「葬列・その二」

 ふたり――『探し物屋』と『本屋』が、目の前の少女がまっすぐな眼差まなざしで、しかしはかなさをも漂わせたその挨拶あいさつに、隠しようのないおどろきと緊張に、戦慄わななきさえした。


 リルルが自らの名として口にし、明らかにした『フォーチュネット』の家名。

 二人は知っていた。成人したこの都市の住人で、その名を知らぬ者は皆無かいむ、と言い切ってよかった。


「フォ、フォーチュネットで、ござるか……」

「フォーチュネットって、あれなりか、『魚貴族さかなきぞぞく』の……」


 口から零れた失言に、『本屋』が自分の口をふさいだ。

 領地も全て失い、貴族としては完全に零落れいらくした――当主の商才だけで、有りあまる金だけは持っている家。王都の水産物の一切を取り仕切る『フォーチュネット水産会社』を経営する実業家――。


「こ、こここ、これは失礼を! どうかお許しいただきた――」

「……頭を下げるなんて、おやめください」


 声を張り上げたいところを、リルルはあやうい所で声を落とせた。ここが教会、葬儀の場でなければ、きっとさけんでいたことだろう。


「いいんです。私、その呼ばれ方、嫌いじゃありません。確かに私の名前には、貴族を示す『ヴィン』の名がついています。でも、それがついていてよかったと思うことなんてないんです。……いいえ、ない方がよかったといつも思ってます。こんなもの、私にとっては、余計なかざり以外の何物でもないんです……」

「は、はぁ……」

「あの、リリーちゃんが……」


 数歩離れて立つ葬儀屋は、数十分前に自分と同じ反応をしている仲間を見ながら、ただもくしていた。


「伯爵……コナス様も、きっと同じ思いだったでしょう。あの方は窮屈きゅうくつな貴族の暮らしにうんざりされていました。それがなんの偶然ぐうぜんか、対等に接してもらえるお仲間を持てられて……。あの方は、あなた方お三人のことを、本当に、本当に大切に思われていました。ですからどうか、私もその仲間の中から、外さないでください……」

「――リルルちゃん、でいいじゃねぇか」


 葬儀屋がいう。その目はどこか彼方かなたを見ているようだった。


「……あの図書館で俺が『横幅よこはば以外、伯爵に見えない』なんて冗談だと思ったところから始まってるのか……。でも普通、図書館で伯爵様に気安く声をかけられることがあるなんて、思わないよな……」


 本音で語り合い、安酒をみ交わし合い、盛り上がった時には肩を組んで一緒に歌った『仲間・・』のことを想って、三人は言葉を亡くした。

 それぞれに、もう語り合えぬ仲間の姿を脳裏によみがえらせていた。


「コナス様は、決して気安くは声をかけたわけではないでしょう……きっと、勇気をふるってお声をかけられたものだと……」

「……そうか、そうだな。それが正しいな。確かにどこか緊張していたな。俺たちみたいだったよ、本当に……」

「しかし、この参列者の少なさはどういうことでござるか?」


 長椅子についている喪服もふく姿の人数を、『探し物屋』が目で追って数える――どう数えても、二十人を超えない頭数。


「貴族の家が皆殺しの上、焼き討ちされたという報道があったなりな。あれが伯爵の家だったなりよ」

「……王都の屋敷は伯爵をのぞいて全滅、ベクトラル家は無嗣断絶むしだんぜつ……跡継あとつぎがいないから家が途絶とだえたってわけだ。領地が外にあるんだろうが、そこの家臣は再就職活動でいそがしい……そんなこったろうぜ」

「……人情味のない話でござるな」

「どういう経緯いきさつかはよくわからんが、伯爵の遺書には、俺に葬儀を取り仕切れとわざわざ書いてくれていたそうだ。こんなショボい葬儀でいいのかね……」


『葬儀屋』が視線を横にすべらせる。その先――祭壇さいだんの真正面、その壁一面にあふれるほどの白い花が飾られていた。が、それは、庶民しょみんが少し気張って出す葬儀そうぎ以上の規模ではなかった。


「……ま、これも商売だ。しろといわれたらやる。あらかじめ、金はもらってるからな」


 葬儀屋の視線を追い、他の四人もそれ・・を視界に入れた。

 白い花々に見守られるようにして、ひとつのひつぎ安置あんちされていた。

 誰がいうともなしに同好会の面々はその棺のかたわらに足を運び、まだふたが閉じられていない中をのぞき込む。


「――伯爵……」


 コナスが、眠っていた。

 純白の厚い絹のガウンを重そうに着、き詰められた白い花の布団にくるまっている。花の香りがほのかに漂い、それが返って死の気配をかもし出し――そして、遺体そのものがその気配を打ち消していた。


