「打て、リルル、怒りを闘志に乗せて」

「あるっていってよ! ねぇフィル! お願いよ!!」

「まあ、あるんですけどね」

「あるのっっ!?」


 リルルの首が前に折れた。再び起こすのにかなりの努力が必要だった。


「なんで早く出さないのっ!!」

「いわれるままポンポン出してると、ありがたみがないと思いまして……」

「ありがたみならいっぱいあげるから! ありがとう、ありがとう、ありがとう!!」

「まあ、いいです。……それで」


 フィルフィナがスカートの裏をごそごそとかき回し、一つの道具アイテムをリルルの前に差し出した。

 それは銀色に光る金属の細工物だった。大きさは拳大、指が入るくらいの輪っかが四つ並び、その下に大きな輪がひとつ開いている。


 その、人を傷つけようとする意思を形にしたかのような凶悪な輪郭フォルムに強烈な禍々しい気配を覚え、リルルは二の腕にびっしりと鳥肌が立つのを感じた。


「わ……私、これと同じ形のものを、本で見たことがあるかも……」

「使い方も同じですよ」

「っ」


 フィルフィナがそれをリルルの右手に乗せ、四つの輪っかに親指以外の指を強引に通した。大きな輪っかを外から手の平で握り込まさせる。

 それは――どこからどう見ても、拳鍔メリケンサックそのものだった。


「これで、記憶を飛ばしたい相手の頭をぶん殴るんです」

「やめろぉ!!」


 男が叫ぶ。


「そんなもので人を殴るんじゃねぇ!」

「大丈夫ですよ、これで殴られたって死にはしません…………多分」

「多分ってなんだよ!」

「こ、こんなもので人を殴るなんて、私には無理」


 ムチやレイピアなら振るうのには慣れたが、素手ではないとはいえ、拳で人を殴るなんていう機会は今までに全くなかった。人を攻撃するという意味合いでは同じはずなのだが、遙かに抵抗感が大きい。


「フィ……フィル、代わりにやって、お願いだから……」

「いいえ、それはお嬢様がやらなければなりません」


 これだけは譲れないという意志の光をその瞳に見せて、フィルフィナははっきり口にした。


「それを使わねばならない時が来るでしょう。それを使うにはコツがあるんです。今、それをつかんでおかないと本当に取り返しのつかないことになりますよ」

「コ……コツって、なに?」

「その道具アイテムを起動させるには、強い怒りの意思が必要なのです」

「怒り……?」

「その相手に向かって、許せないと思う心。ぶちのめしたいと思う心、ぎたんぎたんにしたいと思う心です」

「だ……だって」


 自分はこの男をもう許してしまっているのだ。今更どうやって、怒りを燃やせなどというのか。

 戦意のないリルルの姿に、ふぅぅとフィルフィナが細い息を吐く。ほんの数瞬、考え込むようにその目を伏せた。


「……失礼しますね」

「おい、なんだ、なにごっ」


 フィルフィナは男の口を強引にこじ開け、その中に丸めた布を大量に突っ込んだ。リンゴ一つを頬張ったような顔になって、男はもう言葉を発することもできない。

 うーうーと唸るだけの男から視線を外し、フィルフィナはリルルに体を向けた。


「……お嬢様、考えてもみてください。ニコル様の時計が鳴ったから、お嬢様は誘拐されないですんだのでしょう?」

「う、うん」

「ニコル様の時計が鳴らなかったら、どうなっていたと思います?」

「それは……誘拐されて……」

「お嬢様の知ってることを白状させられて、それだけで無事に解放されるとか、本気で思ってますか?」


 リルルの目が、瞬いた。


「お嬢様ほどの…………えっと…………」


 フィルフィナの視線がリルルの頭の上、顔、主張の乏しい胸、お腹、腰回り、脚、爪先と順になぞっていく。

 少しだけ、表現を選ぶ時間が必要だった。


「…………お嬢様ほどのお可愛らしい美少女を、この手の奴等が放っておくはずがありません! 行き掛けの駄賃とばかりに、口にするのもはばかるようなゴニョゴニョなことをするに決まっているのです!」

「ゴ……ゴゴ、ゴニョゴニョなこと!?」


 リルルの頬が一瞬で真っ赤に焼ける。


「こんな輩に、可憐な花のようなお嬢様の貞操を無惨に散らされていいと思っているのですか!」

「よ……よくないわ!」

「ニコル様に捧げるべきお嬢様の大事なみさおケダモノのごとき男たちに奪われるなど、決して許されることではありません!」

「許されないわ……絶対に! 許されてなるものですかっ!!」


 リルルの声に熱が帯びる。嫌な予感に男が唸りながら首を横に振るが、それは通じもしなかった。


「それに、お嬢様がニコル様と結婚できないのも、その男のせいなのですよ!」

「ええっ!?」

「お嬢様のお胸が可愛らしく慎ましいのも、旦那様の頭がお固いのも、一週間前に玄関先で脚をくじいて泣かれたのも、十日前に水たまりにはまって靴を台無しにしたのも、みんなその男のせいなのです!」

