「其の四」


旦那だんなぁ、大丈夫ですかぁ?」


 台風に翻弄ほんろうされた後のように、服や髪の端を乱しているニコルにダリャンが歩み寄る。ニコルは『平気だよ』と微笑み、その乱れを直した。


「あはは。奥様にも困ったものだなぁ。きっと男の子が欲しかったんだろうね」

「……奥様が欲しかったのは、旦那ですよ」

「ダリャン、何かいったかい?」

「いえなにも」


 ニコルが首をかしげた。


「でも、一人だけだったけど、賑やかな見送りだったね。寂しいのかどうかわからないや。あはは」

「……本当に一人だけとお思いなんですかい?」

「えっ?」


 ニコルがもう一度首を大きく傾げ、ダリャンは肺の中の空気を全てため息として吐き出して――口を広げた。


「…………みなさーん! そろそろいいですぜ――!」


 進行方向、闇の向こうにダリャンが大きく声を投げて――ニコルは驚いた。その音を合図にしたように、少し離れた地点にぼっ、ぼっ、ぼっと魔鉱石の明かりがともりだしたのだ。

 その数、二十……三十……もっとか? あっという間に明かりの列が並び、そこだけが昼のようになった。


「ニコル様ー!」「ニコルさん!」「ニコル――!」


 目を丸くしたニコルに向かい、声と共にその明かりの列が押し寄せてくる。三十、四十……一度には数えられない数。年齢層は幅があったが、そのどれもが女性であったのは共通していた。今まで息を殺していたのだろうが、気づかなかったのが不思議な人数だった。


「みんな! なんで隠れるみたいに!」

「……そりゃ、奥様ににらまれたくないからでしょうさ」


 数十人の女性たちにニコルは一気に囲まれる。誰から名前を呼んでいいのかわからない。十代から三十代初めくらいまで、誰も彼もが知人ばかりだ。


「ニコルにいさまー!」


 先陣を切るように飛び出してきた一人の少女がニコルのマントをつかむ。この中では最年少の、まだ十歳にも届いていない女の子だ。自分の半分ほどの大きさをした女の子の人形を抱きしめている。


