「狙う」

 ニコルが警備騎士団の駐屯地ちゅうとんちの門を出たのは、夕日が西の地平線の向こうに消え行こうという時刻だった。

 西の空が茜色あかねいろ残影ざんえいえさせ、東の空は夜そのものの暗さをたたえていた。


「母さん……ばあちゃん……心配してるかな……」


 自分がザージャス家から無事に解放されたというのは、実家に連絡がされているはずだ。早く帰って母や祖母そぼの喜ぶ顔が見たい――そんな想いを抱きながら、ニコルは歩きれた家路をたどった。

 まずはラミア列車に乗り込み、一区画南へ下ろう。そこから東行きの路線に乗り換え、途中でリルルの屋敷に寄って、エヴァレーのことについて報告をし……。


「ふぅ…………」


 様々な思念を心の中でかき混ぜ、ひとり歩くニコル――その背中を遠く見つめるようにして、一人の人影が、ニコルの足跡を正確にたどっていた。

 つばの広い帽子ぼうしかぶり、それを深く下ろして表情がのぞけないよう、うつむき加減で足音もなく歩く。


 大通りに出ると、停留所ていりゅうじょにはちょうどラミア列車がまっていた。列を作って並ぶ客たちが硬い紺色の制服を着た大型ラミアに百エル硬貨を払い、客車きゃくしゃに乗り込んでいく。その中で、ニコルは身分証を提示ていじするだけで乗り込んだ。――帽子をかぶったロングスカートの人影もその十何人か後に続く。


 ニコルは真ん中の車両の座席に座り、大勢の乗客にまぎれたロングスカートの人物は前方の車両で席に座れず、つり革を持って立った。それぞれの姿は互いに視認することはできなかったが、二人は東西系統に乗り換える次の接続の停留所で一緒に降りた。


 数分を停留所で待つ間、ロングスカートの人影はニコルに近づかない。少年の視界の中に入らないようさりげなく立ち回りながら、やがて来た東行きのラミア列車にまた同じく乗り込んだ。


 次に二人が座ったのは、同じ車両だった。とはいえニコルが進行方向の端の座席、女がその背中を遠く見やる正反対側の座席と、距離きょりこそ離れていたが。

 なんの支障ししょうもなくラミア列車は動き出し、数個の停留所で停止し、大運河の大鉄橋を越える。


 大運河を越えた最初の停留所で、ニコルは座席から立ち上がって下りた。女が意表を突かれてあわてて立ち上がる――ニコルがこの停留所で降りる理由がないことを知っていたからだ。

 リルルの屋敷に寄るにしても、それはもう少し先の停留所だし、ニコルの実家はここからまだ一区画先だ。


 高級住宅地の区画の端っこという地点だったが、ニコルの足が向いたのは大運河の方だった。列車で向かっていたのとは反対方向、西の方角にその足は、迷いもなくスタスタと歩いて行く。もう日も完全に落ちて暗くなった大運河、それに面した堤防ていぼうになんの用があるのかと女はいぶかしんだ。


 が、これは好機チャンスだ。人気のないところにわざわざ向かってくれるのはありがたい。


 ニコルが堤防を上りきり、そのまま向こうに下ってその姿が消える。女もそれに続く。この時間、大運河の堤防辺りは人通りなどほとんどない。河川敷かせんじきに出たところで仕掛けよう、そして――。


 その女の目論見もくろみは、見事に外された。


 自分も堤防の一番上に上がり、河川敷を見下ろした視界の中に、ニコルがいなかった。

 思わず立ち止まり首を大きく左右に振る。少し離れた距離に大鉄橋があるがそれ以外は開けた地形だ。どこにも隠れようがないのにも関わらず――いない!


「どこ!?」

「――なんの御用ごようですか、フローレシアお嬢さん


 背中から聞こえたその声に、女の背中の産毛が総毛立った。


「失礼」


 女が振り返る前にニコルの手がその右手首をとらえ、腕を捻り上げ、女の関節をめていた。肩と上腕関節に走った逆らいがたい痛みに、女が軽い悲鳴を上げる。


「駐屯地から尾行びこうしていたのは気づいていたんだ。こんな辺鄙へんぴな場所まで尾行けてくるのは僕に用があるからなんだろうけれど、どういう手合いなんだ」

「…………!」

「応えてくれないのなら申し訳ないが、帽子ぼうしも取らせていただく」


 ニコルは遠い街灯の光が最もよく当たる方向に女の体を向けさせ、その帽子をがすように取った。

 今度は、ニコルの方がおどろきの声を上げる番だった。


「――なに!?」


 帽子の中から波がかった豊かな金髪があふれ出た。青白い街灯の光にさらされ、照らされるその白い顔は――。


「――エヴァレー!?」

「放して!」


 帽子を奪い返しながら、ニコルの手から少女の腕が振り払われる。驚きのために甘く握っていたわけではないのに、その細腕では想像もできない力にニコルは手を振りほどかれていた。


