第01話「銃の山の温泉旅行」

「大当たりの温泉旅行、ご案内」

 王都エルカリナから、南西に約二千カロメルト離れた地点――エルカリナ大陸からも遠く隔絶かくぜつされた場所にある無人島、メージェ島。

 その外縁部がいえんぶ突如とつじょ、大規模な海底火山の隆起が始まったのは十月も末のことだった。


 そのせまさと遠さの点から放置されていた地であるメージェ島から、わずか五百メルトの沖合。海面を吹き飛ばすかのようにして真っ赤な火柱が海底からび、それは宇宙にとどくかと思える勢いで猛然もうぜんき上げられたのだ。


 張り詰めた一本の赤いげんのように輝き、天空目指して一直線に上を目指してのぼる光は、かなりの遠隔地えんかくちからも確認できた。三日三晩途切れることなく続いたその異変に、それを観測することができた者は内心におそれとおそれを抱きながら、神事しんじの現出を頭に思い浮かべた。


 世界樹せかいじゅを連想させるかのように天空に向かって炎が荒ぶる姿の前に、わざわざその付近に近づこうという者は一人もいなかった。そもそも、船の主要な航路からは遠く離れていたということもあったが。

 爆発の規模の割には不思議とそれほどの噴石ふんせきも飛ばず、大気の汚染を懸念けねんさせた噴煙ふんえんも、おどろくほどにごくごくわずかだった。


 およそ七十二時間が経過し、予定の工程こうていを予定通りに完了したがごとく、噴火ふんかはぴたりと収まった。

 呆気あっけないほどに素直に終了した大異変を前にして、付近の航路を使用していた数隻すうせき船舶せんぱくは確認のため、海底火山が噴火した地域まで恐る恐るおもむき、そこに今まで見たこともないものを発見した。

 それは、針のように先端がとがった、長細く鋭い二等辺三角形を思わせる姿の山だった。


 状況からして、それが噴火しながら火口から溶岩を流出させることで形成された火山であることは明白だった、しかし、目算しても優に六百メルトを超える標高のものが、たった三日間で作り上げられたという常識外のことに、地学を少しでもかじったことがある者はみなそろって震えた。


 その山には仮称かしょうとして『銃の山』と名が与えられ、調査の案が持ち上がったが、王立地政学学会は新しく発見された王都地下の下水道からつながる新領域の調査に予算も人員もかれていた。

 取りあえずは当面の脅威きょういは去ったであろう判断され、『銃の山』については、後日ということに決定された。


 メージェ島と火山島の裾野すそのが接続されたことだけを確認し、高空からの観測も行われずに、上陸もともなわない第一次の調査は終了した。


 だから、誰もその火口の内部がどうなっているかを気づかなかったのだ。

 まさしくくぎのようにそびえ立つ火山の火口から、まっすぐに地下に向かって通る火道かどうがぽっかりといている――まるで、綺麗きれい円筒えんとうを人の手でくり抜いた形であることにも。


 ――そして。


 その円筒形の火道の中に、一本の塔が身を隠すかのように建っていたことを。


「――ふわあああ」


 もう少しで火口の外に差し掛かろうという高さの塔の屋上、ちょうど正午のために太陽の光が真上から降りそそぐ明るさの中、一人の長身の人物が階段から上がってきて、盛大にびをした。

 美しい人だった。


「――ああ、よく寝た」


 どこか作り物めいたその顔立ちは、青年とも美女とも判断がつかない。美青年と紹介されればそう信じるだろうし、絶世の美女であると説明されれば納得してしまう、美の要素だけを抜き出し、人の手で作り出した気配がその全身からあふれ出る。


 薄い蜂蜜はちみつ色の長髪が肩をおおい、短いマントのようにその背を軽く隠していた。


「ずいぶんと長い時間が流れたようだけれど、どれくらいったのかな……と」


 懐から小さな板を出し、その表面に軽く指を当てていく。時折ときおり空をあおぎ、大気が拡散してめ上げる青の光線の幕にある向こうの星の空を、その目は見ていた。


「この世界の星図はこれと、そして今の星の配置はこれ……ふむ、ふんふん、ふむふむ。――ボクが眠らされて、五百年が経過したのか」


 ぼんやりと光る板がその模様を目まぐるしく変えていく。やがてその変化も落ち着いて、定まった表示にその人物はやわらかい笑みを浮かべた。


「どうやら、ほろびを回避かいひしたようだね。けれど、その五百年の間に相当のツケをめ込んだのではないのかな。まあ、滅びに対してあらがうのは生物の基本であるし、抗いきったというのは評価されるべきだと思うけれども……しかし」


