「病院での対面」

 真っ青な空に一輪いちりんの白い花が咲くように魔法のかさは開き、そのを持つ少女を高い高度に飛ばせていた。

 明らかに空の色にはまぎれない薄桃色のドレス姿。その自分を地上から指差す姿がいくつも見られたが、快傑令嬢リロット――リルルには、そんなことを気にしている心の余裕などなかった。


「ニコルは……ニコルはどこなの……!」


 地上では感じられない風の強い流れを感じながら、わずかな心当たりを頼りに、フェーゲットの森に飛ぶ。

 森の木々の先端をるような高さで空をすべるリルルが見たのは、あったはずの屋敷がなくなっているあとだった。


「え……!?」


 つい数日前、この場所で死ぬような目にわされた屋敷が、まさしく跡形あとかたも――いや、堀と高い塀、そして地下室があったと思しき直方体のくぼみだけが痕跡こんせきとして残っている。

 が、小さな城ともいえる高さの屋敷が、消えていた。


「え、え、ええ……!? ここで間違まちがいはないはずよ、確かに屋敷が……立派な屋敷があったはず……!!」


 周辺には十数人の警備騎士団員の姿があり、なにかを調査しているかのようにうろついている。リルルはかまわず、その真ん中に舞い降りていった。


「なにがあったんですか!?」


 いきなり空から降ってきた少女――快傑令嬢リロットに、度肝どぎもを抜かれた警備騎士たちが目をいた。誰もが事件の現場で目撃したことのあるそのドレス姿がなんの予告もなしに出現してきたことに、全員の思考回路が弾けていた。


「や、屋敷がなくなったんだ。俺たちにもわからない」

「こ、ここにはもう何もないぞ。あ、あんた、なにをしに来たんだ」


 目の前の手配犯をつかまえようとか捕まえないとか、そういう考えすらも起こらずに警備騎士たちは言葉をつむいだ。紡ぐだけで精一杯だった。


「ニコルを探しに来たんです! いないんですよね!」

「あ、ああ、い、いない」

「ありがとうございました!」


 少女が傘を軽く上に投げる。白い傘を放した手でリルルはスカートのすそをつまんで広げ、足を引き上体をかたむけ、鮮やかなカーテシーで一礼して見せた。


「それでは失礼いたします。みなさまお仕事、まことにご苦労様です!」


 まっすぐ落ちてきた傘を空中で受け止め、音もなく空中に舞い上がった薄桃色のドレスの少女を、警備騎士たちは呆然ぼうぜんと見守ることしかできなかった。

 鬱蒼うっそうと生い茂る木々の頭を超える高さに浮かんだその姿が、横に流れていって視界から消える。


 警備騎士たちは無言で顔を見合わせ、自分たちがの当たりにしたのが幻でなかったことを確認してから、口を開き合った。


「……あれ、リロットだったよな」

「ああ、リロットだった。捕まえようとしなくて、よかったのか?」

「よくはないけれど、捕まえようとしてできたか、あれ」


 それに首を縦に振れる人間はいなかった。ただ、少女が深々と頭を下げた様だけが、心に焼き付く残像として全員の胸にあった。



   ◇   ◇   ◇



 結局、北に南に、東に西に王都の空を文字通りの右往左往うおうさおうしているだけで数時間をついやし、あちこちで人々の目をき騒がせながらなんの成果も得ることもできず、リルルは屋敷に戻るしかなかった。


 日が落ち、夜のとばりが降りると同時に、リルルの心もどん底に落ちるまで暗くなる。

 ただがむしゃらに移動するだけではニコルを見つけられないことなどは、わかりきっていたが……。


「はぁぁ……」


 闇にまぎれ、屋敷の庭に着地する――どうせこの暗さでは目撃などされていないだろうが、リロットの姿で直接屋敷の庭に舞い降りるなど初めてだ。あせる心が慎重しんちょうさを失わせている。


