第15話 珍しく弱音を吐く崎

 何日か後の昼休み時間中、僕は購買部でひとりジュースの自動販売機前で、好物のバナナ牛乳をストローでちゅうちゅう飲んでいた。


 ふと気がつくと崎が僕のすぐ後ろに立ち「ちょっとあんたに話がある」と言って話を切り出した。


 気配を消していきなり背後でシャツの裾を引っ張るもんだから、慌ててバナナ牛乳を吹き出してしまったじゃないか。


「な、なんだ、君か? 驚かすなよ。牛乳吹いてシャツを汚したじゃないか。シャツの替えなんて持ってきてないし、まあ、ハンカチで拭いとけば気にならないか?」


「ご、ごめん……」


 その日は何時になく、ダウン状態の崎であった。


 そこで、つい先日の体育の授業での思いもよらぬ体操着の一件が頭をよぎったのだが……、どうやら崎の用件もそこにあるようだった。


「ちょっとあんたに話がある」


 いつになく落ち着いたトーンの崎の声に、僕も少し身構えて彼女の話を聞いた。


「こないだのB組C組共同の体育授業の時のことだけど……」


 

 ここでは省かせてもらうが、数日前に体育の授業中にちょっとした出来事というかハプニングがあって、機会があればその時のことも後々、詳しく触れることがあるだろう。

 先が唐突に話しだしたわけではないことを付け加えておく。



「……ああ、あの時は……」


 と、崎は下唇をぎゅっと噛みしめ、抑えきれない感情を必死で耐えているように思えた。


「僕の勘違いでなければ……、あの時の体操着もしかしてサイズ、君の体形に合ってなかったんじゃない?」


「……やっぱり見てたんだ……」


「あっ、うん、ゴメン。君を見てったっていうか、単に女子の体操着姿を横目でチラッとだけな。な~んて、せこい言い訳にしか聞こえないか? ははっ……」


「そう……。あの時出雲君はどうしてた? やっぱりあなた達男子と同じように女子の高跳びの様子を遠目に眺めていた?」


 崎は、言葉を選んでいるようにも思えた。


「どうだったかな。いや、確かその時は出雲ストレッチをしていて、君や女子の方は見てなかったよ。なぜだかあの時、あいつと目があったからよく覚えている」


 崎は、「そうなんだ……」と一言だけ。少し安心したようだ。


「でも、君らしくもないな、事前に体操着のサイズ確認をして無かったのか?」


「していたわよ。でも、体育の授業前に着替えてみたら、サイズが一つ二つ下ので、私の体形にはかなりキツイ体操着にすり替えられたみたい。それに気付かなかった私が悪いんだけど、更に悪いことに長袖のジャージも無くなっていて、しょうがなくあんなぴちぴちの体操着を着て授業を受けるしかなかったのよ」


「おい、それってやっぱ、イジ……」


 と言いかけて、さすがにその先に踏み込むのは躊躇われた。


 先日、参道に言われたことを、やはり崎も認識はしているらしい。


「でもおかしいの。胸が無茶苦茶窮屈だったんだけど上着は何とか袖を通すことはできたのね、でも短パンはどうしても入んなくて、少しだけはさみですその辺りに切り込みを入れてようやくヒップを収めることができたわ。どれだけ私のお尻って大きいのよ!」


 と、自虐気味に言い放った崎の顔は無邪気そうな笑顔だったが、瞳は真逆の冷めたい氷のようだった。


「別に、私がクラスメイトにどう思われるなんてどうでもいいの。自分から壁を巡らせて、『私のテリトリーに踏み込んでこないで』って雰囲気を作ってるのは自分自身なんだもの」


 崎の口調はこれまでになく真剣だ。


「友達なんかいらない。はっきり言ってしまえば”女”って生き物が好きじゃないの。自分がその大嫌いな女の最たるものなんだけど……。私だって立場が違えば、体操着を隠したりすり替えたりするような立場に容易くなれちゃうことも重々承知してるもの。いやよね、ほとほと女って生き物は!」


「まだこの高校で過ごす時間は三年間もあるんだぞ、君はそれでいいのか?」


「あらためてそう言われると、さすがにそれはちょっとキツイかな。でも、何より出雲君に私の無様な姿を見られなかったのは幸いかも。何にも増してうれしい」


 結局、崎の本来の体操着は発見されずじまい。


 手元に残されたぴちぴちの体操着はその後利用する機会があるだろうか? 僕はむしろそっちの体操着のほうに興味があるんだが。


 ま、それは置いとくとして、いつになく悄気込んでいる崎をなんとか力づけてやりたと思いを巡らせていると、ひとつの案が浮かんだ。


「以前に、君と出雲の仲を取り持つって約束しただろ? そこで妙案……、というほどでもないんだが、アイディアを思いついたんだ」


 崎は興味津々のキラキラした眼差しを僕に向けている。


 (ず……ズルい!)


 またしてもそんなに純朴そうな眼差しで、汚れた僕を見てくれるな。


 クリッとした二つの大きな眼で崎に見つめられると、なんだか心の奥底までも見透かされそうで思わず腰が引けてしまうから困りものだ。


 思わず惚れてしまうところだったじゃないか。


「あのな、教室で一人弁当を食べている君を見かけた時に思い浮かんだんだが……」


 と、言いかけた途端、急に購買部に生徒がどやどや押しかけて来る気配を感じた。


 その瞬間、僕と崎はお互い背を向け、何事もなかったかのような場の空気を作り出した。


 一旦この話は止む無く中断となった。

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