快傑令嬢すぺしゃる!002

「リルル、蕎麦をおごられる」(前)

 拳鍔メリケンサックめてり出される少女の拳が、嵐そのものの風を巻いて文字通りのうなりを上げた。


「食らえぇぇ!! 快傑令嬢パぁァァァァァァァァンチ!!」


 解説しよう!

 快傑令嬢パンチとは、快傑令嬢リロットが全身全霊全気合いを込めて繰り出す、なんの変哲へんてつもない普通のパンチなのである――ぶん殴られれば顔が変形するほどに痛いが――が、偽金貨製造組織頭目にせきんかせいぞうそしきとうもくの顔面に突き刺さり、すさまじく嫌な音を立てながらその上体が声も出せずに後方に吹き飛んだ。


 数メルトの距離きょりを投げ出されるように男の体が飛び、倒れた四人がつみあがった人体の山に突き刺さる。それを最後に、廃工場の屋根の上で派手に動く影はなくなった。


「はぁ、片付いた……のかしら?」

『今ので最後です、お嬢様』


 遠方から一部始終を監視するフィルフィナの通信がイヤリングの震動を介して聞こえてくる。


 廃工場のトタン屋根の上、十数人の男達がぶちのめされた体をそれぞれに転がして痙攣けいれんを繰り返し、それに彼等の頭目の体が追加された。


 天空に輝く満月の光が夜の闇を薄く払い、立ち回りを演じてみせたドレス姿の少女の足元から朧気おぼろげな影を投げさせている。


 戦いは終わった。


『警備騎士団には連絡が行っています。もうすぐ到着するでしょう』

「わかったわ」


 てんでばらばらに散らばった男達の体をずるずると引きずってひとまとめにし、右手首の黒い腕輪から取り出した荒縄あらなわで男達をたたくようにすると、荒縄は意思ある蛇のように男達の体をい回り、十数秒でその体をまとめてしばり上げた。鉄線もり込まれた、大型の工具でもなければ切断不可能な強固な縄だ。


『それでは、速やかに撤収てっしゅうを――』

「フィルは先に帰っていて」


 快傑令嬢リロット――その正体である伯爵令嬢リルルが、全ての武器を黒い腕輪の中にしまいながらいう。


「私、ちょっと寄りたいところがあるから」

『……なるべく早く帰ってきてください。お風呂の用意はしておきますから』

「よろしくね」


 フィルフィナの方で通信を打ち切る気配があった。

 白金プラチナと同じ比重ひじゅうの合金を開発し、それによって十万エル白金貨を大量に製造していた偽金貨製造組織は、ここに壊滅した。彼等の粗悪な白金貨を渡され、大損害をこうむった人々は数多い。


 貨幣かへい紙幣しへいの偽造は、それを発行する政府に対する最大級の挑戦だが、やはりそれに対する立ち上がりはどうしても鈍くなり、その遅れの分だけ被害者は増えた。


 小回りがく個人である分、『快傑令嬢リロット』たるリルルの方が早く手がび、こうして解決させてしまうのだ。


「私だって、問題を感じていないわけではないんだけどね……っと」


 きゅるるるる、とお腹が震え、そのいちばん奥が切ない音を上げた。意外に響いたその音にリルルはほおめ、背後を振り返る――ひとまとめの山となってのびている男達に聞こえた気配はない。よかった。


「お腹空いた。あそこにいくかな……」


 またも黒い腕輪から取り出したかさをバッと開き、少女の爪先つまさきが軽く地面をった。

 薄桃色のドレスのスカートをはためかせ、ひとつの人影が夜空を背景にしてゆっくりと浮かび上がる。そして、足元に広がる港湾区域こうわんちいき廃工場群はいこうじょうぐんに別れを告げるように、リルルの体は北へと向かった。



   ◇   ◇   ◇



 深夜に差し掛かろうというのに、その区域全体が人工の光で満たされる王都エルカリナの歓楽街かんらくがいは、まさしく不夜城ふやじょうだった。

 王都西部に位置する歓楽街。住民達――旅行で訪れる者たちのあまねく欲望を受け止める街だ。


 二カロメルト四方の区域に集められた酒場、賭博とばく施設、劇場、見世物小屋、娼館しょうかん――この地域においてだけは、明確な身分差はあってなきがごとしだ。貴族も平民も、貧民ひんみんでさえなけなしの金を握りしめ、ひとときの快楽を求め通い詰める、ある意味王都で最も平等な領域エリアであったかも知れない。


 昼も夜も変わらぬ大勢の人通りがあり、この場所を目指して走る夜馬車よるばしゃ往来おうらいの量は今が眠るべき時間であるということを忘れさせる。客引きの喚声かんせいがあちこちで飛び、それに引き込まれるもの、問題を起こして喧嘩ケンカにいたるもの、泥酔でいすいして路上に寝転がり高いびきをかくもの――。


