「素顔のリルル」

「ざるふ、ふぉー……とか呼ばれていたね?」

「はい、ニコル様」


 栗色くりいろの髪、夕陽が燃やす夕焼け空の瞳の色をした少女は、ニコルに視線を向けずに口だけを動かした。まばたきをしない、する必要のない目がまっすぐ宙を見つめている。

 ニコルを外に出さないための守護神と化しているように、そのメイド姿は部屋の出口に立って動かなかった。


「名前はないっていってなかった?」

XALV4エックスエーエルブイフォーは、名前ではありません、型式番号です」


 感情のこもらない、こもりようのない、抑揚が上がりも下がりもしない声。


「私はアルフヴァイス、自律戦闘人型ドローンとして開発された兵器、その第四型アーキテクチャシステムのプロトタイプです。次世代人型ドローンとの戦いに敗北し、殲滅せんめつされようとしていたところを、マスターに救出されました。以降、身の回りのお世話をする家事ロボットとして使役しえきされています」

「……ごめん、なんのことか半分もわからないんだけれど」

「この世界とはちがう世界で開発された、戦闘用の機械人形とご理解ください。私には個体名が付与ふよされませんでした。マスターもつけてはいません」


 違う世界の産物――この部屋に置かれているものを見てもその説明に違和感いわかんはない。いや、その説明こそ最適解だと思えた。あのフェレスも含めて、この塔にある一切合切いっさいがっさいが異世界のものなのだ。


「……そうか、わかった、ありがとう」

「ニコル様」

「ニコル様、はかたいなぁ。それに、僕は捕虜ほりょなんだろう。ニコルでいいよ」

「あなたがここから脱走だっそうしない限り、できるだけ要望にお応えするように命令されています。あなたの命令は、マスターの次に優先度が高く設定されました。ですから私は、あなたを準マスターと認識しました」

「……まあ、君が呼びやすいのならそれでもいいのけれど」


 ニコルは心の中でフィルフィナのことを思い出し、想い出に分類しそうになっているのをあわてて改めた。機嫌が普通の時のフィルフィナに少し似ていると思ったのだ。もっとも、フィルフィナはきょうが乗れば、結構とんでもないいたずらを仕掛けてくるのだが。


「それでなのですが、ひとつ疑問があります。質問させていただいてもよろしいでしょうか」

「いいけれど、そんなに遠くにいられるのは話しにくいかな。もっと近くに来てくれたら助かるよ」

「ご命令にしたがいます」


 メイド服の少女は、定規じょうぎで当てたかのような正確な刻みの歩でニコルが腰を下ろした寝台まで近づくと、その隣にすとんとおしりを落とした。ニコルの腰が反射的に浮きそうになる。完全に肩と腕、膝と脚が密着する間合い――隙間すきまのない距離きょりで座られたからだ。


「お近くに参りました」

「……うん」


 視線を真正面、まっすぐな水平に向けている少女は、ニコルを視界に入れようともしない。ニコルの表情を読み取らなければならない、という発想が欠片かけらもないようだった。少年にぴたりと体の側面をくっつけていることにも、一片いっぺんの照れも生まれようがないと見えた。


 感情がないというのは、こういうことなのかとニコルは思う。


「ニコル様は先ほど、私を『ロシュ』と呼びました」

「ああ……うん、呼んだ……」


 ニコルはじ入って顔を赤くし、肩身をちぢめた。

 数ヶ月前、自分がその体にもたれかかって寝ている間に死なれた愛馬・ロシュネール。そんな彼女が夢の中で自分に永別わかれを告げるために取った少女の姿が、目の前のメイド服姿の少女とそっくりだということを説明するのは、少なくない勇気を必要とした。


「どのような理由なのでしょうか」

「――口で説明するのは、ちょっと難しいかな……」

「それでは、ニコル様のマインドイメージをスキャンさせていただいてよろしいでしょうか」

「はい?」


 今度は、いっていることの全部がわからなかったニコルが聞き返そうと声を上げる。


「こちらを向いてください」


 ニコルが反応した声を、了承りょうしょう誤解ごかいしたのか。


「失礼いたします」


 体をねじってニコルを視界の正面にとらえたメイド服の少女が、少年のほおの両方を手で包み込む。

 小さく息をしただけで相手に届く距離きょりに、ニコルは呼吸を止められた。


「わ」


 目を開けたままの少女が、ニコルの額に自分の額を当てた。ひんやりとした、人間の体温ではあり得ないかもと思える冷たい肌がニコルの肌に押し当てられる。体温を持って行かれそうなその感覚にニコルは目を見開き、鼻の先同士が触れ合う距離の詰めように、心臓を動かすのにも遠慮えんりょともなった。


