「迷宮へのいざない」

 王城の高層に位置する閣議室かくぎしつ、イェズラム公は特別製の車椅子くるまいすに乗ったまま長いテーブルにつき、車椅子の背もたれをいっぱいに倒して横になっていた。開け放っていた窓は閉めさせ、厚い毛布をその体にかけている。


 本来は布団に入って安静にしていなければいけない病床びょうしょうの身であったが、今は自宅に帰るのも苦痛に思える身だった。ここにいれば情報はいち早く触れることができる。


「――多分、私はここで死ぬだろうな……」


 十数歩離れてひかえている若い従卒じゅうそつにその言葉は音としてとどかなかった。ここで終わる命だとしても、今、死ぬわけにはいかない。


 そろそろかと思われた。


 壁の向こう、廊下ろうかを踏み歩く音がずかずかという調子で聞こえてくる。目がほとんど見えなくなっている代わりに、耳だけは敏感びんかんになっているようだ。


「――イェズラム公」

「戻られたか、シェルナ侯」


 甲冑かっちゅう姿のシェルナ侯が、二人の供を連れて姿を現した。


「ご報告いたします、ヴォルテール男爵は――」

「取り逃がしたか」


 シェルナ侯が継ぐ言葉を失った。間を取り持つようにイェズラム公爵が長い息をく。


「当然、この展開は予測しているだろうからな……無駄だとは思ってはいたが……」

「それが、ただ逃亡しただけではないのです」


 それぞれの従卒が部屋から退出する。大きく重い扉が閉じられれば、閣議室の中は二人だけになった。


「……私も実見じっけんしてきたのですが……信じていただけるかどうか……」

「いまさらなにもおどろかぬよ。で?」

「ヴォルテール邸が、なくなっていたのです」

「……ほう、それは驚いた」


 少しもそう聞こえない調子で公爵がつぶやいた。


「なくなったというか、どこかに屋敷ごと移動したというか……しかし、小国の城くらいはあるあの屋敷を跡形あとかたもなくどこかに移すなど、これはとても人智じんちおよぶところではなく……」

「相手は人ではないということだな。屋敷は……おそらくは『結節けっせつの空間』に移ったと見た方がよいだろうな……」

「そんなことが……」

「可能性がない、とは誰にもいいきれん。それはそうと……」


 ふっと思い出したように、イェズラム公が口にしていた。


「シェルナ侯。貴公が連れてきたその二人は、お友達かなにかかな?」


 その言葉にシェルナ侯が目を見開き、振り返った時に旋風せんぷうは巻き起こっていた。


「うぐっ!」


 しなやかで速い――しかし重く太い一撃にシェルナ侯が背中を打ちえられる。よろいを響かせて全身に伝わった反響に意識が瞬間吹き飛びかけ、体勢が崩れた体が、胴体に巻き付いてきた太いものに支えられた。


「ぐぅ……がぁぁぁ……!」


 シェルナ侯の足が床から浮かぶ。腕ごと上体の全部をめ上げて拘束こうそくしてくるものが、ものすごい力で持ち上げているのだ!


「――静かにしていてもらいましょうか? さわいだら、この甲冑ごとあなたをくだくわ」

「そ……そうだぁ! 静かにしていろぉ!」


 平然と動かないイェズラム公爵の耳元で、癇癪かんしゃくを爆発させたような甲高かんだかわめき声が鳴り響く。


「騒いだりしたらこ、こ、こ、殺すぞぉ!!」

「……あのね、メイリア」

「あ――あたしは、お前を殺すことなんて、な、なんでもないんだぁ!! もう何百人も殺して来てるんだからなぁ!! へ……へ、へ、平気なんだぞぉぉ!! 外の兵隊を呼んだりしたらどうなるか、わかってんだろうなぁぁ!!」

「――閣下!!」


 厚い壁一枚を貫通する喚声かんせいを聞きつけたのか、扉がノックなしで開け放たれ、四人の衛兵が飛び込んできた。彼らが目の当たりにしたのは――革鎧を着けた一体のラミアがシェルナ侯をへびの胴体で絞め上げ、車椅子の宰相さいしょうの喉元にハーピーの娘が持つ短剣が当てられている様だった。


