「罰と罰」

 自らの意思によってリルルがその親指で赤い突起を押し込んだ瞬間、少女と悪魔をつなぐ鉄縄が震えた。


 黒く鈍い光に輝く鋼鉄の肌、それにぴたりと吸い付いた百個の小さな箱が反応し、破壊の歌を一斉に歌い上げた。


「――――――――っ!!」


 デルモンが上げる悲鳴をその閃光と炎と爆音でき消すように、大人が一抱えで持ち上げられるくらいの小さな太陽が曳船タグボート舷側げんそくで、青い光と赤い炎の産声うぶごえかなでた。

 金属を溶断ようだんする超高熱のクサビが、無数の灼熱しゃくねつしたきばとなり、デルモンの全身に容赦ようしゃなく食い込む。


 この時のため、リルルとフィルフィナが左手首に装備している銀の腕輪――黒の腕輪とちがい、真に数個しかエルフの里に伝えられていない超兵器――が、二人の目の前に白く輝く光の盾を展開する。


 透明とうめい炉心ろしんの中で、デルモンの体の表面を、鋼をつらふくほどの高熱の噴流ふんりゅうみつき、えぐり、その奥の奥まで深く深く、侵徹しんてつした。


 それは鋼鉄を切り裂く針を持った百匹のハチ、それらに一斉にして刺されるのに似ていた。

 爆発の炎と衝撃、そして轟音ごうおんが柱となって天に向かって逃げる。しかしその余波だけでバズもマハも吹き飛ばされ、それぞれの体が曳船の構造物に叩きつけられた。


「ぐううっ!!」


 破壊の力を内側の一点に向かって凝縮ぎょうしゅくする嵐が吹き荒れ、世界と海と曳船を揺らしに揺らして揺るがせた饗宴きょうえんが、十数秒という短い時間で収拾しゅうしゅうされた時――曳船で動けていたのは、バズとマハの二人だけだった。


「あ……あの、あの、あの馬鹿娘、本当に爆発させやがった!」


 取り落としていた短剣を拾い、敵を探す――いない。


「どこだ!」

「あそこよ!」


 頭を打ち付けた脳のしびれに顔をゆがめるマハが水路の岸に指を向ける。コンクリートで整備された岸の向こう、奥に連なる林の中に消えて行く白いかさ、その色がうっすらと確認でき――すぐに、それは消えた。


「デルモン!」


 爆発の中心となった場所には、ツルハシかなにかでメチャクチャに穿うがたれまくった粘土人形のような鉄の塊が横たわっていた。円錐えんすい状に突き刺された深い傷はどれも貫通かんつうにはいたっていなかったが、人間であればそれは容易よういに臓器を損傷そんしょうしているだろう深い傷だ。


 恐怖と驚愕きょうがくに顔をひしゃげさせたできそこないの像となって、超高熱噴流の針に全身を穴だらけにされた悪魔は、小揺るぎもできない存在と化していた。


「って、デルモン、起きやがれ! 手前テメェはこれぐらいじゃ死なないだろ!」

「――まあね」


 恐怖の彫像ちょうぞう、というべき悪魔の体に無数のヒビが入る。内部から自らを突き破るようにして膨大な数の破片がき散らされ、中から一人の男――悪魔に変身する前のひ弱な長身の男が起き上がっていた。


「いやあ、おどろきましたよ。箱の大きさの割りには、威力いりょくは小さかったですね。起爆した時には本当に死ぬかと思いました」


 その一糸いっしまとわぬ姿に、女性らしくマハが露骨ろこつに顔をしかめた。


「私にトドメも刺さず、あの連中、いったいなにがしたかったんでしょうね?」

「好き放題されたじゃねぇか! 馬鹿かお前は!」


 バズが激高げっこうする。


威力偵察いりょくていさつされたんだ! スィルは連れ去られ、俺たちの飯のタネである書類はうばわれ、武器も持って行かれた! おまけに切り札のお前は正体をさらして能力まで披露ひろうする始末しまつだ! 最初から殺すつもりなんてなかったんだよ! そんなこともわからねぇのか!」

「……私はね、あなた方に無理矢理起こされただけなんですよ。たまたま条件がそろっていただけで使役者しえきしゃの立場になっただけで、あなた方にそんなえらそうに振る舞う根拠なんてないんですよ。わかってないんですか?」

「俺たちの保護がなけりゃ、その体を実体化させておくこともできねぇくせに、いっぱしの台詞セリフを並べるんじゃねぇよ、このタダ飯食らいが!」

「あああ、もう、わめいている場合じゃないでしょ! お客さんよ!」


 苛立いらだったマハが向けた指の先に、こちらにまっすぐ舳先へさきを向けて高速で接近してくる二隻の小型船が遠くに見えた。海峡管理局が所有している戦闘艇せんとうていのはずだった。搭載とうさいされている砲は小口径しょうこうけいとはいえ、生身でそれを食らって命があるわけはない。


