「寝物語たち」

「なんで君と寝ることになっているんだ!」

「仕方ないでしょう」


 互いの存在を確かめられるほどの明るさしかともしていない、低い位置にえられたランプのあかりの中。

 ニコルは、危機にひんしていた。


「隣の部屋は片付けが間に合わないし寝台も置けない、近衛このえ貴方あなたわたくしの近くで寝ようとしたら、一緒に寝るしかないじゃない」

「僕は居間で十分だ、そこに移って……」

「まだ体が十分に動かないのに?」


 純金の深みを感じさせる濃い金色の髪が、暗がりの中にも関わらず、いや、暗がりの中でこそなのか、淡い光を受けて目にまぶしく光を反射していた。

 起伏きふくに富んだ体の輪郭フォルムが隠せるわけがないほどに、うすい夜着を着るエヴァレーがつややかに微笑ほほえむ。


 ニコルは戦慄せんりつしていた。


「別に問題はないでしょう。なにかある?」

「並べ立てられないほどにある!」

「大きな声を出さないでよ。貴方、こんなところを見られたいの」


 少女のぷっくりとしたくちびるに、細い人差し指が当てられた。その唇と、布団をかぶりもしていない下着同然の少女の夜着よぎに、ニコルは表面が発熱している顔をそむけた。首は、いつもの半分はなんとか動いてくれた。


「体も満足に動かせない貴方がわたくしおそったりしないでしょう。わたくしが貴方を襲う分にはなんのかども立たないし」

「君は……!」

「冗談よ。いちいち反応が可愛いんだから。――ふふ、そんなに邪険じゃけんにすることないじゃない。わたくし、貴方の可愛いの・・・・に触れてしまったなかでしょう?」

「…………!」


 ニコルは、首がこれ以上回らないことを本当にのろった。真っ赤にまりきった顔の熱さで、枕が発火しないのが不思議なくらいだ。


 頭の中で、熔鉄ようてつのようにけてけた羞恥心しゅうちしんうずを巻く――屈辱くつじょくだ、とニコルは泣きたくなった。いや、泣いた。


「仕方ないじゃない、生理現象なんだから。貴方にこの敷布団に大陸の地図をいてもらうわけにはいかないのよ」

「だからって、君が自ら世話することが……!」

わたくしがしたいからしただけよ。貴方に強要きょうようされたわけじゃないわ。なんの問題もない」


 すっと、ニコルのほおに白い手がかぶさった。氷のように冷たい手だった。


「貴方に興味があるのよ、わたくし。だから貴方の無礼ぶれいな口の聞き方も許してあげているの。他の人間がいるところでは気をつけてね――そうそう、あんなことをリルルにしてもらったことがある?」

「君だけだ! あんなことをされたのは!」

「それはとても光栄ね。……じゃあ、リルルと寝たことは?」

「あるはずない……!」


 ニコルの心臓がうずくような痛みをうったえたのは、騎士団の連中に加えられた暴行のためでもないだろう。


「貴方、結構モテるでしょうに。誰かとちぎりを結んだことはある?」

「ない! どうしてそんなことばかり聞いてくるんだ!」

「興味があるっていったでしょ。人の話は聞いていなさい」


 頬に当てられた手が今度は髪に回る。乱暴にしてくれればいいのにと思うが、ニコルの意に反してその指は金色の髪を優しい手つきででてくれた。


「リルルにみさおを立てているというわけね。今時いまどき古風なものだわ。ゴーダムの領地にいた頃も、たくさんの女の子をはしゃがせていたでしょうに――そこで何人とキスしたの?」

「誰ともしてない! 僕がキスをしたのは、リルルと――」

「リルル以外と、したことがあるのかしら?」

「――リ、リルルだけだ……!」


 ニコルはうそいた。何故か、心がものすごく痛んだ。


「本当に面白いわね、貴方。――知ってる? わたくしの同級生で、もうお腹に赤ん坊を抱えている子もいるのよ」

「知りたくもない……!」

「あのリルルのどこがそんなにいいの?」

「君にいってもわからないことだ。これは二人の問題なんだから」


 少女の指が少年の髪をつまんで、指に絡める。


「どうせ、未婚の女性に手を出すことなどもってのほかだとでも思ってるんでしょう。それでリルルに操を立て続けて――いいの? 貴方、一生女を抱かないつもり? リルルと結婚できる当てでもあるの?」

