「素顔のリルル」
「ざるふ、ふぉー……とか呼ばれていたね?」
「はい、ニコル様」
ニコルを外に出さないための守護神と化しているように、そのメイド姿は部屋の出口に立って動かなかった。
「名前はないっていってなかった?」
「
感情のこもらない、こもりようのない、抑揚が上がりも下がりもしない声。
「私はアルフヴァイス、自律戦闘人型ドローンとして開発された兵器、その第四型アーキテクチャシステムのプロトタイプです。次世代人型ドローンとの戦いに敗北し、
「……ごめん、なんのことか半分もわからないんだけれど」
「この世界とは
違う世界の産物――この部屋に置かれているものを見てもその説明に
「……そうか、わかった、ありがとう」
「ニコル様」
「ニコル様、は
「あなたがここから
「……まあ、君が呼びやすいのならそれでもいいのけれど」
ニコルは心の中でフィルフィナのことを思い出し、想い出に分類しそうになっているのを
「それでなのですが、ひとつ疑問があります。質問させていただいてもよろしいでしょうか」
「いいけれど、そんなに遠くにいられるのは話しにくいかな。もっと近くに来てくれたら助かるよ」
「ご命令に
メイド服の少女は、
「お近くに参りました」
「……うん」
視線を真正面、まっすぐな水平に向けている少女は、ニコルを視界に入れようともしない。ニコルの表情を読み取らなければならない、という発想が
感情がないというのは、こういうことなのかとニコルは思う。
「ニコル様は先ほど、私を『ロシュ』と呼びました」
「ああ……うん、呼んだ……」
ニコルは
数ヶ月前、自分がその体にもたれかかって寝ている間に死なれた愛馬・ロシュネール。そんな彼女が夢の中で自分に
「どのような理由なのでしょうか」
「――口で説明するのは、ちょっと難しいかな……」
「それでは、ニコル様のマインドイメージをスキャンさせていただいてよろしいでしょうか」
「はい?」
今度は、いっていることの全部がわからなかったニコルが聞き返そうと声を上げる。
「こちらを向いてください」
ニコルが反応した声を、
「失礼いたします」
体をねじってニコルを視界の正面に
小さく息をしただけで相手に届く
「わ」
目を開けたままの少女が、ニコルの額に自分の額を当てた。ひんやりとした、人間の体温ではあり得ないかもと思える冷たい肌がニコルの肌に押し当てられる。体温を持って行かれそうなその感覚にニコルは目を見開き、鼻の先同士が触れ合う距離の詰めように、心臓を動かすのにも
「――っ!?」
ばっ、と小さく弾かれたように少女がニコルから離れた。その、彼女が初めて見せる機械的ではない動きに、ニコルが目を瞬かせた。
「――し、失礼いたしました。状況は
細い金の鎖につながれ、ニコルの胸の上に乗っている金属片を少女が指差す。ニコルはその指先が震えているのにまず気づいた。
「すごいんだ。僕の考えを読んだの?」
「――は……はい……」
顔を
「どうしたの? なんか様子がおかしいようだけれど」
「ろ……論理思考クラスタに、エラーが発生しているようです。これは未知の障害です。マスターにチェックしてもらわないと……あっ」
立ち上がろうとした少女が、前につんのめった。反射的にニコルが腰を浮かし、少女を背中から抱き留める。ニコルの腕の中で少女の体が泳ぎ、少年の手の平が意図しない少女の部分に触れてしまった。
「きゃっ」
「あっ、すまない!」
「あ……いえ。だ、大丈夫です。わ――私、私、制御系にも不具合が。エラーが加速度的に増えています。冷却機能も上手く働いていません。人工皮膚の表面も熱い――これは重大トラブルです」
少年の腕から離れ、寝台に手を着いて立ち上がった少女が、今までの無機質さを捨ててしまったかのように無様ともいえる動きで歩を進める。頭から足の裏までがブレなかった今までの動きが
「ニ――ニコル様?」
「なんだい?」
少年が、天使の笑顔で応えた。
二つの瞳でその
「あの……以後、私のことを、その、ロシュ、と呼んでいただいて、かまいません……いえ、どうかそうお呼びください。……呼んでくだされないのですか?」
