第03話「銃の山の試練」

「天より来るもの」

 数万のまばたきとなって輝く星々をしたがえ、黄金の真円と化し天空の首座しゅざに座る満月。

 リルルとニコルは二人、肩を並べるようにして視線を上げ、その光をそれぞれの瞳に映していた。


「――ほら、あの飛龍ひりゅう座の首から首の長さの二倍ばしたところにあるのが、人馬ケンタウロス座なんだ」

「腕が一対、脚が二対あるのかしら?」


 空の星々の間に頭の中で線を引き、記憶の中にある星座を再現する。二人で知っている有名なものから、それぞれしか知らない星々の図形を教え合う。

 そんなことをしにここに来たのではないのだと、そんなことは二人でわかっていながらも――やめられない。


「飛龍座の上にあるのが、真北を示す天宮てんきゅう座。神殿の形をしている――これはリルルもわかるよね」

「うん。よく・・目印にしているから……あっ」


 リルルは思わず口をふさぎそうになって、手がびるのをかろうじてこらえた。

 その天宮座を目印にするのは、快傑令嬢リロットとなって夜の空を飛んでいる時に他ならない。天宮座の中心にある一等星を目印に方位をさぐるのは、船乗りくらいのものだから。


「リルル?」

「――ね、ニコル。……ウィルウィナ様は、なんておっしゃっていたの?」


 沈黙を作らぬようにといそがしく動いていたニコルの口が、止まった。

 その問いかけをけるために、せわしなくしゃべり続けていた少年の口元が、にごる。

 夜風に冷やされていたほおが紅く熱せられて、そこから少年が抱える羞恥しゅうちの温度が伝わって来るようだった。


「……リルルを……その…………。……………………部屋に行って、抱いてあげるように、って………」


 言いよどみの重さだけ、葛藤かっとうがあったのだろうか。

 潮のにおいをはらんだゆるやかな風が、ひとつ、吹く。

 四方を囲んでいるはずの海は遠く、闇の向こうで全く見えなかったが、ここが世界から切り取られた島であることを思い出させた。


「あなたは、部屋に来てくれた。でも、部屋には入らなかった。あなたの足は廊下ろうかにあったもの。そして、今はここ。……もしかして、ここで・・・?」

「そ、そんなわけ、ないじゃないか……!」


 大声を上げようとしてしまって、ニコルは自分ののどを押さえた。島中に響き渡り星たちに聞かれるはずの声がおさえられる。

 勢いで上がりかけた少年の肩が下がり、再び沈黙ちんもくの時がおとずれた。


「……ごめんなさい、ニコル」


 顔は向けられても目は合わせられない、地の底に沈んでしまいそうな少年の顔。胸をつらぬくような鋭い痛みにリルルは寸時すんじ、息を止めた。


「……こういう私だって、ちゃんと決断ができているわけではないの。……来るかどうか、あなたの判断にゆだねたのね。……私は、了解したんじゃない、拒絶しなかっただけ・・・・・・・・・――」


 リルルは再び夜空を仰いだ。こんな自分たちを見て、星々はどんな想いを抱いていることか。

 ふたりそろってその気になってしまえば全てが解決するようなことに、ふたり揃って決断を下せない愚図ぐずな自分たちを、くすくすと嘲笑わらっているのだろうか。


 今、ふたりで衝動に走ってしまえばすむことを、決められない。なにかと理由を探しては、それを先送りにしたがっているような自分たちにあきれているのかも知れない。


「今の僕には、そんな資格はない。君を抱きしめるくらいが精一杯だ、そこから先は、とても……」

「いつになったら、それができるの?」


 ニコルの瞳が、凍った。

 自分をじるように揺れる目が下を向く。言葉の出ない喉が酸素を求めるように震えて、リルルは自分が口にした言葉が鋭いやいばになったことに気づいた。


「……ごめんなさい、本当にごめんなさい。あなたを責めるようなことをいって。上がれないあなたが悪いんじゃない、降りられない私が悪いの。騎士になったらお姫様とも結婚できる、なんて適当なことをいった私が悪いの……。幼い時の砂場での約束が、ずっとあなたをしばりつけている……。あれがなければ、あなただってもっと……」