「――チッ! とにかく岸に上陸あがるぞ。大陸までたどり着けたんだ、あとは駅で馬でもなんでもかっぱらえば、王都まで行ける! ……あいつらの根城は王都らしいからな。なんとかして武器も書類も取り戻さねぇと」

「スィルはどうするのよ」

「ほっとけ! そこまで手は回らねぇよ!」



   ◇   ◇   ◇



「やはりあれだけで死ぬような悪魔タマではなかったようですね」


 林の木の一本に上り、巧妙こうみょうに枝と葉の間に自分をまぎれ込ませたフィルフィナが、双眼鏡で曳船の上での醜態しゅうたいを観察していた。その木の下でリルルがみきの陰に隠れている。


「わたしたちへの被害を考えなければ、めいっぱいの爆薬を詰めてやったんですが。曳船の上での戦いは想定されていましたから、仕方がないといったところですか……」

「あんな奴等と心中しんじゅうしたくないわ」


 心からそう思う。命はひとつきりだ。


「どうやら体内の『コア』を破壊しないと何度でも復活してくる手合いのようですね。悪魔によくいる手合いです」

「その威力いりょくに足る爆薬を増やした鉄縄爆薬索てつなわばくどうさくじゃ、こちらも爆発に巻き込まれかねないし……」


 次の戦いの場はおそらく王都の中、市街地戦になるだろう。鉄縄の長さをばして安全半径はんけいを広げるという手段もあるが、四十メルトのような長いものを振り回せるような空間を望むのは難しいだろう。


「とはいえ、物理攻撃でどうにかなりそうなのがわかったのは収穫しゅうかくでした。対策ができます」

「……大丈夫そう?」

「お嬢様」


 双眼鏡を目から離したフィルフィナが、足元の主に向かって微笑ほほえみかけた。


「わたしが立てた作戦で、今まで上手くいかなかった例が、ひとつだってありましたか?」

「――そうね」


 リルルも微笑む。

 そうだ。いつだって自分はこのエルフの少女に、相棒に支えられ続けてきた。

 自分の異名『快傑令嬢』は自分だけのものではない。それはふたりでひとりの存在なのだ。


「我々も撤収てっしゅうします。連中が馬を飛ばせば王都まで一日。時間はありません」

「決戦が近いってことね……」

「そうです。もうこれ以上長引かせはしません。――そして、勝つのは、いつだってわたしたちです」

「うん」


 少女と少女は、うなずき合った。



   ◇   ◇   ◇



 貧民街ひんみんがいと平民住宅地の境目さかいめ辺り、五階建てのアパートメントのひとつを、エヴァレーは秘密のアジトに定めていた。


 アジトとはいっても、それほど大層なものではない。自宅に置いておけない人物を一時的にかくまうくらいが目的の部屋だ。エヴァレーにとって寝起きできる場所はそこしかなかったが、そこは果たして『帰るべき場所』といえるのか。


 そして、自宅に置いておけない人物、そこに置いておかないとならない人物が、いなかった。


「あのクィルクィナ……!」


 リルルたちにつかまり、尋問じんもんの際にかなりの暴行を受け、顔も体も色が変わるくらいにらして寝込んでいたエルフの少女が、姿を消していた。数日間はまともに動けないといっていたし、双子の妹を人質同然に確保していたことで逃亡とうぼうはしないだろう、とタカをくくっていたのだが。


 どこかにふらっと出かけた風でもない。二時間をそこで待ってみたが、薄汚うすよごれたアパートの部屋に誰が戻ってくる気配もなかった。


「妹のことなどどうでもいいというの!? ……最低限の装備は確保してあるから、戦えないことはないけれど……!」


 思えば最初から非協力的な娘だった。爆弾を作らせても威力は期待の半分も出ていない。


「……探しているひまもないわ。ここも捨てるか……」


 ここには自分の身元を示すものはなにも残していない。粗末そまつな寝台とテーブルがひとつ、保存が利く食料の置き場と小さな台所、そして便所くらいのものだ。放棄したところでしくもなんともなかったが、心のうすら寒さだけは残った。


「――リルルと対決してから何一つ上手くいっていない! 疫病神やくびょうがみだわ!」


 もう時間は残されていない。予定では、明日になればあの一行パーティーがこの王都に到着するからだ。

 その結果に、この王都で始まるであろう嵐の様を想像しても、エヴァレーの心は以前とはちがい、全く晴れることもなかった。


 自分は世界を広げようとしているのに、自分の世界は刻一刻とせまくなっていく。その事実にエヴァレーは嘆息たんそくらすこともできなかった。



   ◇   ◇   ◇



 リルルたちもまた、自分たちのアジトにいた。

 王都の港湾区こうわんくの一角にある、小さな廃工場が集まる界隈かいわい。王都の西地区で行動する際の前線基地でもあり、屋敷に置いておけない危険な物を保管しておくため、廃工場のひとつを買い取って所有している。


