「幻想将棋に運命は賭けられる」
三分前に送り出した
帰って来るか来ないか、それについては不安はない。二人の令嬢は
閉じられた扉の向こうでヒュウウ、となにかが上がってくる音がして、
檻の格子が上下に分かれて収納され、手首の手錠がそれの引っかかりを失い、花嫁の体が全くの受け身なしで背中から倒れる。フェレスが指を鳴らすと少年の両手を
「おやおや、酸欠になってるじゃないか。サフィーナ嬢もなかなか情熱的なキスをしてくれるね。ニコルくんが風船だったら今頃全部
「マスター、ニコル様をお運びします」
フェレスの後ろに
「いや、ボクが運ぼう。こんな美しく可愛い花嫁な少年をお姫様抱っこで運ぶ。いいねぇ、これだから世界というものは、面白くて
「マスター、ロシュがニコル様をお運びします」
「そういう時は自分が運びたいといわなければダメだよ、ロシュ。あとで抱き上げさせてあげるから、ここは主人に
「マスター、ニコル様に人工呼吸を
「呼吸は止まってないじゃないか。とても不規則だけど」
ニコルの体が断続的に床の上で震えている。
「
「本当に必要かい? キミがニコルくんに口づけしたいだけじゃないのかい?」
「ニコル様、ただいまお助けいたします」
それ以上の主人の声を振り切り、ロシュは気を失っているニコルの側に
「白雪姫じゃあるまいし。しかし、これは本気でやられちゃってるね。用心が必要かな」
フェレスは上着の右ポケットの中をまさぐり、固い感触があるのを確かめた。
◇ ◇ ◇
扉が開き、ウェディングドレス姿の少年の背と膝に腕を通して抱えたフェレスの姿がその向こうに現れる。ロシュを従えて広い自室の空間を歩き、ソファーの上に花嫁の体を横たえた。
「もう少し人工呼吸を」
「
「息を吹き込まなければ問題ありません」
「それは、人工呼吸とはいわないのじゃないのかい?」
フェレスの
「うーん……サフィーナ様、やめてください……ロシュ、そんなに唇を
「ニコル様、私はロシュです。お目覚めください」
「ううう……リルル、ごめん、またサフィネルにキスをされてしまった……あれ?」
長いまつげが
「ロシュ……?」
水色の瞳の中で、機会生命体の表情の色に
「はい、ロシュはロシュです。ニコル様、ご体調の自覚はいかがですか」
「……夢の中で、馬のロシュに唇を舐められていたんだけど、ひょっとして」
「はい、ロシュはニコル様の唇にロシュの唇を接触させました。それが意識の中で映像化されたのだと予測します」
「ダメじゃないか! ……相手の了解を得ずに、そんなことをするなんて!」
「人工呼吸です。救命行為です。ニコル様は意識を失っておられました――了解を得るのは不可能です。それにロシュが唇を
「う、ううん、いや、ロシュみたいな可愛い子にキスされるのは嬉しいよ。嬉しいんだけれど……」
ニコルは
「というか、なんでロシュが僕を抱き上げてるの! 恥ずかしいから早く降ろして!」
「わかりました、ニコル様」
「いやあ、なかなか面白いものを見させてもらったよ。すごかったねぇサフィーナ嬢は」
「面白いもの、じゃありません! ――こんな格好をリルルやサフィーナ様の前に
ニコルの口から
「大好評だったじゃないか。サフィーナ嬢なんか、キミが行く直前には気力が
「……塩?」
「ああ、こっちではそういう言い回しはしないか。ま、それはいいとして――脱落寸前だったサフィーナ嬢が、今じゃリルル嬢を引きずってる。いやはや、恋の力とはすごいものだね」
「ぐ――――」
ニコルが数十の感情を読み取れる複雑極まる表情を浮かべ、喉からあふれ出そうなものを必死に
「ま、キミにそんな格好をさせたいという欲求に負けて、とても
「その前に、この格好をやめさせてもらっていいですか!? ――せめて、下着だけでも返して下さい!」
