「ニコルの行方、何処に」

 早駆はやがけケンタウロスの背に乗るのはいつぶりだったろうか。

 少し割高わりだかな料金で、一辺十二カロメルトの王都エルカリナの城壁内を人を乗せて走るケンタウロス。特製の笛を鳴らして呼び寄せる二頭の彼らに、二人と一人がそれぞれまたがっていた。


 最後にこれに乗ってソフィアの家に駆けつけたのは何日前か、という考えが頭に浮かぶ余裕もなかった。ただ、今は一分、一秒すら惜しかった。

 ――ニコルが、さらわれた。

 その事情を知りたいという気持ちが、リルルの心の全てを染め上げていた。



   ◇   ◇   ◇



「ニ……ニ、ニ、ニコルが……!」


 ケンタウロスたちに数えてもいない数枚の紙幣しへいを押しつけて降りたリルルが、ソフィアの家の扉を突き破るようにノックなしで飛び込む。


 玄関もない家だ。

 たった一歩で居間にみ込んだリルルの前に、苦虫を百匹もつぶしきった顔で腕を組み鎮座ちんざしている老婆ろうば――ニコルの祖母そぼであるローレルと、一人の警備騎士の姿があった。


 その若い警備騎士は見覚えのない顔だったが、全身を甲冑かっちゅうに包んだ彼の姿を見た途端とたん、反射的にリルルの体が縦にびきった。悪いことをしているのを見咎みとがめられた気がした――いや、自分は悪いことをしているのだ、リロットの顔で。


フローレシアお嬢さん、あなたは……」

「その子は、ニコルの双子の姉みたいなもんだよ」


 警備騎士のリルルへの質問をさえぎるようにローレルが答える。孫がさらわれたというのに平然としている口調だった。


「事情を聞くに値する間柄あいだがらというわけさ」

「お……お義母かあさん、戻りました……」

「お帰り、ソフィア。――フィルも来たのかい」

「はい」


 ソフィアとフィルフィナが続けて家の中に入ってくる。もうあと一人入ってくるだけで窮屈きゅうくつになりそうな居間いまに、どんよりと重い空気が漂っていた。


「――初めまして、私、リルル・ヴィン・フォーチュネットと申します……」

「フォーチュネット……ああ、フォーチュネット伯爵のお嬢様!」


 貴族としては伯爵の位すら不相応ふそうおう零落れいらくした家ではあるが、大企業の経営者としてあまりに有名なその名を知らぬ者は少ない。


「自分はラシェット・ヴィン・ストラートと申す者です。ニコル君の同僚どうりょうです」

「そ、それで、ニコルがさらわれたというのは……!」

「は……はい、自分は彼がさらわれた現場に居合いあわせました。……彼がさらわれるところをの当たりにしていながら、なにもできなかった。申し訳ありません!」


 青年の体が直角に折れ曲がる。陰になっている顔が苦悩にゆがんでいるのは想像にかたくなかった。


「どうかお顔を上げられて……それより、事情を、事情をお聞かせ下さい」

「は……はい……」


 席をすすめても座りもしないのは、それが自分の罰と思っているからだろうか、ラシェットは立ったまま自分が見た現場の様子を語り始めた。


「……金色の髪の、ダークエルフ……!?」


 豊かにふくらましているフィルフィナの髪の下で、耳がねたような気配があった。


「応接間に通した時は、確かに人間の……貴婦人に見えたのですが、あらそうような物音がしてみ込んだ時には人間などおらず、紫に近いあおの肌をした……耳も長かった。あれはきっと、文献ぶんけんにあるダークエルフにちがいありません!」

