「ゲームのルール」

「すまないすまない、ついきょうが乗ってしまってね。どうだい、今夜一緒にお風呂でも。背中を流してあげるよ。裸の付き合いといこうじゃないか」

「背中以外も流すつもりでしょうし、裸の付き合いは風呂だけじゃすまないのでしょう! 結構です!」

「そんなに毛嫌いしなくても。おかたいのだねキミは」


 手足を動かす感覚が次第に戻って来て、ニコルは息を切らせながらシャツのボタンをめ直した。まだ熱を持ったほおの赤みが取れない。性別がないとはいえ、美の極致きょくちを追求して造型ぞうけいされた顔に見つめられるのは、感情を強烈な引力で引っ張られる力があった。


「僕をさらい二人の令嬢をおびき出して、どうしようというのです、あなたは!」


 立ち上がったフェレスの体に、メイド姿の少女が無言で上着を着せる。帯を直したフェレスは寝台に置いてあった薄い板を手にして指をわせ、その板を水平に向けた。


「あなたほどの力のある者が、二人を我が物にしようとする……そんな短絡的たんらくてきな理由でもないのでしょう。本当にわかりません。いったいあなたは――」

「まあ、これを見たまえ」


 板の表面が強く発光し、光で構成された立体物が飛び出すようにして下から順に組み立てられていく。輝く緑の線で組み立てられた、高さ一メルトほどの『塔』の模型がまたたく間に作り上げられ、まさに魔法のような光景にニコルはまたも息を飲まされた。


「これは、キミとボクが今いる塔の図さ。――同じことを二度説明するのも面倒だから、二人のご令嬢にもご覧いただくとしようか」



   ◇   ◇   ◇



 まっすぐに続く通路を進むリルルとサフィーナは、なんの前触れもなしにまたも映像を表示した壁と天井、床の様子に思わず足を止めた。

 銃の山の形らしい鋭い二等辺三角形、そしてその中にすっぽりと入った、細く長い柱状のものが映し出されている。


「これは――」

「なにかの概略図がいりゃくず……?」

『二人のご令嬢――お聞きになっているかな?』


 明らかに語りかけてきているに、リルルとサフィーナの呼吸が止まった。


「この声は!」

「さっき、ニコルの首筋にくちびるわせていた奴よ、リルル! ……許せない! 私でもそんなうらやましいことしたことないのに!」


 サフィーナのエメラルドグリーンの瞳が怒りに燃えていた。


『これは、キミたちがいう銃の山の火道かどう――火口から山の根元まで、まっすぐ下につらぬかれた空間に存在するとうだ。高さは六六〇メートル――失礼、こっちでは六六〇メルトだったかな。百二十階建て、ちょうど直径ちょっけい一六〇メルトの円柱形をしている。キミたちの現在地はここかな』


 円柱の根元の手前に、青い光点がまたたいた。


『塔全体の中央部には昇降機エレベータが背骨のように通っており、それで各階の行き来は可能だが、これはこちらで利用を制限させてもらうよ。基本は階段で上がってもらうことになる。ボクとニコルくんは百十九階の貴賓室きひんしつにいるから、ここがキミたちの到達目標というわけだ』


 塔のほぼ最上階に赤い光点が灯った。


『愛しのニコルくんを返してほしければ、百十九階まで上がってきたまえ。ここまで無事に到達できれば、綺麗な体でお返ししよう。それまでは彼の貞操ていそうには手をつけないから、安心してくれて良い。ああ、もちろんボクが樹に変えたエルフの一族も元に戻してあげるよ。ただ、制限時間はさせてもらうけれどね』


 塔の上に、これも光で構成されたもう一つの物体が表示された。砂時計の形をしたそれは、上に六桁の数字をともなっていた。


『制限時間は、今からちょうど三十時間だ』


 数字が勢いよく減り始める。残り時間を示しているのか、秒単位でそれは容赦ようしゃなく時間をきざんでいった。


『塔の内部は複雑な迷路になっている。各階には警備の機械をたくさん配備はいびさせてもらった。キミたちの姿を見たらおそってくるから気をつけたまえ。ああ、雑魚ざこばかりだと単調になると思ってね。中ボスも数体用意させてもらった』

