「少女たちの覚悟」

 リルルは、夢を見ていた。

 薄桃色のドレスを身にまとった、快傑令嬢リロットたる自分が喉輪のどわめ上げられ、腕一本で足が地から離れる高さまでり上げられている夢だった。


『これは――――』


 それだけで状況がわかる。これがいつの夢かわかる。

 目の前には、獲物えものを前にきばき出しにするような猛獣の顔を見せ、その犬歯を口元からのぞかせている、赤い瞳・・・のニコルがいた。


 これは、王城の地下の光景のはずだ。

 連れ去られたニコルを取り戻すため、地下迷宮ダンジョンと化した下水道に潜入し、王城直下と思われる場所で魔の力にあやつられたニコルと対峙たいじした時の光景だ。


 リロットの姿をしたリルルを敵と見なし、正気を失っていたリルルに、獰猛どうもうな獣同然となったニコルはおそいかかった。

 剣を振るうこともできないリルルはそれにすべもなく、片手で首をへし折られそうになったのだ。

 だから、リルルは最期さいごを覚悟して、ニコルに明かした。


 今まで少年に対し、うそに嘘を重ね、あざむいてきた罪を。

 そして、メガネの向こうに今まで隠してきた、リロットの素顔を――。



   ◇   ◇   ◇



「ニコル!」


 体が跳ね上がり、その数秒後に、自分が夢から覚醒かくせいしたのをリルルは認識した。


「え……あ、あ…………!?」


 背が低く絨毯じゅうたんのようにやわらかい草原くさはらの上に倒れていたこと、太陽が東の水平線に顔を出していることが、脳にみるようにして理解されていく。


 自分は気絶し、そのまま眠っていた。

 確か気絶したのは、赤い三角錐さんかくすいからあふれ出した光に意識を吹き飛ばされて――。


「っ!」


 振り向くと、色を失い透明になった巨大な三角錐がその頂点を土の中に潜らせているのが見えた。激しく輝いていたはずのそれは、まるで死んだかのように全ての気配を絶っている。


 一瞬で状況を把握はあくできない自分に苛立いらだちながら、リルルは記憶をさかのぼる。

 確か……。


「……光に吹き飛ばされて、その前に、ニコルが手につかまれて、空に引き込まれて……!?」

「う……ん……」


 すぐ側で聞こえたうめき声に視線が向く。うつ伏せに倒れたサフィーナが、その顔の半面を土によごしていた。


「サフィーナ! 起きて、起きるのよ!」

「リル……ル……?」


 乱暴なくらいにほおはたかれたサフィーナが、まぶたを震わせて覚醒かくせいした。ニコルとふたりだけで散歩に抜け出したはずなのに、何故ここにサフィーナがいるのかはわからない。いや、いたのはサフィーナだけではなかったはず――。


「――フィルは! クィルちゃんも、スィルちゃんもいたはず――」


 その姿を追い求めたリルルの瞳、その瞳孔どうこうが限りなく点になるまで収縮していた。


「な――――!!」


 フィルフィナたちは、立っていた。

 クィルクィナもスィルスィナも並ぶようにしてそこにいた。

 ただ、物いわぬ――物がいえるはずもない姿で、そこにいた。


「……フィル!?」


 枯れ木・・・と化したエルフの三姉妹がそこにいた。

 木が少女たちの姿をかたどるように成長し、その後に根が絶たれてれきった様、と形容すればその意は伝わるだろうか。


 肌が木、髪が葉と化したエルフたちが、それだけは布のままのメイド服を着て立っている。何も言葉は発さない。木がしゃべるわけはないのだから。

 ただ、自分が今どうなっているかもわからないような、おどろきの顔をして、そこにいる。


「フィル!! あなた、どうしたの――」

「触ってはダメ!」


 け寄り、触れようとしたリルルの手が止まった。振り返ると、立ち上がったサフィーナの厳しい表情がそこにあった。


「……触ってはダメよ、リルル。理屈はわからないけれど、本当に枯れた木のようになっている。指なんかの細いところに触れると折れかねないわ。折れてしまったら、二度と戻らないかも……」