「…………」


 フィルフィナの口の中でギリ、と歯ぎしりが鳴ったような音をリルルは聞いたような気がした。


「すぐに追おうとしたのですが、煙かなにかのように消えてしまい、足取りさえ確かでなく……自分が近くにいながら! お許しください!!」

「騎士様ともあろう方が、そんなバッタみたいにペコペコなさるもんじゃないよ」


 腕を組み、目を閉じているローレルが冷静な語り口を聞かせる。


「ニ、ニコルは! ニコルはどうなるんですか! 息子は生きているんですか!」

「落ち着きな、ソフィア!」


 老婆のしんのある一喝いっかつに、ソフィアの泣き顔が固まった。


「わざわざ手間暇てまひまかけてさらったんだ、殺すのが目的じゃなければ生きているに決まってる。物事を論理立てて考えな――ニコルになんか用があるんだ。すぐに殺されたりしないよ」

「で、ですが、お義母かあさん……」

「いつもあたしに楯突たてついている度胸どきょうはどこにいったんだ、まったく……茶でも飲んで落ち着きな。今あたしがれてやる」


 初めてローレルが目を開け、テーブルの上にっていた陶器製とうきせいのポットを手に取り――それを、手からすべらせた。

 反応もできず固まったローレルの足元で、床に落ちたポットが派手な音を立てくだけ散った。


「……すまないね、割ってしまったね……」


 床に散乱さんらんした破片を見下ろし、そうつぶやくローレルの手が見てわかるほどに震えていた。フィルフィナが無言で陶器の破片を片付け始める。


「あ……ありがとう、フィル……」

「ローレル。わたしがいるから大丈夫ですよ」

「あ……ああ……すまないね……」


 ローレルの軽い体が椅子に落ちるように乗る。フィルフィナが破片を捨て、予備のポットを取り出してお茶の用意をし始めた。


「で……ですが! 同僚どうりょうがさらわれて我々もだまってはいません! 全力で彼の行方ゆくえさがします! 必ず見つけ出し、彼を無事な姿でみなさまの元にお返しいたします! ですから、ですから今少し、お時間のほどを……!」

「ストラート様、どうか……お顔をお上げになられて……」


 実際のところ、手がかりは――全く、ない。

 が、目の前で恐縮きょうしゅくしきり、体を縮めるのではないかとなっているラシェットを前にすると、リルルは取り乱すこともできなかった。


「私、お父様にも頼んで、ニコルを探すお手伝いをします」

「フローレシア……」

「ニコルは私の乳兄弟ちきょうだいであり、双子同然に育った間柄あいだがらです。かけがえのない兄弟を探すのは当然のこと――ストラート様、警備騎士団の方でもよろしくお願いいたします。どうかニコルを……」

「え……ええ! 自分も、騎士団も全力をくします! そして、必ず……!」


 フィルフィナが「お茶を」とすすめてきたのに首を横に振り、ラシェットは一礼すると家を飛び出していった。


「……ソフィア、ローレル。私もニコルを探すわ」

「リ、リルル……無茶はしないでおくれ。あんたにもしものことがあったら、あたし、フォーチュネットの旦那様だんなさまにどう顔向けしたらいいのか……」

「大丈夫よ! ……それに私、リロットとも知り合いなの! 彼女にも探してもらうわ!」


 リルルが体をひるがえした。


「ニコルにも教えてるの。私とリロットは大の仲良し、心も通じ合う仲だって――彼女は必ずニコルを探して、見つけてくれる! だからソフィアもローレルも心配しないで待ってて!」

「リ、リルル!」

「フィル、二人の面倒を見てあげていて。私、リロットに会ってくるわ!」

「お嬢様!」


 フィルフィナの声を振り切るようにしてリルルは外に飛び出す。家と家とが肩を並べるようにして建つ住宅街の、いくらでもある死角のひとつに入り込み、黒い腕輪をかかげた。

 それを叩く。赤いフレームのメガネが飛び出し、リルルの手に乗った。


「――そう。私とリロットは一心同体」


 人気がないのを確かめ、メガネを顔にかける。途端に細い路地ろじに爆発のような光があふれ、爆風に似たその奔流ほんりゅうが細い空間を走り抜け、おどろいた人々が道行く足を止めた時、路地に少女の姿はなかった。