「ニコル、どこなの……」


 快傑令嬢リロットとしての姿を解く。いつものワンピースドレスに一瞬で着替えたリルルは、玄関の前で重い息をいた。何もかもが徒労とろうだった。


「お嬢様」


 リルルの背中で玄関の扉が開き、その隙間からびた光の線にリルルは振り返った。メイド服姿のフィルフィナが扉を抱くようにして立っていた。外の気配を察したのだろうか。


「フィル。やっぱり、ニコルは見つけられなかった……」

「ニコル様が見つかりました」


 ぱちり、とリルルが瞬いた。

 フィルフィナの言葉の意味が理解できるまで、数秒の時間が必要だった。


「どこにいるの、ニコルは!?」

「それが……」


 拉致らちされたニコルが見つかった――喜ぶべきだろうその報を口にしているフィルフィナの表情が沈んでいる。それがリルルの心を冷やした。


「ま――――まさか、ニコルが死んで見つかったとか…………!!」

「そういうわけではないようです」

「あ、あああ、そ、そうならいいのよ、そうなら…………」


 リルルの大きくねた心臓がその揺れを収める。


「わたしも詳しいことは聞いていないのです。ただ、ニコル様が帰ってきたわけではないのだけは確かなのだと……」

「見つかったけれど、帰ってきていない……?」

「とにかく、今から事情を聞きに行きましょう。お嬢様が帰ってくるのを待っていたのです」


 フィルフィナは首に掛けている笛を取り出し、それを高らかに二度吹いた。数分とかからずに、その細く鋭い音を聞きつけたケンタウロスたちがけつけてくれるはずだ。


「事情を聞ける場所を知らされているのですが……その行き先が……」

「行き先……どこ?」


 その目をうれいにけむらせるフィルフィナの表情に、リルルも聞くのがこわかったが、聞かないわけには行かなかった。


「……軍病院です」



   ◇   ◇   ◇



 三階建ての鉄筋てっきんコンクリート製の建物、庁舎ちょうしゃなみの威容いようほこる軍病院は、官庁街かんちょうがい片隅かたすみにあって、夜中にも関わらず窓の全てに明るい光を灯していた。

 屋敷から六カロメルトの距離きょりをわずか十数分で駆けたケンタウロスたちから飛び降り、開放されている玄関からリルルたちは病院の中に入っていく。消毒薬に似たにおいがまず鼻を突いた。


 フィルフィナが先導せんどうして静かなロビーに靴音くつおとを響かせ、かどを折れて人気のない廊下を進む。いくつもの部屋の前を通過し、数人の白衣はくいの医師や看護婦かんごふとすれ違うと、長椅子に座っている騎士らしき青年の姿が目に入った。リルルたちの気配に気づいて立ち上がる。


「ひっ」


 青年が座っていた長椅子の前の部屋、そこにかかげられたプレートを見てリルルは心臓が縮み上がった――『遺体安置室いたいあんちしつ』と書かれている。


「リルル・ヴィン・フォーチュネット様でしょうか」


 フィルフィナと面識があるのか、彼女と顔を合わせてから青年がたずねてきた。


「そうです! あ……あの、ニコルが、ニコルが見つかったとうかがったんですが!」

「はい……事情を知っている者がいるのですが」


 その口がにごる。


フローレシアお嬢さん、亜人と口を聞くのは、不愉快ふゆかいではありませんか……?」

「亜人? い、いえ、少しもかまいません! 直接会わせて下さい!」


 それでは、と案内する青年が入っていったのは、遺体安置室の隣の遺族いぞく控室ひかえしつだった。


「失礼します」


 リルルが先に部屋に足をみ入れ、続こうとしたフィルフィナが、足を止めた。


「お嬢様、わたしは部屋の外で話を聞いています」

「フィル?」

「病院の裏口で待っています。用がんだら来て下さい」


 フィルフィナが部屋の中に入らなかったわけは、すぐにわかった。


「フローレシア。この者が、ニコル・アーダディス准騎士じゅんきしを目撃した亜人です」

「――――!」


 思わずリルルの背筋がり返り、その爪先がびて体が浮き上がる。その亜人――革鎧かわよろい姿のラミアに見覚え・・・があったからだ。


「――どこかで会ったかな?」


 振り返ってそう口にしたラミアの顔を、リルルは忘れていない――鮮烈に覚えている、亜人奴隷市の場であのハーピーを預かると申し出たあのラミア!


「い、いいえっ!? 初めて会いましたよこんにちは!」


 完全に上ずった声が口の中ですべるように回転する。フィルフィナが部屋に入ろうとしなかったのは当然だろう。亜人奴隷市どれいいちの会場でリロットと一緒にいたフィルフィナが、今度はリルルと一緒にいる。リルルがリロットであるという傍証ぼうしょうになってしまう!


