「王の資格」

 赤いフレームのメガネの向こうで、アイスブルーの色をたたえたリルルの目が、それ以上は開きようがないというほどに開いた。


「あ……あ、ああ…………」


 素顔を見られたわけでもないのに、本名を、正体をいい当てられたおどろきに瞳が揺れて、震える。

 今まで、決してなかったことだった。顔は、完全に隠しているはずなのに……。


「――――――――」


 そのコナスの体をはさんだ向こう側にひざを着くフィルフィナが目を閉じ、細く長い息をいた。まるで、ひた隠しにしていた自分の隠し事を暴露ばくろされたように。


「……お嬢様・・・


 フィルフィナの手がリルルのメガネにとどき、それを静かに外した。リルルの素顔を隠していた認識阻害そがいの魔法が、それだけでける。

 そのリロットの素顔――リルルの顔を見上げて、コナスが本当に嬉しそうな顔で、微笑わらった。


「……やあ、やっぱり、リルルちゃんだったんだ……ふふふ……」

「どうして、私がリロットだって……」

「手、かな……」

「て、手…………?」


 リルルが、反射的に自分の手を広げた。


「最初に君を、同好会に連れて行った時、覚えているかな……ラミア列車から、降りた時。君に手を差しべて……」

「あ……」


 いわれてみれば、覚えがある。確か、ステップから降りる時に手を握った――その時。


「……そして、埋立地うめたてちで、君に助けられた時。ぞくおそわれた僕を、君が手を握って、引っ張り上げて、助けてくれた……。あの時の手の感触に、思ったんだ。――ああ、この子は、リルルちゃんに、ちがいないって」


 包囲の危機をだっするため、コナスの手を握って大型天幕の上にまで飛んだ。この人を救おうと、握る手に力を込めた、その記憶もある。


「その時には、すでに…………?」

「……いや…………」


 コナスは微笑ほほえんでいた。死にひんしているこの舞台をも楽しむように、笑っていた。


「た……正しくは、リルルちゃんであってほしい、って思ったのかな……。か、快傑令嬢リロットの正体は、君のような、明るくて、優しい、普通の女の子であってほしい、って……そ、それは、祈りというか、願いのようなもので……ははは……これも、愛好家の、サ、サガってやつさ……どうしようも、ないね……ふ、ふふふ…………」

「コナス様……」


 冗談めかす笑い。それも、いつもほどには強くない。

 もう、なにもかもが消えゆこうとしている。


「短い間だったけど、君と会えて、君の婚約者でいれて、僕は本当に幸せだったよ……このお礼は、ど、どうやって言葉に表せばいいか……」

「コナス様!」


 少女の唇が震える。自分の運命を粛々しゅくしゅくと受け入れていくコナスを前にして、心が握りしめられてしぼられる切なさに、体まで縮んでしまうような思いがあった。


「私の、私なんかのために、どうしてあなたが死ななくっちゃいけないんですか! お願い……お願いですから、死んだりしないで、コナス様……!」

「リルルちゃん……間違まちがっちゃ、いけないよ……」


 コナスの体から、命の分だけ、血が流れ続ける。もう止めようのない数の、深さの傷が流す赤い命の量に比例するだけ、少女の目から涙があふれ出る。

 そんなリルルをなぐさめるように。やわらかい声で、コナスは大人の声でさとし続けた。


「君は、優しい君は、こう思うかも知れない。こんなことになるなら、戦わなければよかった、快傑令嬢なんて、始めなければよかった、と……。……でもね、それは間違いだ。君が戦い始めたのは、正しかったんだから……少なくとも、僕にとっては、君の存在は、僕の力だった……」


 戦慄わななくコナスの手が、リルルの手を握る。指先はもう氷のようかと思えるほどに冷たかった。


「母に全て頭を押さえられて、僕は、自分の意思でなにかをしようともしなかった。ただ、無為むいに時間を過ごすだけで、なにも成し得ずに生きていくだけだった。そんな僕が、新聞で知った……君のような女の子が、戦っていると……大きな驚きだった……まだ大人になるかならないかの女の子が、戦っている……」


 コナスの左目の瞳がわずかに拡がる。意識が遠くなりかけているのか。


「僕は、君に勇気をもらったんだ……」


 ――勇気。


「君のような、女の子が、勇気を振り絞って、戦っている……いい大人の、男の僕は、思った……これじゃあ、いけないと……」


 コナスの声が、ゆっくりと、しかし確実に。細くかすれ……れていく。


「だから、閉じ込められているような屋敷から、自分の意思で外に出た。全く知らない人間に声をかけた、かけられた。す、少ないけれど、心からの仲間も得られて、自分がしたいことをすることができて……リルルちゃん、君が救っているのは、君の、視界に入る人間だけじゃあ、ないんだよ……」


 コナスがき込む。口元に飛び散った血の量にリルルの喉が鳴り、フィルフィナがそれを丁寧ていねいにハンカチで拭った。ありがとう、というようにコナスが目を向けるが、もう余計なことを話す余裕もない。