「フィ……フィルが、クィルちゃんもスィルちゃんも、どうしてこんな姿に……。私たちはどうして無事なの……」


 気力をくだかれたリルルが、両のひざを地に着けた。目を見開いたまま、肌の全てから水気と生気を失ったエルフたちを調べようとサフィーナがゆっくりと歩み寄る。


「リルル、落ち着いて。考えられるとすれば、エルフにだけ作用する魔法なのかも知れないわ。私たちは……なんの異常もないみたい……」

「あの赤い光の輝きが魔法だったの……!? でも、どうしてエルフだけに効く魔法なんか――」


 そこまで口にしてふたり、同時に同じ認識に思い当たった。


「――ウィルウィナ様は!?」



   ◇   ◇   ◇



 転ばないのが不思議なくらいの全速力で林を抜け、リルルとサフィーナは丸太屋敷に走った。

 足音を響かせながら階段を上がり、二階に駆け込む。

 最後にウィルウィナを目撃した部屋に飛び込もう――としてリルルは、南の方角に面したバルコニーに一人の人影が立っているのに気付き、首が折れかねない勢いで振り向いていた。


「ウィルウィナ様!!」


 駆け寄ろうとしたリルルとサフィーナの足が、止まった。

 夜のドレスにその身を包んだ姿のウィルウィナも、同様に枯れ木の像と化していたからだ。


「ウィルウィナ様まで――!」


 悪い予感を的中され、叫んだリルルがそれ以上の言葉を継げず、重い息をいておしりを床に落とした。


「これは……本当にいったい、どうなって……ニコルを連れ去ったあの声と手の仕業しわざなの……!?」

「……リルル、ウィルウィナ様の右手を見て」

「右手……?」


 サフィーナの声にうながされ、お腹の高さで手の平を上に向けているウィルウィナの手に、リルルは目を向けた。

 水分の全てが消え失せた枯れ枝のような指が、拳大の水晶玉すいしょうだませていた。

 心臓が脈打つ拍子リズムで淡い明滅めいめつを繰り返しているそれだけが、生きている律動りつどうを感じさせた。


 自分を取れ、と教えるように光のまばたきをり返しているそれを、リルルは震える指で手にした。

 水晶玉の明滅がやみ、次にはリルルの手の平の中でまばゆい輝きを放ち始める。

 緑色の光の帯が大きく扇状おうぎじょうに開き、それは次には宙に人の像を浮かび上がらせていた。


「――――!?」


 リルルとサフィーナが息を飲む。光の帯が虚空こくうに描いたのは、ウィルウィナ本人の姿だったからだ。


『時間がないの、手短に話すわ』


 ぼやけた緑の光線で描かれるウィルウィナがしゃべり出す。細部ははっきりとは見えないのだが、指の先端から変質が始まり見る間にその手、腕が木と化していくその進行の様子はわかった。

 これは、ウィルウィナの記録なのだろうか。


『ニコルちゃんが夜空にさらわれたのを、月から光が放たれたのを見たわ。今、私をエルフを木に変えてしまう魔法が襲っている。フィルちゃんたちも同じでしょう。リルルちゃん、サフィーナちゃん、銃の山におもむくのよ。そこにこのじゅつを放った犯人――魔導士まどうしがいるわ!』


 そこまで口にした時点で、二の腕までもが枯れていくのがわかる。口が動かなくなるまでもう十数秒とない速度。服の下に枯化こかはもぐり込み、そして――。


『木に変えられた私たちが、術をかれて無事に元に戻れる猶予ゆうよは恐らく三、いや二日――それを過ぎたら元に戻れない部分ができるどころか、このまま死んでしまう! 二人とも、急いで。行李スーツケースにある道具アイテムは自由に持っていっていい! 最大限の準備を――』

「ウィルウィナ様!」


 無駄だとわかっていても、リルルにはさけぶしかなかった。水晶玉が映し出すウィルウィナは、自分たちの横で現実の姿としてあるウィルウィナと同じ姿勢、表情をしたまま固まり、やがて、光の像は力尽ちからつきたように収束しゅうそくして消え失せた。


「銃の山に、この魔法を放った魔導士が……?」

「ニコルもきっとそこにいる――私はなんてマヌケなの!」


 リルルの拳が、バルコニーの柱に叩きつけられた。


「ニコルがさらわれようとしている時、私はリロットになろうとメガネを手にした! なのに――なのに、手が固まってそれをかけることができなかった! きっとニコルの目の前でリロットになるのがこわかったのよ! リロットになっていれば、ニコルを助けられたかも知れないのに!」