 首をひねりながら、板の表面を指でなぞる。その動きに応じて板も表示を変えた。


「ボクもあと五百年は眠り続けるはずなのに、早まったのはどういうわけだ…………ああ、なるほど。こういうわけなのだね」


 板のわくの突起を押す。それで、かすかに輝いていた光は収まった。


「もうすぐ滅びが来るためか」


 板を懐に戻した。


「ツケの取り立てがやってくる足音は、もうそこまで聞こえて来ている。ま、無理もないかな」


 腕を高々と挙げ、背をらした。久々に――五百年ぶりに全身で浴びる太陽の光を存分に満喫まんきつした。


「こんなケースはこんなケースで、面白い。じっくり観察させてもらうとしよう。失敗のデータを取るのも、研究の大事な一環だ。どうせ滅びるなら、参考になるくらい派手にぱっと滅んでほしいものだ。ねえ?」



   ◇   ◇   ◇



 早朝の王都エルカリナの界隈かいわいのひとつ、人々がこぞって一日の食材を買い求めにつどう朝市の空に、振り鈴の派手な音が鳴り響いた。


「お――っ!! これはもじゃ子さん、一家四名様、二泊三日の温泉旅行券が見事大当たり――!!」

「……え?」


 支柱に支えられ、取っ手を回して回転する八角柱の箱が穴からき出した小さな黄色い玉の意味がわからず、メイド服姿の――頭をおおうようにふくらんだ髪の豊かさ、そして緑の美しい色が印象的な少女、フィルフィナは取っ手をつかんだままの手を止めた。


 天幕を張って設営された福引き抽選ちゅうせん会場。密集して建ち並ぶ屋台と屋台の間をごった替えする人々のうずの中、鳴り響く鈴の音のうるささに百数十人の注目が集まった。


「はい、この封筒に一式の案内書パンフレットチケットが入ってますから、よく見てね! お嬢ちゃん、これで一生分の幸運を使い切っちゃったかもね! どうぞ楽しんでらっしゃい!」

「……わたしの寿命じゅみょうはあと、軽く六百年は残っているんですがね」


 その言葉は口の中で声にせず、フィルフィナは中身の分厚い封筒を受け取った。


「……温泉旅行ですか」


 朝市の買い物で集めた抽選券を握りしめた買い物客たちの列に押し出されるようにフィルフィナは、会場から数歩離れた。二等の賞品を当てたという喜びはほとんどない。ハズレの雑巾ぞうきんがもらえれば、古着を雑巾に仕立て直す手間がはぶける――そう思っての参加だったが、当てが外れていた。


 一説には千年の時を生きるといわれる、遙かな長寿ちょうじゅの美しき種族、ハイ・エルフ。

 その一派としての、ある一族の王族という血筋に生まれついた少女。エルフとしてはまだ成熟せいじゅくを迎えてはおらず、人としては寿命にさしかかってもおかしくない年齢ではあるが、彼女の外見はまさしく『少女』だった。


 一般的にエルフは人間とは反目はんもくし合う種族だと認識されているが、彼女はその例外にあった。人間が支配し、その住民の大部分が人間であるに間違まちがいのないこの街に望んで住み、望んで生きている。

 その理由は――。


「いいなー、お姉ちゃん、温泉旅行当たったんだ」


 脇からした声にハッとした。その瞬間、普段は髪の中に埋もれている尖って長い耳がぴこ、とその先を一瞬だけ現した。

 この街で亜人あじんはフードをかぶり、己の種族の特徴を隠すものだ。が、おどおどすることなく自然に暮らしていくため、人間とのほとんど唯一ゆいいつの違いである耳だけをフィルフィナは隠していた。


 視線を向けると、まだ八歳くらいとおぼしき男の子がフィルフィナに目を向けていた。小柄なフィルフィナよりもほんの少し背が低いくらいの子供だ。おつかいだろうか、買い物カゴを小脇に抱えている。


「坊や、温泉旅行がうらやましいのですか」

「だって俺の家、みんなで旅行なんかいったことないんだもん。それにさ」


 そんなにまずしい身なりにも見えないが、さりとて到底裕福そうな服装にも見えない。一日一日を汗と涙を流しながらがんばって生きている、この王都における大部分の住民たちの姿そのものだった。


「母ちゃん、最近腰が痛いっていってるし、温泉にかれば治るかもって。病気によく効く温泉だって聞いたよ、ケシテ温泉」

「ああ、そんな名前の温泉らしいですね」

「ま、しょうがないか」


 子供はすり減りきったくつをぱたぱたと鳴らしながら走り出す。フィルフィナは瞬時、心の中で想いを巡らせ――子供の足音が聞こえなくなる前に、大声でいっていた。


「――坊や、ちょっと待つのです!」

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