「――っ!?」


 ばっ、と小さく弾かれたように少女がニコルから離れた。その、彼女が初めて見せる機械的ではない動きに、ニコルが目を瞬かせた。


「――し、失礼いたしました。状況は把握はあくいたしました。栗毛くりげの馬、ロシュネール……あなたはロシュと呼称していたのですね。あなたの胸のネームプレートが、ロシュがつけていたもの……」


 細い金の鎖につながれ、ニコルの胸の上に乗っている金属片を少女が指差す。ニコルはその指先が震えているのにまず気づいた。


「すごいんだ。僕の考えを読んだの?」

「――は……はい……」


 顔をせ、少女はニコルから目をらした。


「どうしたの? なんか様子がおかしいようだけれど」

「ろ……論理思考クラスタに、エラーが発生しているようです。これは未知の障害です。マスターにチェックしてもらわないと……あっ」


 立ち上がろうとした少女が、前につんのめった。反射的にニコルが腰を浮かし、少女を背中から抱き留める。ニコルの腕の中で少女の体が泳ぎ、少年の手の平が意図しない少女の部分に触れてしまった。


「きゃっ」

「あっ、すまない!」

「あ……いえ。だ、大丈夫です。わ――私、私、制御系にも不具合が。エラーが加速度的に増えています。冷却機能も上手く働いていません。人工皮膚の表面も熱い――これは重大トラブルです」


 少年の腕から離れ、寝台に手を着いて立ち上がった少女が、今までの無機質さを捨ててしまったかのように無様ともいえる動きで歩を進める。頭から足の裏までがブレなかった今までの動きがうそのようだった。


「ニ――ニコル様?」

「なんだい?」


 少年が、天使の笑顔で応えた。

 二つの瞳でその微笑ほほえみの直撃を受けてしまった少女の頭の中で、なにかがぼふっと音を上げた。


「あの……以後、私のことを、その、ロシュ、と呼んでいただいて、かまいません……いえ、どうかそうお呼びください。……呼んでくだされないのですか?」

「君がいいのなら、いいよ。嬉しいな、その名前を呼ぶことはもうないと思っていたから。どれだけの付き合いになるかわからないけれど、呼ばせてもらうね――ロシュ」

「ぁぅっ」


 胸に小口径しょうこうけい貫通弾かんつうだんを受けたかのように少女――ロシュは小さくうめいた。


「ロシュ?」

「すみません、申し訳ありません、退室します。――早く、早くマスターのところに……」


 ひざが笑って体を支えられないのか、手を突いた壁伝いにロシュは出口にたどり着き、自動的に開いた扉からよろめきながら出ていった。

 閉ざされた扉にその姿が隠れるが、扉越しに体が倒れるような音が聞こえてきて、ニコルの顔が曇った。


「――突然様子がおかしくなったけれど、どうしたのかな。悪い子じゃなさそうだから心配だよ」


 おかしくさせた本人にはその自覚がない。寝台の上で首をひねり続けるだけだった。



   ◇   ◇   ◇



 リルルとサフィーナの前に、銀色に輝く巨大な塔が屹立きつりつしていた。

 長い通路を数分歩かされてたどり着いた『塔』。視線をほぼ垂直すいちょくに上げれば、輪のように見える青い空がのぞいている。円柱の塔に切り取られた火口の景色だ。


 完全な円柱というのは間違まちがいではないらしい。二人がこの場所から見られるのは塔のほんの一部分に過ぎなかったが、ほとんど装飾そうしょくのない単純シンプルな造型が、そう想像させた。


 厚いガラス板でできた巨大な扉がひとりでに左右に開き、少女たちに無言で入ることをうながす。


「……リルル、こんな大きくて広くて厚い一枚のガラス、見たことがある?」

「ないわ。そもそもガラスなのかしら。本当に透明とうめい綺麗きれい……」

「こんなものを作れる相手だ、ということね」


 塔の一階にみ込む――そこは、壁も仕切りもない、全く開かれた空間だった。

 天井も身長の十倍ほどがある、本当に広い空間だ。内壁に沿うようにして階段が設置されている他は、真正面に見える太い柱のような構造物しか見えない。あれが昇降機エレベーターなのだろうか――。


『お嬢様方、ご足労そくろうさせて大変恐縮きょうしゅくだね』


 背骨のように塔をつらぬいているとおぼしき柱に向かおうとした少女たちの前に、その緑に輝く光の像は宙に浮かぶものとなって現れた。


「――あなたは!」


 黒い腕輪からメガネを取り出そうと構えたサフィーナを、リルルが腕をばして止める。


『名乗りが遅れて失礼したね。ボクは『庭師』。この塔の持ち主だ。まあ、誰もボクのことを庭師とは呼んでくれないな。呼びにくいようなのでね――『フェレス』という名前も一応持っている。呼びやすい方で呼んでくれてかまわないよ』

