「リルルの部屋の鍵」
「えー、夕食の
メイド服に広いエプロン、頭にひっかかるようにして乗っている
広い皿には首と脚を落とされた、一抱えはある鳥がソースをかけられて
丸太屋敷の一階、数基の魔鉱石のランプに明るく照らし出された、大きく張り出した立派なテラス。そこを舞台にし、白いレースのクロスを掛けられた大テーブルを囲んで、料理長クィルクィナによる夕食が振る舞われていた。
色とりどりの野菜が転がるスープ、カリカリと焼き上げられたパンも美味しそうだったが、全員の視線は
「うん、
フォークに刺さった
「クィルちゃんはなにを作らせても美味しく作るのね!」
「伊達に何年も旅で料理作ってないよー。あたしに作れないものはないもんねー」
「クィルの料理は、
「こんなに大きな鳥なのに、しっかり中まで火が通ってますね。いつ仕込みをしたのですか」
妹に対して強い一言を吐きたいフィルフィナも、隙なく完成された味の前に
「というかクィルちゃん、この鳥、どこから持ってきたの?」
ウィルウィナが発した疑問が、引っかかりの最初だった。
「ママは、食材に鳥は用意しなかったはずだけれど」
「夜中に
「その散歩で見つけたんだよ、落ちてたの」
「……落ちてたって?」
全員の手が――スィルスィナをのぞく――が、止まった。
「そだよー、ニコルきゅん。裏の林の枝に引っかかってた。この七羽。
「…………」
「雷かなんかにやられたんじゃないかなぁ。あたしは皮を
「この鳥が……」
「本当に雷に……?」
一羽だけなら、そんな不運な目に
「大丈夫だよ? 食べても平気かどうか確認したし。美味しいのは
「ま、まあ、そうなんでしょうけど」
「……雷なんか鳴りましたか?」
「わたしたちが着く前に雷に打たれたのかも知れません。焼かれたら腐敗は
「――――ま、まあ、食べられるし、美味しいし、いいんじゃない?」
「さ……
「そ、そうだね……」
相変わらずの半分以上は開かない半目の表情でスィルスィナが
何故か、舌で感じる味は七割ほどになっていた。
◇ ◇ ◇
食事も終わると、夜更けに差し掛かる時刻だった。
明日、なにをしようかという計画もない。
起きたら朝ご飯を食べて、おそらくは海に出かけるのだろう。そこではしゃぐだけはしゃいで疲れたら休み、日が暮れれば温泉に入り、夜になれば寝る。そんな
丸太屋敷には七人で泊まるには十分過ぎるほどの部屋が
「――ニコル」
ウィルウィナに呼ばれて二階へ上がろうとしていたニコルは、階段の数段に足をかけたところで、下からのリルルの声に呼びとめられていた。
「ああ、リルル。君は一階の部屋なのかい」
「ええ……一階は、私だけなの」
ニコルは数度、瞬きをしてリルルの瞳をのぞき込んでいた。アイスブルーの美しい光を
「これからウィルウィナ様に鍵をもらいに行くんだ。リルルはもうもらったんだよね」
「……じゃあ、ニコルはまだ聞いてないのね?」
「なにを?」
ニコルの首がわずかに
「私の部屋はあそこなの。――ニコル、ウィルウィナ様に会ってきてね」
「リルル……?」
ニコルの顔から不可解な色が
「どうしたんだろう……」
少女の残像を、特に
◇ ◇ ◇
「お疲れ様、ニコルちゃん」
一人用なのだろう、やや狭いと思わせる部屋ではウィルウィナが寝台に座って待っていた。
「ウィルウィナ様、この部屋は一階のリルルに割り当てられた部屋より狭いですね?」
「ええ。元々私が寝る予定だったんだけれど、代わったのよ」
「はぁ……」
優しい母親の微笑みでこちらを見ているウィルウィナの表情に、納得しきれない心持ちでニコルは返事をする。
何故代わったのか。この屋敷の主はウィルウィナ本人であるというのに。
そして相手が何故リルルなのか。地位でいえば公爵令嬢のサフィーナの方が優先されるはずだ。
「一階の寝台は、この寝台より立派なのよ。広いし」
「……リルルはそんなに
「――ニコルちゃんってば、本当に可愛い男の子ね」
今すぐ組み
「これがニコルちゃんの部屋の鍵よ。部屋は、この隣」
小さな板のついた鍵が渡される。
「ありがとうございます」
「それで、これが」
礼をいい、言葉が切れたら立ち去ろう――そう軽く考えていた少年の頭を、次の言葉が揺るがした。
「これが一階の、リルルちゃんの部屋の
