「騎士のキズナ、ニコルとラシェット」(その二)

 黒い弾丸が自分の胸にまるで吸い込まれるようにして命中したのを、ラシェットは、遙か上から・・・・・見ていた。

 体重の重さを感じさせずに、その体があっけなくもぎ倒される。自分の身になにが起こったのか今ひとつ理解していないおどろきの顔のまま目をき、そのままぴくりとも動かない。


 俺は、死んでしまったのか。


 マヌケな顔をして民家の屋根の上で転がっている自分の体を足元にして、ラシェットの意識は半ば冷静にその事実を認めていた。

 身をていしてかばったはずのニコルは、そんな自分に気付きもせず、背を見せて向こうを進んでいる。


 ニコル、行くな。俺は、お前を守ったんだぞ。

 頼むから、俺に気づいてくれ。俺がやったことをめてくれ。

 行くな、ニコル――――。



   ◇   ◇   ◇



「ニコ……!」


 布団をね上げるように、一瞬で上体を起こしたラシェットは、胸の奥にまで食い込むように走った激痛に声を折られ、息しかき出せなくなった。


「ぐはっ……!!」

「先輩!」


 側の椅子いすに座っていたニコルが反射的に立ち上がる。胸から電撃のように走る痛みに脂汗あぶらあせき出して硬直こうちょくしているラシェットを、抱くようにしてゆっくりと寝かせた。


「先輩、無茶しないでください!」

「……う……ぐ、ぐ……」


 天の国にいるという天使そのままの顔をした少年を、何とか自分の視界にとらえようと、それだけは動かせる目だけをいっぱいにはしに寄せてラシェットはうめく。


「……ここは、どこだ。天の国か、それとも病院か」

「軍病院ですよ。天の国なんて、縁起えんぎでもないことをいわないでください。先輩は死んでません」

「そうか、よかった……」


 かざり気のひとつもない、愛想のない天井。落下防止の鉄柵てっさくがついた寝台、色のない真っ白な布団、消毒液らしい鼻の奥につんとさるような薄いにおい。

 自分が生きていることを知って、ラシェットは深く息をいた。それでも肺の周りに鈍痛がきしんだ。


「天の国がこんな殺風景さっぷうけいな場所だと、死に甲斐がいがなくなるからな……」

「冗談はよしてください。……でも、よかった。先輩が気が付いて」


 ニコルが布団を掛けようとするが、ラシェットはそれを首を横に振ることでこばんだ。


「俺は、どれだけ眠ってたんだ……」

「ここに運び込まれたのが昨夜遅く。すぐ緊急手術が行われて、今は次の日の夕方です」


 ニコルの言葉通り、病室の窓が赤い光を反射していた。ややせまい個室のようだ。少し大きめのこの寝台が三つ入れば、もう隙間すきまがなくなるくらいの面積しかない。


「運がよかった。胸甲のいちばん厚いところに弾が当たったんです。弾はそこで止まったんですが、裏側で割れた胸甲の破片が胸に突き刺さって、それが肺の一部を傷つけたと聞きました。――もう大丈夫ですよ。治癒魔導士ヒーラーが夜通し魔法をかけていましたから」

「どれだけひどいケガをしても、最高の治療を受けさせてもらえるっていうのが、警備騎士のただひとつのいいところだな……」

しゃべってきつくないんですか。まだ傷が完全にふさがってるわけでは……」

「いい、痛みはそんな強くない」

「先輩……どうしてあんな無茶なことをしたんですか」


 ラシェットの目がひとつ、まばたいた。


ぞくの射線に割り込んで体で銃弾を受けるなんて、メチャクチャです。少し弾道がズレていたら、即死そくしは免れませんでした。ねらわれていたのは僕なんです。なのに……」

「……それが、俺の役目だからな」


 ラシェットのつぶやくような声に、ニコルは顔を上げた。


「お前が前進するといって前に進んだんだから、お前の後ろを警戒するのは、相棒である俺の役目なんだ。お前が前を向いている死角しかく援護えんごするのが、俺の使命だ。俺の警戒が薄かったから、屋根に上ってきた賊に反応するのが遅れた――自分で自分のケツをくのは、当たり前だろ」