 二度、三度、と拳が柱を揺らす。柱のしんにまで伝わる衝撃が、屋敷を揺らしているようにも思えた。


「こんな時に、それくらいの咄嗟とっさの勇気も出ないなんて! 私は――!」

「リルル、やめなさい!」


 サフィーナの手が、さらに柱をなぐろうとするリルルの手をつかんだ。


「今、そんなことを責めてなにになるの! 冷静になりなさい。私たちがやらなければならないことは、ウィルウィナ様が教えてくださったでしょう!」

「サフィーナ……!」

「私たちには敵がいるわ。それを倒さないといけないのよ。心を揺らしている場合ではないの。リルル、あなたにそれくらいのことが、わからないわけはないでしょう?」

「…………」


 リルルが拳をいて、降ろした。

 支えが失われたようにその膝が折れて再び、腰が床をたたいた。


「フィルやウィルウィナ様たちがこうなった今、ニコルを助けに行けるのはリルルと私、ふたりだけ……リルル、覚悟はしておいた方がいいわ」

「……か……覚悟って、なんの……」


 つけておかなければならない覚悟が多すぎるとも思えて、リルルはこんな時にでも、口元に皮肉気ひにくげな笑いを浮かべてしまう。取り返しがつかなくなることが多すぎた。


「王都なら、まだ何とでも言い訳もできる。でも、ウィルウィナ様たちが行動不能になった今、この無人島に快傑令嬢のふたりがそろって助けに来る――ニコルがそれを知ったらどう思うか、わかるでしょう?」


 リルルの胸を、言葉の銃弾が貫いた。

 神出鬼没の快傑令嬢リロットと快傑令嬢サフィネル――それは人口百六十万人を数えるコア・エルカリナなら通じる話だ。


「そうね……いくらニコルがにぶくても、気が付くわね……私たちが快傑令嬢だって……」

「ニコルを助けに行くということは、そういうことなの。リルル、あなたは――」

「……かまわないわ」


 リルルは立ち上がった。

 柱に手をえながらも、自分の脚で立ち上がることができた。


「ニコルを助けられれば、どうなったっていい。……私がニコルに愛想を尽かされて、見捨てられてもかまわない……。ニコルを助けられて、ウィルウィナ様やフィルたちの姉妹を助けられれば、私なんかどうなってもいいの……。いつまでも隠し通せることでもなかったもの。――来るものが、来ただけよ……」


 今まで当たり前にあった日常との、決別けつべつ。新しい形の現実が訪れる。

 もう、二度と巻き戻せない改変。


「……サフィーナはいいの? 正体がバレるのは、サフィーナも同じなのよ」

「私は、あなたほどには失う物は多くないでしょ?」

「……私を見捨てたニコルが、その後であなたを選ぶ可能性もあるのに?」

「私には、リルルをフッたニコルこそ、どうでもいいの」


 サフィーナは微笑びしょうした。信念のある微笑ほほえみだった。


「私が大好きになったのは、リルルに真摯しんしな愛をささげるニコルだけ。あなたがいなくなったから私に乗り換えるようなニコルなんて、願い下げなのよ。そんなニコルは、誰かに引き取ってもらえばいいの。それ以前に――ニコルがあなたを見捨てる世界線なんて、想像がつかないけどね」

「そんなの、わからないわ……」

「わかっていないのはリルル、あなたよ」


 馬鹿ね、とサフィーナは笑った。


はたから見ていないとわからないこともあるのかも知れないわね。――リルル、元気を出しなさい。敵はいるのよ、だから」

「うん」


 ――敵。

 ウィルウィナの言葉が正しいのならば、月をしろにして声を降らせてきたその主が、そうなのか。


 今までほとんど休まず戦って来た、そのささやかな報酬ほうしゅうだったはずのこの旅行。

 まさかその先で今までのような、いや、より強大かも知れない敵対者と相見あいまみえることになるとは想像だにしていなかったリルルは――まさしく降っていたこの事態に、改めてかぶりを振った。

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