「ひゃ――ひゃあああ! シーファ! 衛兵えいへいが来ちゃったよぉ!」

「お前が呼んだのよ、お前が」


 革鎧姿のラミア――シーファが心の底からため息をしぼり出す。


「こ……この亜人ども! 閣下たちを放せ! さもなくば!」

「い……い、い、一歩でも動くなぁ! 殺すぞ、殺すぞ、殺すんだからなぁ、本気なんだぞぉ!!」

「――娘」


 短剣の刃に喉元を叩かれてもまゆ一つ動かしていないイェズラム公がさとす。


「人にやいばを突き付けれていないのは、わかった。危なっかしくてこわい。刃を下げてくれんか。――ああ、心配はない」


 衛兵に向かって公爵が小さく手をげた。


「この二人は私の友人でな。少しじゃれているだけだ。下がっていい」

「さ……宰相閣下!」

「今から秘密の話をするのだ。下がれ」


 静かだが、確かなしんの通った声に衛兵が下がらされる。最後まで不安な色を隠せない顔が、扉の向こうに消えた。


「メイリア、短剣をしまっていい」

「シーファ、ごめん、あたし役立たずだぁ……す、す、捨てる? あたしを捨てちゃう?」

「捨てないし役立たずでもないし、あとで可愛がってやるから、早く短剣をしまいなさい」


 ハーピーの娘――メイリアが泣きべそをかきながら短剣を腰に納めた。


「シェルナ侯を放してやってくれんか。息苦しそうだ。――シェルナ侯、この二人は我々に話があってきたようだ。抵抗する必要はない」

「……どうしてそう思うのかしら?」

「お前たちが暗殺者であれば、とっくに私たちの喉元はき切られている。そうであろう? 命をうばえる状況でありながらそうしないのは、自分たちが敵ではないと証明したいからではないか?」

「……話が早くて助かるわ。さすが宰相閣下、聡明そうめいなことね」

「美しいお嬢さんにめられるとは光栄だ」


 シェルナ侯に巻き付いていた蛇の胴体が、かれる。体のしびれを覚えながらシェルナ侯がその場にひざをついた。


「失礼したわね、侯爵様」

「……妻以外の女性に、こんなに熱烈に抱きしめられたのは、三十年ぶりだ。ドキドキしたよ」

「嬉しいことを。どう? あなたの愛人になってあげてもいいわよ」

「シーファぁ! 浮気者ぉぉ!」

「……遠慮しておく。この世で最も怖いのは妻なのでな」

「あら、残念」


 シーファが薄く笑う。


「……ま、私たち、姿が姿だから、普通の手段では顔も合わせてもらえないと思って、こういう手段にうったえたのよ」

「そなたたちのような可愛らしい女性のお茶のお誘いなら、ちゃんと受けていた」

「お茶は問題がすんでからたっぷりさせてもらうわ。――この王城の足元の件についてよ」


 イェズラム公爵が片目を細めた。


「興味を持っていただいたようね?」

「……何故それを知っている?」

「亜人奴隷市どれいいち元締もとじめなんていうケチな案件を追っていたら、偶然出くわしてね。王城の地下深くに存在する迷宮、その先にある巨大な鉄の扉――人間の男とダークエルフの女が入っていったのを見たのよ、昨日」

