エピローグ

「葬列・その一」

 エルカリナ城の南方に面した全ての階層のバルコニーというパルコニーには、双眼鏡を目に当てた兵士たちが数百人ほども手すりから身を乗り出し、その全員が息を殺すようにして、南――海の方向を凝視ぎょうししていた。


 埋立地うめたてち沖の『穴』から浮上した竜を、沿岸防衛大隊がほこる列車砲の三門の狙撃そげきで叩き落としたのは、王城からも観測されていた。


 問題は、そのあとだ。

 竜の生死は、王家の秘宝たる『赤の瞳』の回収は?

 列車砲の砲撃音がとどろいてから、三十分以上が経過しようとしていた。


 昼の明るさにも関わらず、太陽のように発光する花火が埋立地の真ん中から打ち上がったのは、その間、ずっと同じ姿勢を取っていた兵士たちの筋肉が悲鳴を上げ始めたころだった。


 まばゆく燃えるような光が、いくつか空中でまたたいた。

『赤』、『翠』、『青』、『白』の順で、四発。

 かわいた破裂音が視認のあと、数秒を置いて王城に伝わってきた。


「信号弾、上がりました!」


 玉座の間に詰めていた首脳陣が、バルコニーで物見ものみとして双眼鏡を構えていた兵士の声にざわめいた。宰相さいしょうイェズラム公爵が、もう首さえ向けることも負担になっている身で、その目だけを向ける。かたわらに座っていたウィルウィナが、無言で立ち上がった。


「『赤』、『みどり』、『青』、『白』――四発です! 確かです!」

「……『三つの秘宝の回収に成功せり、竜の機能停止を確認――』――こちらでも確認しました! 間違まちがいありません!」


 おどろきとも歓喜かんきともつかない声の雪崩なだれひろががっていく。


「ば……」


 そんな中、合図もなしに一人の兵士が両の腕を上げ、その大音声だいおんじょうを張り上げた。


「エルカリナ王国、万歳!」


 その声を受け、他の兵士たちもが双眼鏡を放り出す。双眼鏡を抱えたままでは、それは無理だったからだ。

 感極まりきった熱気が津波のように走って広がり、万感の思いを胸に抱えきれなくなった兵士たちが、それをき出すように両腕を次々に高々とかかげた。


「エルカリナ王国万歳!!」「万歳!」「万歳!!」「ばんざぁぁい!!」


 張り詰めきっていた緊張きんちょうが一瞬にして崩れ落ち、兵士たちがき出しの心で合唱する。


 王都の危機は去り、我々が勝ったという喜びがうずを巻き、炎となって、熱狂の嵐となって吹き荒れた。


「おお…………」


 寡黙で知られるシェルナ侯でさえ万歳の唱和に合わせて腕を上げ、その目の端を涙でらすほどに興奮した空気の中、死相しそうを隠せないイェズラム公爵が、震えながらもその枯れ木のような指で車椅子くるまいす肘掛ひじかけをつかみ、今にも折れそうな細腕で体を支え、ゆっくりと起き上がった。


