「印刷実演と個人同好会」

 埋め立て地は人の波であふれていた。

 平時では、せいぜい雑草ざっそうが薄く緑色を成している地面が、今はその色も見えない。このもよおしものが終わった時には、短い草などは全てみ荒らされて茶色い土の下にもぐっていることだろう。


 せまくもない空間が数百、数千、その一桁ひとけた上……もう視界が全て人、という今までに体験したことのない混雑こんざつの中でもみくちゃにされながら、リルルは人の背丈せたけほどの箱がつぶされないよう必死に抱えていた。


「リロットちゃんは向こうでござるな。仮装遊戯コスプレ着替きがえの場所は赤い天幕テントでござる」

「我がはいらは向こうの茶色い天幕の方に行ってるなりから」

「なるべく見つかりやすいところにいるから、声を出して呼んでくれな」

「は、はい……」

「リロットちゃん、迷わないようにね」


 女性専用の着替え用天幕――やはり大規模だいきぼサーカス団が張るような巨大なテントが、壁となっている人の頭の向こうにあった。衣装いしょうが入っているのだろうか、大きな箱を手にしている若い女性たちがそれでも千人規模きぼの行列を成している。


 天幕はすでに開かれていてその行列を飲み込み始めてはいるが、その速度はかめの歩みのように緩慢かんまんだった。着替えの手間がどれだけかかるかを考えれば無理のないことだったが……。


「これじゃあ、一時間かかっても着替えなんかできないなぁ……」


 その時間で天幕にたどりつき、手にしているこの衣装に着替えて出口から出るとすれば、どれだけの時間がかかるのか。

 本物のリロットの衣装なら、それこそ一瞬で――。


「――そうだ!」



   ◇   ◇   ◇



「あれれ、リロットちゃん、早かったねぇ?」


 大方の予想を完全に裏切って早くも合流したリルルの姿に、同好会の四人は一様いちように目を丸くした。


「意外に時間がかからないものでござるな」

「しかし、すごい出来映できばえなりな、試製四号は。衣装だけは以前に見せてもらったなりが、実際に着ている姿は……こう、なんというか、説得力があるなり」


 快傑令嬢リロットにふんしたリルルを、同好会の四人は興味津々きょうみしんしんという目で――いや、崇拝すうはい眼差まなざしで見つめていた。

 口のだけで語られていた神が、眼前がんぜん降臨こうりんした信徒しんとが見せるような目だった。


「ああ、これが本物の快傑令嬢リロットといわれても、俺はおどろかないぞ……ありがたや、ありがたや」

「あははは……」


 リルルは苦笑する――当然だ、メガネ以外は本物のリロットの衣装なのだから。


「午前中はいろんな天幕を見て回ろうか」


 伯爵のうながしにリルルはうなずき、改めて巨大な天幕の内側をながめ回した。雨風あまかぜを弾き光をふんだんに通す帆布はんぷで構成された天幕の中は意外に明るい。ここは外の混雑とは打って変わって、好きなところにすぐ移動できるくらいには人の密度はうすかった。それでも盛況せいきょうなのにはちがいがないが。


「ここでは、どんな出し物が出ているんですか?」

「この天幕では、エルカリナ王国がほこる印刷技術の展覧てんらんが行われているよ」


 広い天幕の中は大きく四つに区切くぎられ、それぞれになにかが実演されている――リルルたちは近くの一つに注目した。


「それでは午前最初の部です。ただいまより、円筒回転ローラー印刷の過程かていを実演いたします。まずは、こちらの加工前の円筒えんとうにご注目ください」


 拡声ラッパメガホンを手にしたスーツ姿の女性が声を張り上げている。その側にははば一メルトほどの円筒が二本立てられている――が、観客の目をいたのはそんなものではなく、そのまた後ろで待機している半人半蜘蛛アラクネの女性だ。