「コノメ! こんな時間に外に出ちゃダメじゃないか」

「ニコルにいさま、行っちゃうの? コノメが嫌いになったからなの?」

「そんなはずないじゃないか。僕はコノメが大好きだよ。でも、帰らなくっちゃならないんだ」

「……ニコルにいさまがいないと、寂しいの」

「ごめんよ。でもコノメはいい子だから、わかってくれるかい?」

「……ニコルにいさま、これ、あげる」


 抱いていた女の子の人形を、コノメはニコルに差し出した。


「これは……コノメの大切な人形だろう。いいのかい?」

「にいさま、これをコノメだと思って、大切にしてほしいの。大切にしてくれる?」

「……わかった。コノメだと思って大切にするよ。――帰ったら、コノメにお人形を送ってあげる」


 片腕で人形を抱いたニコルが、反対の手で女の子の頭を撫でる。


「男の子のお人形がほしいの。ニコルにいさまに似てるのがいいの――にいさま、また会える?」

「コノメの顔を見に来るから、いい子にしているんだよ」


 しゃがんで、とせがむコノメに応じてニコルが膝をつき、コノメはニコルの頬にキスをした。


「にいさま、キスして」

「どこがいい?」

「ほっぺ」


 コノメが頬を寄せ、ニコルはその赤い頬に小さく唇を乗せた。


「さようなら、ニコルにいさま。またね」


 下がったコノメと入れ替わるように、二十代初めくらいの長身の女性が前に出てくる。


「……よ、よう、ニコル」


 照れくさそうに鼻の下をかいている、その女性。余分な脂肪を全く感じさせないすらりとした体形が、周囲の女性たちの中でその存在感を際立たせていた。


「アリーシャ先輩! 先輩も見送りに? でも、騎士団から見送りに来るのはマズいんじゃ」

「……いいんだよ、あたしは女だから。男の見送りがダメってだけだ」


 男勝りを感じさせる、はすな口調、それが似合うやや中性的な顔立ち。それが不思議な色香をかもし出している。


「先輩、全然雰囲気が違いますね。今夜はとても素敵です」

「そ、そ、そうか?」


 アリーシャと呼ばれた女騎士の頬に朱が混じった。簡素ではあるが、上質な絹で仕立てられた紫色のドレス――手袋やヒールの高い靴まで同じ色で統一されている。


「お前たち、あたしを男女おとこおんななんて馬鹿にするけれど、あたしだってやる時はやるんだ。一度見せたいと思ってな」

「ええ、いつもの騎士姿のかっこいいですが、ドレス姿もとてもお綺麗です」

「だ――だろ?」

「それで、どなたに見せたいんですか?」


 一瞬、アリーシャの表情が固まった。苦虫を噛みつぶした不幸に耐えているような顔になった。

 周囲に控えている女性たちの視線に、少なからずの同情的なものが混じる。


「……ほ、ほ、ほら、これ、餞別せんべつ。騎士団のみんなから預かった。少ないけど、とっとけ」

「ありがとうございます。先輩方によろしくお伝え下さい」

「ああ。……なぁ、ニコル。お前、故郷に好きな女がいるんだろ?」


 ニコルの周囲を囲む女性たちの半数がざわ、とざわめいた。


薄々うすうす聞いてるぞ。結構身分の高い人だって」

「みんなにちゃんといったことはないはずなんですが、噂になってますか?」

「みんな、そんな話が好きだからな……それでな? まあ、あたしとしては可愛い後輩を応援したいんだけど、まあ、なんだ。勝負には時の運ってやつがあるだろ?」

「はい」

「もしも……もしもの話だぞ?」


 アリーシャの喉が、ごくんと一度鳴った。


「お前の恋がかなわなかった時はさ…………ここに帰って来いよ。あ、あたしが、お前をもらってやるからさ。なに、お前は家にいればいいんだ。あたしの稼ぎで一生食わせてやる。だからな――」

「いいですね! それ!」

「えっ?」


 予想外の反応にアリーシャのあごが跳ねた。


「でも、多分無理です。先輩、もう付き合ってる方がいるんでしょう?」

「えっ、えっ、えっ」


 突然、直角に曲がっていった話のすじを追えず、アリーシャが浮かべる表情に迷った。


「聞いてますよ。先輩、好きな人がいるって。とても素敵な人らしいですね――名前は知らないんですが」

「いや、だから、それはおま」

「先輩みたいな素敵な女性なら、すぐにご結婚までいってしまうでしょう。式をげられたら教えて下さい。お祝いを送らせていただきますから!」

「は――は、は――」

「先輩、今までお世話になりました! 先輩のご指導、決して忘れません! ありがとうございました!」


 かかとを鳴らすように打ち合わせ、背筋を伸ばしたニコルが目が覚めるような敬礼をする。口元を震えさせたアリーシャも、泳ぐ手つきでほとんど反射的にそれに敬礼で応えていた。


「あ――あ、ああ、げ、元気でな……」

「先輩、どうしました? 泣いてませんか?」

「…………ちょっと、胸が痛くてな。こんな薄着だったから冷えたのかも……」

「胸が? 寒さで?」

「ちょっとあたし、先に失礼する。ニ……ニコル、元気でな」

「先輩?」


 だっ、と勢いよくアリーシャが町に向かって駆け出す。少し離れたその姿から、細い声が聞こえてきたような気がした。

 後には、首を傾げているニコルとあわれみの表情を浮かべたダリャン――そして女性たちの中の半数が、後ろ手にした手紙をこっそりと破いていた。


「……ニコルちゃん、道中気をつけてね。お腹が空いたらこれを食べて」「ニコル、夜は冷えるわ、襟巻えりまきをんだの」「私は手袋です、ニコル様」「お守りを持っていってね。あなたと馬用の」「ニコルさん、朝ご飯にお弁当をどうぞ」


 差し入れと餞別がダリャンに押しつけられ、その重みでダリャンは一度尻もちをついた。慌ててそれらを包む袋を引っ張りだす。その横でニコルはひらりと身軽に馬にまたがった。

 一度前脚を浮かしかけた馬をでてなだめ、手綱を握る。


「みなさん、今までありがとうございました! ニコルはこれで失礼いたします!」


 馬のいななきが夜の空気を切り裂くように響いた。それが合図のようなものだった。


「またお会いましょう! それまでさようなら! どうかお元気で!」

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