第07話「快傑令嬢リロット、ただいま参上いたします!」

「あなたがやらねば誰がやる」

 転移の鏡を抜けて、リルルは自分の部屋に戻っていた。

 居間の本棚の脇にある筒から、丸めた王都の地図を引き抜き、テーブルの上に広げる。

 テーブルの全部を占めるほどの大きな地図。これまでも幾度となく広げた地図だ。事件にのぞみ最後の決着を着けるための作戦、それを練るために何度この地図とにらめっこしたか。


「故障中のクレーン……ここね!」


 港湾区域の機能を支える大型クレーンのひとつが老朽化ろうきゅうかし、故障してもはや修理不能になって解体の時を待っている話はリルルも新聞で読んでいた。いい目印だ。

 はやる足を止めることができず、リルルは足早に部屋を出て行こうと歩を進める。

 そのリルルの前に、まるで気配を感じさせずに動いたフィルフィナが立ち塞がった。


「お嬢様、お待ちになってください」

「私は今からでも行くわ! 邪魔しないでちょうだい!」

「――失礼します」


 少女の頬が甲高い音を立てた。


「っ!?」


 音と共に肌で弾けた衝撃にリルルが仰け反る――平手打ち自体は大した痛みではない。張られた、という事実がリルルを止めていた。


「フィ、フィ……ル!?」


 続いてもう片方の頬も弾かれた。今度は頬に熱が乗るくらいの痛みだ。リルルの前に進もうという意志が砕ける。


「――目が覚めましたか?」

「な、なにを……」

「のぼせすぎです、お嬢様。これからどこに行こうというのですか」

「決まっているじゃない! 毒をまいた連中がいる廃工場よ! 私が――リロットが乗り込んで、連中を絞め上げてやるわ!」

「警察に通報しようとする選択肢は?」

「工場長も工場主も今夜には必ず来るのよ! もしも警察が今夜動いてくれなかったらどうするの! ……その廃工場が怪しいと思ったいきさつなんて説明できないし!」

「まあ、快傑令嬢となって吐かせた、なんていうのはいえないでしょうね」

「バリス様の働きかけだって、いつ動いてもらえるか……ローレルは明日にも死んでしまうかも知れないのよ! グズグズしている暇はないわ!」


 時間がない。それが焦りを加速させる。


「この家がどうなったってかまうもんですか! ローレルの命を助けるためなら、私は止められたって行くわ!」

「誰も止めてませんよ」

「――え?」


 フィルフィナの一言に、リルルの勢いが止まった。


「わたしは、行け、とけしかけてるんです」


 エルフの少女の目がまっすぐにリルルに向けられていた。強い意志の光が宿ったアメジスト色の瞳が射抜くような鋭さを帯びていた。


「あなたにとってローレルが家族なら、彼女はわたしにとっても家族なんです」


 冷静な――冷静にしか見えない小柄な少女から、静かな憤りと怒りの気配がにじみ出ていた。


「家族を守ることに優先する正義など、存在しないのですよ。そのためには、この家がどうなろうが知ったことではありません。旦那様が一人で泣けばいい話なんです。リルル、戦いなさい。家族を守るために」

「じゃあ、どうして私を……」

「向こう見ずになって飛び込むな、というんです」


 リルルが広げた地図の上に、フィルフィナはもう一枚の地図を広げた。目標の廃工場があるという港湾区域の拡大地図だ。その隣にフィルフィナは大きな真っ白い紙を置き、大量の積み木が入った箱を持ってくる。


 襲撃の前、積み木を積み上げて作ったその地点の立体地図を作って作戦を検討するというのがフィルフィナのやり方だった。これにリルルはどれだけ助けられてきたか。


「どうせ、目標の二人がやって来るのは日が落ちてからなんです。今はまだやっとお昼になった頃……時間はあります。その間にわたしが現地に行って状況を偵察して来ます」

「じゃあ、私は」

「お嬢様はその間休んでいてください。休んで力を蓄えるのがあなたの仕事です――突入するのはあなたなのですから」


 フィルフィナがリルルに背を向けた。横顔だけがリルルを見ている。


「夕方前には帰ってきます。それまで、なにも考えずにベッドで眠ってください。それがお嬢様の役割――いいですね?」


 メイド服姿の少女が部屋を出ようとする。その背中を見送るリルルの脳裏に、ふっとよぎる思いがあった。


「……フィル、ひとつだけ聞きたいの」

「なんですか?」

「あの捕虜を…………本当に撃つつもりがあったの?」


 フィルフィナがその目を、一瞬丸くし――そして、優しく微笑んだ。

 フィルフィナの手に捕虜に突き付けていた拳銃が現れる、それをテーブルの上に置いた。


「私から取り上げた拳銃を出してください」

「う、うん」


 二挺にちょうの拳銃が並べられる。


「使い方は覚えていますか?」

「撃ったことはないけれど……それ以外だったら」

「薬室内に弾があるかどうか、見て下さい」


 リルルは一挺を手にし、槓桿ボルトハンドルを起こした。次にそれを引いて薬室を開く。

 ――中は、空だった。


「あ――――」


 もう一挺も同じ操作によって薬室が開かれる。弾は――入っていない。

 リルルの体から力が脱けていく。自分は撃たれる覚悟を決めて、弾が入っていない銃の銃口に身をさらしていたのだ。


「――お嬢様、わたしといったい何年付き合っているんです? ……あなたの目の前でわたしが、人を撃ち殺せるはずがないじゃないですか……」


 フィルフィナの目に、口元に、微笑が浮いていた。


「……あなたに、嫌われたくないですからね……」


 それを別れの言葉の代わりにするようにし、二挺の拳銃を手にしたフィルフィナは部屋を辞して行った。


「――――」


 ふわふわと浮くような足取りでリルルは自分の寝室に移動する。

 手首の腕輪を軽く二度、叩く。魔法のように――いや、魔法そのものにリルルを包んでいた薄桃色のドレスが消えた。後には下着姿の少女しかいなくなる。


 自分の巣に戻るように、リルルは寝台ベッドの布団に体を滑り込ませた。カーテンを引く手間も面倒とばかりにそのまま目をつぶる。

 疲れが関節のあちこちにたまっているのがわかる。体も心も疲弊している。確かに一眠りしたかった。


 最後のフィルフィナとのやり取りが、まるで睡眠にいざなう薬のように作用する。脱力感が眠気となって、少女を眠りの世界へと静かに引きずり込んでくる。

 今更それにあらがう理由もない。

 意識を閉ざしていく感覚に心を浸して――リルルは眠りについた。

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