「リルルとカデル」

 激闘の中に、薄桃色のドレスの少女はあった。


「――――えっ!?」


 山がいずるように重々しく動いていた竜の要塞ようさい突如とつじょ、立ち止まる。竜の要塞に追いすがるのがやっとだったリルルは、その異変に目を見開いた。


 その時だった。


 まるで小さな城のそのものにも見える頭が、上方に向けて持ち上げられた。えようとしている――リルルの直感を支持するようにそれは巨大なあごを限界まで開ききり、そののどの奥から、天を支えるのではないかという規模の光の柱をき出した。


「きゃああああっ!」


 まばゆすぎる光芒こうぼうが放出された波動の余波よはに、視覚の全てを白く消し飛ばされて、リルルの体が木の葉のように浮き、そして吹き飛ばされた。光が、圧力・・としてぶつかってきたのだ。


 魔法のメガネを通していなければ、失明が必至ひっしだったほどの明度の光、王城を基部の丘ごと飲み込み、吹き飛ばすかというほどの、圧倒的な――圧倒的というしかない光の奔流ほんりゅうだった。


「うくっ!」


 瞬時の気絶をてリルルは素早く起き上がる。考えるよりも早く体が動いている。技が体に叩き込まれている武道の達人は、気絶しながらでも目の前の相手と戦うことも不可能ではない――誰かがいっていた言葉を思い出していた。


 全ての色と形が消し飛んでいた視覚が、回復してくる。自分の目が見えなくなったことをうたがったリルルは安堵あんどの息をきながら、次の危機の出現を見ていた。


「――――敵!?」


 脚の付け根に設置されていた城門とおぼしき扉が、重々しく開いていく。耳の奥に響いてくる大きなきしみと共に隙間すきまを広げていく、分厚い鉄の扉――その闇の中にいくつもの禍々まがまがしい炎が灯ったのを目撃して、リルルの背中とドレスの間に冷たいものが差し込まれた。体がびた。


 まだ開ききらないその扉から、虫の巣をつついたかのように無数の影が飛び出してくるのが見えたのだ。


「――なに、こいつら!?」


 リルルは目撃していなかったが、それらは、地上でエルカリナ王城を襲撃しようとしていた闇騎士と同類の魔物たちだった。


 ガシャッ、ガシャッ、ガシャッ、ガシャッ…………。


 光の一切を吸い込む闇の色をした騎士たちが、そのかぶとの中に赤い単眼たんがんまたたかせて次々にあふれ出る。よろいの部品と部品、金属と金属がぶつかり、こすれ合ういくつもの音が重なり合い、ひとつの音のかたまりとなる。


 遠目に見て五百、いや、六百、七百……それ以上!


 数を数えることもあきらめるような大部隊が、足を止めたリルルに向かって、何も考えていないようにただ、まっすぐに殺到さっとうしてきた。


 鎧騎士たちの津波がゆっくりと押し寄せてくるようだ――瞬きを忘れた目を見開きながら、リルルは手袋の下で汗をく手で、黒い腕輪から一本のムチを取り出した。


すごい……凄い数だわ…………」


 今まで相手にしてきた『敵』とは、その次元をはるかにことにする相手だった。これまで戦ってきた敵などは児戯じぎ、子供の遊びそのものとしか思えないほどの規模のが、リルルの視界いっぱいに広がり、向かってくる。


「ふ……ふ、ふふふ…………」


 恐怖は、あった。こわいという感情が悪寒おかんとなって、少女の神経を冷たくひたしていた。

 それでも、退こう、という発想は出なかった。見えない何かに背中を突き動かされるように――いや、


「お――面白いじゃない!」


 その全長の全てを光り輝かせたムチをにぎったリルルの足が、前に出た・・・・


「たぁぁぁぁぁぁ――――――――!!」


 長さ十メルトの細く伸びる刃となったムチが振るわれ、その間合いに入るものの全てが、一薙ひとなぎで両断された。

 切りかれて分解された、膨大ぼうだいな数の甲冑かっちゅうの部品が飛び散る。鉄の破片がい散る嵐の中で、薄桃色のドレスの少女が激しくおどった。


「道を……道を開けなさぁぁぁぁぁいっ!」


 肩からもげるのではないかというように激しく腕を振り回し、腰をひねり、足をみ出してやいばの竜巻を起こす。リルルの体がうずを巻き起こすたびに、数十数体の騎士たちが文字通り、物もいわずにその上半身を、下半身を切断され、切り飛ばされ、ただの鉄塊てっかいとなって地にした。


 技も技術もなにもない。群がってくるハエの大群を、腕を振り回して払うのにそれは似ていたかも知れない。


「このォ、このォ、このォ、このォ――――!!」


 鋭利えいりな切断の風が、大嵐おおあらしが吹き荒れた。


 リルルが振り回すムチが荒れくるわせる旋風せんぷう、それが吹き抜ける度に一個小隊の闇騎士たちが破砕はさいされる。まるで、ムチを受けた瞬間、物質を構成する力そのものが破壊されるように。


