快傑令嬢すぺしゃる!

快傑令嬢すぺしゃる!001

「王都のごくごく平凡な日常の夜」

 深夜の晴れ渡った漆黒しっこくの空に、黄金色に輝く三日月がその先端をとがらせていた――。


 ここは王都エルカリナ。人口百六十万、衛星都市を加えれば三百万を数える、世界最大の巨大都市だ。

 下からの明かりに照らし出され、その壮麗そうれい輪郭りんかくうるわしい美姫びきのように白い肌が夜の闇にえる王城エルカリナがやや遠くに望める王立大舞踏会場は、官庁街の外れにある。


 大規模な屋外の演舞台えんぶたいに、豪奢ごうしゃな本館と別館――二千人を一度に接待せったいできる施設だ。外国の要人が訪問すれば、盛大なパーティーが行われる。その大舞踏会場も今は内部の明かりが全て落とされ、無人の静まりを見せていた。


 そんなさびしさをまるでめ合わせるかのように、白い胸甲きょうこうを身につけ、腰のレイピアで武装した警備騎士たちが施設の周囲を取り囲み、篝火かがりびの炎を照り返して体を赤く染めている。


 総勢五十人ほどのそんな彼等かれらには、今、任務があった。


今宵こよい、王立大舞踏会場に参上いたします。快傑令嬢リロット』


「快傑令嬢リロット……ですか」


 今月補充ほじゅうされてきたばかりの新入りの警備騎士が、ご丁寧ていねいにキスマークまで刻印こくいんされた予告状を手にしてつぶやいた。


 夏から秋に季節が移ろうことを告げる、しんのあるすずしい風が吹く。そんな夜風にぶる、と体を震わせる者も少なくなかった。


「どんな奴なんです? 僕は全然知らないんですが」

「見たらわかるよ」


 新入りの質問に答えたのは、金色の髪を松明たいまつの明かりで輝かせているような少年騎士だ。騎士らしくない小柄な体格だが、どこか全体的にだらけた部隊の中で、ひとりだけがきびきびと動いている。顔立ちもどこか少女の面影おもかげをたたえた優しげな印象だったが、深い水色の瞳だけが少年の強さをうかがわせた。


「今夜こそは絶対につかまえるんだ。もういい加減追いかけっこはりだからね」

「はあ」


 その少年騎士は意気軒昂いきけんこうにそういうが、全体の士気は低調だった。あくびを隠さない騎士も当たり前にいる。交わす会話もどこの酒場の娘が綺麗きれいだとか、そういう話題しか聞こえてこない。


 安月給で、危険で、長時間労働で、先の展望も見えず、それでいて市民のからの目は厳しい。士気が低くなるのは道理だった。


「それに、この予告状おかしいですよね。『現れる』とは書いていますが『なんのために』とは全然書いてない」

「……ということは、目的は僕なんだ」

「はい?」


 新入りは目を丸くした。本当にわけがわからなかった。


「……僕のせいで、こんな真夜中、みんなに残業をいているんだ」

「先輩のせい? このリロットとかいうふざけた奴のせいじゃないんですか?」

「今にわかる――」


 その、わかる瞬間・・・・・唐突とうとつに来た。

 受け答えのために一瞬緊張が抜けたニコルの背後に、無からみ出たように現れた影がシュタッと着地した。新入りが、ニコルがそれに反応し振り向こうとした時には、


「うわぁぁぁぁぁぁぁ――――!?」

「せんぱ――――い!!」


 少年の姿は、はるか上空に打ち上げられていた。


「おー、来たか」


 大砲で撃ち上がったかのように夜空の真ん中に浮かんだニコル、それに絡みついているようなもう一人の人影。それを地上から見上げる警備騎士たちからはわずかな緊張の残りさえも全て抜け、両腕をばして背をらす者まで出始めた。


「よーし、帰るぞ」「あー、疲れた疲れた」「残業手当出るかね」「んなわけねぇよ」

「あの、あれはいいんですか? ニコル先輩が連れ去られてますけれど?」

「いつものことだ」


 規定きていの決まり事を、規定通りに終えた雰囲気ふんいきしかそこにはなかった。


「いつものこと……」


 新入りは夜空をもう一度見上げた。

 見えるのは暗い闇に目立つほどに白く広げられた大きなかさ、悲鳴を上げながらぐるんぐるんと振り回されるニコル、そしてそれを振り回す薄桃色のドレス姿――。


「あれ……女ですか?」

「あれが『快傑令嬢リロット』だ」

「あれが」


 つばの広い真っ赤な帽子ぼうし、足首までを隠すだろう広いスカートのドレス、真っ赤なハイヒール、かすかに青みがかった銀色の髪は、わずかに波打ちながら背中まで流れている。


