「国際印刷物展覧会(コミケ)、開幕」

 葬儀屋そうぎやでの会合かいごうから屋敷に帰ってきたリルルを待っていたのは、お出かけの準備をしていたフィルフィナだった。


「フィル、その格好かっこう……」


 いつものメイド服を脱ぎ、フィルフィナは唯一ゆいいつの私服といっていい余所よそ行きの服に身を包んでいた。厚手のワンピース――まるで僧衣そうい喪服もふくのようにも見えるダボッとした服を着て、頭には大きすぎるほどの黒い三角帽子ぼうしかぶっている。


 まるでちびっこい魔法使いかなんかのようだ。


「お嬢様、わたし、今から休暇きゅうかをいただきますから、三日間」


 かけているメガネのフレームを指でつまんだフィルフィナがいう。それだけで知的な雰囲気ふんいきが増すのがリルルには不思議だった。


「い、いきなりじゃない?」

「毎年、この時期にはお休みをいただいているではありませんか」


 いわれてみれば確かにそうだった。ただ、理由を聞いたことは一度もない。たまにはフィルフィナも休暇を満喫まんきつしたいのだな、くらいしか思わなかったことを今更ながら振り返る。


「食事の手配はすんでいます。今夜から朝食、昼食、夕食と宅配業者が食事を運んできますから、それを受け取ってくださいね」

「屋敷で私一人になるの? 掃除は? 洗濯は? 私の話し相手は?」

「お嬢様もいい大人でしょう。自分でしてください」

「私の話し相手は自分ではできません!」

「それも用意してあります」


 話し相手を用意してある? 部屋に帰ったら猫でもいるというのだろうか?


「腕輪はお返しします。ぞくが現れたらぶちのめすか、しばき倒すか、どちらかにしてください。では」


 今まで取り上げていた黒い腕輪を押しつけるようにしてリルルに渡し、急ぎますから、といってフィルフィナは玄関げんかんを出て行った。


 玄関が閉まると同時に、リルルの心に寒風かんぷうが吹き込んだ。寒い。


「さ……寂しくなんか、ないもん……」


 少し涙ぐみながら自室に戻る。目尻めじりを指で払いながら寝室のドアを開くと、寝台ベッドの上に話し相手が座っているのを見つけた。


「は――――」


 リルルの寝台の上にぼてん、という感じで座っているのは、ニコル――身長六十セッチメルトくらいの――だった。

 金色というか黄色の髪、胸甲きょうこう、背中の赤いマントがフェルトで作られていて、青い目はボタンでできている、短い手足のぬいぐるみのニコルだ。

 メモのような紙が張り付けられていて、それにはフィルフィナの落書きのような自分の似顔絵が描かれていた。結構上手い。


「……話し相手っていうのは、このニコルかぁ……」


 確かにいい話し相手――というよりは、いい聞き相手になってくれそうだった。リルルのいうことに、静かに耳をかたむけてくれることだろう。

 早速リルルはニコルを抱き上げた。横に細い×印で口を閉じているニコルが、本当につぶらなボタンの目でリルルを見つめていた。


「ニコル、知ってる? 実はね……私、あなたがつかまえようとしている快傑令嬢なのよ……」


 寝台に体を投げ出し、かたわらにニコルを座らせる。フィルフィナの手作りだろうか。なにからなにまで器用なものだ。

 寝そべりながら、コナスたちからもらった『快傑令嬢記録・第一弾』を開く。葬儀そうぎ屋は表紙から挿絵さしえまで全て描き直すといっていたが、自分の顔がそこかしこに描かれている本の方がむしろ読みにくい。


 自分のことについて書かれた本を読む――複雑なことこの上なかったが、面白いことも確かだった。


「ああ……本当に最初の事件からってるんだ……」


 最初の事件――ちょうど半年前くらいだろうか? 確かあの事件は……街を歩いていた時に途方に暮れて泣いているところを見つけた、一人の男の子との出会いから始まって……。


「『快傑令嬢』って名前が新聞に載ったのは確か、六件目……あれ? もう四件目のあとにいわれてたの? 記憶って曖昧あいまいだなぁ……うんうん、この時の密貿易団みつぼうえきだんを船ごと沈めた時は大変だったわね……私も一緒に沈みそうになって……ふぁぁ」


