「約定と尋問と」

 土に着いたふたりの膝はそのまま動かず、しかし感情の揺らぎに戦慄わななき、震えていた。

 互いの顔を確認し合い認識し合った瞬間に、共に動けなくなっていた。

 あり得ない、と最初からその可能性を頭の中から放棄ほうきしていたものが、目の前にある。


「あ……貴女あなたが快傑令嬢ですって……? そんな、あのグズの泣き虫リルルが……?」


 隠蔽いんぺいのマスクをぎ取られ、髪と瞳の色が地味な黒から華やかさをかもし出す金と琥珀こはくの色に戻されたエヴァレーの、目と声が揺れていた。


「……貴女、本当に、エヴァレーなのよね……?」


 エヴァレー以外の何者でもないのはわかっていながら、リルルは聞くしかなかった。容疑者として想像もしていなかった人物が、真犯人として自分の目でとらえられていた。


 私立中等学校パブリック・スクールで散々にいじめ、いじめられした仲だ。それが今の今まで、真剣を取り合って命をうばうようなり合いをしていたとは――。


「どうして、公爵令嬢がこんなことを!」

「それをいうなら貴女とて伯爵令嬢でしょうが! ……ふ、ふふふ……でも、貴女が快傑令嬢リロットというわけか……正体を見なければ信じられないけれど、見てしまったら貴女以外にないような気もしてきたわ……」


 問い詰めるリルルが怒り、問い詰められるエヴァレーが嘲笑わらった。


「あはは、はは、あははははは……! このわたくしとしたことが、よりにもよって、おさかな令嬢の偽者を演じていたとはね!」


 二人は立ち上がろうとし、同時に片膝を屈した――もう、互いに斬り込むためのみ込みをきざむ気力もないし、そもそも双方共に、手のレイピアを根元から折られて失っていた。


「――どう?」


 そんな、最早もはや目と口しか動かせない中で、リルルはとんでもない提案を聞くことになった。


「リルル。ここは、二人で協定を結ばない?」

「協定ですって……?」

わたくしたちは互いの正体を知ってしまった。それぞれに立場がある身よ。周囲に知られるのがマズいのはわたくしも貴女も同じでしょう?」

「だからって、貴女の不法を見逃みのがせっていうの!?」

「このまま別れて帰って、その後でわたくしを偽快傑令嬢として告発する?」


 エヴァレーが笑う。挑発するように。


わたくしの屋敷に証拠なんかひとつもないわよ? 貴女、屋敷に、自分が快傑令嬢であるという証拠を、ひとつでも置いているのかしら?」

「く…………!」

わたくしを罪に落としたいのなら、今ここで第三者の元にわたくしの顔をさらすことね。まあ、それは無理でしょうけれど。警備騎士団がここに来るまであと何十分かかるかしら?」

「…………」

「ザージャス公爵家の一人娘が偽快傑令嬢をやっていたなんていうのは、冗談とも取ってもらえないことなのよ。――のろまなグズ令嬢の貴女が、世間をさわがせている快傑令嬢リロットであるというのと同じでね!」


 振り上げられたエヴァレーの手に握られていたムチが、彼女の真上にびる。その先端が自らの意志で大木の枝にからみつき、エヴァレーの真っ赤なドレス姿を軽々と引き上げた。


わたくしも貴女を告発しなければ、貴女もわたくしを告発しない――この取り決めでどう?」

「偽快傑令嬢の貴女を信用しろというの!?」

わたくし侮辱ぶじょくするのではなくてよ、リルル! これは、公爵令嬢エヴァレー・ヴィン・ザージャスの名において結ばれる約定! わたくしにも貴族としてのほこりがある! わたくし違反いはんしたと知れば、刺客しかくでもなんでも差し向けるがいいわ!」


