「リルルの部屋の鍵」

「えー、夕食の主菜メインディッシュは、鳥の丸焼きでーす」


 メイド服に広いエプロン、頭にひっかかるようにして乗っている料理長帽シェフぼうといった格好のクィルクィナが、ぱっちりと開いた大きな瞳を輝かせてのたまった。


 広い皿には首と脚を落とされた、一抱えはある鳥がソースをかけられてせられており、こうばしく焼き上がった皮と肉のにおいが、空腹を抱えた客たちの嗅覚きゅうかくと胃袋に突き刺さる。


 丸太屋敷の一階、数基の魔鉱石のランプに明るく照らし出された、大きく張り出した立派なテラス。そこを舞台にし、白いレースのクロスを掛けられた大テーブルを囲んで、料理長クィルクィナによる夕食が振る舞われていた。


 色とりどりの野菜が転がるスープ、カリカリと焼き上げられたパンも美味しそうだったが、全員の視線はまりのように丸くふくらみ、ナイフを入れるのに困難こんなんさがともなわれそうな鳥肉――正体不明の鳥――料理に視線が吸い寄せられている。


 し上がれ、という挨拶あいさつうながされ、それぞれがナイフとフォークを手にした瞬間、晩餐ディナーは開始された。


「うん、美味おいしぃ――!」


 フォークに刺さったかたまりを口の中に入れた途端、肉がふくんでいた汁、それと一緒になったソースのこってりとした味とにおいに味覚を占領され、リルルが満足以外はうかがえない顔で感想をいた。


「クィルちゃんはなにを作らせても美味しく作るのね!」

「伊達に何年も旅で料理作ってないよー。あたしに作れないものはないもんねー」

「クィルの料理は、ゴーダム家うちの屋敷の料理長も舌を巻くほどですわ。なんといっても、知ってる料理の数がちがいますもの」

「こんなに大きな鳥なのに、しっかり中まで火が通ってますね。いつ仕込みをしたのですか」


 妹に対して強い一言を吐きたいフィルフィナも、隙なく完成された味の前に気圧けおされていた。普段は小食な方なのに、肉を切り分ける手が止まらない。


「というかクィルちゃん、この鳥、どこから持ってきたの?」


 ウィルウィナが発した疑問が、引っかかりの最初だった。


「ママは、食材に鳥は用意しなかったはずだけれど」

「夜中にりを? しかしクィル、遠出をしてないですよね。湯上がりに少し散歩をしただけで――」

「その散歩で見つけたんだよ、落ちてたの」

「……落ちてたって?」


 全員の手が――スィルスィナをのぞく――が、止まった。


「そだよー、ニコルきゅん。裏の林の枝に引っかかってた。この七羽。黒焦くろこげになって」

「…………」

「雷かなんかにやられたんじゃないかなぁ。あたしは皮をあぶり直しただけだよー」

「この鳥が……」

「本当に雷に……?」


 一羽だけなら、そんな不運な目にうものもいるかも知れないが、少し歩いただけの領域にそんなものがゴロゴロ落ちているというのは……。


「大丈夫だよ? 食べても平気かどうか確認したし。美味しいのはくさってない証拠だし」

「ま、まあ、そうなんでしょうけど」

「……雷なんか鳴りましたか?」

「わたしたちが着く前に雷に打たれたのかも知れません。焼かれたら腐敗はにぶくなりますし……」

「――――ま、まあ、食べられるし、美味しいし、いいんじゃない?」

「さ……些細ささいなことは置いておいて、いただきましょう! 冷めてしまいます」

「そ、そうだね……」


 相変わらずの半分以上は開かない半目の表情でスィルスィナが黙々もくもくと食べているのを見て、リルルたちはちらと互いの顔を確かめてからずと食事を再開した。

 何故か、舌で感じる味は七割ほどになっていた。



   ◇   ◇   ◇



 食事も終わると、夜更けに差し掛かる時刻だった。


 明日、なにをしようかという計画もない。

 起きたら朝ご飯を食べて、おそらくは海に出かけるのだろう。そこではしゃぐだけはしゃいで疲れたら休み、日が暮れれば温泉に入り、夜になれば寝る。そんな漠然ばくぜんとした思いだけがあった。


 丸太屋敷には七人で泊まるには十分過ぎるほどの部屋がもうけられていた。リルル、サフィーナ、ニコル、ウィルウィナにはそれぞれ小さな部屋がひとつずつ割り当てられ、フィルフィナたち三姉妹は中ぐらいの部屋にまとめて寝る。それでも数部屋が余るほどの規模きぼだ。