「エヴァレー……無事だったのか! でもどうして? 僕を尾行したり? いや、その前に屋敷が全焼したのは!?」

「……色々と説明することが多すぎるわね。でも、いちいちそれを懇切丁寧こんせつていねいに説明しているひまもないの……」


 自分の台詞セリフにエヴァレーは自嘲じちょうした。実際、どれから説明したらいいのかわからないほどに色々とありすぎた。


「ニコル、わたくしのいうことをよく聞いて――今夜のうちに、王都から逃げ出すのよ!」


 ニコルが言葉を失った。驚きの表情のままその顔が動かなくなった。


貴方あなたねらわれているわ。明日になれば貴方の首に懸賞金けんしょうきんがかけられて、大勢の人間に命を狙われることになる!」

「僕が……狙われている……?」

「貴方だけじゃない。この王都に住む名のある人間が大勢狙われている。日が変われば、二百を越える人間の暗殺目録リストが広まるわ。金の亡者共が端金はしたがねむらがって、あちこちで血なまぐさい事件を起こす……だから、今夜のうちに遠くまで逃げるの!」

「なんでそんなことに……いや、そもそも何故君はそんなことを知っているんだ!」

「いってるじゃない、説明している暇はないって……さあ、急いで帰って、日が昇るまでに王都から出るのよ! 行先はどこだっていいから!」

「そんなことができるわけがないじゃないか!」


 エヴァレーは、その返事に顔をゆがめた。予想からいくらもはみ出ない返事だった。


「よくわからないけれど、王都でとんでもないことが起ころうとしているようだね。そんな時に、警備騎士である僕が逃げ出すわけにはいかない。王都に住む人々を守るのが僕の任務なんだ。我が身可愛さで、自分が真っ先に逃げるなんていうことは許されない。僕は――」

「許されなくてもいいでしょう! 死ぬよりはマシだわ!」

「僕が自分を許さない! それは僕に取っては死ぬよりも問題なことなんだ!」

「――――」


 ああ、と心の中で声にならない思いがエヴァレーの心に流れた。

 わかっていた、すでにわかりきっていたことだ。ニコルがこう返事をしようとすることは。

 だから自分はこの少年に想いを抱き、そして、人気のない場所を説得の場に定めたのだ。


「エヴァレー、君からも聞きたいことがある。僕と一緒に来てくれないか」


 肩を震わせ、うつむいて立ちくす少女に、ニコルが一歩、歩み寄った。その体のどこに触れていいのかを迷うように視線をめぐらせる。

 その少年の躊躇ちゅうちょが、あだになった。


「……貴方っていう人は本当に、わたくしの話もなにも、全然なにも聞いてくれないのね……」


 ニコルが少女の手首をつかもうとした瞬間、ひらくようにエヴァレーの視線が上がった。ニコルが自分の直感を行動基準の最優先に定めていなければ、そのまま手首をり落とされていたかも知れなかった。


「うっ!」


 本能的に飛び退いたニコルの前髪が一房、宙に舞う。落雷のような速度の斬撃ざんげきが横に払われ、それがニコルの眉間みけんを文字通りかすめていた。


「エヴァレー!?」


 いつの間にか少女の手ににぎられていた抜き身のやいばに、ニコルは驚きを隠せない。達人の速度で振り抜かれたそれに、反射的に抜剣ばっけんで応えさせられていた。


「びっくりしたかしら? ――じゃあ、驚きついでにもう一度驚いてもらおうかしら!」


 エヴァレーが帽子ぼうしの広いつばに手をかけ、次には投げつける。下からすくい上げたニコルの剣がそれを両断した時、ニコルの前のその少女は、そのよそおいを完全に別のものにしていた。


「きっ……君は……! いや、君が・・……!」


 今度こそニコルの喉が驚愕きょうがくに封じられた。

 目の前にいたのはロングスカートの少女ではない、そのまま夜会ナイトパーティーに出ても遜色そんしょくのない貴婦人の姿――ニコルがよく知る形の真っ赤なドレス!


「――今、思い出したわ。宝飾店襲撃ほうしょくてんしゅうげきの時に、わたくしの足首に手をかけたのは貴方だったのね。あの時は頭を蹴飛けとばしてしまってごめんなさい――痛くなかったかしら?」


 本物・・とほとんど同じ形の大きな帽子、顔の上半面を完全に隠す大きなマスクの力によって色が変わった長い黒髪。その装いはニコルが二度も間近で目撃したものだ。

 それを目の当たりにした時の衝撃は忘れていない。しかし、その正体が、よりによって!