「ちゅ……中ボス?」

『強敵ってことかな。残り時間がゼロになる前にキミたちが到達できなければ、エルフたちは永遠にのままだし、ニコルくんにはボクの花嫁になってもらう予定だよ』

花婿はなむこの間違いじゃないの!」

『美しい彼には、さぞかしウェディングドレスが似合いそうだ。ボクは美しいものが好きなんでね。美しいものを美しく飾り付けたいと思うのは、美を解するものの共通の想いだろう』

「……やだ、ニコルのウェディングドレス姿は、ちょっと見たい」

「サフィーナぁっ!」


 ごめんなさい、とサフィーナが頭を下げた。


『まあ、これがこの遊戯ゲーム規則ルールだ。理解してくれたかな。キミたちがどのように上がって来るか楽しみに拝見はいけんしているよ。では、グッド・ラック』

「待って!」


 塔の表示が消え、同時に声の気配も消えた。ただ砂時計と刻々と数を減らし続ける残り時間の数字だけが消えない。幻のように映し出される砂時計も、ちりほどに見える砂を確実に落としているようだ。


 成功する条件と失敗する条件――規則は、取りあえず飲み込めた。

 だが、説明されていないことがひとつあった。


「――なんのために、こんなことをさせようとするのよ!」

「行きましょう、リルル。それはあいつを追い詰めて理由を聞けばすむことだわ」


 サフィーナが歩を進める。ここで立ちくしているヒマはない、とその背中がいっていた。


「とにかく、時間までに上にたどり着けばいい。会ってからたっぷり体に聞くわ」

「サフィーナ……」

「ウィルウィナ様も、フィルもクィルもスィルも、助けないといけないでしょう?」

「……そうね……」


 リルルはうなずいた。こんな時、自分を支えみちびいてくれる仲間がいることを心底ありがたいと思いながら、早足でサフィーナの隣に並んだ。



   ◇   ◇   ◇



「どうして、あの二人にこんなことをさせるんですか! 彼女たちがここまで上がって来られるはずはないでしょう! あの二人は深窓しんそうの――いえ、一人はお転婆てんばですが――令嬢たちですよ!」


 服を整えたニコルがき出しの怒りを表してさけぶ。その怒声どせいもフェレスは涼風すずかぜのように受け流した。


「ああ、キミはなにも知らない――いや、知らないことにしているんだったね。彼女たちは来るよ」

「無茶です! こんなの自殺行為だ! ……僕はどうなってもかまいません! ですから、エルフの一族のみなさんだけでも元に戻してあげてください! それで僕を好きにすればいいでしょう!」

「キミを好きにできるのは素敵な話だけどね。先ほどもいっただろう」


 フェレスは微笑ほほえんだ。


「ボクの目的は、あの二人がこの塔をどうやって上がってくるのか、それを見届けることにあるんだ。彼女たちにはその力がある。理由は、もうすぐわかると思うよ」

「――そうですか」


 ニコルの目が少し離れたテーブル、その上に置かれた魔法のレイピアに向けられた。

 ニコルの意思に従って矢の速度で宙を舞い、敵を切り刻むレイピアだ。できるだけ人を傷つけることはけたいニコルだったが、事ここに至っては、手段も選んでいられない。


 剣の柄で後頭部を打つことで気絶させるか。取り押さえ首に刃を突き付ければ要求を通せるかも知れない。ここは――。


「そのレイピアは今、キミの思考では操縦そうじゅうできないよ」


 ニコルの目が見開いた。レイピアに背中をさらすフェレスが人の心をきつける笑みをたたえている。意識を集中したニコルがレイピアを作動させる思念を描くが、いつもは敏感びんかんすぎるほどに動くレイピアが、今は微動びどうだにしなかった。