「僕が君に救われていたように、王都のどこにでも、君に救われている人たちがいるだろう。君は……そんな人たちの、希望でなければならないんだ。わかるかな……」


 自分に残された、限りある声を選ぶように、コナスは語り続ける。


「希望の星は、いつも見えるところで、輝いていなければならない……君は消えちゃいけないんだ……だから、リルル、約束してくれ。戦わなくっちゃいけない限り、戦うと。戦わなくても、よくなるまで、君は……」

「……わかりました!」


 リルルがすがるようにコナスの手を握る。一生懸命に握っても、自分より大きいはずのその手は、冷たくなっていく一方だった。


「約束します、約束しますから……!」

「そうか……よかった……それだけが、心配だったんだよ……」

「ですから、コナス様、さびしいことをいわないで……!」

「……リルルちゃん、少し、難しいお願いかも知れないけれどさ……」

「はい!」


 見えもしない希望にすがるように、少女が身を乗り出す。そんなリルルに、コナスはいっていた。


「……笑顔を、見せてほしいんだ」

「――――」


 絞り出されるように細いコナスの言葉に、リルルは胸をつらぬかれた気がした。


「泣かせてる本人がいうのも、あれなんだけれど……最後に見る女の子の顔が、そんな悲しそうな泣き顔じゃ、寂しいからね……」

「はい……はい……!」


 目を二の腕にこすりつけ、リルルは涙を払う。半分いうことを聞いてくれずに震える自分の顔をしかりながら、リルルは口元に笑みを浮かべようとした。

 ぬぐわれた目から、間を置かずに新しい涙があふれ出る。自分は笑えているだろうか……。


 そんなリルルの表情を左の瞳に映して、コナスが、その頬を揺らした。


「ああ……やっぱり、可愛い女の子は、笑っているのが、いちばんだよ……本当に……」

「…………!」


 思いの全てで包み込むように、リルルがコナスの体を抱き寄せる。リルルの懐に抱かれ、大きな赤ん坊のように、無垢むくしか伝わってこない笑顔をコナスは浮かべていた。


「ふふふ……愛好者ファン冥利みょうりに尽きる、って、やつ、かな……あの三人に、自慢じまんができるよね……」


 コナスの口が、空気を捕まえようとするように、開いては閉じる。声が消えていく。


「快傑……令嬢、リロットを守って、リルルちゃんに、だかれて、しんで、いけるとか……」


 その重みを支えられなくなったように、両のまぶたが静かに落ちるが、その笑みだけは消えない。

 心に浮かんだことだけしか刻まぬ口の動きも、次第に、次第に、小さくなって――。


「ぼくは、いま、ほんとうに……せかいで、いちばん、しあわせもので……」


 ふぅっ、とコナスの唇から、息がれた。


「――コナス様?」


 腕の中、胸の中のコナスに呼びかける。その体を揺り動かす。

 コナスは、応えなかった。

 ただ、満足気としかいいようのない笑みだけが、その表情に残っていた。


「そんな、コナス様、コナス様――」

「なりません、お嬢様!」


 フィルフィナの鋭く飛んだ声に、リルルは顔を上げた。


「うろたえてはなりません。コナス様はたった今、お亡くなりになりました」


 アメジスト色の瞳をいっぱいににじませ、そのほおに涙の流れを刻んだフィルフィナが、それでも厳しい表情をくずさずにリルルをまっすぐに見つめていた。


「静かに……静かに、その御霊みたまをお送りしなければ……」

「う……うう、うううう…………」


 それからは、声にはならなかった。リルルは、泣いた。

 悲しみを、無念を、いきどおりの全てを涙に変えて、泣いた。

 腕の中でぬくもりをなくしていくコナスの体にしがみつくようにして、泣いた。


 物心ついてから、初めて体験する身近な人の死に、心をしぼるようにして、泣いた。

 何分、声を殺すようにして、それでも喉からあふれ出る感情を抑えられず、泣き続けただろうか。

 無限に連なる涙の鎖を断ち切るようにして、リルルはその目を強引に拭った。

 コナスの体を音を立てないように、そっと横たえる。


「――フィル」


 横たえ、もう何も語ることのない亡骸なきがら黙祷もくとうささげ、フィルフィナの方に顔を向けた。


 ――その目が、燃えていた。


「……フィル、私、口惜くやしい……!」

「お嬢様……」


 リルルの声にこもった熱量に、涙に揺れるフィルフィナが困惑を顔に浮かべた。


「……確かに、私、この方との結婚は嫌だった。破談はだんになればいいと思っていたわ。……でも、この方は、とてもい方だった! 立場に任せれば私になんでもできたはずなのに、そんなことはしなかった!」


 リルルの目に宿る輝きが、炎の揺らめきに変わっていた。


「この方と結婚していれば、時間さえかければ、この方を受けれられていたかも知れない! 愛することができていたかも知れない! ――でもね、そんな『もし』なんて、永久えいきゅうになくなったのよ! ――どうして、どうしてこんないい方が、こんな所で死ななければならないの!」


 少女が立ち上がる。薄桃色のドレスがコナスの血で汚れ、少女の頬にもき出しになっている二の腕にも、その他の箇所かしょにも無数の切り傷が走っている。それでも、血に汚れていても、少女は美しかった。