 顔がわからないのが難点だった。一瞬顔を見たかと思ったのだが、何故か記憶からその情報だけががれ落ちているのだ。


「連れさらわれたって、別に取って食われるわけじゃねぇ。飽きたら解放される。いつものことだ」

「あんな美少女なら俺も取って食われたいよ」

「なんで美少女ってわかるんです? 顔を見た者はいないんでしょ?」

「てめえ俺たちに喧嘩けんか売ってんのか!」

「美少女に決まってるだろ! 俺たちの願いみたいなもんだ!」

「帰りに蕎麦そばでも食うか」「いいっすねー」

「はぁぁぁ……」


 ぞろぞろと撤収てっしゅうする警備騎士たち。その流れに乗るのをためらいながら、新入りは夜空の真ん中でおどり続けるふたつの影を見上げ続けていた。


   ◇   ◇   ◇


「うわあああぁぁぁぁぁ――――!」

「こんばんは、ニコル! お久しぶりね!」


 遠心力に顔も心も振り回される少年に、振り回している方の少女が笑って挨拶あいさつをする。赤いフレームのメガネの向こうの目が優しく笑っているが、少年にはその気配しかわからない。


「やられたばかりじゃないか! 三日前!!」

「三日も会えなかったのよ! 私、寂しさで死んじゃうわ!」


 螺旋らせんを描くように降下して、本館中央の尖塔せんとうに二人は着地した。そこは二人がギリギリ立てるだけの円形の舞台だった。


「こ、今夜こそは君を逮捕する! さあ、大人しくつかま――」


 世界が自分を中心に回転する中、必死にニコルが取り出した手錠をリロットは自分で自分の手首にめた。ついでにもう一方をニコルの手首に嵌める。


「捕まえた。今夜はあなたを離さないわ。さあ、朝まで踊りましょう!」

「ぼ、僕には、心に決めた女性、リルルがいるんだ! わかってるだろう、君もリルルと友達なんだか――」


 そのニコルのくちびるは、次にはリロットの唇にふさがれた。


「――――――――」


 きっかり六十秒の間、息を止めて目を見開いたニコルと、目を閉じて唇と心の全てを預けているリロットの影が、重なった。


「――だから、なんでこんなことをするんだぁ!」

「あなたが好きだから。あなたに恋をして、あなたを愛しているから」

「だから僕にはリルルが――」

「私のことは、嫌い?」


 リロットが顔を近づける。鼻の先と先とがくっつくくらいに。

 目に少女の嵌められている魔法のメガネの力で、その素顔はわからない。顔の印象だけを記憶から削り取る魔法がかけられているのだ。


 そのメガネを外そうとして、ニコルが手をばす。


「外してしまうの?」


 手が止まる。


「――私は顔を隠したいからこれをつけているの。これを外すのは、乙女おとめの下着を脱がすようなものなのよ」

「ぐ…………!!」


 ニコルの手がず怖ずと引っ込んだ。


「――というわけで、今夜も朝まで踊りましょう!」

「うわああああ!」


 ニコルの手を強引に手を取ったリロットが、舞台の小ささを忘れたように踊り出す。少年騎士と円舞ワルツを踊る。

 くるくる、くるくる、くるくると――。


   ◇   ◇   ◇


「――まったく、リルルお嬢様ときたら……」


 遠く離れた高層アパートの屋根に陣取じんどり、一部始終を双眼鏡で見ていたメイド服姿――とがった耳を持つエルフの少女はあきれてつぶやいた。


「ニコル様に正体が知れても知りませんよ……。鬱憤ストレスがたまると極端なことをするんですからね……」


 王都にはびこる悪しき風を払うため、薄桃色のドレスに身を包み、レイピアを振るい戦う謎の少女剣士『快傑令嬢リロット』――その正体である、伯爵令嬢リルル。リルルとしてはおおっぴらには手も触れられない恋人ニコルといちゃつくため、時折ときやりこうやって無茶なことをする、のだが……。


「わたしが求められるがままに道具を貸してしまったのがいけなかったのでしょうか。責任を感じる時がありますね……まあ」


 少年と少女、ふたりの影が踊る、踊る、踊る。その心理はともかくとして、踊る――。


「楽しそうだから、いいですか」

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