 へびのように自らをよじって遠心力をつけたムチが、エヴァレーの体を振り回し、大木の頂点の頂点――真上に伸びきった枝の先端に彼女のハイヒールが乗る。

 はるか高みから見下ろしてくるエヴァレーの姿に、リルルは歯噛はがみした。


「――沈黙ちんもくは同意と見なす! リルル、今度会った時は新しいレイピアの切れ味を試させてもらうわ――その首を飛ばすことでね!」

「エヴァレー!」

「貴女のあの金色の想い人によろしくね。……面白いことが起きるから期待してくれていていいわよ――ふふふふ!」


 魔法のかさを開き、エヴァレーは空の高きにその姿を消した。


「金色の想い人……? ニコルのこと? でも、どうしてニコルの名前がここで……」


 リルルの耳にらしている耳飾りイヤリングが震えたのは、ちょうどそんな頃合いタイミングだった。


『――お嬢様、無事ですか?』

「フィル! どうしたの、あなたにしては長引いて……」

『申し訳ありません、ややこしいことになってしまって……」


 いつもの明瞭さがうかがえない口ぶりだった。


「そちらも終わったようですね。つかまえられましたか?』

「逃げられてしまったわ。私はケガひとつないけれど……」

『残念です。――先にお屋敷に戻っています。すみませんが、お嬢様は独力でお戻りください、では』

「あ、ちょっと!」


 耳飾りからの声は途絶えた。

 フィルフィナが無事なのはよかったが、様子がおかしい。本来ならなにを置いても、こちらにけつけてくるはずなのに――。


「……私も撤退てったいしなくちゃ。でも、ニコルがいったいどうだっていうのかしら……」


 払い落とされたメガネを拾い、リルルは取り出した発煙筒はつえんとうを地面に立て、それを点火した。警備騎士団に対しての『作戦失敗、目標を取り逃がす――』の合図である真っ青な色の煙が、ものすごい勢いで木と木の間を突き抜けて上がり始めた頃には、リルルの姿もまた、そこから消えていた。



   ◇   ◇   ◇



「フィル?」


 快傑令嬢としての衣装から普段着に着替え、迂回うかいに迂回を重ねて足取りをたどられないようにしたリルルがフォーチュネット邸に帰り着いたのは、既に夕刻を過ぎたころだった。

 明かりひとつついていない屋敷にログトが帰っていないのはいつものことだが、フィルフィナの姿もない。


 自分の居室のドアを開け、手持ちランプの青い光で部屋の中を照らしたリルルは、テーブルの上に一枚の書き置きが残されているのを見つけた。

 小さな紙片にひとつ『鏡』と書かれている――フィルフィナの字だ。


「アジトに来いっていうこと?」


 万が一、ログトに見られても問題ないようにする暗号だ。転移鏡てんいかがみで移動する秘密のアジトにいるということだろう。

 いつもとことごとくズレたフィルフィナの行動に、リルルは大きく息をいた。


「ま、行ってみればわかるか……」


 姿見スタンドミラー偽装ぎそうしている長距離瞬間移送装置『転移鏡』に触れようとしてリルルは、椅子いすに引っかけられているフィルフィナのメイド服に気が付く。


「――フィルったら、散らかして、もう」


 洗濯室せんたくしつに持っていこうとリルルはそれを抱え上げ、余計なものを一緒に洗濯してしまわないように、確認しようとポケットの中に手を突っ込んで――小さな固いものを二つ、さぐり当てていた。


「――あれ?」



   ◇   ◇   ◇



 リルルたちは秘密のアジトを王都の南西部、今はさびれた廃工場が建ち並ぶ港湾地域こうわんちいきの一角に持っていた。屋敷には置いておけない物を保管する施設として、時には捕虜ほりょ尋問じんもんする場所として。

 転移鏡でそこに瞬間移動したリルルは、とんでもないものを見ていた。


「はぁ――――――――あああ!?」


 素っ裸であろう胴体を、荒縄あらなわで素肌が見えないくらいにぐるぐる巻きにされたフィルフィナが、天井のクレーンからつるされ、宙に浮いている!


「フィル――ッ!?」

「お嬢様、わたしはここです」

「え?」


 目に飛び込んできた驚愕きょうがくの光景に釘付けにされた目が、その落ち着いた声に誘導されて、下がった。

 素性を隠す戦闘服である黒装束の覆面ふくめんを解いたフィルフィナが、ほとんどその真下で土下座していた。


「え、えええ、え? フィルが吊られていて、フィルが下にいて、あれ、あれ?」

「こちらがわたしです」


 掃除もロクにしていない床に額をこすりつけている方のフィルフィナが、そういった。


「ということは、こっちのフィルは――」

「うわあ~~ん! 助けてぇぇぇ――!!」


 緑のふわふわした髪、尖った耳、涙に濡れたアメジスト色の目、小さな体格――フィルフィナにしか見えなかったが、よくよく見ればフィルフィナよりもやや小柄に見えるし、なにより声が全然ちがう。