 あくびが出る。両手で抱える本が重い。気疲れは骨にまて食い込んでるようだった。


「私……こんなところで、こんな本を読んでいる場合じゃないのにね……」


 ニコルの手紙が読みたい――が、手紙が途絶とだえてから何日になるだろうか。一日をおくこともなく届いていた手紙が、もう、来ない。

 ニコル自身は、三十分も歩けば会える距離にいるというのに。


「こんな私に、手紙なんか出せないよね……ね、ニコル……」


 ぬいぐるみのニコルが、無言でうなずいたように見えた。

 まぶたが重くなる。寒気を覚えて布団をたぐり寄せた。


「……ニコル、一緒に寝てくれる?」


 ニコルは拒絶きょぜつしない。そんなニコルを布団の中に入れ、はみ出したその頭にリルルはほおを寄せた。


「――お休み、ニコル……」



   ◇   ◇   ◇



 ――三日後がやってきた。


 海に面した王都エルカリナ南西部。沿岸から四百メルト離れた海に、一つの広大な人工島がきずかれている。

 海の彼方から来襲らいしゅうしてくる敵海軍から、王都を防衛するための防御陣地じんちを設営するための人工島だ。縦横じゅうおうに二カロメルトの『カギ』型をした、広さおよそ三平方カロメルトの埋め立て地。


 島の周囲は軌道レールで囲まれ、コンクリートで設営された巨大な掩体壕シェルター以外には、これといった建造物は建てられていない。普段はだだっ広い更地さらちが広がる閑散かんさんとした島だが、今日は少し勝手がちがっていた。


 その角張った島を本土とつなげているのは、本土長さ四百メルトの長大な橋だ。はがねより強靱きょうじん特殊繊維アラクネ糸鋼線ワイヤーられたその強固な吊り橋は、小型の船舶ならばその下が航行できるほどの高さがある。


 今、その橋の上は、数千――いや、もしかすれば万に届く人々の群れで埋めくされていた。



   ◇   ◇   ◇



「うわあ……!」



 南からの強い風が潮のにおいをいっぱいにはらんで、リルルの長い髪を盛大にいたぶって吹き抜けていく。かぶった帽子ぼうしを片手で押さえながら、リルルは幅五十メルトのこの橋を、人の一人も入り込む隙間すきまもなく埋めている人々の中の一人になっていた。


「どうして私たち、ここで待たされているんですか?」

「まだ会場が開かれてないからだよ、リロットちゃん」


『葬儀屋』の答えが返ってきて――リルルは複雑な笑みを浮かべてしまう。『快傑令嬢』になっていない時にその名で呼ばれるのは違和感いわかんしかなかった。

 普段は更地なだけの人工島には今、サーカス団が設営するような大型の天幕テントが十数個建てられていた。それぞれが二十メルトに届くかという高さのものだ。


 海べりの強い風を受け流すためか、壁に当たる幕は張られていない。色とりどりの巨大な帆布はんぷの屋根が並んでいるその光景は壮観そうかんだった。


 東に横たわる山の稜線りょうせんに太陽の姿が半分顔をのぞかせている――まだ早朝といえるこの時間に、この一帯だけが異様なにぎわいに包まれていた。


「すごい人出ひとでだねぇ。軍隊の閲兵式えっぺいしきでもこんなに盛り上がらないよ」

「伯爵は国際印刷物展覧会コミケは初めてでござったな」

「我々は熟練者ベテランなり。作法を伝授するなりよ」


『探し物屋』に『本屋』が言葉をつなぐ。『快傑令嬢リロット同好会』総勢五人の勢揃せいぞろいだった。


「あの船は? たくさん人が乗っているようですが」


 本土から人工島に向かう何隻かの中型船舶せんぱくが行き来しているのをリルルが見つける。普段は土砂かなにかを運搬うんぱんする船なのだろうか、今は代わりに大勢の人間を乗せていた。


