「暗殺の対象者」

 夕刻ゆうこくの到来を予言させるかたむきの太陽に照らされ、全焼したザージャス公爵邸の焼け焦げきった姿が、呆然ぼうぜんとするニコルの前にあった。


「…………」


 自分の記憶にあるものの全てが、その姿を変えていた。


 周囲への延焼は必死の消火活動によって食い止められたが、それは如何いかにして火災をザージャス邸の中に押しとどめるか、という抵抗ていこうに過ぎなかった。鉄筋コンクリート製の強固な外壁はまだ形だけは元の姿を保っていたが、壁という壁は全て真っ黒いすす色にめられている。


 残っている窓ガラスは一枚もない。内側からの火炎によってけ落ちたのが容易に想像できた。昨日の爆弾騒ぎで直したばかりのそれも同じ運命だろう。


「これで死者がいないっていうんだから、大した話だよな」


 鎮火ちんかした邸宅の現場検証に当たっている消防局の男が感心したようにいう。ニコルはそれを複雑な思いで聞いていた。自分は昨日までこの屋敷にいたのだから。


 警備騎士団として事件の概要がいよう把握はあくするために派遣はけんされたニコルは、鉄格子も高熱で変形した正門をくぐった。正面に見えている母屋おもやは、文字通り焼失している。あれだけは完全な木造の建物だったらしい。


「目撃者がいる。出火は母屋の二階……ここから見て一番左の部屋だったらしいな。まあ、今はなにもないんだが」

「エヴァレー公爵令嬢の部屋……」

「そうだ。彼女の部屋から炎が上がった。いや、目撃者は『爆発した』といってる。しかしそんな派手な火の気があるところじゃない。十中八九、放火だな。そしてその放火の犯人は」

「エヴァレー公爵令嬢自身、というわけですか」

「この屋敷に放火犯は侵入できないだろ」


 辺りには消防局、警察局など大勢の役人が歩き回り、現場を好き勝手にかき回していた。とはいえ全てが焼けた廃材とコンクリートの残骸ざんがいだけだ。可燃物という可燃物は全て燃えききっている。ニコルは初めてこの中庭に立った時の印象を想像した――それに比べれば、これは地獄だ。


「公爵令嬢の遺体いたいは見つかっていない。火元にいたとすれば、骨も残らないな。母屋は高熱で崩壊ほうかいした。それが全てだ」

「軽傷者三十三名、行方不明者一名……」

「そういうわけだ。あと、他に知りたいことは?」

「いいえ。だいたいはわかりました。ご協力ありがとうございます」

詳細しょうさいな報告書は明日以降だ。じゃあな」


 ニコルは一礼し、心にまとわりついてくるねばり気のようなものを振り払って、その場をした。


「エヴァレー……」


 あの少女が焼身自殺をげた。考えられるとすればその結論にしかたどりつかない。

 自分があの少女をこばんだ、その翌朝にこの火災が起きた。それをつなぎ合わせれば、自分が引き金を引いたのだ――それはニコルの中で自然にみちびかれる結論だった。


「……僕が、エヴァレーを焼き殺した、ということになるのか……」


 その認識が少年の心の底に、溶けて冷えたなまりとなって重く、苦くのしかかった。記憶がなくなるほど酒が飲みたい、と本気で思った。


「…………とにかく、勤務が終わったらリルルに知らせよう。まだこの事を知らないかも……」


 関係者の車両や馬が勢揃せいぞろいし、見本市かなにかになったようなごった返しの中から自分の馬を見つけ、ニコルは馬上の人となった。


 一直線に警備騎士団の駐屯地に向かい、街の中を走らせる。しかし、いつもは心地好く尻を下から突き上げてくる馬蹄ばていの響きに、今は何故か現実感がなかった。



   ◇   ◇   ◇



 その捨てられた劇場は、かかげている派手だったはずの看板かんばんも完全に色を失わせ、貧民街ひんみんがいの暗い色調と空気の中に溶け込む存在となっていた。


 少し前までは、ここで盛況せいきょう亜人奴隷市あじんどれいいちが行われていたらしいが、快傑令嬢の乱入によってたたつぶされた。今まで権力の癒着ゆちゃくによっておおかぶせられていた隠蔽いんぺいのヴェールもがされ、本当にただの廃屋はいおくとなっている。