「もう夜だろう」

「ラミア! このフローレシアはれっきとした伯爵令嬢殿だ! 無礼な口ぶりは許されんぞ!」

「いいえ、全然かまいません! 私は気にしませんから!」


 なおも注意を喚起かんきしようとした青年を手で制し、リルルは先をうながした。


「あんたが、あの金色の髪の少年の知り合いというわけか」

「わ、私、リルル・ヴィン・フォーチュネットと申します。あなたは……」

「シーファ。それが私の名前の全てだ」


 口調も声も、確かにあの時のラミアのものだった。一度リロットとして顔を合わせている者を前にして、正体をさとられるのではないかという不安が体を緊張させる。


「あんたに細々こまごまくわしいことは話せない。軍事機密とやらで口止めされているんでな」


 ラミアの目が青年の方に向けられる。ここに青年が立ち合っているのは、余計なことをラミアが話さないようにとの監視もねているのか。


「あんたがニコルと呼ぶ少年、騎士は生きている。それは話せる。生きてはいるが」

「生きては、いる、けれど……?」


 その歯切れの悪さがリルルの首筋に氷を当てた。


「正気じゃなかった。彼のために十人の偵察隊が全滅した。彼におそわれて、だ」

「ええっ!?」


 ニコルが――襲った? ――全滅!?


「ど、どういうことなんです!」

「私もその偵察隊の一人だった。ある場所を探索たんさく中に彼と遭遇そうぐうして、襲われた。八人の手練てだれの騎士たちがあっという間にぎ倒された。私はそれを報告するため、撤退てったいするしかなかった」

「私も参加していました。無事だったのは、撤退に成功した私たちふたりだけなんです。アーダディス准騎士の同僚であるストラート准騎士もいましたが、アーダディスはまず彼を打ち倒して……」

「ストラート様が!」


 リルルの心が粟立あわだった。昼間、会ったばかりの青年が、死んだというのか!?


「そんな! ニコルが、あの優しいニコルがどうして!」

「いったろう、正気でなかったと。あやかしの術か魔法かであやつられているとしか思えない。振るう力も、とても人間のものとは思えなかったしな」

「ニコルが、全滅させた……全滅させただなんて……!」


 腹部に強く小さく縮こまるような痛みを覚え、リルルはうめく。ニコルが人を殺した――味方であるはずの騎士たちを、それも八人も!


「なんで、そんなことに……」


 目の奥に込み上げてくるものを感じた時には、涙腺るいせん決壊けっかいするのはすぐだった。自分の体温をはるかに超えるかのような熱い涙がいくつもの粒になってほおを転がり落ちる。ひざくだけそうになり、よろけた体を壁にもたれかけさせて支えるのが精一杯だった。


「そ、そんなこと、あって、あっていいはずがないわ……!」


 ニコルは操られている――操られた結果に違いない。人を傷つけるのが何よりも嫌いなニコルが、人を、ましてや味方に正気のまま手をかけるなどあり得ないことだ。

 だが、操られたとはいえ、八人もその手にかけてしまえば、たとえ正気に戻ったとしても――。


 はっ、と心に閃いたものがリルルの顔を上げさせた。


「ストラート様をはじめ、みなさまは!?」

「救出活動として第二陣を編成し、倒れている八名をなんとか収容しゅうようし、一時間程前に帰還きかんしたばかりなのです」

「彼はある場所を守っているかのようだった。こちらが一定の間合いを取っていれば近づいては来なかった。そのある場所というのが、問題なのだがな……」


 それ以上は話すな、というように青年の目が走る。


「ストラート様たちは、この病院に……」

「ええ。運び込んでおります」

「ひ、ひどい……」


 その八人が、この隣の遺体安置室に運び込まれているということか。それで自分はこんな控え室に通されたのか。

 涙が止まらない目にハンカチを当て、それでも前を向かなければならないと自分をしかりながら、リルルは顔を上げた。


「せめて、せめて、ストラート様ならびに他の方々のご遺体いたいに、対面させてはいただけないでしょうか。ご遺体であっても、お礼とおびの言葉をかけさせていただきたく……」

「――――」


 シーファと青年が顔を見合わせた。明らかに困惑こんわくの気配があった。


「いえ、それは無理です」

「も。もしかして、見るにえないような、むごさまとか!」

「いいえ、そういうことではなくて。遺体に対面はできません」


 五秒きっかり、言葉を選ぶための時間をけて、青年はいっていた。


「八人とも、生きていますから」

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