 そして、屋敷に置いておけない危険なものが今、腕をばしたクレーンの先から宙づりになっていた。


「……フィル姉様、これはいったいどういうこと」

「それはこちらが聞きたいのですよ」


 素っ裸にかれた体を素肌のひとつも見えないくらいに荒縄でぐるぐる巻きにされ、その縄の先で吊されたスィルスィナがわずかに振り子運動を見せている。まるで巨大な蓑虫みのむしかなにかのようだった。


「――私、これとそっくり同じ光景を見たはず……」


 数日前に双子のクィルクィナも同じ目にあった格好だが、姿形はまさしく瓜二うりふたつなのに、その落ち着きはまさに正反対だった。


「どうしてあんな連中と行動を共にしているのです。わたしはもうあきれ果てて……」

「バズもマハも世界を救うために行動している」


 その泣きわめいていた当のクィルクィナは、この場のすみにいた。自分と同じ目にわされている双子の姉妹に、涙目になった顔を向けていた。


「私はそれに力を貸しただけ。彼等の世界救済の方針は正しい」

「これはかなり洗脳さやられているようですね」


 早々に説得をあきらめ、フィルフィナは頭を抱えた。


「フィル姉様こそ、その格好はなに。ほこり高きエルフの王族の一人、王位継承権おういけいしょうけん第一位とあろう者が、人間の下働きの格好で、しかも人間をあるじあおいでいるとか。正気とは思えない」


 フィルフィナが反射的に抜いた拳銃を、横にいたリルルがとっさに押しとどめた。


「……この洗脳をまともにくのは時間がかかりそうです。外との交流を断ちきって自分で考える環境を与えれば解けていくかも知れませんが、数ヶ月の期間がかかるかも」

「そんなに……」

「まともに解けばの話ですけれどね。仕方ありません」


 聞いていたリルルの産毛が総毛立った。意識よりも先に体の方が嫌な予感を覚えていた。


「これに頼るとしましょう」


 フィルフィナが黒い腕輪からひとつのものを取り出し、リルルは自分の予感が的中したことを知った。


「待って、フィル、それは」

「もうこれしか手段がないのです。わたしもこれを使うのは、本当に、本当に嫌なのですが、やむを得ません。可愛い妹をこれで処断しょだんするのは気が進まない、ああ進まない、本当に進まない――」


 リルルを戦慄せんりつさせる道具が、フィルフィナの手の上にあった。

 手の平と同じくらいのはばと広さ、銀色に光る金属の細工物さいくぶつだ。指を通すための輪っかが四つ、それが横に長い一つの輪に繋がって連結されている。


 その形が見せる禍々まがまがしさに、リルルのほおが引きつった。


 記憶飛ばしの拳鍔メリケンサック。怒りの感情を込めてこれを握り、記憶を吹き飛ばしたい相手の頬をなぐり飛ばせば、その対象はある期間の記憶を、激痛と共に吹き飛ばされる――。

 その道具の意味を理解しない者は、この場ではいない。クィルクィナもヒッとのどを鳴らした。


「この拳鍔は精神構造に作用しますから、これでぶん殴れば洗脳が解けるかも知れません――いえ、その前にわたしの怒りが、この馬鹿妹をぶん殴りたいのです。洗脳が解けるかどうかは建前に過ぎません。さあスィル、姉がくだす罰を受けなさい」

「リ、リルルお嬢様ぁぁ! お願いだからフィルお姉ちゃんを止めてぇぇ! スィルを殺す気だよぉ!!」

「フィル、それはよしましょう。まだなにか方法があるわ。今は落ち着いてよく考え直して――」

「……お嬢様は、隅っこで引っ込んでてくださいませんか?」

「はい、わかりました」


 フィルフィナが向けた横目の眼光の鋭さに、リルルは大人しく引っ込んだ。


「スィル、傷はなんとしてでも一日で元通りに治してあげます。いくらわたしでもゆがんだ妹の顔を見るのは忍びない――歪ませますけれどね」


 拳鍔を握り込んだフィルフィナが妹に向かって歩き出す。その後ろで震え上がったリルルとクィルクィナが、蒼白そうはくの頬をくっつけ、全力で抱き合っていた。


「……待って、フィル姉様。今、洗脳が解けた。だからよそう」

「誰が信じるか」


 エルフの三人姉妹、その長姉ちょうしたるフィルフィナの腕が音もなく真っ赤な火炎をき上げた。それはその拳鍔が効力を発揮する証と同時に、装着者そうちゃくしゃの怒りを真っ正直に表す炎だった。


「傷の回復にも激痛がともないます。スィル、この一撃と共にそれをゆっくり味わいなさい」


 フィルフィナは予告を実行した。

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