 資金がないのか解体工事も行われず、雨風をしのぐ屋根のあてもない浮浪者ふろうしゃの格好のねぐらとなっていたが、今はその者たちは綺麗きれいに追い出され、あやしげな集団が占拠せんきょする場となっている。


 とはいえ、この貧民街で怪しげではない者たちを探す方が難しいのだが――。


 かつて劇場主が詰めていた小部屋と奥の楽屋のみが比較的掃除も行きとどき、最低限の家具も運び込まれて、かろうじて人が住めるかも知れない手入れが成されている。


 その楽屋がくやの一角で、長身の男が広いテーブルに広げられた王都の地図を眺めていた。


 地図の上には赤、青、黄、緑、白、黒――無数のピンが刺され、そのピンには小さな付箋ふせんが貼られていた。何かしらの名前と数字がそれには書き込まれている。


 鼻歌を歌いながらピンを移動させ、足し、減らす――遊戯ゲームをしているように楽しんでいるその男が、顔を上げることもなく声を出した。


「派手な家出だったな」

「――うるさいわね」


 いつの間にか背後に現れていた真っ赤なドレス姿の少女が、苛立いらだたしげな声を上げた。顔の半分を隠し、髪の色を変える魔法のマスクをつけているエヴァレーがそこにいた。


「勢いでやっただけよ」

「勢いでお前は家を焼きくすのか」

「どうせこの王都全体が燃えるなら、同じことでしょう……状況じょうきょうはどうなの、シャダ」

「やっと選定が終わったところだ。数が結構多くてな、しぼるのに苦労した」


 シャダと呼ばれた男は小さなテーブルに置かれている分厚い封筒ふうとうから、書類の束を引き出した。

 それぞれ文字がびっしりと書き込まれた二、三枚の紙、そしてこれも二、三枚の顔写真が添付てんぷされている。エヴァレーはそれを興味なさげにパラパラとめくっていった。


 貴族、豪商、役人、役者、篤志家とくしか、芸術家、作家……いうなれば『有名人』の情報ファイルの束。そのほとんどはエヴァレーも名前くらいは聞いたことのある人間のものだった。面識があるものさえ少なくない。


 それが二百通ほど。大人でも一抱えはある重さだ。


「大変ね、これ。この人数を暗殺して回る・・・・・・・の?」

「平気だ。俺が直接やるわけじゃないいからな」


 ククク、とシャダがのどを鳴らした。


「俺はそれに懸賞金けんしょうきんをつけるだけ。この界隈かいわいじゃ、十万エルを手に入れるためだったら殺しくらい平気な連中がそれこそいて捨てるほどにいる。百万エルの金額でもつければ、目の色が変わった亡者もうじゃみたいになることだろうさ」

「この人数を全部暗殺するのは難しいんじゃない?」

「この半分で十分だ」

「……半分で?」

「百人も名のある人間が暗殺されてみろ。『自分は暗殺される価値がある』とか思い込んでいる奴等が、震え上がることだろう。それぞれが疑心暗鬼ぎしんあんきになって混乱する。『この暗殺者を差し向けているのはいったい誰だ』とな」


 引きつる笑いが、不気味な旋律せんりつかなでた。


「足りなければ候補者こうほしゃを増やす。食い詰めて明日も亡くしている連中は山ほどだ。今晩美味うまい飯が食えれば、明日のことは関係ない――そんな刹那せつなで生きている奴等が、美味しい餌にむらがるさ。いや、失敗してもいいんだ。殺そうとした事実があればいい。それに俺は、失敗した連中には金を払わん」