 車椅子の足掛けから足を降ろし、立ち上がろうとして――しかしやはり、自分の体重を支えられずによろめいた。


「あ、ああ……」


 平衡バランスを戻すこともかなわず、前に倒れるしかないその老人に気づくものはいなかった――たった一人をのぞいては。

 ウィルウィナが、その老躯ろうくを真正面から抱き止めていた。イェズラム公の顔を、その豊かな胸で包み込んだ。


「ウィ……ル様……」

「いいのよ」


 胸に倒れ込んできた老宰相の頭を、ウィルウィナは愛おしくでた。まるで、自分が産んだ子供のように。


「あなた、これ好きだったでしょ。可愛い顔で感動してくれたことを覚えているわ」

なつかしい、感触でございます……」

「――あなた、死んでしまうのね」


 表情のない顔で問うエルフの女王に、彼女の胸の谷間にその尖った鼻をうずめながら、老宰相はうなずいた。


「危機は……去りました。これで私も、不在の陛下に対し、申し訳が立ちます……全ては、ウィル様のおかげでございまして……」

「よくがんばったわね、私の可愛いアデル」


 ウィルウィナが、イェズラム公の頭にほおを寄せ、肌を合わせる。


「ありがとう、ございます……しかし、女王陛下、ただひとつだけ、思い残すことがございます……」


 宰相の異変にシェルナ副宰相が気付き、け寄って来た。その横顔にかかった死の気配に絶句して、なにもいわなくなった。


「アデルは、ついに現世うつしよでは、女王様にお仕えすること、かないませんでした……。私は、お先に参りますが……女王陛下もいずれは、いらっしゃられるものと……」

「私も、不老でも不死でもないから……いずれはね」

「そ…………その時のことで、ございます…………」


 老人のしぼみかけた眼球がうるみ、一線ひとすじ、ほろりと涙の玉をこぼした。


「女王陛下が、いらっしゃられた際は…………このアデル、今度こそ、向こうで貴女あなた様にお仕えしたいと……その望み、かないますでしょうか……」

「馬鹿ね」


 ウィルウィナは微笑ほほえんだ。限りなくおろかで、愛らしい子をその手でで上げた。


「あなたみたいな可愛い子、放っておくわけがないでしょう。――呼ぶわ、必ずね。……私はね、死んだら向こうで、死ぬまでに出会った可愛い子たちの全員を呼んで、後宮ハーレムを作るのよ。そんな所に、あなたが来ないとお話にならないの。あなたを、私の後宮の官房かんぼう長官に任命してあげる。その全身全霊で仕えさせるから、体をきれいにしていなさい――初めて会った時の、あの可愛らしい姿でね……」

「おおお……」


 イェズラム公の双眸そうぼうから、どこにそんなものが残っていたのかというくらいの、涙が大河のように流れ始めた。同時にそれは、老体に残った最後の命も流していくように思えた。


「それは……本当に、本当にありがたきことで……今までに受けたことのない、最も光輝こうきある地位でございますな…………」

「でしょう。向こうで自慢していいわよ」

「はい…………。ア、アデルは、首をなごう長うして、心からお待ちしております……。それでは、ウィルウィナ様……これで失礼いたします……ま、また……」

「ええ。またいましょう――――私のアデル」


 きない泉から流れ続ける涙が止まらないまま、老宰相のまぶたが、ゆっくりと閉じられた。

 ウィルウィナが胸から彼の顔を放し、乾ききったくちびるに口づけをする。

 最後の命を吸われたように、イェズラム公の体から、全ての力がけた。


「――さようなら、私の愛した子……」


 シェルナ侯が言葉もはさめず震えている中、ウィルウィナは老宰相の体を抱き上げる。そのまま車椅子に彼の体を戻し、再び唇にキスを残した。


「――シェルナ侯爵、見ていたわね」


 無限に続く万歳の合唱が続く中、老宰相が逝去せいきょする瞬間を見ていたシェルナ侯が、おびえるような顔をウィルウィナに向けた。


「偉大なる宰相、アデル・ヴィン・イェズラム公爵が亡くなられたことに対し、エルフの女王として、心からのおやみを申し上げるわ。――どうせ、お葬式そうしきには呼んでもらえないのでしょう。このお城を私の手で守ったこと、香典こうでん代わりにさせていただくわ。あなたたちの陛下が帰られたら、よろしく伝えておいて」

「ウィリーナ様……」

「私はウィルウィナよ」


 ウィルウィナが身をひるがえす。もう、この場にいる意味はなかった。

 兵士たちの喜びの興奮は続いている。その声の波を背中で感じながら、エルフの女王は足音も立てずに、玉座の間から下りる階段に足を向けた。


「……何度経験しても嫌なものね。可愛がった子たちに、先立たれるというものは……」


 涙を払った手を階段の手すりにこすりつけ、それだけを痕跡こんせきとして残し、女王は孤独こどくに去って行った。



   ◇   ◇   ◇



 王都を震撼しんかんさせた事態は、こうして終息した。

 多くの者が傷つき、多くの者が帰らず、多くの者が大切なものを失った。

 それでも時間は動き、太陽はめぐり、明日という時間はやってくる。


 人も、その時間に身をゆだねることで生きねばならない。時の流れから外れて、誰も生きていけないのだ。

 そして、人は生きていくためにひとつの儀式ぎしきをしなければならないというのが、社会だった。


 ――とむらい。


 人は自分で自分の後始末をつけられないから、他者にそれを委ねる。他者もそれを受けれる。いずれ、自分の後始末を誰かに頼まなければならない。

 だから、王都の小さな教会で今、一人の葬儀そうぎが行われようとしていた。


 その送られる人間の名は、コナス・ヴィン・ベクトラル伯爵という――。



   ◇   ◇   ◇



 どこまでそれが厚くのしかかっているのかというくらいの、厚い厚い曇天どんてんの日だった。


 春の日としては肌寒いくらいの陽気。下着の厚さを間違えたかなと体を少し震わせて、『本屋』――『快傑令嬢リロット同好会』の会員メンバーである小柄な男は、向かう道すがら、自分と同じ目的で歩いている一人の男の背中を見つけていた。