「それは
◇ ◇ ◇
「ふむ、
「テーブルの上の将棋盤、僕が
ソファーに座ったニコルとフェレスは、自分たちの間にあるひとつの遊戯盤に視線を
十一マス四方の盤面。その
「そしてこちら側が魔王、竜人、ケンタウロス、ドラゴン、白魔導士、黒魔導士、ゴブリンだ。
二人は駒の動き、特性、駒を取られ取った場合の決まりを確認し合った。
「僕が知っている将棋と全く同じですね。こういうのはどこの世界でも似るんでしょうか」
「偶然だろう。ボクがこれを手に入れた世界でも地域によって様々
「ええ」
「なにを賭けるんだい?」
「――二人の令嬢たちの運命を」
それを受けて、フェレスが嬉しそうに
「ニコルくん。キミが熱意と
「なら、これを
「それを脱ぐなんてとんでもない。まあいい、話を聞こう」
「……リルルとサフィーナ様は今、九十七階に上がったところのようです」
テーブルの表面に、庭師の塔の
「二人はあと二十二階を上らなければならない。一階にかけられる時間は十三分と少し。ですが、その
「まあ、現実的で
「ですから、賭けを
ニコルはテーブルの上、一点に指を置いた。
「今から
「ふむ。なら所要時間はほぼ半分になるね。体力の限界に近づきつつある二人がここまで到達するのに、いくらか現実味が生まれてくるだろう。――しかしニコルくん、ひとつ忘れてはしないかな」
「なにをです?」
「この勝負、ボクが受けなければいけない理由はないんだよ」
フェレスが笑う。天使画に描かれている表情そのままの
「いってしまえば、ボクの勝ちは
「必要はあると思います」
「聞かせてもらおう」
「この塔における遊戯を、時間切れなんていう幕切れですませて、あなたは満足なんですか?」
フェレスの目から笑いが消える。静かに挑みかかる少年の顔が瞳に投影されていた。
「あなたは勝利を求めている。しかしそれ以上に、勝負の中で面白さを求めているのではないのですか? つまらない勝ち方なんてあなたがいちばん嫌うところでしょう」
「――面白いね。まだいうことがあるかな?」
「この百十八階」
最終地点のひとつ下の階層にニコルの指が動く。
「あなたはここに、びっくりするような仕掛けを置いているのではないですか?」
「ふむ、当たってるね。しかし、どうしてそれがわかったんだい?」
「それはまたあとでお教えします。それで、この挑戦を受けてもらえるのでしょうか?」
「ニコルくん、勝負というものは対等でなければならないよ」
「わかっています。――僕が負けたら、二人を百六階から十階分、九十六階に落としてください」
その自分の顔に笑いかけるかのごとく、フェレスが本当に満足げに
「ふふふ! キミにその意味が理解されていないとは思わないね! 二人の令嬢の運命か――いや、逆にいえばキミとエルフたちの運命ということになるな! 負ければエルフたちは
「はい」
「面白い、実に面白い! 賭けるものが大きい勝負ほど面白いものはないよ! よーし、その挑戦を受けよう! ロシュ、キミはこの勝負の立会人だ。双方に不正がないかどうか確認してくれたまえ!」
「了解いたしました、マスター」
「では私は魔王側を担当させてもらおうかな。一応悪者の自覚はあるんでね」
「ニコルくん。キミは愛する者の運命を
「なんでしょうか」
「ボクは強いよ」
軽い笑いが転がる。
「大昔だが、ボクは五百人を数える組織の中にいた。その五百人と将棋で
フェレスの指が自分の正面にある魔王の駒を小さくつついた。
「ああ、キミが敗北した時のご
「別に僕は
「じゃあ、運命の一局を始めさせていただこうか。先手はボクがさせてもらうよ――
竜の頭を持ち、
それぞれの運命と
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