「リルルと結婚すると約束をしたことを後悔したことは、一度もないよ」


 少女の沈みかけていた心が、浮かんだ。視線を横に向けると、そこにはいくらか生気を取り戻した少年騎士の顔があった。


「僕は、いつまでも君と共にいたいと願った。そのことに間違まちがいなんか、後悔なんかあるはずがない。それともリルルは……そのことを後悔しているのかい?」

「……私だって、あなたといたい! あなたに側にいてほしい! あなたが側にいない二年間、ずっとそう願いながら暮らしてきたんだから……! 間違いでもなければ、後悔でもあるはずがないじゃないの……!」


 少女の瞳がうるむ。涙としてこぼれ落ちようとする想いをとどめるように上を向き、天をあおいだ。


「だから、私は、私でない私としてでも、あなたと触れ合おうとしたの! 伯爵令嬢でない私にならないと、あなたを抱きしめることも、あなたにキスをすることだってできやしない!」

「……リルル?」


 感情が、坂を転がるように制御を失い、加速していく。

 危険な領域にあるとわかっていても、止められない。明かしてはならないという理性よりも、このままで終わるなら全てを明らかにしてしまおうという衝動の方が、少女の心をはるかに強く突き動かしていた。


「ニコル、聞いて!」


 リルルが立つ。他人顔をしてこの世の全てを見下ろしている月に、届けとばかりに高らかとうたう。

 加速したものが止められない。止めるつもりにもなれない。


 今が、まさにその時なのだろうか。

 自分たちだけしかいないこの場で、自分たちだけにしか共有できないだろう秘密を打ち明ける。

 その、秘密とは――。


「私は、伯爵令嬢リルル・ヴィン・フォーチュネット! そして私の、もうひとつの名・・・・・・は――!」


 天を見据みすえるアイスブルーのふたつの瞳の中、鏡のように冷たく光る黄金の鏡面。意志も感情もなく地上を見つめ続けるはずの金色こんじきの泉。

 その表面に、波紋が生じた・・・・・・


「…………!?」


 リルルの心の動輪どうりんが、空転した。揺らぐはずがないものが揺らいだのを見たリルルの心も、同時に大きく波を打った。

 天空の頂点を眼差まなざしで射抜いぬいたまま、固まってしまったリルルの視線をニコルが追って、少年もまた異変に気づいた。


「やあ――――」


 くだるはずのない声が降ったのは、そんな瞬間だった。


「こんばんは。紳士淑女しんししゅくじょ逢瀬おうせの場に邪魔をするのは少し気が引けるが、失礼させていただくよ」


 月が、喋っていた・・・・・・・・

 まるでそれが一人の人間の顔であるかのように、天から声が降って来る。それは周囲のどこからでもない、空から降ってくるとしか思えない声だった。


「ボクの領域エリアに無断で足を踏み入れて、これ以上好き勝手に振る舞ってもらうのは、やめてもらいたいんだよねぇ」

「っ!」


 跳ね上がるように立ち上がったニコルがリルルを背にし、腰のレイピアを抜きその切っ先を天に向ける。しかし間合いは遠い――ニコルが今まで経験したことがないほどに、遠い!

 降って来る声は、男のもののように低くもなければ、女のもののように高くもない。


 どのような声だ、と問われればニコルにもリルルにもこうとしか答えられなかっただろう。

『神の声だ』と――。


「ま、キミたちとじっくり話をしてみたいと思うんだよ。キミたちの本質・・を見せてもらった上で、ね」

本質・・だと……!?」

「――おや、よくよく見ると美しい人がいるね」


 ニコルがリルルを完全にその背に隠す。矢が降ろうが銃弾が降ろうが、一歩も退かない覚悟を見せて。


「ちょうどいい。キミに話し相手になってもらおう。退屈はしないだろうさ」

「離れるんだ、リルル!」


 ニコルのかんが火花を発したのと、『異変』が起こったのとは同時だった。

 夜空が割れた・・・

 月が座るその下、まるで漆黒しっこくの空に扉があるかのように星々が左右に動き、その隙間から巨大な腕が伸びてきたのだ!