「君がいいのなら、いいよ。嬉しいな、その名前を呼ぶことはもうないと思っていたから。どれだけの付き合いになるかわからないけれど、呼ばせてもらうね――ロシュ」
「ぁぅっ」
胸に
「ロシュ?」
「すみません、申し訳ありません、退室します。――早く、早くマスターのところに……」
閉ざされた扉にその姿が隠れるが、扉越しに体が倒れるような音が聞こえてきて、ニコルの顔が曇った。
「――突然様子がおかしくなったけれど、どうしたのかな。悪い子じゃなさそうだから心配だよ」
おかしくさせた本人にはその自覚がない。寝台の上で首を
◇ ◇ ◇
リルルとサフィーナの前に、銀色に輝く巨大な塔が
長い通路を数分歩かされてたどり着いた『塔』。視線をほぼ
完全な円柱というのは
厚いガラス板でできた巨大な扉がひとりでに左右に開き、少女たちに無言で入ることを
「……リルル、こんな大きくて広くて厚い一枚のガラス、見たことがある?」
「ないわ。そもそもガラスなのかしら。本当に
「こんなものを作れる相手だ、ということね」
塔の一階に
天井も身長の十倍ほどがある、本当に広い空間だ。内壁に
『お嬢様方、ご
背骨のように塔を
「――あなたは!」
黒い腕輪からメガネを取り出そうと構えたサフィーナを、リルルが腕を
『名乗りが遅れて失礼したね。ボクは『庭師』。この塔の持ち主だ。まあ、誰もボクのことを庭師とは呼んでくれないな。呼びにくいようなのでね――『フェレス』という名前も一応持っている。呼びやすい方で呼んでくれてかまわないよ』
「ニコルを返して! フィルやウィルウィナ様たちも元に戻すのよ!」
『リルル嬢、この
「――いいわ、待ってなさい! すぐにそこまでたどり着いてあげるわ! その時は――こんな悪ふざけに私たちを巻き込んだことを、心から後悔させてあげるから!」
『
「招待ですって!?」
『ほんの短い間だけど、無事なニコルくんに
リルルたちの目の前で円柱の扉が開き、一基の昇降機らしきものが姿を現した。
『それに乗りたまえ。百十九階までわずか一分で到着する。ボクがニコルくんを
「そんなの、どうせ
『規則は守られなければならない。それにはボクも
「待って!」
サフィーナが声を上げた。
「リルル、行きなさい。あなたがニコルに会ってくるの」
「――サフィーナ……」
「彼――彼女かどうかわからないけれど、いっていることは信用できると思うわ。今のうちにニコルに告げなければいけないこと、あなたもわかっているでしょう」
『リルル! サフィーナ様!』
頭上から降ってきたニコルの声に、二人の少女は視線をさまよわせた。姿は見えない。声だけが送られてきているのか。
「二人とも上がって来ちゃいけない!
「乗るわ! 私が行きます!」
リルルが
「ニコルには私が会う! だから用意をしてなさい!」
『――そう来なくては、ね』
幻のフェレスが
「サフィーナ、行ってくるわ」
「――リルル、しっかりね」
視線をつなぎ、揺らすように二人の少女はうなずき合った。
『リルル、ダメだ――』
ニコルの声を振り切り、リルルは昇降機に飛び乗った。扉は自動的に閉まり、数秒と
階数を示しているのだろうか、明かりで表示された数字が、目まぐるしい速度で加算されていった。
「――ニコル、待ってて。今、
リルルの手が黒い腕輪を軽く
昇降機が減速に転じる。体が浮き上がり縦に伸びる浮遊感が、少女の体の中心に空洞を作る。
覚悟を決め、
◇ ◇ ◇
ニコルは、昇降機の扉の前で待っていた。
リルル嬢が上がって来る、六十秒の機会を与えるから、会いたまえ――声だけでフェレスが告げてきた指示に
この
昇降機の扉の上で輝く表示が、見る見るうちに右に寄っていく。この階を示している目印に近づく。
その光点と目印が重なり、到着の合図らしい甲高い
「――――」
開いた扉の向こう、
普段着の青いドレスとは全く違う、薄桃色の
真っ赤な一輪の
その
「ああぁ…………」
「――ニコル」
快傑令嬢リロットの装束に身を包んだ
その微笑みの意味を本当に理解するまでに、少年の心は――数秒の時間を、必要とした。
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