自然に差し出されたそれをニコルは反射的に受け取り、手の中で
「えええええっ!?」
「ニコルちゃん、声が大きいわ」
「いえ、でも、どうしてリルルの部屋の合鍵を!? 僕が!?」
「いわないとわからない?」
「わかりません!」
「では、わかるようにいいましょう」
これがこの少年のいいところなのだ、とそのじれったさを
「リルルちゃんを抱いてあげなさい」
「無理です!!」
ほとんど間のない返答だった。こめかみの上、耳の先、
「そ――そんな、そんなことができるわけないじゃないですか! 僕はしがない
「そのしがない准騎士の立場で、あなたは伯爵令嬢様とキスをしているんでしょう?」
「ぅぐっ」
言葉の短剣がニコルの胸と腹を交互に
「……キ、……キスはキスです! ウィルウィナ様のおっしゃっていることとは天と地です! それに僕は
「フォーチュネット伯爵がおっしゃっているのは、突き詰めれば、子供を作られてはまずいということでしょう。ちゃんと
「ウィルウィナ様ぁ!」
「声が大きいの。――ニコルちゃん、正直におっしゃいなさい。あなた、リルルちゃんと結ばれたいのでしょう。若くて健康な男の子だもの。海でも温泉でも大変だったんじゃないの」
「…………生理現象です! 勝手になるのだから仕方ないでしょう!」
「心もそうでないだなんて
「ぐっ!」
言葉の
「そ……そんな言い分を……。だ、第一、リルルの気持ちも考えずに勝手な理屈です! 彼女の意志を確かめないと始まらない話じゃないですか!」
「リルルちゃんには鍵を渡した時に話したわ。ニコルちゃんをそちらに行かせるって」
「――――っ」
ニコルの
同時に先ほど、階段で会ったリルルの表情の理由もようやくわかった。
「リルルちゃんはわかった、といっていた。――それが全てではなくて?」
「リ……リルル……」
ニコルの胸の奥で心臓が暴れ始める。前後左右上下に跳ね回るそれを、
「日付が変わるまでにあなたが行かなかったら、眠っていいと伝えておいたわ。あと……三時間くらいかしらね」
「ウ、ウィルウィナ様……失礼ながら申し上げます。何故そのようなお
「面白がって、ではないわ。ちゃんと真剣に考えてのことよ」
ウィルウィナが寝台から立ち上がった。ニコルよりも頭半分背丈がある体がすっくと伸びる。今まで視線を降ろしていたニコルが顔を上げなくてはいけなくなって、それが心に歯止めをかけた。
「――ニコルちゃん、私はあなたが好きよ。立派な人間で、立派な騎士だと思っている。この三十年間、男の子の中ではあなたがいちばんのお気に入り。できれば今夜あなたを
ウィルウィナの顔から、笑みが消えていた。明るい母親の優しさが、いつの間にか女王の
「……なにも無理にしろとはいわない。それはあなたが決めればいいの。でもね、建て前はいいの、時間をかけてじっくりと自分の頭で考えるの。そしてリルルちゃんの気持ちも想ってあげなさい。あの子も、あなたを求めているのよ……あなたはそんなこともわからないの?」
「…………」
ニコルは手の中のふたつの鍵を見た。板と繋がっている鎖が絡み合っていた。
「……僕はある人からいわれました。お前は人の心が、気持ちがわからない人間だと。僕はそんなに
「自分への
ウィルウィナの
「日付が変わるまで時間はあるわ。ゆっくり、よく考えなさい。……本当にお節介なエルフね、私は……ごめんなさいね」
「……いいえ、ウィルウィナ様は考える機会を下さいました。それは、本当に感謝します……」
「後悔のないように、ね」
「……失礼します」
「――よく考えるのよ。時間はそんなにないんだから……」
ウィルウィナはぱたりと体を横に倒し、投げ出した自分の腕の先を目で追った。自慢の白く長い指を
◇ ◇ ◇
「――リルル」
「ニコル……」
少年と少女は、床の板一枚を
あとそれが二周もすれば、
何も変えないまま、今日という日を終えるのか。
何も変わらないまま、今日という日が終わってしまうのか。
文字通りの鍵を握る少年と、鍵を握られた少女。
銀色の金属片は今、その質量よりも重い意味を持って、わずかに汗に濡れて少年の手の中にあった。
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