「ですが!」

「俺はやるべきことをやった。それがこの結果だ。お前は気にまなくていいんだ。泣くなよ」

「…………」


 涙がにじんでいた目を、ニコルは指で払った。

 それからしばらくの沈黙ちんもくが落ちた。生きていることを実感してラシェットは腹にまでかかっている布団の重さを抱き留め、ニコルは椅子に座り込んで心のたなのホコリを払う。


 ニコルの中で切り出されるべき言葉は、もうすでに選び終えられていたが、それを実際に出すには少しの時間が必要だった。


「……すみません。命を助けていただいたのに、生意気なことをいってしまって。ありがとうございました、ラシェット先輩……本当に感謝しています」

「いいっこなしだろ。俺だってお前にたくさん助けられてるんだ。おたがい様ってやつさ」


 その言葉とは裏腹に、ラシェットの顔には喜びの色が乗っている。この少年の心からの感謝が勲章くんしょうあたいするのか、傷の痛みの気配は吹き飛んでいた。


「これで、少しは借りを返せたかな……いや、まだ足らないか……」

「借りって……あの時のことですか?」

「ああ。俺の一生の不覚ってやつだ」

「そんなことはもういいんですよ。僕も気にしていません。先輩も早く忘れて――」

「気にするなっていう方が、むずかしいだろ」


 小さいせきがラシェットののどから転がる。水、とそのくちびるが求めようとする前に、ニコルの手が吸い飲みをラシェットの口元に運んでいた。伸びた管を唇ではさむと、ニコルが慎重しんちょうに水を送ってくれる。喉が十分にれた心地に息をきながら、ラシェットは目でもういいと示した。


「初めて会った印象は、もう、最悪の最悪だったからな。お前も、嫌な先輩に当たったと思ったよな」


 ニコルの手が無意識のうちに左襟ひだりえり徽章きしょうに触れていた。五角形の台座に左を向いている有翼の獅子ししのレリーフが刻まれている。

 エルカリナ王国でも屈指くっしの有力貴族家、ゴーダム公爵家の縁者えんじゃであることを示す徽章だ。


 ある意味それは、ニコルとラシェットのきずな象徴しょうちょうしているようなものだった。


「できるもんなら、俺はあの過去を消しに行きたいよ……いてて」

「先輩」


 ニコルが痛み止めの錠剤じょうざいを先輩の口元に運ぶ。ラシェットは小さくうなずくとそれを口の中に受け、吸い飲みの水で飲み下した。

 錠剤が食道を通り、胃まで運ばれて行くまでの間を無言でつなぎ、ラシェットは再び口を開いた。


「……お前とペアを組んで、半年か」

「はい」

「あっという間だったな。色々あったからかも知れないが……」

「……そうですね」

「半年前……」


 首をひねる余裕ができて、ラシェットはニコルがいない窓の方に視線を向けた。

 一日の終わりを想起そうきさせるあわい色合いの茜色あかねいろが、窓からのぞく空をおおっている。

 過去を想起させるのにこれ以上もなく相応ふさわしい空に向けられ、その黒い目は過去をていた。



   ◇   ◇   ◇



申告しんこくします!」


 それは、王都がまだ春の盛りの陽気に包まれている頃だった。


「ニコル・アーダディス准騎士、本日をもちまして、王都警備騎士団遊撃隊に配属になりました。どうかよろしくお願いいたします!」


 背筋がびた折り目正しい敬礼けいれいで初めての挨拶あいさつをしたニコルに対して、その直前に警備騎士団西部方面隊から転属したばかりのラシェットが思い浮かべたのは、『チビだな』という一言だった。