「――ニコル」


 ウィルウィナに呼ばれて二階へ上がろうとしていたニコルは、階段の数段に足をかけたところで、下からのリルルの声に呼びとめられていた。


「ああ、リルル。君は一階の部屋なのかい」

「ええ……一階は、私だけなの」


 ニコルは数度、瞬きをしてリルルの瞳をのぞき込んでいた。アイスブルーの美しい光をたたえるその目に、かすかなうるみのような気配を見ていた。


「これからウィルウィナ様に鍵をもらいに行くんだ。リルルはもうもらったんだよね」

「……じゃあ、ニコルはまだ聞いてないのね?」

「なにを?」


 ニコルの首がわずかにかしぐ。ううん、と首を横に振ってリルルは曖昧あいまいな笑みを見せ、一階の一角にその指を向けた。


「私の部屋はあそこなの。――ニコル、ウィルウィナ様に会ってきてね」

「リルル……?」


 ニコルの顔から不可解な色ががれないまま、リルルは自分が指差した扉に入り、その向こうに姿を消した。


「どうしたんだろう……」


 少女の残像を、特につややかな頬に浮かんでいた赤らみをその目で追いながら、ニコルは少しの間そこにとどまっていた。そして、足に絡みついた疑念ぎねんツタを引きがし、二階のウィルウィナの部屋に向かった。



   ◇   ◇   ◇



「お疲れ様、ニコルちゃん」


 一人用なのだろう、やや狭いと思わせる部屋ではウィルウィナが寝台に座って待っていた。


「ウィルウィナ様、この部屋は一階のリルルに割り当てられた部屋より狭いですね?」

「ええ。元々私が寝る予定だったんだけれど、代わったのよ」

「はぁ……」


 優しい母親の微笑みでこちらを見ているウィルウィナの表情に、納得しきれない心持ちでニコルは返事をする。

 何故代わったのか。この屋敷の主はウィルウィナ本人であるというのに。

 そして相手が何故リルルなのか。地位でいえば公爵令嬢のサフィーナの方が優先されるはずだ。


「一階の寝台は、この寝台より立派なのよ。広いし」

「……リルルはそんなに寝相ねぞうが悪いのですか? フィルからはそうは聞いていませんが」

「――ニコルちゃんってば、本当に可愛い男の子ね」


 今すぐ組みせたくなっちゃう、という言葉はさすがにウィルウィナは音にはしなかった。顔には出していたかも知れないが。


「これがニコルちゃんの部屋の鍵よ。部屋は、この隣」


 小さな板のついた鍵が渡される。


「ありがとうございます」

「それで、これが」


 礼をいい、言葉が切れたら立ち去ろう――そう軽く考えていた少年の頭を、次の言葉が揺るがした。


「これが一階の、リルルちゃんの部屋の合鍵あいかぎ


 自然に差し出されたそれをニコルは反射的に受け取り、手の中でにぎり込んだまま固まってしまい――そのいましめが解除されるまで、数十秒をようした。


「えええええっ!?」

「ニコルちゃん、声が大きいわ」

「いえ、でも、どうしてリルルの部屋の合鍵を!? 僕が!?」

「いわないとわからない?」

「わかりません!」

「では、わかるようにいいましょう」


 これがこの少年のいいところなのだ、とそのじれったさをいとしく思いながら、エルフの女王ははっきりと口にした。


「リルルちゃんを抱いてあげなさい」

「無理です!!」


 ほとんど間のない返答だった。こめかみの上、耳の先、鎖骨さこつの辺りまで肌を真っ赤にさせたニコルが文字通り、火をく勢いでさけんだ。


「そ――そんな、そんなことができるわけないじゃないですか! 僕はしがない准騎士じゅんきしで、リルルは伯爵令嬢です! そんな大それたことを!!」

「そのしがない准騎士の立場で、あなたは伯爵令嬢様とキスをしているんでしょう?」

「ぅぐっ」


 言葉の短剣がニコルの胸と腹を交互にいた。


「……キ、……キスはキスです! ウィルウィナ様のおっしゃっていることとは天と地です! それに僕は旦那様だんなさまちかいました! リルルとは、子供ができるようなことはしないと!」

「フォーチュネット伯爵がおっしゃっているのは、突き詰めれば、子供を作られてはまずいということでしょう。ちゃんと避妊ひにんをすればいいだけのことよ。――それとも、避妊はしたくないということかしら?」

「ウィルウィナ様ぁ!」

「声が大きいの。――ニコルちゃん、正直におっしゃいなさい。あなた、リルルちゃんと結ばれたいのでしょう。若くて健康な男の子だもの。海でも温泉でも大変だったんじゃないの」