「笑っているなりな」


 とてもいい夢を見ている、といわれても信じられそうな笑顔を浮かべていた。


「『葬儀屋』、苦労したでござろう、死人の顔をこんな風に整えるのは……」

「いじっちゃいねえよ」


 少し乱れていた花の角度を直し、『葬儀屋』がいう。


「運び込まれて来た時から、この顔だった。体中傷だらけだったのに……俺も商売柄しょうばいがら遺体いたいばかり見てるけどな、こんな満足げに笑ってる遺体なんて見たことねぇよ」

「リロットを守って、くなられたんです」

「――――え」


 三人が絶句した瞬間だった。


「……快傑令嬢リロットに降りかかるやいばたてになって、彼女を守り抜いて……」

「……そ、それはなんでも、できすぎの話でござろう?」

「本当の話です」


 少年のすずやかな声に耳を打たれ、視線がその方向に集中した。

 リルルが言葉を失う。その白い顔からさらに、血色の一切が引いたように見えた。

 白い花束を抱え、軍服にを表す白い腕章わんしょう襟章えりしょうをつけたニコルがそこにいた。


「王都警備騎士団所属のニコル・アーダディス准騎士と申します。……自分も、その場にいました。その瞬間を目撃した者です。申し訳ありません、自分は、コナス様をお守りすることができなかった……」


 やみの言葉と共にニコルが深々と頭を下げる。それに反応できたのは『葬儀屋』しかいなかった。


「い、いや、騎士殿が謝られる話じゃない! ……しかし、本当かよ、どういう経緯いきさつになったらそんなことになるんだ」

「――やむを得ない事情で彼女に後事こうじたくし、自分はその場を離れなければなりませんでした。きっと、コナス様はリロットに抱かれて、その最期を看取みとられて……」


 ざわ、とその小さな場の空気がどよめいた。


「そんなのありかよ! メチャクチャいい目してんじゃねぇか!」

「同情してそんしたなりな」

「是非とも代わってもらいたかったでござるよ」


 頭上で重々しい鐘の音が鳴り響いた。――式の開始を告げる本鈴ほんれいだ。

 入口を閉鎖するために『葬儀屋』が入口に向かい、『探し物屋』と『本屋』も長椅子についた。


 一言も発さず、リルルの側にまさしく影のように従っていたフィルフィナも、そのまま無言で離れていった。


「…………」

「…………」


 あとに残されたのは、静かに互いを見つめ合う少年と少女、そのふたりだけだった。

 リルルが口を開く――が、自分でもなにをいおうとしていたのかわからない。事実、口を開けただけで言葉が出てこない。そんな、勢いのままに動こうとした少女を、少年の言葉の機先が制していた。


「――お久しぶり・・・・・ですね、フォーチュネット嬢……」

「っ」


 表情を取り払った仮面のような顔から発せられたその一言は、言葉の弾丸となってリルルの心に穴を開けていた。

 色々な意味で違和感いわかんがあった――いや、違和感しかなかった。


 しかし、そういえば、そうなのだ。

 リルル・・・としてニコルと顔を合わせて話すのは、これが二年ぶりなのだ。


 窓越しでの、顔を見合うこともない会話があったとはいえ。

 リロットの姿としては、キスさえ幾度いくどとなく交わした二人なのに。

 目の前にいるニコルは、二年間で数百通の手紙を交わし合った間柄あいだがらと周囲に説明しても信じてもらえないほどに、他人・・の顔をしていた。


 会いたい、会いたいと気持ちを重ね合ったふたりの本当の再会が、これなのか。

 こんな無味な邂逅かいこうなのか。

 そのあまりに乾いた空気に、リルルは涙をこぼすこともできなかった。ただ、心が空虚くうきょだった。


 目の前でニコルが短い言葉を口にし、頭を下げてきびすを返すのを、呆然ぼうぜんとした面持おももちでリルルは見送った。

 なにをいわれたか、耳に入らなかった。多分、挨拶以上の意味はなかったのだろうが。


「…………」


 フィルフィナが座った場所から最も離れた長椅子に、ニコルは腰を下ろした。

 心が空っぽになり、感情が空転したままの状態でリルルはフィルフィナの隣にリルルは座る。自分の足の裏が地面をんでいる確信が持てなかった。フィルフィナも無言で瞳を向けただけで、ただ黙していた。


 リルルの脇を、年かさの神父が祭壇に向かって歩いていく。一斉に参列者が頭を下げる中で、ほとんど反射的にリルルの頭が下がった。もう、自分がなにを考えているのかさえリルルにはわからなかった。


 正面の祭壇、安置された棺の正面に立った神父が、何かしらを唱え始める。その文句の全てがリルルの頭を素通すどおりした。


「――――」


 少女リルルは、ここに自分がなにをしに来たのか、そんなことさえもわからなくなった心を抱えたまま、ただ無言でこうべれ続ける、美しい彫像ちょうぞうのような存在になっていた。

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