 訓練用の運動場で整列した他の警備騎士たちの顔にも、頼もしい新人が来たという歓迎かんげいの気配はなかった。身長制限をギリギリで通ってきた、明らかに小柄、まだ成人になりたての准騎士だ。足手まといが自分たちに送りつけられてきたのかという感想しかなかっただろう。


 それだけなら、まだよかったのかも知れない。

 問題は、ニコルが襟につけていた徽章きしょうだった。

 貴族のはしくれなら誰が見ても一目でわかる、五角形の台座に有翼の獅子ししが収まっている紋章もんしょう


 それに最初に反応してしまったのがラシェットの不運であり、不幸だった。


「お前が、ゴーダム公爵の縁者だっていうのか?」


 名前に貴族の所属を示す『ヴィン』もついていなければ、身なりも平民相応。しかしその襟についている徽章だけが燦然さんぜんと輝いている。それを見咎みとがめる者がいて当然だ。警備騎士団の団員の半分は貴族の子弟していであり、残りも騎士修業を支えられるような裕福ゆうふくな家の出身者なのだから。


 貧乏平民のチビが、なにを大それたものを身につけやがって――それが本物であるかどうかをうたがったものも大半だった。そんなものを偽造ぎぞうすれば、死刑などではすまないことを全員が理解していたが。


「自分はゴーダム公爵騎士団で騎士修業を積みました。ゴーダム公には大変懇意こんいにしていただきました。これは公の御厚意ごこういにより、つけることを許されたものです」


 王都の南を守護するように広大な領地を持つゴーダム家を知らない者はまずいない。その当主であるゴーダム公は実直で政局には関心を示さず、おおらかな人柄で知られている。

 そんな公に、このチビが特別な厚意を受けているというのは、嫉妬しっと心をあおり立てるのに十分だった。


「どうやってゴーダム公に取り入った?」

「自分はただ、父上に対して誠実に仕えていただけです」


 ニコルが口をすべらせたのも、また余計な油をそそいでいた。


「父上だと? お前、ゴーダム公の隠し子かなんかか?」

「……ゴーダム公は自分を息子だとお呼びになり、自分はそれに対して父上と呼ばせていただくことを許されました。それがなにか問題でしょうか」


 周りの騎士たちは直接には介入かいにゅうしないが、さりとて止める気配も見せない。自分の聞きたいことを質問してくれるラシェットに任せるだけ任せるように、その様子を見守っていた。


「ふん。そんな大それた嘘をくのは命がけだからな。それは本当らしい。が、隠していることがあるだろう」


 あざけりと嫌悪がかき混ぜられたような笑みが、ラシェットの唇の端をゆがませていた。


「自分がいったい、なにを隠しているというのでしょうか」

「正直にいったら解放してやる。――お前、ゴーダム公の稚児ちごだろう」


 ニコルの瞳が震えた。

 すずしかった目が燃えるように熱をはらんで、危険な角度にり上がった。


「この可愛い顔と、いい形のしりだからな。その手の男が放っておかないのもわかる」


 ぽん、とラシェットの手がニコルの尻を軽くたたく。少年の背筋がわずかに震えた。


「さぞかし公に可愛がられたんだろ。なあ、俺にだけ教えてくれよ。やっぱり、お前が組みせられる方なのか? 公がお前を寝台の上でどうあつかうのか白状はくじょうしたら、許してやる――」

「やめろ」


 再び尻を触りに来たラシェットを、ニコルの手がその手首をつかんでいた。


「僕をどういおうがそれはかまわない。が、父上を侮辱ぶじょくするのは決して許さない」

「へぇ、どう許さないっていうんだ?」


 それが最後のダメ押しだった。


「決闘」


 ニコルが左手にめていた白い手袋を外し、勢いのままその手袋でラシェットのほおを打った。撤回てっかいかない挑戦がそこで、作法通りに行われてしまった。


「――このニコル・アーダディスの名において、貴様に決闘を申し込む! 受けて立て!」

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