「タイムリミットは、たったの」

 身じろぎをしない。脈が止まっている――息をしている気配がない!

 腰の痛みと闘いながら、カバンを抱えたノワールが前に出る。


樟脳カンフルを使え、こ、これを心臓の上に」

「リルル、退いてちょうだい!」


 ノワール医師が慌てて取り出した一枚の湿布を、ローレルの寝間着の胸を開いたソフィアが貼り付ける。


「心臓按摩マッサージ――いや、ダメだ、肋骨を折ってしまう。とにかく人工呼吸、人工呼吸が要る」

「あたしに任せてください!」


 ソフィアが人工呼吸を始める。事前に練習していたのかその仕草にもたつきはない。


「ローレル……」


 リルルは固く目をつぶる。ここにいないニコルの力を借りようと、祈る。リルルにはもう、すがれるものはそれくらいしかなかった。

 絶望の空気さえ漂い始めたこの部屋に、その気配は新風のように吹き込んできた。


「失礼します」


 いつものエプロンドレス姿のフィルフィナが、いつものすまし顔を見せてうやうやしく部屋に入ってくる。


「フィ……!」


 リルルは呼びかけて――そのフィルフィナの後に続いて入ってくる四人の人影に瞬いた。

 四人共に真っ白いマントで体を包み、白い覆面、そして頭の全部を包んでしまうほどに大きな白い帽子を被っている。身長はほとんど同じだ。その装束からは個人の判別などつかない。みんな同じ人間に見えた。


「な、なんだね? その方々は?」

「お医者様たちです」

「医者ぁ?」


 同業者の登場に、ノワールがいくらか自尊心を傷つけられたような声を出した。


「医者ならここにちゃんといる! 誰だか知らんが、余計な手出しだ。お引き取り――おい! なにをする! ワシは医者だといっとろうが!」


 医者と紹介された四人の人影のうちの二人が、まるで不要な家具でも片付けるかのようにノワールをかついで部屋の外に運んでいった。抗議の声を残して、リルルの元かかりつけ医はあっさりと姿を消した。


「――お願いします」


 フィルフィナの一礼に無言でうなずいて、残りの二人がローレルの側についた。ソフィアが不安の色を見せながらも義母から離れる。


「――薬を」


 相方がうなずき、提げていたカバンから一つの箱を取り出す。中には細長いガラス瓶が入っており、青から赤、赤から緑にと目まぐるしく色を変える液体が瓶のなかに詰められている。今まで見たこともないその液体の輝きにリルルは目を奪われた。


 先端で細く尖ったガラスを折ることで封を切る。切られた口をローレルの唇の隙間に滑り込ませた。同時に呼吸と脈をとろうというのだろうか、もう一人がローレルの首筋に指を当てていた。


「フィ……フィル、大丈夫なのかい……」

「大丈夫です」


 冷静さだけを見せるフィルフィナの目が、自分が連れてきた男たちに据えられて動かない。


「で、でも……」

「呼吸が戻りました、脈も打ち出し始めています」


 その言葉にソフィアが目をいてローレルの側に駆け寄り、白装束の男たちの背中越しに義母の様子をうかがった。

 鼻が、唇がわずかに……わずかにだが、震えている。空気が出入りしている。


「お、お義母さ……!」

「静かに。覚醒させてはいけません――ソフィア、休んでいてください。もう、安心ですから」

「あ、ああ……」


 フィルフィナのうながしにもう抵抗する気力もなく、ソフィアはふらふらと部屋を出て行った。

 そのソフィアと入れ替わるように、ノワール医師を片付けた二人が部屋に戻ってきた。フィルフィナの側を固めるように立つ。


「――姫様、よろしかったのでしょうか。女王陛下の許可もなく、あの薬を持ち出し、あまつさえそれを人間に投与するなど……到底許される事とは思えず……」


 低く抑えられているその声をリルルの耳がとらえた。

 

わらわに強要されたといえばいい。実際、その通りなのだから」

「……ですが、姫様のお立場が……」

わらわは、女王の座に興味などない。妹がふたりもいる。どちらかに継がせればいいだけのことだ」

「……はい」

「すまない。巻き込んでしまったな」

「……いえ」


 日頃は決して見せない、フィルフィナ本来の姿。遠くから見やったことはいくらかあったが、リルルがこうも詳細なやり取りを耳で聞いたのも初めてだった。

 ふわ、とローレルの口が自ら動いた。小さな隙間を作って、そこから細い息が吐き出される。


「――呼吸、安定してきました。脈も戻りつつあります。しかし」

「……解毒しての完全治癒というわけにはいかないわけですね」


 一人のメイドとしての装いを見せてフィルフィナが応じる。

 根本治療ではない。体力を回復させるだけの話なのだ。


「投与できるのは、この一回と、もう一回だけ。それ以上は体に毒です。あとの一回は、解毒後の生命回復に使用しなければなりません。ですから」

「今回の投与で稼いだ時間のうちに、解毒の手段を得ないといけないわけですね。……それで、どれくらいの時間が稼げたのですか?」

「……長くても、三日ほどかと……」


 三日。


「わかりました。お嬢様、行きましょう。ここは任せていて大丈夫です」

「フィ……フィル」


 フィルフィナにそでを引かれてリルルは部屋を出る。看病疲れでテーブルの上に突っ伏しているソフィアと、腰の痛みで動けなくなっているノワール医師に一礼して、家を出た。


「――あと、三日しかないの!?」

「それまでに、投げ込まれた毒の種類を特定しなければなりませんね」

「そんな……バリス様に警察に動いてもらえるようお願いしたけれど、そんな短い時間で見つかるわけが……! 手がかりなんて全くないのに!」


 雲をつかむような話に本当に警察が動いてくれるのか。仮に動いたところで、手がかりもなしにどうやって犯人の元までたどり着くのか?

 同じような事件が起これば、そこから犯人が割り出せるかも知れない。が、ローレルの命がある間にそれが発生する保証なんて何処どこにもないのだ。


「落ち着いてください」

「落ち着けるものですか! こうやってる間にも、時間はどんどん過ぎていって――! なんでそんなフィルは冷静なの! もうちょっと慌てて見せてもいいくらいでしょう――ああ、心当たりの一つでもあればこんな気持ちにならないのに!!」

「ありますから、心当たり」


 リルルの舌が、空回りした。


「あるの!?」

「確証ではないんですけれどね、当たってみる価値は十分にあるでしょう」

「そ、それはいったい、なに……?」

「あれですよ」


 落とし物のありかを教えてあげるような気楽さで――フィルフィナは、それをいっていた。


「昨日捕らえた、捕虜です」

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