 最も脅威度きょういどの高い敵に向かってムチを振るい、叩きつけ、すくい上げ、踏み込み、踏み込み、踏み込み――。


 破壊の狂乱きょうらんが駆け抜けた。何秒、何分、何十分の時間の経過も感じないくらいに、リルルは踊り狂った。


「はぁっ……はあっ、はぁっ、はあ…………!!」


 時間の経過と共に、リルルの体内で着実に疲労は増し、関節を重くひたしていく。骨が、なまりの重さに変わってくる。空気が冷やす汗も、上昇する一方の皮膚の温度を下げてくれない――のどの乾きが極限をむかえたのと、うなるムチが、最後の一体を脳天のうてんから股間こかんにまでを唐竹割からたけわりにしたのとは、ほぼ同時だった。


「は……ぁ、ああ……!」


 くるぶしの高さまで堆積たいせきした黒い金属の残骸ざんがいの真ん中で、汗をおけからかぶったようなリルルは、その場にへたり込んだ。


「の……喉が……喉が焼け…………る……!」


 ひたいからにじんだ汗がいくつものすじを作ってほおを流れ、形のいいあごからしたたり落ちる。

 口を開けた途端に喉の奥が乾きにへばりつき、リルルは考えるよりも早く右手首の黒い腕輪から水筒を取り出し、ふたをねじり切るように開けると、直接に口をつけてその中身を一気に飲みした。


「っ!」


 空になったそれを、勢いのまま投げ捨てる。った水分の分だけ、また余計に汗が出てくる感じさえした。


「りゅ……竜は……」


 億劫おっくうなほどにぶくなった首を持ち上げる。

 竜は……停止したままだった。

 光の柱を吐き出して首を戻したまま、一歩も動いてはいないようだった。

 さらに上を見る。ただ『無』が続くだけのはるか上層に、一点だけ青さが見えた。


 陽の光も届かないほどの遠く高い、向こう。あれは空と……それを囲む海か……。


「っ!」


 リルルの眉間みけんに突き刺さる予感があった。目を見開いたと同時に、体の全部をひるがえしてその場から後方に飛びすさる。


「…………!」


 今の今までへたりこんでいた場所に、光の刃が撃ち込まれていた。判断が、いや、行動が半秒遅れていれば、命はなかったという確信にまた、神経の全てが凍った。


「――あの甲冑かっちゅう騎士どもを、全部掃除したのか」


 甲高かんだかさを残す少年の声に、リルルはどろのようにまとわりつくだるさにあらがいながら、視線を上げた。

 そこにいる、というリルルの予想を超えた上に、白髪はくはつの少年が浮かんでいる――なんの支えもなしに!


「まったく、大した娘だ。小娘とあなどっていたことをびねばならんな」

「――それにはおよばないわ!」


 手も足も出ないまま、窓の硝子ガラスを突き破って放り出された記憶がよみがえる。

 フェーゲットの森の奥にそびえていたヴォルテールてい、そこに潜入した以来の遭遇そうぐうに、リルルは奥歯をみしめた。


「大人しく降伏しなさい! 全てをあきらめるのよ!」

「――もしかしてお前は、自分が優位に立っていると思っているのか? おろかな……」


 心底に同情する目が、リルルを高みから見下ろしていた。


「私は貴様が持っているものを回収しに来ただけに過ぎない。持っているのだろう、あれ・・を」

「っ!」


 反射的にリルルが自分の胸元に手を当てた。ダークエルフの攻撃に遭遇そうぐうした時、フィルフィナからなかば押しつけられるように渡された巾着きんちゃく。その中に入っている二つの宝玉ほうぎょく――。


「あれがなくても私の目的は達するが、手元に置いていた方がより確実なのでな。いただきに参上した。大人しく渡せば、殺しはしない――殺す以外のことは、全てさせてもらうが」

「渡せるものですか!」


 リルルはムチを捨てた。黒の腕輪からレイピアを引き出し、そのままつかにぎって刃を抜く。


「聞かされているのよ。私が持っている宝玉とあなたが持っている宝玉! その三つを使えば、その竜を止められるんでしょう!」

「そして同時に、この竜の真の力を起動させる鍵でもある。鍵は、扉を閉じることも、開くこともできる――渡せ。手間はかけたくない」

「腕ずくでうばえばいいわ!」


 レイピアを振る。銀の腕輪から供給された力がレイピアに伝わり、その刃を透明とうめいな光に輝かせた。


「あなたの目的なんて知らないけれど。とんでもないことに決まっている! あなたのせいで、いったい何人が死んだと思っているの! そして、これからも大勢を殺すつもりなんでしょう!」