「ニコル、待っていて! 私が――快傑令嬢リロットが、あなたをうばい返してみせるから!」


 大きく広がった白いかさが下から風を受けるように空に飛ぶ。その取っ手を軽々とにぎった少女が、薄桃色のドレスを風に叩かれながら空に舞い上がった。



   ◇   ◇   ◇



 そのニコルは、今、どことも知れない広く暗い室内の、今まで彼が見たこともないような豪奢ごうしゃな寝台に体を横たえ、眠りについていた。


 寝台の横に胸甲きょうこうふくめた甲冑かっちゅうやマントが、再び少年に着てもらえることを待ちわびているかのように、きれいに並んでいる。

 たった一人が寝る部屋としては明らかに広すぎ、調度が行き届いた部屋。それを唯一ゆいいつ明かりをともされているランプが、青白い光で淡い影を浮かび上がらせていた。


 少年を美しくかざる明るい金色の髪が、光を反射して輝きを放つ――。


「リ……ル……ル……」


 闇の中でさまよう心が少年の口から言葉に似た息をらさせ、それがかたわらにいた女に届いてそのとがった耳を跳ねさせた。


「あら? 意識が戻ったのかしら?」


 闇の暗さの中に溶け込むような深い蒼の肌、黒に近い焦げ茶色の服。二の腕と太ももがあらわになった簡素な格好だが、細い絹糸きぬいとに似た質感の髪が白の印象を思わせる金色の光を帯びていた。


「まだおねんねなのね。催眠さいみんが完全に効いていないのかしら……人間にしては耐性があるのね、この子――ん?」


 少年のもののはずなのに、色香いろかかすかににおわせるくちびるが、小さく動いている。ダークエルフの女――ティターニャはその唇に耳を寄せた。


「リ……ッ、ト……」

「リロット?」


 全てが明確な音に区切られてはいなかったが、そう聞こえた。


「リロット――快傑令嬢とかいうあの娘の夢を見ているのね。あんな小娘が好みなのかしら」


 体を離す。目を細め、ニコルの顔を眺めた。


「見れば見るほど、可愛い子……。あなたみたいな子を魅了チャームの術であやつるなんて、もったいないわね」


 毛布にくるまれるニコルの上から、たわむれるようにティターニャがニコルの腰にまたがり、体を倒してニコルに――おおかぶさる。もみあげを流れる長い金の髪がれ、少年の顔をくすぐった。


「正気のままに骨抜きにして、私がいないと生きていけないようするのも面白いわね……わかる? 正気のままに、正気でなくさされることのこわさが」


 小さく、そして尖った鼻を少年の鼻にそっと合わせた。可憐かれん、という言葉さえ似合いそうな唇が目の前でふわ、と動く。


「おねだりをしてるのね? いいわ――ご褒美ほうびをあげる。あなた、すごく幸運よ――ダークエルフに、舌まで許してもらえるなんて……」


 うすく白い女の唇が、舌なめずりをしたあとのようにあやしく光る。唇の色を全てめ上げようと、ゆっくりと顔を落とし――。


「――なによ、これ」


 自分の唇に触れた感触に、ティターニャの目が細められた。静かな歓喜かんきの気配が、その顔からがれ落ちていた。


 ティターニャの唇はニコルのほおに触れただけだった。動けないはずのニコルが、無意識の中でも顔をそむけていた。


「この子……まだ抵抗する意志があるの? それとも偶然?」


 きょうがれたティターニャは体を起こし、そのまま寝台の上から降りた。


「まあ、いいわ。意識が戻れば操り人形同然よ。お楽しみはその後でもかまわない……ゆっくり楽しみましょうね――闇の中で」


 ランプのふたを閉じる。小さなランプはすぐにその中の酸素を失って、魔鉱石の輝きがジジジと震えた。


「おやすみなさい、私の可愛い騎士様」


 ダークエルフの女の気配が扉の向こうに消えた時、ランプの光もまた消え失せて、部屋は完全な闇に覆われた。

 一切のものが静かに沈黙を保ち続ける、部屋の中。どろのように混濁こんだくして自覚できない夢を見続けているニコルが、必死にあらがうかのように、細く細い声を上げ続けていた。


「…………リ……ルル……。――――リロ……ット……」

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