「…………生理現象です! 勝手になるのだから仕方ないでしょう!」

「心もそうでないだなんてうそくのは、騎士らしくない行いではないかしら?」

「ぐっ!」


 言葉の大槌ハンマーが少年のあごと後頭部をなぐりつけた。


「そ……そんな言い分を……。だ、第一、リルルの気持ちも考えずに勝手な理屈です! 彼女の意志を確かめないと始まらない話じゃないですか!」

「リルルちゃんには鍵を渡した時に話したわ。ニコルちゃんをそちらに行かせるって」

「――――っ」


 ニコルのたましいが一瞬、体から離れかけた。

 同時に先ほど、階段で会ったリルルの表情の理由もようやくわかった。


「リルルちゃんはわかった、といっていた。――それが全てではなくて?」

「リ……リルル……」


 ニコルの胸の奥で心臓が暴れ始める。前後左右上下に跳ね回るそれを、脂汗あぶらあせいた顔をゆがめながらニコルは必死に押さえ込んだ。


「日付が変わるまでにあなたが行かなかったら、眠っていいと伝えておいたわ。あと……三時間くらいかしらね」

「ウ、ウィルウィナ様……失礼ながら申し上げます。何故そのようなお節介せっかいなことをなさるのですか……。これは、僕とリルルの問題です。ウィルウィナ様が面白がって口を出されることではありません!」

「面白がって、ではないわ。ちゃんと真剣に考えてのことよ」


 ウィルウィナが寝台から立ち上がった。ニコルよりも頭半分背丈がある体がすっくと伸びる。今まで視線を降ろしていたニコルが顔を上げなくてはいけなくなって、それが心に歯止めをかけた。


「――ニコルちゃん、私はあなたが好きよ。立派な人間で、立派な騎士だと思っている。この三十年間、男の子の中ではあなたがいちばんのお気に入り。できれば今夜あなたを誘惑ゆうわくして、身も心も私から離れられないようにしてあげたいくらい。……だからいうの。あなた、いつ死んでもおかしくないような危険な戦いを毎日のようにしているのでしょう。死にひんした時に、ああすればよかった、こうできればよかったなんて後悔しても始まらないのよ。今、できることがあれば、それをしなさい。それもまた生きるということなのよ」


 ウィルウィナの顔から、笑みが消えていた。明るい母親の優しさが、いつの間にか女王の威厳いげんに変わっていた。


「……なにも無理にしろとはいわない。それはあなたが決めればいいの。でもね、建て前はいいの、時間をかけてじっくりと自分の頭で考えるの。そしてリルルちゃんの気持ちも想ってあげなさい。あの子も、あなたを求めているのよ……あなたはそんなこともわからないの?」

「…………」


 ニコルは手の中のふたつの鍵を見た。板と繋がっている鎖が絡み合っていた。


「……僕はある人からいわれました。お前は人の心が、気持ちがわからない人間だと。僕はそんなににぶい人間でしょうか……」

「自分へのいましめが多過ぎる……そんな気はするわね。自分に素直になるのよ。そうしなければ、見えないこともあるわ」


 ウィルウィナのひざが折れ、大きなおしりが寝台に落ちる。かすかにあつぼったいくちびるからふう、と息がれると、そこにはいつものウィルウィナの笑みがあった。


「日付が変わるまで時間はあるわ。ゆっくり、よく考えなさい。……本当にお節介なエルフね、私は……ごめんなさいね」

「……いいえ、ウィルウィナ様は考える機会を下さいました。それは、本当に感謝します……」

「後悔のないように、ね」

「……失礼します」


 かかとを合わせて固い音を鳴らし、ニコルはきっちり百八十度の反転をその場でし、部屋を辞した。敬礼がなかったのが不思議なくらいだった。


「――よく考えるのよ。時間はそんなにないんだから……」


 ウィルウィナはぱたりと体を横に倒し、投げ出した自分の腕の先を目で追った。自慢の白く長い指をたわむれに動かし、胸の中でどろのように渦巻く不安の重みに耐えた。



   ◇   ◇   ◇



「――リルル」

「ニコル……」


 少年と少女は、床の板一枚をへだてた同じ場所に横になりながら、壁に掛けられた時計の長針の動きをそれぞれにぼんやりと目で追っていた。

 あとそれが二周もすれば、カレンダーの上だけでは、明日になる。


 何も変えないまま、今日という日を終えるのか。

 何も変わらないまま、今日という日が終わってしまうのか。


 文字通りの鍵を握る少年と、鍵を握られた少女。

 銀色の金属片は今、その質量よりも重い意味を持って、わずかに汗に濡れて少年の手の中にあった。

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