「あれは参加同好会サークルの人間を乗せているんだぜ。荷物の搬入はんにゅうは前日に終わっているんだ」

「荷物?」

「本とか同人誌とか物販ぶっぱんとか、あと色々な出し物とか、そんなものでござるよ」

「我々も『快傑令嬢リロット同好会』で参加したかったなりな。我がはいの本と葬儀屋そうぎやの絵で勝負してみたかったなりよ」

「まあ、それは半年後のお楽しみさ。俺はもうリロットちゃんの顔でしか快傑令嬢を描かないと決めたんだ。今までのものは全部」

「捨てないでよ、もったいないからさ」

「半年ごとにやっているのですか……」


 もうこれで数十回目の開催かいさいらしいが、リルルは存在さえ知らなかった。同じ街の中でやっているもよおしもののはずなのに、別世界のこととしか思えなかった。

 事前に注意されていたから厚手のコートを着ていたものの、やはり海から来る早朝の風は冷たい。風の切れ味にリルルは体を震わせた。


「君たち、我々でフローレシアお嬢さん風除かぜよけになるよ」

「伯爵は紳士しんしでござるな。その気遣きづかいは素晴すばらしいでござる」

「まだ一時間待たされるからな……リロットちゃん、大丈夫かい?」

「ええ、お気遣いなく」


 リルルはつとめて笑顔でそういうが、寒風にさらされながら退屈たいくつな時間を過ごすというのは正直苦痛だった。


「……あの」


 風上に立って風を全て受けてくれている伯爵の耳元に、リルルは口を寄せる。


「……貴方様あなたさまなら、あの船に乗せてもらえるよう、便宜べんぎはかってもらえるのでは……」

「そんなことは簡単だけど、このワクワクしながら待つのがいいんじゃないか」


 この時間さえも楽しくて仕方ないというように、伯爵の弾むような答えが返ってくる。


「面白いことの前の我慢がまんもまた、楽しさの香辛料スパイスだよ」

「はあ……」

「おっ、今年も恒例こうれい号砲ごうほうが出て来るな」


 葬儀屋が指を差した先に、島の周囲を囲む軌道の上を三りょうの異質な列車が走っているのが見えた。長さ三十メルトほどの車両の上に、その三分の二ほどの長さを持つ――大型の大砲が搭載とうさいされている。リルルもいくつか実物の大砲を見たことはあったが、今まで見た中で最大級の大砲だ。


「あ、あれは?」

沿岸えんがん防衛用の列車砲れっしゃほうなりな」


 列車砲。列車の上に大砲が載っているからそうなのか。ラミア列車をいていると同じ巨大ラミアが二体、縦に並んでそれを牽引けんいんしていた。見慣みなれた車掌しゃしょうの服装ではなく、軍服姿なのがある意味新鮮だった。


「口径二十八セッチメルトで砲身長は二十一メルトなり。総重量二百二十トル、砲身重量八十五トル……」

「わかったわかった」


 それが三編成へんせい。三輌の列車砲が一定の間隔かんかくを空けてゆっくりと走っている。


射程しゃてい六十一カロメルト、発射速度は三ないし四分に一発なりて……」

「わかったわかった! お前の性能諸元スペック暗記は聞き飽きた! リロットちゃんがあきれてるじゃねぇか!」

「砲身の命数が聞きたいなりか?」

「いらん!」


 三輌の列車砲が、所々で枝分かれしている軌道にポイントを切ってそれぞれに停車した。ただ曲線カーブをつけただけの、先が途切れている文字通りの枝線えだせんだ。


「どうして枝の軌道に入ってまったのですか?」

「砲身が旋回せんかいしないからなり。ねらいたい角度をああやって調整するなりよ。砲身の先に標的艦ひょうてきかんがあるなりな」


 三輌の列車砲が砲身を向けた先――六カロメルトくらい先だろうか? 古びた大型帆船はんせん一隻いっせき浮かんでいる。最近ではめっきり見なくなったが目立つ赤の色に染め上げられ、青い海の上でも容易ようい視認しにんできた。


 ヴィィィィィィィィィィィィィィン……。


 全ての空気を震わせつんざくような、甲高かんだかいサイレンの音が鋭く響き渡る。列車砲をいていた巨大ラミアたちが、耳を手でふさいで一斉にその場に伏せた。

 周囲の人間たちが、波が伝わるように同じ動作を行っていく――両手で耳を塞いで口を開け、目を大きく開いて列車砲の方向に顔を向けた。


「伯爵、リロットちゃん、みんなと同じようにしてくれ。そうしないと肺と鼓膜こまくが破れるかも知れんぞ」


 葬儀屋もそういってみんなにならい、うなずいた伯爵も同じ動作をする。リルルもわけのわからなさを置いておいて続き――。

 その答えは、数十秒後にとどろいた。


 ドォオオオォォンンッ!!


「ぁっ!!」


 三輌の列車砲がその砲口から巨大な真っ赤な炎と青い閃光を発したと同時に、音の塊が巨大な見えないこぶしとなって文字通り体に激突してきた。

 次の瞬間、沖合に浮かんでいた赤い帆の帆船――標的艦が爆炎と共に端微塵ぱみじん粉砕ふんさいされ、無数の破片はへんがホコリが舞うように散ったのに数秒して、その爆発の衝撃波しょうげきはが橋の上の人間たちをおそう。


 橋の上から、まだ橋に上がれない本土の人々から歓声かんせいが巻き起こり、ものすごい量の拍手が音の平手打ちとなってリルルの体に叩きつけられてきた。


 橋の上の群衆ぐんしゅうが一つのかたまりとなって動き出す――埋め立て地の規制きせいかれて人が動き出したのだ。


「派手な開幕の花火だったねぇ」


 リルルの盾になっていたはずの伯爵がこともなげにいう。


「じゃあ、行くぞ――『エルカリナ王国主催しゅさい国際印刷物展覧会コミケ』の始まりだ。リロットちゃん、はぐれないようにね」

「はい」


 あの埋め立て地でどんなもよおし物が行われているのか――楽しみ半分不安半分の心持ちで、リルルは群衆の中の一つの点のように、橋の上をゆっくりと進む人となった。

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