「希望は……あるんだ」


 エヴァレーが、瞬いた。


「快傑令嬢を、リロットをつかまえる」

「……はい?」


 エヴァレーの目が、まばたいた。何故その名前がこの場で、と本当にわからないという顔になった。


「二ヶ月程前、陛下が公布こうふされた。快傑令嬢リロットを逮捕した者は、上級騎士に取り立てると。上級騎士ともなれば男爵相当だ。立派な世襲せしゅう貴族なんだ。その身分になれば、旦那様だんなさま――フォーチュネット伯も、僕とリルルとの結婚を考え直してくれるかも知れない。だから僕は王都に帰ってきて、リロットを追いかけて――」

「ぷっ!」


 耐えきれずにエヴァレーがき出した。噴き出すしかなかっただろう。

 リルルと、リロットと、ニコル――その奇妙すぎる三角の関係の相関図そうかんずを頭に描いて、笑いをこらえられるわけがなかった。


「あはは、あははは、あはははは……!」

「なにが……」

「お……可笑おかしいわよ! 久々に大笑いできる話を聞いたわ! ああ……そうね、そうでしょうね……!」


 リルルがニコルに明かすわけが、明かせるわけがない――自分がその当のご本人、快傑令嬢リロットであることなどが。エヴァレーにはそう断言できる。それくらいにはリルルを知っている自負があった。