 身長、というより体高二メルト半の体。人間の女性型の上半身を青いスーツに包み、メガネをかけて理知的な印象を周囲に振りまいている若い亜人だった。


「ただいまよりこの円筒に、このはんしたがって印刷のための彫刻ちょうこくをしていきます」


 案内役の女性が広げて見せたのは、新聞紙大の原稿げんこうらしい紙だ。それが新聞の記事をしていることを観客に確認させ、後ろで待機しているアラクネに手渡す。


「あれを今から印刷するのですか?」

「我が輩はこういうことに詳しいなりが、なかなかすごいなりよ。ものの数分で準備を整えるなり」

「す、数分――?」


 あの円筒に彫刻をするというが、原稿の文字だけで何千字あるというのか。それをものの数分とか、どうやって――。

 本屋の言葉に目を丸くしていたリルルの目が、開始された実演にさらに丸くなった。


 手渡された原稿に目を通しきったアラクネの腹部が開いたかと思うと、そこから無数の小蜘蛛こぐもが勢いよく吐き出されてきたのだ。


 小指の爪のくらいの大きさしかないその小蜘蛛のれ――黒い染みがあふれ出して広がりうごめいているとしか形容けいようしようのない光景。その小型蜘蛛たちが一斉に円筒に群がったかと思うと、一心不乱にその円筒の表面をかじり出した。


「うわ」


 数百匹の小蜘蛛たちがざわざわとい回る光景に、虫がそれほど嫌いでないリルルもさすがに肌が粟立あわだった。


 そのあまりに小さい蜘蛛が微細びさいに震動する様がリルルには「かじっている」としか見えなかったのだが、実際に蜘蛛たちは軟質製なんしつせいの円筒をかじっていた。本屋の予告通りそれは二分もかからず、仕事は終わったとばかりに小蜘蛛たちはアラクネのお腹の中に帰って行った。


 八本の脚を動かして前進したアラクネがその円筒を抱え、後ろに設置されているいくつもの円筒を組み合わせた機械に、それを慎重しんちょうに組み込む。


 これも巨大な円筒に巻かれた紙が機械の端にえ付けられる――コンベアも円筒ならいくつもの円筒、円筒、円筒だけで組み合わされた大きく長い機械に、リルルは自分の目が回りそうになるのを感じた。


 紙の先端がコンベアのベルトに固定され――機械が、回り出した。

 全ての円筒がそれぞれに回転を始め、紙が前進し先ほど彫刻された円筒に巻き込まれていく。その円筒に紙が接触せっしょくすると、鮮やかなインク色の文字がくっきりと紙の上に印刷されていった。


 一秒で新聞紙一枚分の文字と図画ずがが印刷され、それが末端まったん裁断機さいだんきで新聞紙の大きさに断ち切られる。

 印刷して裁断、印刷して裁断、の調子ちょうしを一秒ごとにり返し、リルルの目がぱちぱちとまばたくたびにその数が増していった。


「これが新聞の印刷工程です――みなさん、できたての新聞のにおいをいで下さい。インクのいい臭いがするでしょう」


 まだ紙に熱が残った新聞紙が観客に配られていき、リルルたちもそれを一部ずつ手渡された――配っている案内人がリルルの姿を見て少し複雑そうな顔をする。


 それに首を傾げたリルルは次の瞬間、その理由がわかりすぎるほどにわかった。

 実演としてられた記事の内容が、三ヶ月前に発行された新聞記事――快傑令嬢リロットが秘密の偽札にせさつ印刷工場を、端微塵ぱみじんに吹っ飛ばした事件の号外ごうがいだったからだ。



   ◇   ◇   ◇



「いやあ、僕たちがいつも読んでいる新聞はああやって印刷されているんだねぇ」


 アラクネがった絹織物版きぬおりものばんでの総天然色フルカラー印刷などの展覧てんらんを一通り見学し、同好会一同は盛り上がりながらその大型天幕をあとにしていた。


「本当は、もう一個裏面用の円筒版をって両面印刷するなり」

「真夜中に起こった事件も、ものの数時間で号外が出るわけでござるな」

「まあ、あれは印刷の工程だけで、事件を取材したり印刷した新聞を運搬うんぱんする過程かていだってあるわけだから、時間的にはかなりカツカツなんだけれどな――」

「大変面白かったです!」


 お世辞せじ抜き、心からの喜びにリルルは声を弾ませる。


「私、今まで新聞があんな風に刷られているなんて想像もしていませんでした!」

「リロットちゃんに喜んでもらえれば光栄だよ。さそった甲斐かいがあったというものだ」

「あ、あの天幕、行列ができていますね! 向こうにはなにがあるんですか!?」


 真っ黄色のド派手な大型天幕。まさに長蛇ちょうだの列を作った大勢の人間を、その入口の中に飲み込んでいる様子にリルルは声を弾ませた。列に並ぶのでなければ、中に入って様子を見ることはできるようだ。


