幸せを運ぶ狐と狸
烏川 ハル
春
「うちの息子が、懸賞か何かで当てたみたいで。1ダースも入った箱が、いくつも送られてきて。食べきれないので、いくつかどうぞ」
隣に住む山田のおばさんが、おすそわけとして「赤いきつね」と「緑のたぬき」を持ってきたのは、春の出来事だった。
「カップ麺は保存がきくから、食べきれないなんてこともないだろうに……。大量にあったら保管場所に困るとか、見ているだけで食傷気味になるとか、そんな理由だろうか」
「お父さん、難しく考えるのは悪い癖ですよ。うちだって、何かたくさんいただいたら、ご近所に配るでしょう? ただそれだけの話ですよ」
山田のおばさんが帰った後、父と母がそんな言葉を交わしていたのを、今でも覚えている。
二人は「赤いきつね」にも「緑のたぬき」にも特に思い入れがないから、そういう反応になるのだろうが……。
僕は複雑な気分だった。
少し前に結果発表があった、短編小説のコンテスト。その賞品が、ちょうど「赤いきつね」と「緑のたぬき」だったからだ。
改めて応募要項の「賞品」欄を確認すると、12個入りケースが合わせて6つと書かれている。ほら、数も一致するではないか!
ならば「懸賞か何かで」というのは、実はそのコンテストではないだろうか?
僕も応募したけれど、呆気なく落選している。もしも受賞していれば、僕の家にも「赤いきつね」と「緑のたぬき」がたくさん送られてくるはずだった。
その場合、カップ麺のケースが届くのは昼間、つまり僕が高校で勉強している時間帯だろう。受け取った母が開封してしまい、「こういうのはご近所に配るのがマナー」と考えて、勝手におすそわけ。帰ってきた僕が「大事なコンテストの賞品だったのに! せめて記念撮影するまで触らないでよ!」と怒り出す……。
そんな想像をしてしまうけれど、あくまでも妄想に過ぎない。残念ながら実現しなかった。
その同じコンテストで受賞した人間が隣に住んでいるとしたら、それこそ「事実は小説より奇なり」と叫びたくなるような偶然だ。
「まさかね」
と声に出すことで自分に言い聞かせて、頭に浮かんだ可能性を胸にしまい込むのだった。
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