「笑わないでくれ。僕は真面目なんだから」

「ま……真面目だからこそ可笑しいのよ。そう……そうなんだ……あははは、あはは、あははははは……!」


 ね回る腹の中身の痛みに涙が浮いてくる。底が抜けるくらいに腹が動き回り、息苦しさにせきまで出る始末だった。


「ふふふ……可哀想かわいそうね、かなわぬ夢ばかり追いかけて……そう、貴方も、なんだかんだで道化どうけなのね……」


 最後の言葉は耳に入らないようにしてやった。今、ここでリルルがリロットであることを教えてやろうかといたずら心が首をもたげたが、それは封印ふういんした。


「ふふ……ま、いいわ……」


 寝ましょう、といってエヴァレーは布団に潜り込んだ。


「明日になれば、貴方も歩ける程度にはなるでしょ。面白いものを見せてあげるわ……いや、つまらないか。あまり観賞かんしょうえるものでもないわね、あれは」

「なんだ、それは……」

「――わたくしの、婚約者・・・よ」



   ◇   ◇   ◇



「そう、ニコルにはまだ、貴女あなたが快傑令嬢リロットであることを話していないのね……」

「――うん」


 夜のフォーチュネット邸、リルルの寝室。

 足元を照らすだけの明かりをともした部屋の中、ひとつの寝台に二人の少女が潜り込んでいた。

 枕を二つ並べ、いつまでも途切れない話を続けている少女たち――リルルとサフィーナ。


 昨夜、ゴーダム邸で一夜を語り明かすようにして共に眠った二人は、今日はリルルがサフィーナをまねき返す形で、寝台を変えて床にいていた。


「当然か……ニコルが知ったら、きっと止めるでしょうね……」

「私、今はやめるわけにはいかないの。やめられない理由もできたの。ある人と約束したから」


 ひとりの名前を、リルルは心の中であたためる。大切な名前。


「続けられる限り続けるって約束したの。こんなつまらない私でも、私がふんする快傑令嬢を必要とする人がいるから。そんな人が、この王都にひとりでもいるのなら――」

「……そんな快傑令嬢を、ニコルは、貴女と結婚する条件として追い続けている……」


 その矛盾むじゅんした構図が、ふたりの少女を嘆息たんそくさせた。


「私のせい。ニコルには申し訳ないことをしているのはわかってる。わかってるの。でも……」


 それぞれに顔の半分を枕にめ、背中を合わせるようにして横になっている。

 フィルフィナはいつものように、壁一枚をへだてた隣のメイド部屋で眠りについているはずだ。この寝室で外からじょうかれる気配の一つでもあれば、飛んでくるだろう。


「今は、ニコルには明かせない。けれど……いつか、ニコルの前で全てを告白して、謝らないといけない……いつか……。その日がこわい……怖いけれど、いつかは……」


 いつの間にか、リルルとサフィーナの二人の間で、心の垣根かきねは消えていた。二人の心から想いがぽろぽろとこぼれ続ける。


 全ての色を失せさせる暗闇の中に自分を置いていると、明るさの中では開かなかった心の引き出しの鍵が、いつの間にか解かれるものなのか。


「――リルル、物事の順序を間違まちがえてはダメよ。今はニコルを取り戻すことが先。そうでなければ話が始まらないでしょ?」

「うん……」


 サフィーナが今、かたわらにいてくれるのは、リルルにとって本当にありがたかった。自分の心のぐらつきを見抜かれていたのか、今日は一緒に過ごしましょうと提案され、それに甘えたのだが……。


「大丈夫。ニコルは強い人よ。それは私も貴女も知っている。だからお互いに同じ人を好きになったんじゃない」

「……サフィーナ、私」


 体を起こそうとしたリルルを、こちらを見もしないサフィーナの手が上がって制した。

 閉ざされたカーテンの上の方で、小さく光の輪が輝いていた。――満月か。


「いいのよ、私のことは気にしないで。相手に好きな人がいるのをわかっているのに、横恋慕よこれんぼするような女に気をつかうことはないんだから――――ね?」

「……ありがとう、サフィーナ……」

「お礼をいわれるようなことでもないの。リルル、貴女はもっと堂々としていなさい」


 まるで姉のような強さと広さで、サフィーナは言葉をいだ。


「私はニコルのことが好き。そして、ニコルが愛している貴女のことも好き。そういうことなのよ、リルル」

「……私も、そういってくれるサフィーナが好き……」

「よかった。厚かましいと嫌われてなくて」


 背中のサフィーナが、笑ったような気配がした。

 寝物語の時間は終わったようだ。数十秒の空白の時間がそれを告げていた。

 二人、合図もせずに時を同じくして目をつむる。そうしないと明日という日が来ないというように。


「明日のことは、明日考えましょう。おやすみなさい、リルル」

「……おやすみなさい。サフィーナ」



   ◇   ◇   ◇



 隣のエヴァレーの寝息が熟睡じゅくすいの気配を示してきたのを確かめて、ニコルは目を開けた。


「――――く……」


 体の感覚が、幾分いくぶんか戻っていた。筋肉に神経が命令を伝達してくれ始めているのはありがたかったが、同時に、鈍い痛みも伝えてくれているのは、ご愛敬あいきょうというべきか。


 まだ東の空が白む気配もない深夜の時間だ。ニコルは布団から体をすべらせ、寝台に腰掛けるように絨毯じゅうたんの上に足を下ろした。そのまま両足でん張るようにして立ち上がる――思ったよりも歩けるようだ。ありがたい。


 音の全てを殺し、寝室の扉を蝶番ちょうつがいきしみに神経をとがらせながら開けた。体が入る隙間すきまだけをけ、外に出て後ろ手に扉を閉める。

 そのまま廊下ろうかに――は出ずに、ニコルはバルコニーにつながる大きな窓に足を向けた。


 窓をわずかに開けると、音もなく風が吹き込んでくる。揺れるカーテンに顔をなぶられながら腰を下ろし、ニコルは小さな声でささやいた。


「――いるんだろう。昼間から気配はしてたんだ」

「なんだ、気が付いてたのか」


 声は意外に近い所から聞こえた。次にヌッと体を伸ばすようにして顔を見せたその人影に、ニコルはわずかに濃い水色の瞳を大きく開いていた。

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