「私は、ひとりじゃない」

 ニコルもまた、激戦の中にいた。

 城塞竜の左前脚の付け根、そこに構えられた城門らしい巨大な扉に、白髪はくはつのカデルが逃げ込んだのを目で追い、追いながら、自らも走っていた。


「に――に、逃がすものか…………!」


 体力がほぼきかけているのにも関わらず、少年の体は動き続けていた。ほぼ気力だけ、残った命そのものを力と引きえにするようにして、少年はかすかにふらつく足ながらも、走り、走って、城塞竜に追いついた。


「やはり、中に入れるのか、こいつは――」


 高層住宅ひとつ分のような大きさの脚を、けられた階段をつたってけ上がる。


「く――」


 階段を上りきり、閉ざされた城門を目の前にしたニコルが見たのは、そこで迎撃のために待ち構えていた鎧騎士の一団だった。

 数は少ない――リルルが対峙たいじしていたものよりは、だ。


 城門までの道をはばむ壁のように、厚い戦列を並べたその数十の鎧騎士に対してニコルがとった戦術は、突進だけだった。


「うあああああぁぁぁぁぁぁぁ――――!」


 骨のずいにまで侵食しんしょくしきった疲労を無視し、雄叫おたけびを上げて金色の少年は疾走はしった。技もなにもない、間合いに入った全ての物をり、突き、くだき、ぎ倒した。

 最初の一撃で、頭部を破壊されたものが復活しないことに気が付いたのは、幸運以外の何物でもなかったろう。


 闘争本能だけで目の前のものに挑みかかる、一体のしなやかなけものと化し、振るわれる斬撃ざんげき隙間すきまい、すり抜け、自分の力以外なにも信じずに荒れ狂う。

 一陣いちじんの若い旋風せんぷうと化して駆け抜けたニコルの前に、鎧騎士はその残骸ざんがいの山を築き――。


 そして、ニコルの体にも、残酷ざんこくな物理の限界は刻まれていた。


「ぐぅっっ!」


 最後の数体を前にして、ニコルの右膝みぎひざが揺らいで、折れた。地面が、いや、自分がみしめている城塞竜の体が動き出し、その予期せぬ振動に脚がついていけず、均衡バランスくずしたのだ。

 とっさに立ち上がろうとするが、膝に力が入らない。そこだけが他人の体のようだった。


 だが、少年のたましいは、いつまでも少年のもののままだった


「たとえ、立てなくとも、剣は振れる……!」


 自分に力はどれだけ残っているか。目の前の数体を吹き飛ばせるだけの体力はあるか。さずけてもらったこの魔法のレイピアは、その真価を発揮させるのと引き替えに、少年の体力を激しく消耗しょうもうさせる。


 次にあの大破壊の一撃を起こせば……起こせるのか? いや、起こせたとしても、それは文字通りに命をけずることになりはしないか?


「――やるしかない。起こさなければ、やられるだけなんだから」


 城塞竜の翼が大きく展開されたのは、もう確認している。このまま、この山そのものの巨大な竜が、外に向かって飛び立つというのか。そんなことを、させるわけには――。


 つえにしていた剣を、立てる。膝はだめだが、腕は動いてくれている。鎧騎士が接近してくる――引きつけるんだ、引きつけてからやれ・・。もう、できるとしても、この一撃が最後だろうから――。


「――ニコルぅっ!!」

「っ」


 鼓膜こまくを打ったそのすずやかな声に、反射的にニコルはせた。いや、伏せていた。

 白く輝く光が空を切り裂く速度で数条走り、それは巨大な大槌ハンマーが直撃したかのように、ニコルに迫っていた鎧騎士のかぶとを打ちくだいた。

 地面に突き刺さった数枚のカードを目に映し、ニコルは考えるよりも先に、その名をさけんでいた。


「――リロット!」


 片手にムチをにぎり、跳躍ちょうやくでここまで上がってきたリルルが、ニコルのかたわらに着地する。


「大丈夫? ニコル、もう、脚が……」

「僕は心配ない。それより、殿下は――」


 息の上がりさえじるように殺してみせたニコルの言葉に、リルルが一瞬のきょを突かれた。その体が強張こわばり、その息づかいにニコルが全てを察した。


「……そうか、やはり……」


 唇をみ、少年はかぶりを振った。うつむいたその顔に、たまらない哀切あいせつがあった。


「……ニコル。あなたを待たせてしまったわ。ひとりで戦わせて、ごめんなさい……」

「なにをいってるんだ。ここで戦うのは、僕の任務なんだ。誰にも謝られることじゃない」


 少年の固い口調、親しみなどない口調に、リルルは悲しくなる気持ちをおさえられなかった。場所と状況さえ選ぶことができれば、きっと、抱き合うことだってできるというのに――。