「――いまさら貴方に正体を隠す必要もなにもないわ! もうこの場で貴方とは、永遠とわのお別れになるのだもの!」


 迷いのない踏み込みでエヴァレーがレイピアを突き出す。ニコルの反応が一拍いっぱく遅れ、立てた刃がかろうじてそれを受け流した。少女の細腕からは考えられない速度と重みの突きが刃と刃を激しく擦り合わせ、弾けた鉄粉が熱せられ、くさい鉄のにおいを発して燃える。


 全力を込めて相手の剣を払い、ニコルは前に構えた剣で牽制けんせいしながら、数歩を退しりぞ距離きょりけた。


「――エヴァレー!」

「貴方の暗殺をったのはわたくしなの。――わたくしが受けなければ、他の者に回される。どうしてわたくしがそれを受けたか、貴方にはわかるかしら?」


 ニコルは答えない。応えられない。与えられる疑問ぎもんに回答が追いつかない。


「ニコル、貴方は信じてくれないかも知れないけれど、わたくしは貴方が好きよ。だからわたくしは貴方をこうするの。――他のわけのわからないやからに貴方が追い詰められ殺されるところなんて、想像もしたくない! この手で貴方を殺して、貴方を綺麗きれいほうむって、わたくしも死ぬわ! だから!」

「やめろ!」


 手加減のない突きがり出され、急所を的確に狙ってくる刃をニコルは何度も弾いた。撃剣の響きと重みが体に伝わるたびに寒気が背骨に走る。魔法かなにかで身体能力を底上げしているのか、剣技のつたなさをおぎなってこの速度は余りある!


 が、その打ち込みが感情に任せた、がむしゃら・・・・・なものであるだけ、ニコルにがあった。ニコルがわざと見せたすきにエヴァレーの剣の切っ先は素直に吸い込まれ、ニコルが書いた楽譜がくふ沿うように剣と剣が打ち鳴らされ、金属の打音だおんと火花をかなで上げる。


 トドメとばかりに、全身の体重と勢いを込めた渾身こんしんのエヴァレーの突きを、刃の腹で受けてすべらしながら、流れるようにニコルはエヴァレーの背中に回った。


「ええっ!?」


 ニコルの手が少女の右腕をつかむ。反射的に手を開かせる手首のツボを突きながら、それをいっぱいにねじり上げた。


「くぅっ!」


 エヴァレーの手からレイピアがこぼれ落ちた。それを爪先でり飛ばし、ニコルはエヴァレーの両肩をつかもうとするが、それは強引に振り解かれた。


 転がったレイピアがニコルの足にまれて押さえられる。長柄ながえの武器を失い、エヴァレーは短剣をふところから抜いた。


「ニコル! この王都から逃げて! ……それが嫌だというのなら、このわたくしの手にかかって! お願いよ!」

「どちらもできない!」


 エヴァレーが距離を探るようにすり足で動くが、ニコルが突き出す剣の間合いの長さがそれをはばむ――ニコルにりかかる意思がなければ、勝負はもう着いていただろう。


「エヴァレー、その短剣を捨てるんだ! 僕は戦わねばならない! でもその相手は君じゃないんだ! だから!」

「ニコル……!」


 自分を斬り捨てたくはない――そのニコルの気持ちに涙が出そうになりながら、エヴァレーは次の選択をいられているのを覚えていた。


 選択肢はふたつしかなかった。

 このまま背を向けて現実の全てから逃げ出すか、向かってニコルに斬り捨てられるか。


 どちらが陶酔とうすいするほどに甘美かんびなのかは、もはや、考えるまでもない。そう決意を固めて視線を上げたエヴァレーの視界の中、こちらを牽制し続けるニコルの肩越しに、エヴァレーの目は、ふたつ・・・の影を認めていた。



   ◇   ◇   ◇



「――やっぱりこうなったか」


 河川敷かせんじきでにらみ合う影と影を、少し離れた堤防の上からせた姿勢で俯瞰ふかんする二人の姿があった。


「あの娘、自分が内偵ないていされていないとでも本気で思っていたのか。あの小僧ニコルとの関係を誤魔化ごまかした時点でおかしいとは思っていたが、こんな場所でこんな茶番ちゃばんを演じているとはな」

「――じゃあ、両方をっちまっていいんですか?」


 長身の男の隣で小銃を構え、伏せている小太りの男が質問する。小銃の上に取り付けられた照準眼鏡スコープに片目が張り付けられ、せまい視界の中で対峙たいじする少年と少女を見つめ続けていた。


「二人とも仕留しとめろ。もうあの娘も使い物にならん」


 長身の男――エヴァレーにニコルとリルルの暗殺を指示したシャダが吐き捨てた。


「俺は先に離れる。お前もつかまるな。小銃なんか持って逃げるなよ」


 自分の身の安全が最優先なのか、結果を見ずにシャダは指示だけを残してそこを離れた。この開けた場所ではさぞかし銃声がよく響くだろう。


「じゃあ、金髪のガキの方からかな。死んだことにも気づかないぞ、小僧。お前は幸せだよ」


 狙撃手の男は、無防備な背中をさらしているニコルの頭を、せままるい世界の中心にとらえた。

 距離は二百メルトほど――この距離なら弾は少しお辞儀・・・する。背中に確実に当てるためのコツなのだ。

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