 美しいと思わせる、命の力強さがあった。


「リルル……」


 こぼれ出る涙を止められないフィルフィナが、不安げな顔でリルルを見上げた。リルルと、本当に親しいその者たちのためにしか自分は泣かないだろう――そう信じていたフィルフィナは、自分にとってコナスがどういう位置づけの人間になったのか、この時ようやく理解していたのかも知れない。


「――私、許さない。絶対に許さない……この方を、こんな所でこんな死に方をさせた理由を、絶対に許さない!! 必ず、この方に対して心から謝らせるわ! それまで……それまで、絶対に死ねるもんですか!!」

「リルル……落ち着いて……わたしたちは、冷静にならなければならないのよ……」


 ズン……と遠くで、大きな地響きのような伝わりが響いて来た。二人が視線を向ける。


「フィル、あれ――」

「……動き、出すようですね……」


 城塞竜が、その背の巨大な翼をいっぱいに広げていた。今まで停止していたはずのその巨体が、震えているように見えた。

 惜別せきべつねんは、尽きることはない――しかし、行かねば。


「――フィル、メガネを」


 リルルが差し出した手に、フィルフィナはかすかな迷いを見せてから、赤いフレームのメガネを乗せた。ためらわず、リルルがそのメガネをかける。


「……大丈夫ですか、お嬢様……」

「私は死なないわ。コナス様のためにも、フィルのためにも、ニコルのためにも。……フィル、お願いがあるの」

「はい……?」

「私、ニコルを追うわ。あの竜に乗り込んで、止めなければならない。あの竜は高く高く上がって、あの穴から外に出ようとしているんでしょう?」


 フィルフィナが真上を見上げる。闇の中、切り取られたように大きな穴が開いて、空の青さがにじむようにのぞいていた。その空の色の周囲で揺れるように見える深い青の色は……海か……?


「あの穴は、王都のすぐ南の海に開いているのだと思うの」

「……埋立地うめたてちの影が見えますね。多分、そんなに距離は開いていないと思います」

「もしも……私とニコルが、あれを止めるのに失敗したら、その時は、フィル」


 リルルは、フィルフィナの耳元に口を寄せた。鼓膜を打ったそのつぶやきを解して、フィルフィナの顔色が変わった。


「――お嬢様、そんな無茶な……!」

「理屈としては、できるはずよ」

「しかし……!」

「あの竜に好き勝手にさせるわけには行かないの。わかるでしょう?」


 耳に吹き込まれた『作戦』の荒唐無稽こうとうむけいさに、フィルフィナは唖然あぜんとした。そして次に絶望を抱かせたのは、自分にそれをくつがえせるほどの対案がないことだった。


「い……いけません、そんなことは!」


 理屈もなにもない、ただ感情にまかせての反論しかできない自分に失望しながら、フィルフィナはまくし立てた。


「フィルも、お嬢様についていきます! 離れ離れになんかなりたくありません! わ……わたしのいないところであなたが死んでしまったら、フィルはどうなるんですか! そんなことこそ、わたしは絶対に許しませ―――」


 リルルが、フィルフィナを抱き寄せた。


「あ――」

「私の大好きな、フィル」


 リルルの腕の中で緊張に固まったフィルフィナの体が、次には、その強張こわばりをほどいていく。


「……あなたは、あなたは卑怯ひきょうですよ……。そういえば、わたしの機嫌が取れて、いうことを聞かせられると思っているんでしょう……」

「うん」


 フィルフィナがリルルの首元に顔を押しつける。涙を少女の肌で拭い去り、エルフの少女は顔を上げた。


「いったでしょ。私は死なない。きっとフィルのところに戻るわ」

「…………」


 思い切るための時間をいくらか、必要にして。

 フィルフィナが顔を上げた。


「……いうとおりにします。ですが、くれぐれも……くれぐれも……!」

「わかってる。コナス様からいただいた命よ。無駄にできるものですか。――信じていて」

「はい……はい……!」


 静かな眠りについているコナスの元に、リルルが膝を着いた。


「――コナス様、行って参ります」


 その頬にひとつキスをしてから、立ち上がる。

 あとは振り返らずに、動き出した竜に向かって走り出した。


「…………」


 その背中を見送りフィルフィナは、指より少し細いくらいの円筒状の物体を黒い腕輪から取り出す。


 緊急用の転移鏡を作り出すそれで地面に長方形を描く前に、フィルフィナもまた、コナスのかたわらに膝を着いた。


「――ありがとうございます、お嬢様をその身に代えて守っていただいて……。あなたのことは、このフィルが、死ぬまで忘れません。お約束いたします。少しの間、お一人にしますが、すぐに戻ってまいります。ご心配なく……」


 リルルがしたのとは反対の頬に、フィルフィナも唇を乗せて離し――心にこみ上げてきたものを、言葉にして零さずには、いられなかった。


「……しかし、なんという皮肉なのでしょう……。

 王の座を求めぬ方が、最も王の座に相応ふさわしいなど……」

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