「特定の脳波を感知して稼働かどうするようになっているが、それは遮断しゃだんさせてもらった。キミが極端きょくたんな行動に出るのもこわいので、これは預かっておくことにしよう。ああ、管理には責任を持たせてもらうから、それは安心してくれたまえ」


 フェレスがニコルのレイピアを手に取った。本当に武装を完全に解除され、ニコルは心の中で唇をんだ。


「……事前に知ってたんですか」

「キミは優しいね。ボクを殺さないように気遣きづかってくれるとは」

「――あなたを殺してしまえば、ウィルウィナ様たちを元に戻すことができなくなる恐れが……」

「それでも、急所を外して瀕死ひんしにしてしまえば、いうことを聞かせられるかも知れないじゃないか。そのお気遣いに関しては、本当に感謝するよ」


 フェレスの足が扉に向かう。メイド姿の少女はそれには付き従わず、両手をエプロンの前に組み軽く頭を下げてそれを見送ろうとしていた。


XALV4ザルフフォー、彼の世話をしてあげてくれ。要望にはできる範囲はんいで応じるように」

「かしこまりました、マスター」

「ニコルくん、このメイドを置いておくよ。ああ、念のためにいっておくが、彼女も人間じゃない。むしろボクより機械に近いかな。特に感情論理回路は構築こうちくしていない――要するにキミの魅力で籠絡ろうらくたぶらかしていうことを聞かせようとしても無駄だよ。キミは女性にとても人気があるようだ」

「僕は女性を利用したことなんてありません!」

「どちらかといえば、女性の方から利用されたがってるようだが。彼女には一応女性としての機能があるけれど、試してみるかい?」

りません!」

「浮気には該当がいとうしないと思うんだけれど。まあいいか。――では失礼するよ。またご機嫌うかがいに来るかもね」

「待ってください!」


 目の前で左右に開いた扉を抜けて廊下ろうかに出ようとした足を止め、フェレスが振り返った。


「僕は今まで、善人から悪人まで本当に色々な人を見てきました。人を見る目はあるつもりです」

「――ふむ。それで、ニコルくんの人物眼には、ボクはどのように映るのかな?」

「……あなたは、悪人には見えません。少なくとも、自分の手で残酷ざんこくなことができる人じゃない」

「キミをこうして拉致監禁らちかんきんしているじゃないか。そして二人のご令嬢にこくな試練を課そうとしている。立派な極悪人の所業だと思うけれどね」

「本当に、そんなことがしたくてやってるのですか。そうは思えないのです」


 フェレスはだまった。口を開いて反論しようとしたが、心が空転して言葉が出ないかのように。


「――僕は、本当に様々な悪人の目を見てきました。目の前の人間をしいたげることに喜びを感じる者、なにも感じない者……。でも、その目の表情は限られるんです。そして、あなたの目は僕の記憶のどれにも当たらない。むしろ悲しんで自分の行いを見守っているようにも思える……」

「ボクは人間ではない、といったろう。似せて造られた人形だ。キミは人形の目を信じるのかい?」

「あなたは人間です」


 フェレスのほおから笑みの気配が消えた。美しい顔から表情が失せ、本当に人形のような顔になった。


「僕はそう信じます」


 ニコルとフェレスの視線が真正面からぶつかり合い、見えない火花が聞こえない音を散らした。


「……嬉しい言葉だね。でもオマケはしてあげないよ。ではニコルくん、くつろいでいてくれたまえ」


 絡んだ視線をやわらかい微笑みでき、み出してフェレスは廊下に出た。一切の音も出さずに扉が背後で自動的に閉まる。塔中央の昇降機に向かいながら、フェレスはニコルから贈られた言葉を、口の中で反芻はんすうしていた。


「――ボクが人間、か……。データには、誰もが彼に好意を持つとあったんだが、まいったな……ボクも彼を好きになりそうにある……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る