「な……な、な、なんてこと……!」


 興奮状態に入ったリルルの頭に、フィルフィナの煽りが綿が水を吸うごとくに吸収されていく。少女の目が血走り、こめかみに血管が浮いて面白いくらいに波打つように震えた。


 拳鍔を握り込むリルルの手に、透き通るような赤い光がまとわりつく。炎のように揺らめくその光の中でさらにリルルの拳が硬く握られ、その目が男をキッとにらみえた。

 細く座った目の中で、少女の瞳が赤い光に燃えていた。


「そうか……全部、全部、あなたのせいなのね……!」

「ん――! んー、んー、ん――――!!」


 男が涙を流して必死に首を横に振る。が、リルルの闘志で澄み切った心には届かない。


「そう! その炎の出現が発動の証なのです! さあ、お嬢様、その怒りを拳に乗せて敵を打つのです!」

「これで……私の敵を!」


 リルルの足が進み、間合いが詰まる。右手が挙がり、その手を包む炎がまた一段と勢いを増す。右腕と闘志を燃やし、男を射程の中にとらえた。


「打ちなさい! リルル! 怒りの一撃を!」


 フィルフィナのげきがリルルを打つ。それが引き金となってリルルは動いた――前に!


「う――うおぉ……うおぉぉぉぉぉぉぉぉ――――!!」


 腰をひねり、全力で握り込んだ右拳を引く。視界の真ん中に男の顔面を据える。

 クサビを打ち込むように左足を踏み込み、全ての体重を押し出しながらリルルは拳を繰り出した。


「ニコルと……ニコルと結婚させろぉ――――――――ッッ!!」


 紅蓮の炎を巻いた拳が流星のごとく走り、男の左頬を粉砕する勢いで顔面に突き刺さった。


「ぶふっっ!!」


 炸裂の瞬間に不穏な音が鳴り響き、殴り飛ばされた男の後頭部が背中の配管に激突する。一瞬で意識を失うには十分過ぎる衝撃だった。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ…………」


 手首に加わった衝撃の大きさがリルルに冷静さをいくらか取り戻させていた。白目をいて息しかしていない男の様子が、さらに我に返させる。


「いやだ……よくよく考えれば、ニコルのこともお父様のことも、この人とは全然関係ないじゃない。私、悪いことをしてしまったかしら……」

「細かいことはいいんです! 悪いことをしたのはこいつらなんですから!」

「…………それもそうね!」

「――いつもながら実にチョロいお嬢様で助かります」

「何かいった?」

「いいえ別に。さ、検分検分」


 フィルフィナはもう今日一日は目覚めないだろう捕虜の前に膝をついてその様子を確かめた。

 左の頬骨が砕かれている。歯も左側の十数本は折れているだろう。命を失うのと比べたら軽微な話だ。

 よかったよかった。


「お嬢様、今の感じを忘れないでいてください。また使う時もあるでしょうから」

「え、ええ……」

「これでこいつは丸一日の記憶をなくしました。あとで表に捨てておきます」

「フィ……フィル、これが抜けないの。手伝って」


 リルルが拳鍔から指を抜こうとする。指先が微妙に震えている。まともに人を殴ったことなど初めてだったのだ、嫌な感触がまだ拳に残っていた。

 フィルフィナに手伝われ、手間取りながらも拳鍔から指を抜く。何故かとても自由になった気がした。


「――――ふぅぅぅ…………」

 

 リルルは大きく息を吸い、吐いた。肺の中の空気が入れ替わると同時に、気持ちまでもが切り替えられる気がした。

 寝台ベッドの上で、燃え尽きようとしている自らの命の炎を、吹き付けてくる寒風から必死に守るようにして闘っている、祖母同然の老婆――ローレルのことを想う。


 今、彼女を助けてあげられるのは、自分しかいない。気性は激しいがそれと同じだけ思いやりの心も強い、正しくないものは正しくないと断じて口にすることに躊躇ちゅうちょを持たない彼女を――。


「……行くわ」


 リルルが出口に足を向けた。そのまま歩を進めるリルルの背中を、捕虜の体を横に薙ぎ倒したフィルフィナが背を伸ばすようにして見た。


「行くって、お嬢様……どこに行かれるつもりなのです?」

「行くのは私ではないわ」


 振り返らない、歩みも止めない。

 今、行くべきところはひとつしかない。

 自分のやるべきことを理解した者が持つ迷いのない目が、まっすぐに前を向いていた。


「行くのは――快傑令嬢リロットよ!」

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