「ニコルを返して! フィルやウィルウィナ様たちも元に戻すのよ!」

『リルル嬢、この遊戯ゲーム規則ルールは説明したはずじゃないか。したがってくれなければ困るよ。いいゲームは双方がルールを遵守じゅんしゅすることで成立する。基本だよね』

「――いいわ、待ってなさい! すぐにそこまでたどり着いてあげるわ! その時は――こんな悪ふざけに私たちを巻き込んだことを、心から後悔させてあげるから!」

こわいなぁ。しかし素晴らしい意気込みだ。期待しているよ。まあ、おびというかサービスだ。リルル嬢、サフィーナ嬢。どちらか一人に決めてくれるかな、特別にご招待しょうたいするよ』

「招待ですって!?」

『ほんの短い間だけど、無事なニコルくんにじかに会わせてあげるよ。今すぐにね』


 リルルたちの目の前で円柱の扉が開き、一基の昇降機らしきものが姿を現した。


『それに乗りたまえ。百十九階までわずか一分で到着する。ボクがニコルくんを厚遇こうぐうしているあかしにもなるし、キミたちも今、ニコルくんに話したいことがあるんじゃないかな?』

「そんなの、どうせわなに――」

『規則は守られなければならない。それにはボクもふくまれている。不要だというのなら、無理にはすすめないけれど――』

「待って!」


 サフィーナが声を上げた。


「リルル、行きなさい。あなたがニコルに会ってくるの」

「――サフィーナ……」

「彼――彼女かどうかわからないけれど、いっていることは信用できると思うわ。今のうちにニコルに告げなければいけないこと、あなたもわかっているでしょう」

『リルル! サフィーナ様!』


 頭上から降ってきたニコルの声に、二人の少女は視線をさまよわせた。姿は見えない。声だけが送られてきているのか。


「二人とも上がって来ちゃいけない! 一刻いっこくも早く、この島を去るんです! あなたたちに万が一のことがあれば、僕はどうやってお詫びを――」

「乗るわ! 私が行きます!」


 リルルがさけんだ。宣言した。


「ニコルには私が会う! だから用意をしてなさい!」

『――そう来なくては、ね』


 幻のフェレスが微笑ほほえんだ――満足げに。


「サフィーナ、行ってくるわ」

「――リルル、しっかりね」


 視線をつなぎ、揺らすように二人の少女はうなずき合った。告げなければいけないこと・・・・・・・・・・・・がなにであるかは、言葉を交わさずともわかっていた。


『リルル、ダメだ――』


 ニコルの声を振り切り、リルルは昇降機に飛び乗った。扉は自動的に閉まり、数秒とたずに上昇を開始する。想像していたよりも数倍の高速度で床がり上がるような錯覚さっかく、重力が数割強くなって体が下に沈みかかる感覚に、リルルは息を詰めた。


 階数を示しているのだろうか、明かりで表示された数字が、目まぐるしい速度で加算されていった。


「――ニコル、待ってて。今、げるから」


 リルルの手が黒い腕輪を軽くたたき、飛び出して来たひとつの魔法の道具を、その手に受け止めた。

 昇降機が減速に転じる。体が浮き上がり縦に伸びる浮遊感が、少女の体の中心に空洞を作る。

 覚悟を決め、くちびるを真一文字に結んでリルルは腕を伸ばし――その道具を、目に嵌めていた・・・・・・・



   ◇   ◇   ◇



 ニコルは、昇降機の扉の前で待っていた。

 リルル嬢が上がって来る、六十秒の機会を与えるから、会いたまえ――声だけでフェレスが告げてきた指示にしたがって部屋から出、光る床の表示を頼りにここまでやってきたのだ。


 このすきに脱出しようとは思わなかった。どうせ対策がされているのだろうし、一分もせずにやってくるというリルルを放っておくこともできなかった。

 昇降機の扉の上で輝く表示が、見る見るうちに右に寄っていく。この階を示している目印に近づく。

 その光点と目印が重なり、到着の合図らしい甲高いかねの音がひとつ、鋭く鳴り響き、


「――――」


 開いた扉の向こう、まぶしすぎる天井の照明の中にニコルは、見ていた。

 普段着の青いドレスとは全く違う、薄桃色の可憐かれんなドレスに身を包んだ少女を。

 真っ赤な一輪の薔薇バラの花をかたどった帽子ぼうし目深まぶかかぶり、あごを引いてうつむいている少女を。


 その変身・・した姿に、言葉もなく立ちくしているニコルの前で、少女は広いスカートの裾をつまんだ手を翼のように広げ、ひざかがませて軽やかに一礼してから、かけていた赤いメガネを、その顔から外した・・・・・・・・


「ああぁ…………」

「――ニコル」


 快傑令嬢リロットの装束に身を包んだ素顔・・のリルルが、微笑ほほえんだ。

 その微笑みの意味を本当に理解するまでに、少年の心は――数秒の時間を、必要とした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る