「フィルフィナの祈り」
「こんな……こんなはずがない! 私の方が力も腕も
ティターニャが吐き捨てた。吐き捨てないわけにはいかなかった。
「まだわからないのですか? あなたが負けたのは、力とか腕とか、そういう問題ではないのですよ」
「だったら、それはなんだというの!」
「どうせあなたには、自分の命よりも大事なものなどないのでしょう……」
フィルフィナが
「あなたにはなく、わたしにはあった。それだけのことです」
「はああ……!?」
「わたしはそのために死ねるし、それを
「
顔の全てを
「西の森の王女――この場は
目の前に落ちている自分の腕を残った右腕で拾い上げ、ティターニャは鬼気迫る
五秒の時間をかけて呪文の
「うくっ!」
闇とも光ともつかない
巨大な金属の塊を彫り上げた、
「……置き土産ですか。ちょっと、結構すぎるシロモノですね……」
フィルフィナは力なく、
拳銃の残弾はいくらかあったが、火薬と鉄の力でどうにかできる相手とも思えなかった。
人の筋力では支えられないような
完全なる魔の者。魂を闇に置いたそれが、ゆっくりと歩み始めた。死までの
「さあ、どうしましょうか……」
「……
弓を
「参りましたね……これは……本物の爆弾を用意しておくべきでした……」
弓を捨て、フィルフィナは短剣を抜いた。膝は完全に笑っていて、両の脚で体を支えるのが精一杯だ。歩くことさえ
「すぐに、お嬢様の
金属と金属が
「……お嬢様、申し訳ありません。フィルはもう、お嬢様のお役に立てないかも知れません。もっともっとお側にいたかったのに。せっかくお嬢様に拾っていただいた命を……」
間合いが詰まる。七十、六十、五十、四十……。
「……ですが、フィルはお嬢様より先に死ぬと決めていました。お嬢様、どうかご無事で。どうかお幸せに。この罪深きフィルは、天の国に行けるお嬢様に、お
騎士の影――は差してこない。しかし、太陽がある世界ならばその影が投げかけられるほどの距離にもう、その騎士は接近していた。
大剣がゆっくりと振り上げられる。機械的にそれが下ろされた時、フィルフィナの命は
「……それが、それが本当に悲しいわ、リルル……」
フィルフィナが、震える手で構える短剣を、下ろす。目を閉じる。
最期に残された最後の一瞬まで、今は、ただ祈っていたかった。
「リルル、さようなら……」
閉じられた少女の目の端から涙が
――風が、吹いた。
「――――」
金属が破れ、
「あ…………!?」
全てを受け
彼女の目の前で、頭を失った鎧騎士の体がゆっくりと横に
事態を飲み込めずにアメジスト色の瞳を見開いているフィルフィナの視界の中、鎧騎士の姿が消えた向こうに――銀色の
「――フィル!」
「ニコル様……!?」
フィルフィナの瞳に映るニコルの姿が、溢れ出す涙で大きくにじむ。少年の周囲を
「よかった、間に合った! ――フィル、無事かい!」
「……ああっ」
糸が切れた
「フィル!」
「ニ……ニコル様……」
「フィル、しっかりして!」
「ああ、ニコル様。フィルはダメです、もう死にます」
「なにをいってるんだ! リルルの所に帰らないといけないのに!」
「ニコル様、いい残したいことが……顔を、顔を寄せてください……」
「フィル!」
反射的にニコルがフィルフィナの顔に自分の顔を寄せ、フィルフィナが
「――
「――ちっ、
「ちっ、じゃないよ! 元気じゃないか!」
「いいじゃないですか、たまにはメイドにお
「……唇はダメだからね!」
「信じてください、
「あああ……あとでまたリルルに謝らなくっちゃ……」
顔を赤らめたニコルがフィルフィナの上体を起こし直し、フィルフィナが約束通りニコルの
「では、ニコル様も」
軽く顔を横に向け、フィルフィナは自分の頬の一点をちょんちょんとつつく。
「……やっぱり、しないとダメかな?」
「ひどい、ニコル様は騎士でいらっしゃるのに、
「ううう……」
騎士と淑女という言葉を並べれば抵抗できないだろうというフィルフィナの予想は、当たった。その片目を閉じて困り切った表情を浮かべたニコルが、はぁとため息を
「……くれぐれも確認するよ! 唇はダメだからね!」
「わかっています。ほら、早く早く」
「あああ、もう……」
そのフィルフィナが首を振ったのにニコルが反応できなかったのは、ニコルが警戒していた向きとは
「――――!」
自分の唇が触れているものを見て、ニコルがその目を
「ふふふ……」
横目に見えるニコルの顔が真っ赤に照れ上がっているのと、
「ニコル様、ついにやってしまいましたね……」
フィルフィナの髪の間からはみ出た耳の先端が、少年の唇に触れている。尖った
「ふふふふ……あとで調べて
「事故だ!
「ニコル様、人間とエルフの間は
「ああ、もう!」
ニコルは膝の上のフィルフィナを放り投げた。
「冗談はこれくらいでいいよ! フィルもちゃんとして!」
「もう、つれない。ニコル様もフィルのことを愛していらっしゃるくせに」
「いいから!」
「仕方ないですねぇ」
いいながらフィルフィナは
顔の
「――フィルの反応がこっちだったということは、向こうにいるのはリロットというわけか……」
「はい、救援に向かわないと。――ここまで来られたのは、ニコル様お一人なのですか?」
「こっちに来れたのは僕だけだ。途中で国王代理殿下をお救いした。自力で王城の方に戻られていると思う」
「ああ……コナス様を! ご無事でいらっしゃったんですね……」
フィルフィナの心がもう一つ軽くなる。単純によかった、と心から思えた。正直、その命を救うのは絶望的だと思っていたからだ。
「ここからあの竜の所までたどりつくのは、ずいぶん距離があるな……」
ニコルが振り返る。大要塞のような
「急いで参りましょう――といいたいところですが、わたしももう、体が半分限界のようです……」
「フィル?」
「……ニコル様、先に行ってください。少し休んでから、フィルもきっと追いつきますから」
「わかった、じゃあ、僕が先行して――」
そういったニコルが歩を進めようとして――体重をかけた足首が不自然に曲がった。自分が体勢を
「ニコル様!」
フィルフィナがふらつく足で駆け寄った。倒れたままの体を直せず、ニコルが疲労の色をその額に
「……体がどっと疲れて、力が出ないんだ。まだまだ戦いは、これからかも知れないっていうのに……」
「ニコル様、先ほどわたしを助けていただいた時に使っていた、宙を舞う剣――あれはわたしの母から渡されたものではないですか!」
「そうだよ。あれのおかげで強引に迷宮を突破できた。そうでなければ、今頃迷宮をぐるぐると
フィルフィナに支えられ、ニコルが体を起き上がらせる。その額と頬が汗でぐっしょりと
「あれは使うのに、持ち主の精神力と体力を相当量
「そうしないと、殿下もフィルも助けられなかったよ。僕は、みんなを守らないといけないんだ……」
「わたしが肩を貸します。――リロットの元に向かいましょう。休んでいる
「……そうだね。フィル、すまない……」
「なにをおっしゃるのです。ニコル様、あなたは本当に立派な騎士でいらっしゃいます。このエルフの王女が――いえ、メイドが保証いたしますよ」
「ははは……心強いな……」
ニコルとフィルフィナが、
あの先ではきっと、ふたりが愛する少女が、ひとりで戦っているに
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