「あたしが悪かったから、悪かったから下ろして! 息が苦しい、息が苦しいよおおお!」

「うるさい! だまってなさい! さもないと強制的に沈黙させますよ!! 永遠に!!」


 額を黒く汚したフィルフィナが、首を曲げて上を見上げる。


「お前のような不肖ふしょういもうとを持ってしまったがために、わたしがこんなはじをさらしているのではないですか! この馬鹿妹が!!」

「い――いもうと!?」

「その通りなのです、お嬢様――本当に、本当に、本当に申し訳ありません!!」


 フィルフィナが再び床に額をなすりつける。そこだけ本来の床の色が出て来そうな勢いだった。


「わたしの妹、この愚かな家族のために、お嬢様に大変なご迷惑をおかけし! 本来ならばお嬢様がお帰りになる前に、自害して恥をすすがなければならないところを! せめて説明の一通りはしなければならないと、こうして生き恥をさらさせていただいております!」

「ちょ、ちょっと、ちょっと待って」

「お姉ちゃん、死んじゃやだぁ! どうせ死ぬ前にあたしも殺すんでしょう! 死ぬならひとりで死んでよぉぉ!」

「クィルクィナ、わたしに、わたしに、こんなぬぐい切れない恥のどろりたくっておいて……! 今すぐそののどに、油まみれの雑巾ぞうきんを詰めますよ!」

「嫌だぁ! 油にまみれてなくても嫌だぁぁ!」

「ク……クィルクィナ?」


 吊して点火されたねずみ花火のように暴れている小さなフィルフィナの姿に、リルルは唖然あぜんとするしかなかった。


「わたしの妹です! 馬鹿妹の馬鹿双子の片割れです!」

「フィル、あなたに妹なんていたの!? し……知らなかった……」


 母親がいるのは知っている。面識もある。だが、その存在とて、フィルフィナと知り合って十年もってから知らされた事実なのだ。自分がエルフの里の王女であるという貫禄かんろくも消し去って屋敷で働いているフィルフィナの、故郷での個人情報の知識などは、リルルにはないに等しい。


「あの馬鹿母も恥ずかしいですが、こちらの馬鹿妹はさらに輪をかけた馬鹿馬鹿で……もう、どうしてわたしの家族は馬鹿、馬鹿、馬鹿ばかりなのでしょう!」


 フィルフィナの嗚咽おえつが廃工場内に響き渡る。配慮はいりょを忘れたその大声に、リルルはこの声が外にれていないか本気で心配した。


「それが、よりにもよって偽快傑令嬢に力を貸していたなんて、もう、フィルはこのまま溶けて消えてなくなってしまいたいくらいです! お嬢様、どうかこの拳銃でフィルの頭をお撃ちください! その後、この愚妹ぐまいを煮るなり焼くなりあぶるなり炒めるなり蒸すなり切るなりどうぞお好きに!!」

「うわあああぁぁぁん! 活け作りは嫌だぁ! あたしを刺身にしたって美味しくないよぉぉ!!」

らない、要らないから!」


 フィルフィナが地面に叩きつけるように差し出した拳銃を、リルルは遠くに投げやった。


「エヴァレーに力を貸していたって、本当なの!?」

「エヴァレー!? あの傲慢ごうまん高慢こうまんちきのエヴァレー・ヴィン・ザージャスが、偽快傑令嬢だったのですか!?」


 手をついたままフィルフィナが体を跳ね上げた。もうおでこが可哀想なくらいに真っ黒になっていた。


「そうよ、お互いに相手の正体を隠す道具を外し合ってしまって、それで私も素顔を見られる羽目はめに……。互いに告発はしないという取り決めは交わしたけれどね」

「そんな取り決めは……」

「信用はしていないけれど、お互いの弱味を握り合っているのだもの。やられたらやり返すまでよ。――ねぇ、クィルちゃん、でいいのかな?」

「下ろして、なわを解いて、助けて――!」

「あなた、エヴァレーとどういう関係なの? ちゃんとお話してくれたら悪いようにはしないから」

「お嬢様、手ぬるい! わたしが尋問します。知っていることはもちろん、知らないことまで全部白状させて見せます!」


 立ち上がったフィルフィナが手にしたムチを一振りする。中に小さな歯車を満載した金属の集合体が、その一閃いっせん牛酪バターのように切断された。


「クィル、素直に白状したら苦しまずに殺し、里にめてやります――抵抗するのならば痛めに痛めつけた上で、裸にした死体を運河に投げ込みますからね!」

「どちらにしたって殺されるよぉぉ! なにお嬢様か知らないけどお嬢様、助けてぇ! くつでもなんでもめるからぁぁぁ!」

「ああああ……」


 リルルはこめかみに痛みを覚え、この場にうずくまりたくなった。取りあえず聞き出さなければならないことを頭の中で整理し、尋問の段取りを考えるところから始める必要があった。

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