「そこをくは『探し物屋』なりか」

「おお、久しぶりでござるな、『本屋』」


 同じく同好会の会員である『探し物屋』が応える。中肉中背、特徴のない風貌ふうぼうの若い男。

 二人が街の界隈かいわいでばったり出くわしたのは、偶然の力というのだけではない。

 互いの服装――喪服もふくをそれぞれに確かめて、二人はそれぞれに複雑な表情を浮かべた。


「まさか、あの伯爵が死んでしまうでござるとは……」

「これぞ青天の霹靂へきれき、というなりかな」

「ここで立ち話をしていてもあれでござるよ。もう教会は近くでござるから取りあえず、歩きながら話すでござるな」

「そうなりな」


 二人連れ立って歩く。歩きながら話そう、といいながらも、二人は無言だった。

 話を切り出せないまま、教会に到着する。


 小さな教会だった。

 礼拝堂れいはいどうに五十人も入れるかどうかという、地区にひとつは必ずあるような、古びた教会。もう三年もすれば改築だな、といいながらずっとそれを先送りにしているような――。


「……本当に『伯爵』の葬儀をここで行うでござるか?」

「ちょっと信じられないなりな――『葬儀屋』、こんにちはでござるよ」

「おう」


 入口近くに立っていた、棒きれを思わせるように縦に長い体形の男が振り向く。同じく喪服を着ていたが、彼の立場は特殊だった。

 彼は、同好会の会長であった伯爵の葬儀に参列しているのではない。

 そのあだ名そのまま、この葬儀を取り仕切る立場にあった。


「『葬儀屋』……知らせを受けてびっくりしたでござるが、あの伯爵が本当に伯爵だったというのは、本当でござろうか?」

「役所も死人を使って冗談は飛ばさないだろ」


 笑いもなにもない。真顔そのものの表情で『葬儀屋』は応えた。


「死亡証明書も出た。ちゃんと本名と身分も……爵位しゃくいも記されていた。だから俺が仕事してんだ。――まさか俺があのデブの葬式をやることになろうとはな。いや、予約は受けてたんだ。冗談半分で営業をかけたら『一番高価たかプランはどれだい?』と来やがった」


 なんでよりによって、という苛立いらだちがその声の底にあった。


「うちの店で、そんなに豪華な案なんてあつかってないんだよ。貧乏人相手の商売で、貴族どころか金持ちの葬儀もやったことはないのに……あのデブ、嬉しそうに申し込みやがって……。その上、半年たないうちに取り仕切らせるとか……ふざけやがって……クソッタレが……」

「『葬儀屋』……」


 表情を変えずに淡々と言葉を並べ――しかしその根底に怒りと哀しみをにじませる『葬儀屋』の姿に、二人はなにもいえなくなった。


 無為むいな時間が何分過ぎただろうか。

 教会の鐘が一度、軽く鳴る。予鈴としての響きだった。

 その音に我に返ったように、『葬儀屋』が顔を上げた。


「――そろそろ始まるぞ。中に入ってくれ」


 三人は連れ立つようにし、教会に入った。

 外観のボロさを裏付けるかのように、中も暗い教会だった。

 天井のステンドグラスも陽の光なくしては輝かず、ともされている細い燭台しょくだいの炎だけが明かりの全てだった。

 もう間もなく葬儀が始まるという教会の中には、十数人の参列者が席に座っていた。


「――これだけなりか」

さびしすぎるもいいところでござるな……おや」


 もうかなり虫に食われている板を布でどうにか取りつくろっている、そんな古びた長椅子の端で、すっと立ち上がる人影がいた。


 ――喪服もふくにその身を包んだ、ふたりの少女たち。


「みなさん――」


 背の高い方の――それでも人並みほどの背丈の少女が、挨拶あいさつもできずに固まっている三人に対して、うやうやしく頭を下げた。


「このたびは、まことにご愁傷しゅうしょう様でございます。このリルル・ヴィン・フォーチュネット、つつしんで、お悔やみの言葉をべさせていただきます――」

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