「……警備騎士団からも報告が上がっている。今朝、金色の髪のダークエルフの女に警備騎士の一人が拉致らちされたと」


 シェルナ侯とシーファの視線がからみ合う。


「そのダークエルフも金色の髪をしていた。同一人物ではないのかしら?」

「つまり、そなたたちは」

「私たちは、そこにあなたたちを案内できる。――場所、知りたいでしょう?」

「……何故、そうも協力的なのだ?」

「私たち亜人もこの王都に住まう者。王都の危機は私たちの危機なのよ……本来は、亜人を搾取さくしゅするあなたたち人間とは敵対する立場なのだけれど」

「そういう組織の者か……」

「まだ面子メンツは少ないんだけれどね」

「苦労しているのはわかる。そこのハーピーをしっかり訓練してやれ。今のままではきっとどこかで命を落とすことになる」

「ほっとけぇぇ!」

「……わなではないのか。我々の軍勢をおびき寄せて、そこで殲滅せんめつしようという」

「信じなくてもいいのよ」


 シーファのり込むような瞳に、シェルナ侯がわずかに身を引いた。


「信じろとはいわないわ……信じてもらえるだけの材料も持っていないしね。……でも、あなたたち、信じるしかないのではなくて?」


 シェルナ侯は黙った。そのまま口を開かなくなった。


「……聡明なフローレシアお嬢さん、そなたの名は」

「シーファ。聡明でない方がメイリア」

「シーファぁぁぁ!」

「シーファとメイリアか。……そなたらの提案に乗るしかないようだ」


 ふぅぅぅ、とイェズラム公の喉から空気がれた。あと何回、呼吸をしていられるのか……。


「シェルナ侯、地下探索たんさく部隊の編成を頼む。このまま、放置しておくわけにはいかんからな……」



   ◇   ◇   ◇



 王都エルカリナ北東部区域の端にある、小さな葬儀屋そうぎや

 あまり繁盛はんじょうしていないおもむきではあるが、父親の本店がそこそこ繁盛しているから生き残っているような、そんな店。


 その店の奥、事実上の『快傑令嬢リロット同好会』の本部となっている倉庫に、二人の男が訪れていた。


「おう、来たか」


 明かりが煌々こうこうと輝く倉庫の奥のテーブルで一冊の本を丁寧ていねいにめくっていた男が顔を上げる――『葬儀屋』と呼ばれる、まさしくこの店の主人だ。


「葬儀屋、この荷物の量はなんでござるか?」

「なんか倉庫が一段とせまくなったなりね」


 連れ立ってやってきた『探し物屋』『本屋』が倉庫の中を見回した。数日前に比べ確実に圧迫感を覚える――奥の方で壁を築くかのように箱がいくつも積み上げられているのだ。


「ああ……『伯爵』が荷物を送りつけてきてな。こんな具合というわけだ」

「伯爵が、でござるか?」

「顔を見せたなりかね」

「宅配業者が持ってきたんだ。本人は来なかった――短い手紙が入ってたけどな。『親に捨てられそうになったから、しばらく預かっていてほしい』って」

「親は最大の敵でござるな。我々の宝物の価値を理解してくれないでござるよ」

「……見覚えのある箱があるなりね」

試製四号しせいよんごうの箱だろ」


 快傑令嬢リロットが着ている衣装いしょうを、可能な限り正確に再現しようとした衣装――『試製四号』。


「そんな大事なものを……それは捨てられてはたまらんでござるな」

「あとは、リロットちゃんを撮影した写真の乾板かんばんだそうだ――開けるなよ! 光が入ったら感光かんこうして台無しになるからな!」


 箱に手を触れかけた探し物屋を厳しくとがめる。そもそもがこれ以上はないというくらいに固く厳重げんじゅう梱包こんぽうされていたが。


「伯爵、なんか親ともめてるなりかね」

「親ともめるのは俺たちも同じだろ。この趣味街道しゅみかいどう、親の無理解との戦いのようなもんだ」


 それより『快傑令嬢記録・第一弾』の新しい表紙絵と挿絵がり上がったんだ――といおうとして、葬儀屋は口を閉じた。この雰囲気ふんいきの中で切り出せる話ではなかった。


「伯爵と会えなくなってまだ数日なのに、みょうさびしい気持ちでござるよ」

「胸にぼっかりと穴がいた気分なりな」

「いたらいたで、いなかったらいなかったで、本当にうっとうしいおっさんだな、ははは」


 悪意のない声でそういい――葬儀屋は振り返った。天井まで届くかのように積まれた、宝の山を。


「……早く引き取りに顔を出して欲しいぜ。倉庫がせまくっていけねぇ」

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