「罪を犯した者は、裁かれるのだよ」


 深い色、光のない世界の色を思わせる瞳にリルルは心が吸い込まれそうになる。歯を食いしばってその引力に耐える。


「罪深き者ども。王都に住んでいること、この国で生きていること、いつわりの王をいただいていることがな」

「わけのわからないことを――」

「貴様が理解する必要はない。聞く耳は持たないようだな」


 白髪の少年、カデル・ヴィン・ヴォルテールが右手を水平にまっすぐ持ち上げた。身構えたリルルの視界の中で、カデルの周囲にいくつもの光るものが浮かび上がる。

 最初に放ってきた光の刃か、と身構えたリルルに、それは矢の速さで一斉に襲いかかってきた。


「ぅっ!」


 集団で獲物えものに向かい、全速力で一気にむらがるオオカミの勢いで向かってくるそれに、リルルが広げた左手をまっすぐに向けた。リルルの背丈せたけと同じ長さをした楕円形だえんけいの光が浮かび上がり、それに吸い寄せられるように激突した光の刃が次々にくだけ散る。


「ふん? 面白いオモチャを持っているようだな」

「オモチャではないわ! 私は人を殺さない、殺したくない! でもね、それは自分の命より優先されるものじゃないのよ!」

「私を殺せるとでも思っているのか?」


 カデルが再び、自分の周囲に光の刃を生み出した――数は、さっきの倍近く!


「いくらでも、作れるというの……!?」

「どこまで耐えられるかな」


 カデルが軽く手を振ったのに応え、光の刃が矢の速度で走った。

 いくつもの輝きの航跡こうせきき、複雑な軌道きどうをおのおのに伸ばしてそれらはリルルに殺到さっとうした。


 リルルもまた、黒い腕輪から直接右手に出したもの・・を手の中で広げ、短い動作でその手を振る。手のひらと同じ広さの硬い紙片しへんが十数枚、扇状おうぎじょうに広がって飛んだ。


「行けっ! カード!」


 自分自身の意思によって飛ぶかのような軌跡を描き、輝きを帯びたカードが光の刃を迎撃する。威力いりょくと威力が正面からぶつかり合い、いくつもの相殺そうさいが起こる中、その激突をかいくぐった数本の刃がリルルの体をうすかすめた。


「うくっ!」


 ほおを、腕を脚を、鋭い風圧がけ抜けていく。焼きごてを当てられたような熱い感触に肌が焼ける。銃弾を弾き返すはずのドレスが見事にり裂かれ、焼けた筋をリルルの肌にきざんだ。


「そんなもので全部を防げるわけがないだろう。このまま続けて、死ぬか? 私としてはコナスをいたぶる材料として、貴様を使うつもりだったがな」

「あなた、コナス様を!」

らえて生かしている。奴を苦しめるため、お前も生かして捕らえようと思っていたが――」

「――あなたを倒して、コナス様を救い出すまでよ!」


 またもカデルの周囲に光の刃が現れた。が、その数は少ない。わずかに六つに過ぎない。

 あれで打ち止めなのか。あの攻撃をなんとかしのぎきり、カードを投げつければ勝機は見出みいだせるか。んで追いすがれない高度でもない。無理にでもレイピアの間合いに飛び込めれば――。


「――六つくらいなら、どうにでもなる!」


 リルルの足が、地面をった。



   ◇   ◇   ◇



「始まっている……!」


 肩を貸し合い、疲れ切った体を引きずるように歩くニコルとフィルフィナは、停止したまま動かなくなった竜の要塞と、その足元できらめいている光の攻防を目撃していた。

 距離は……遠い。光と光がぶつかり合って、またたいているようにしか見えない。


「……ニコル様、走れますか」

「僕はなんとか大丈夫。フィルこそ」

「……わたしは足手まといです。ニコル様、フィルはいいですから、先に行かれてください」


 肩を組んでいた腕をほどく。フィルフィナがその場にへたり込んだ。


「ニコル様……わたしの分までお願いします。彼女を助けて……」

「わかった。フィル――必ず追いついてくるんだよ!」

「もちろんです……」


 最後、不安な顔を見せてニコルが駆け出した。その背中を見送り、フィルフィナは地面にうつ伏せに倒れた。


「ど……毒を中和ちゅうわした代償だいしょうというわけですか、この異常なだるさは……」


 怠いごときで動けなくなるなど、情けない――そう自らを叱咤しったしても、体にみ込んだ重い疲れは、ふるい立たせようとする意志の本体までも枯れさせようとするほどだった。


「フィルフィナ……だらしがない。こんなことでは、お嬢様専属メイドの名前が泣きますよ……!」


 地面をつかむ。体重を支えてくれるかどうか覚束おぼつかない脚をしかりながら、よろよろと立ち上がる。


「お嬢様、フィルフィナが今、参りますからね……」


 最期、死ぬならばリルルの盾になって死にたい――その望みを果たすためにも、今ここで力尽ちからつきられない。

 もう歩きたくないと声を上げる両の足の訴えを無視し、フィルフィナは一歩一歩、歩を進めた。

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