「あれは個人同好会サークルのための大型天幕なりよ」

「僕たちみたいな個人で本を刷って出したりしてるんだねぇ」

「俺も今回は同人誌出したかった……」


 絵専門の葬儀屋そうぎやがまだいがあるのか、遠い目を見せて呟く。


「半年後があるでござるよ。拙者せっしゃも手伝うでござる」

「今から並ぶと何時間待ちなのかな? 頒布はんぷしている様子は見ることができるけれど」

「行きましょう!」


 すっかりはしゃいだリルルが先頭に立った。大きく開いたドレスの背中からのぞけるリルルの肌の色を、快傑令嬢リロット同好会の男連中たちは鼻の下をばす心地ここちで見ていた。


「わ」


 天幕の中は人の体温と体臭たいしゅうで満ちていた。外の外気を弾き返すような結界けっかいが張られているような気配さえある。それだけの人数がひしめいている――さっきの天幕とは大違おおちがいで、こちらは人と人がすれ違うのも難儀なんぎをする混みようだ。


「おい、俺たちのリロットちゃんを護衛ガードするぞ。四方を固めろ」

「了解だよ」

「拙者たち親衛隊しんえいたいでござるな」


 万が一にも、リルルの体に不埒ふらちな手がのびないようにと四人がリルルの前後左右を固める。

 無数のつくえ整然せいぜんと並べられ、それは早朝の屋台市のにぎわいを想起そうきさせた――が、やはりそれはリルルが体験したことのない混雑こんざつだ。


「みなさん、自分で書かれた小説なんかを売っているのですか?」

「頒布なりよ。売っているのではないなり」

「お金をもらって本を渡すでござるな」

「……それは売っているというのではないのですか?」


 リルルの疑問に答える者はいなかった。


「お、今回も壁同好会サークルは『緑のもり』なりな」

「壁同好会?」

「あんまりに本を欲しがる人数が多いから、行列をさばきやすくするために壁際に回されているでござるよ」

「『緑の杜』って、三年前から壁を独占どくせんしている同好会か」

「あの行列の大半がそこの同好会のものなのかい? すごいねぇ」

「ア・ラーキンと名乗る女流じょりゅう作家が主催しゅさいしている個人同好会でこの規模きぼなりから、恐れいるなりね。間違いなく最大手の一角なり」


 天幕の外周を半分ぐるりと取り巻いている、横五人の列のならびにリルルは目をやった。そのほとんどが少女たちだ。王都エルカリナの若い女の子が全員そこにいるといわれても信じられるほどの人数が、遅々ちちとして進まない列の中でそれぞれが期待に目を輝かせている。


 列に並ばなければ、その終点はすぐに見ることができるようだ。女の子たちの黄色く弾む声を聞きながらリルルはその列に沿って進んだ。


「ア・ラーキン先生! 握手あくしゅをお願いします!」

「はいはい」


 女の子の壁の向こう、終端しゅうたんのテーブルでなにが起こっているのかはリルルには見えない。女流作家といったか、確かに応じる女性の声が聞こえてきた。


 リルルに見えるのは、長テーブルに山かと見まごうほどに積まれた本の山と、その後ろにあるこれも山と積まれている箱、箱、箱。

 本の一冊を求めるためにこれほどの女の子たちが並んでいるのだろうか。できればその本を読んでみたいし、せめてその主催者の顔をリルルは一目でも見たくなった。


「あら、あなたたち、去年も二人で来てくれましたよね?」

「そうです! すごい! ラーキン先生、よく覚えていますね!」


 感激しかないといったはしゃぐ声。列の向こうで――女の子たちの頭しか見えない。


「わたしの応援者ファンの方々はみんな覚えていますよ。大切な人たちですからね」

「先生、雑誌の記事読みました! 先生の本名が出ていましたよね!」

「ああ、あれは編集の手違いで――訂正ていせいするのが間に合わなかったんです」

「そちらのお名前もとっても素敵すてき! 一度でいいから呼ばせてください!」

「とっても照れくさいですが、いいですよ、どうぞ」

「ありがとうございます! では――」


 その声は一拍いっぱく置かれ――自然に耳をましていたリルルの声に、これ以上もない衝撃しょうげきと共に突き刺さった。


「フィルフィナ先生!」


 リルルの足が床を見事にみがいて、その体が一瞬、宙に浮いた。

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