 そんな様々な狂乱きょうらんを集めて鍋に入れ、煮立たせながらお玉でかき回し続けるシチューのような街。その建物と建物の間にある路地の片隅かたすみに、一軒の小さな屋台があった。



   ◇   ◇   ◇



 その屋台からは薄い湯気が休みなく上がって来て、あたりに濃厚な魚の風味が香る出汁だしにおいをいっぱいに振りまいていた。引き荷車リアカーの上に作られた木製の屋台には広い屋根がもうけられ、そのふちには真っ赤なのれんがかかり、白地抜きで『そば』と大書たいしょされている。


 最後の客が食べ終わって席を立ったあと、この三十分間は客がついていない屋台だった。

 三十歳を少し超えたくらいの男が粗末そまつ椅子いすに座り、大鍋がそれぞれえられた魔鉱石まこうせきコンロの火を最小限にしぼり、湯温を沸騰ふっとう直前の温度に調整している。


 何度読み返したかわからない朝刊を広げ、路地の間からのぞく人の往来に半ば興味を失いながら、自己の世界に嵌まりつつあった。今夜の前半は思ったほどあがり・・・が少ない。まだ営業時間も半ばだが、派手に出汁の匂いを通りにいているというのに、反応が薄い。


 夏場は冷たいりが結構売れたが、秋に入って暑さが落ち着き快適になった分、冷たいものも熱いものも売れない微妙な時期に差し掛かって来たのかも知れない。こういう時にこそん張る必要がある。あわてて屋台の位置を変えたりすると、店じまいになったと思われかねない。


 今は我慢がまんの時だ。俺にはいつも我慢が足りなかった。だからこんな場所でこんな屋台を引いているのだ。この屋台で小金を貯め、つぶしてしまった店をもう一度立て直して。

 そして。今度こそは、今度こそは――。


「お兄さん、こんばんは!」

「うわ!」


 いきなりなんの予兆よちょうもなく空から降ってきた気配に、男は椅子から転げそうになった。かろうじて壁に手を着いて転倒をまぬがれ、なんとか視線を通りの方に向ける。

 薄桃色のドレス姿の少女がかさたたみ、微笑ほほえみかけている――顔はその印象がわからないので、多分。


「びっくりしたな……お嬢ちゃんか!」


 男の今までの無表情が一変して笑顔になる。砂漠に清浄なオアシスを見つけたかのように。


「今夜も来ちゃった。お腹空いたの、ごちそうしてくれる?」

「ああ、ああ、いいよいいよ、大歓迎だ。よーし」


 男は手桶ておけの水をんで手を洗い、気合いを入れるようにしてひとつ手を鳴らすと、コンロの火力を一気に上げた。湯の水面があぶくを上げ始める。


「いつものでいいんだな」

「うん、いつもの!」

「よっしゃ、ただ無料の天ぷらそば大盛りひとつ! 毎度あり!」


 男の手が引き出しにび、その中のそばをひとつわしづかみにして湯切りざるに放り込んで、鍋の中に突っ込んだ。



   ◇   ◇   ◇



「……お客さん、いないね?」


 そばがで上がる少しの時間。快傑令嬢リロットの衣装いしょうを着たリルルはのれんをくぐって屋台の長椅子に座った。大きくない屋台だが、それでも客が自分ひとりしかいないというのはどこかわびしさを覚えるものだ。


「ちょっと時期が中途半端みたいでな。まあ仕方ないさ。客が入る日があれば入らない日もあるもんだ」

「……今日は、お金を払ってもいいよ?」

「馬鹿いっちゃいけねぇ。お礼にあんたにはいつでもそばを無料ただでおごるって、俺がいい出したんだ。客がついてないくらいでやっぱやめました、というんでは根性がないさ、はは」


 茹で上がっためんを上げ、器に投げて温めていたかき揚げの天ぷらを添える。ぐらぐらと煮えていた出汁を大きなお玉で一杯すくい、それを器に注いで薬味を入れた。


「もう四ヶ月前か。あんたに屋台を救ってもらった時、俺は命も救ってもらったんだ。……作ったばかりの屋台をたたき壊されたら、きっと自殺していただろうからな。あんたは命の恩人だ。だから俺は俺の命の値打ち分、あんたなそばをおごる。それが等価交換ってやつだ――――へい、おまち!」

「わぁ」


 カツオ昆布コンブの合わせ出汁。その食欲をそそる香りを胸いっぱいに吸い込んで、リルルは立てられた箸箱はしばこから一組のはしを抜いて、ぱちんと手を合わせた。


「美味しそう! いただきまぁす!」


 数本のめんを箸の先でつかみ――それにからんだ出汁といっしょに、リルルはちゅるちゅると音を立てて一気にすすり込んだ。

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