「ここからは、私一人で行くわ。ニコル、あなたは下がっていてほしいの」

「馬鹿な! 君だけを戦わせるなんて、できるわけが――」


 さけんだ勢いのままにニコルは立ち上がろうとして、


「なっ……!」

「ニコル!!」


 そのまま、少年は前のめりに倒れた。その体をあわててリルルが抱き起こす。


「……く、うう……こ、この、情けない体が……!」

「ニコル、いいの。お願い、退いて。あなたには、国王代理殿下のご遺体いたいを守ってもらわなければならない……」

「フィルは……」

「この竜が万一、地上に出た時のことを考えて、地上に戻ってもらったわ。コナス様を連れていく余裕はなかった……」

「しかし…………!!」

「――ニコル、冷静に考えて……あなたにはもう、戦えるだけの力は、残っていないでしょう……? 私に、戦えない者の援護えんごまでさせようというの……?」

「ぐ、うう、うぅっ……!」


 現実を飲まされたニコルが、歯を食いしばり両目を固く閉じる。

 使命感と義務感、意地――そして、現実。その全部を頭の中でかき混ぜ、どろどろに溶かしきった中で得られた答えに、苦渋くじゅうをにじませながら、その口を開けた。


「わ……わかった。僕は、退く……! しかし、君はひとりで、本当に大丈夫なのか……」

「私は、ひとりじゃない」


 リルルが、微笑ほほえんだ。


「あなたやフィルフィナ、そしてコナス様の想いを背負っているわ。ひとりでなんか、あるものですか」


 その笑顔がニコルには気配のように理解わかる。だから、だまった。


「……ねえ、ニコル、ひとつだけお願いがあるの。約束してほしい」

「なにを……僕にできることしか、約束はできない」

「一分間、目をつぶっていることもできない?」


 なにかをいおうと口を開き、ニコルは黙した。目が泳いだ。


「それくらい、できないことはないけれど……」

「じゃあ、目をつぶって。おまじないをするから」


 いわれるがままに、ニコルは目を閉じた。疲労が重い、目をつぶっているだけで、眠り込んでしまいそうになる――。


これ・・を持っていて」


 闇しか見えない世界で手渡されたそれ・・。細い金属で構成されたフレーム、レンズらしい表面の手触り。触れた瞬間にニコルは、自分の心が体を突き破るような錯覚を覚えた。


「こ……!」


 目で確かめなくても、わかる。


「これは…………!!」


 これは、快傑令嬢リロットのメガネ!


「リ……リ、リロット……、君は……!」


 つまり、今。

 リロットの素顔を隠すものは、なにもなくて――。


「ニコル」


 更に声を上げようとしたニコルのくちびるを、甘くやわらかく、あたたかい触れ合いが、ふさいだ。


「――――――――」


 少女の息の香りが口の中にかすかに伝わり、それが魔法となって、ニコルの息を止めさせた。


 両の手の指の全てを開き、折り直すくらいの時間、ふたりのキスは時をきざんだ。

 ふたりの心が満たされ、満たされきるまで、それは続いた。


「――――」


 少年の唇から少女の存在が去り、手からメガネの感触が消える。それが無言の、終了の告知だった。


「……まただ」


 ニコルが目を開けば、リロット・・・・の顔がそこにあった。


「また、君は、こんなことをして……相手の了解も得ずに、ひとの唇を……」

「私は快傑令嬢リロットよ。たまには、盗んじゃうこともあるわ」


 快傑令嬢リロットの顔で、リルルが微笑ほほえんだ。その顔を本当に見てみたかったが、ニコルはその思いを息と一緒に飲み下した。


「――ニコル、どうして目を開けなかったの? あなたが目を開けさえすれば、私の素顔は見られたのに」

淑女しゅくじょとの約束を破るのは、紳士しんしの行いじゃない」


 ニコルは言い切った。それが全てであるというように。


「騎士は全て紳士だ。君が淑女である限り、ちかいは守る。それが僕の騎士道なんだ。……君こそ、僕が目を開けたらどうするつもりで……」

「あなたは約束を守る人だと、信じていた」


 それもまた、正体を明かすことのできない、少女の全てだった。


「私はけた。あなたが約束を守るような人なら、私は負けない、負けることはないって」


 少女が微笑む――微笑んだという気配だけを、ニコルは感じた。


「――ニコル、好きよ。愛してる。リルルとリロットのふたりで、あなたを愛しているわ」

「――――」


 ニコルが、吐息といきを漏らした。それ以上の言葉はなかった。


「コナス様を、よろしくお願いします」


 リルルが立つ。歩を進めてニコルに背をさらす。その美しい後ろ姿に、ニコルはいっていた。


「――リロット、僕は君をつかまえなければならない。だから、絶対に無事で戻ってくるんだ。帰ってこないなんていうことを、僕は絶対に許さない! わかっているだろう!」

「うん」


 素顔で笑みを見せられないことに、微かな後悔を覚えながらリルルは振り向き、声をひとつ残してから、目の前にそびえ立つ城門に手をかけた。

 固く閉ざされているはずの城門が、少女の細腕によって、きしみを上げながらこじ開けられる。


「――ニコル、またね」


 言葉を残し、少女は自分ひとりの隙間すきまが空いた城門の中にその身をすべり込ませて、消えた。


「リロット……」


 ニコルもまた、レイピアをつえにして立ち上がる。視線をめぐらし、城塞竜がばしきったその巨大な翼の輪郭りんかくが紫の発光を放出し始めたのを見た。

 ……今にも、こいつは飛び上がる。


「……必ず、戻ってくるんだ……」


 共に戦えない口惜くやしさを抱えながら、ニコルもその場を離れる。

 今は、全てをゆだねる他に、ない――。

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