「……合理的だこと」

「俺たちは、雲の上からそれを見て制御する。足りすぎてる所からは引き、足りなすぎている所には足す。そうして王都が混乱のきわみにおちいったところに――切り札を投入する」


 短剣が王都の地図、王城の真ん中に突き立てられた。

 それが意味することを理解して、エヴァレーが背中を冷やす。


「血を流すことで革命は成立する。血と炎なしにはなにも成しげられない――エヴァレー、お前もその中から一人か二人、標的を選べ。懸賞金を払わんですむ」

わたくしが、暗殺……」


 殺し、と聞いてエヴァレーの肩が震えた。自分はまだこの手で直接、人を殺してはいない。投げた爆弾で死者が出た可能性はあるが、その数を確かめたことはなかった。


「本番になれば、殺すのは二桁ふたけたじゃすまんぞ。今のうちにれておけ」

「慣れる……慣れる……」


 ニコルを得ることで、今までの生活の延長に居続けたい――そんなことを望んだりしてしまったのは、殺人に対しての忌避感きひかんが、無意識のうちに働いたからか。

 革命、という曖昧あいまいな言葉に、色々なものを誤魔化ごまかしていたのかも知れない。


「……そうよね」


 どのみち、ここまで来ては引き返しようもないのだ。そのために家まで焼いてきたのだから。


「……好きなのを選んでもいいのね?」

「気に入る対象があればいいな」


 なるべく悪そうな、殺しても心の傷トラウマにならなさそうな標的を選ぼう――エヴァレーは紙をゆっくりとめくっていった。簡単そうで後腐あとくされがない相手なら、申し分はない。


 ――と、エヴァレーの手が一組の書類に当たって、止まった。


「……どうしてこの人物が入ってるの?」

「ん? ああ、それか」


 後ろからシャダがそれをのぞき込む。


「最近有名、というか売り出し中というべきか。身分は准騎士に過ぎないが、実績じっせきは折り紙付きだ。貴族の中でもそいつをなんとかかかえられないかと考えている連中は多い。注目株ちゅうもくかぶ、という奴だな」

「へぇ……」


 内心の激しい震えをくちびるに伝わらせないようにしながら、エヴァレーは返事をした。自分がどう返したのか自分でもわかっていなかった。


「ちょうどいい、こいつはお前に当たってもらおう。暗殺対象の中でも一番の手練てだれだからな。お前にしか相手ができないだろう」


 エヴァレーの手が動く前に、書類がさらわれる。それを前にして動きを止めてしまったことを、エヴァレーは激しく後悔した。


「さあ、もう一組くらい行け。今度は簡単な相手でいいぞ」

「そ……そうね……」

「これなんかちょうどいいな」


 エヴァレーがそれを選ぶ前に男の手がびた。それに貼り付けられている写真を見た瞬間、エヴァレーは自分の心臓が窒息ちっそくするのではないかと思った。


「貴族の令嬢だが、護衛ごえいはほとんどない。貧民街にも積極的に寄付をしていて、名も知られている。このむすめしたうものはどの階層にも多い。加えて今年の園遊会えんゆうかいで国王にえらい目をかけられていたとか。きさき候補こうほとかいう気が早いのもいるが、これも注目株にはちがいないな」

「……その娘を殺すのは、結構骨が折れるかもよ」

「あん? ま、こんなところだ。エヴァレー、わかっているな。万が一にでもお前が失敗すれば、他の奴等がそいつらに食らいつく。俺に無駄な出費をさせるなよ」

「……わかったわ」


 書類の束がエヴァレーの前から退けられ、代わりに選ばれた二組の書類が並べられて置かれた。


「――わたくしが、この二人を暗殺すればいいのね……」


 ニコルの写真と、リルルの写真。

 その二人が優しげな微笑ほほえみを浮かべて、その顔から色を完全に失っているエヴァレーを無言で見つめていた。

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