にあった赤いカードを裏返しにした。裏の青い面を表にしたカードはニコルの方にすべらされる。ニコルの方に巡が回ってきたという合図だった。


「ロシュ、しっかり記録を取っているね」

「問題ありません。現在、三巡目先攻が終了しました。次、ニコル様の巡、三巡目後攻です」


 テーブルをはさんで対峙たいじするフェレスとニコルを見下ろすように立つロシュが、表情のない顔で宣言した。その目は一分の揺らぎもなく、テーブルの上にえられた将棋チェスの盤面に注がれている。


「では、失礼します」


 ニコルの手が盤に伸び、横一列に並んでいる戦士の駒を七つ全てそろって前に押し出す。一マス空けて竜人の横列と向かい合う形になり、次にフェレスが前線を押し上げればそこで戦闘が開始されるだろう。


「ロシュ、そろそろダイスとうつわを用意するように」

「了解いたしました」


 戦闘が開始された際の乱数処理に振るダイスを数個、それを投げ込む透明とうめいのガラス器がテーブルの上に置かれる。不正の防止のため、器は一本の脚で少しの高さをテーブルからたもたれていた。


「ニコルくん、なかなかれているようだね」

「ええ、まあ。ゴーダム公爵の騎士団に騎士見習いとして所属しょぞくしていた時、公爵は……」

「キミのお父上だろう。義理の関係とはいえ、ね。呼びやすいように呼びたまえ」

「……父上は、政務せいむに疲れて気分がたかぶり眠れなくなると、夜中でも僕を呼び出されて将棋の相手をお命じになられました。僕とすと、とても気分が落ち着くとよくおっしゃっていました」

「なるほどね。キミは本当の息子のように可愛がられていたということだ。そしてそのお父上に、サフィーナ嬢と公爵領の全てをゆずるといわれても、キミは断った。すごいものだね」

「……なんでもご存じなんですね」

「いったろう。僕にこの世界で調べられないことはない。ただ、人の心の中は例外なんだ」


 立ち並ぶ駒を動かしたニコルが、巡の終わりを宣言する代わりとして、手元のカードを裏返し、赤に変えたそれをフェレスの手元に移す。


「キミに欲がないとかは思わないよ。人間、欲がなければ生きられないものだ。それでも、即答そくとうで公爵の申し出を退しりぞけたキミの判断に興味がある。キミは裕福な家の育ちでもない。どちらかといえば――」

「母一人、祖母一人、子一人の家です。フォーチュネットの旦那だんな様によくしていただいていたから、なんとか食べられていた、それくらいの貧しい家です。母の苦労も知っていました。……僕も、騎士になりたいという夢を捨て、母のために働こう、何度そう思ったかわかりません」

「どうしてそうしなかったんだい?」

「夢を追え、母がそういってくれたからです」


 駒に伸びたフェレスの手が止まる。盤面ばんめんに展開される布陣ふじんながめていた目が、ニコルの方に向けられる。


「……夢か」


 フェレスの目が再び盤面に向けられる。しかしそれは盤面を見ていない。その先にある、はるか遠くのなにかを眺めていた。


「食べることは心配するな、お前には小さく育ってほしくはない。父親が夢半ゆめなかばで死んでしまった分、お前は生きたいように生きろ。それが、自分たちがお前にしてやれる唯一ゆいいつのことだ――祖母も母も、同じ思いで僕を応援してくれました」

「そんな、苦労に苦労を重ねた二人にむくいたいとは思わなかったのかい? ゴーダム公に取り入れば、仕送りだってしたい放題だったろう」

「僕の夢をかなえることこそ、母と祖母の二人に報いることだ。そう僕は思いましたから」

「……リルル嬢と愛し合い、結ばれる。それがキミの夢か。ま、フォーチュネットの家も大した資産家だ」

「リルルが貧しい家の娘であったところで、僕の想いはなんら変わりません」

「……そうだろうね。すまない、ボクはどうしても目に見える情報にとらわれがちのようだ。それに振り回されると誤った結論にたどり着くね。いや、よくないよくない」


 フェレスがわかりやすいくらいに頭を下げる。ニコルはその姿に複雑な思いを抱く――目の前にいるこの人物が二人の令嬢に過酷かこくな試練をい、エルフの一族の命を危うくしているという事実に、現実感がともなわなかった。


「今の発言はキミを侮辱ぶじょくするものだったね。許してくれ。ボクがおろかだったよ」

「大丈夫です。奇異きいに思われることにはれていますから。それより、手を進めていただけませんか」

「おっと、いけないいけない。百六階に到達する前に勝負が決まらないと意味がないからね。サクサクと進めようか、サクサクと。――どれ、一列前進して、前線で戦闘勃発ぼっぱつだ」 


 盤の中央付近で双方の駒七つの横列同士が接触し、先手を取る形でフェレスは駒の行動を選択した。


「横に駒が三体並ぶと、防御力は二倍、削れる生命値は半分――赤青ダイスを一個振る、と」


 フェレスの手が器の中に赤三面、青三面にられた六面ダイスを放り込む。器の中で円を描くように転がったダイスは、青を上面にして止まった。


「よし、判定は成功か。幸先さいさきがいいね。生命値をひとつうばえた。ピンをひとついただくよ」

「どうぞ」


 ニコルに背を向けている戦士の駒の一つ、その駒の像の台座に差されている四つのピンのうち、一つがフェレスによって抜かれた。

 同じ行動が残りの六つにも行われる。フェレスは合計四つのピンを手元にせしめることに成功した。


「これで中央ではしばらく押し合いへし合いかな。これで左右の戦況せんきょうで展開が変わってくる」


 残りのドラゴン、ケンタウロスといった移動力の高いコマで前線を切りくずす気配を見せながらフェレスは巡を終了し、ニコルに裏返したカードを送った。


「さてさて、ここからどうなるか楽しみだ。ニコルくん、キミの責任は重いよ。二人のご令嬢方は、順調に速度を落としているようだしね」

「わかっています」


 ニコルにあせりの色はない。中央で並んだ七体の戦士の列を崩すことなく攻撃の行動を選択し、二色ダイスの一つを手の中に握り込んだ。


「僕は負けません」


 迷いもなくダイスが器に放り込まれる。湾曲わんきょくした円に沿って激しく回るダイス、その回転を見つめるその水色の瞳は揺れもせず、自分たちの運命を左右する色を冷静に見極みきわめようとしていた。

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