「う、わ、ぁ――――!!」


 リルルを突き飛ばしたニコルが巨人の手に包まれる。小さな甲虫こうちゅうでもそのたなごころに納めるかのようにニコルの姿が一瞬で隠れ、それは伸びてきたのと同じ速度で、天に向かって戻っていくのだ!


「ニコル!」


 考えるよりも先に右腕を振り上げ、リルルは手首の黒い腕輪をあらわにした。一呼吸で紅いメガネ――快傑令嬢リロットに変身するエルフの魔法のメガネをつかんでいる。

 が、それをかける手が、こおり付いた。


「――――!!」


 まるで腕の全部が石膏せっこうで固められてしまったかのように動かない。それを早くかけなければという気持ちだけが二歩も三歩も先を行ってしまって、腕に見えないツタなわかがからみついたように、微動びどうだにしない。


「リルル――――!!」


 夜空に少年の声が響き、リルルの硬直が解かれた時には、ニコルをらえた手は天空の扉の向こうに消えていた。音として存在しないはずの、夜の空の扉が重々しく閉ざされる響きが、心の鼓膜こまくとどろくように聞こえた。


「――お嬢様!」

「リルル! 大丈夫ですか!」

「フィル!? サフィーナ!? どうしてここに!?」


 背中からの声にリルルが振り返る。ここにいるはずがないフィルフィナとサフィーナが走り込んでくる。フィルフィナは手にした弓に矢をつがえて空に向けるが、月はいつもの顔をしてそこにあった。

 フィルフィナは絶望して腕を下ろす――月まで矢が届くことなど、あろうはずがないのだ。


「こ……細かいことはあとで! ――ニコル様は!?」

「今のは……今のは夢ではないのですね。月が揺れて、喋って、ニコルが巨大な手につかまれて空に連れて行かれた――私たちの、目の錯覚ではないですよね!?」

「現実だわ! ニコルもここにいた! 夢じゃない! ――なんて現実なの!? そしてニコルはどこに連れて行かれたの!?」


 それがわかる者は、この場にはいなかった。遅れてクィルクィナとスィルスィナまでもが姿を現したが、心がかき回された絵合わせよりもぐちゃぐちゃになったリルルは頭を抱えるしかなく、震える瞳の揺れをどうすることもできずに頭を抱えた。


「ニコルが――ニコルが連れ去られたわ! これは、これはいったいどういうことなの……!?」


 そんなリルルのき乱される心を、誰かがなぐさめる間もない。

 次には天を仰ぐリルルの視界の中で、月から四つの流れ星が四方に散るように流れた。

 それは、ただの流れ星ではなかった。地表に落ちる星だった。


「!?」


 血の色よりも赤い真紅にいろどられて輝く、ルビーのかたまりのような三角錐さんかくすいの柱、リルルの身長ほどはある高さのそれが、地面を深くえぐるようにして突き刺さる。かすかな地響きが足元を揺らし、百メルトも離れていない地表に落ちたその異形いぎょうの物体に、リルルたちの心が停止した。


「こ……これは…………!?」


 同じくこの島を囲むように――いや、自分たちが宿泊場所としている丸太屋敷を中心としているかのように、残りの三つが遠方に落着する。

 その紅い光の軌跡きせきの当たりにして、リルルたちは今なにが起こっているのかを言葉として認識することができなかった。


 言葉もなく視線を右往左往うおうさおうさせることしかできないリルルたちの前で、天空よりつかわされた赤いきばが、音もなく光を爆発的にふくらませる。


「こ――こ、この……!」

「光は、いったい…………!?」


 夜の闇の全てを一瞬にしていでしまうほどの光量。


 自分たちの存在さえも掻き消してしまうのではないかというほどの、人工の太陽が誕生する光の膨張ぼうちょうの前に、リルルも、サフィーナも、フィルフィナさえも言葉すら発することができず――真っ白になる視界の中で、その意識を吹き飛ばされた。

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