恋愛モンスターは本日も内弁慶
ねぎま
恋愛モンスター現る
第1話 ボーイ・ミーツ・モンスター
僕は、うだるような暑さの校舎を、額の汗を拭いながら歩いていた。
講堂で行われている、演劇部の舞台稽古を途中で抜け出し、早足で目的の教室に向け歩みを早めた。
高校に入学して一ヶ月が過ぎたばかり。
真新しいブレザーの制服の着こなしも中途半端な時期だというのに、僕の上半身にはすでにブレザーの姿は無く、長袖のシャツ一枚。それでも不快な汗がジーッと、次から次へ湧き出してくる。今年の春は暑さに加えて異常なくらいに湿気が多すぎるんじゃないか?
そもそも五月って一年の内で、最もさわやかな季節なんじゃないの?
そうは言っても「五月は五月」と、自分に言い聞かせながら、初夏を通り越して真夏の気配十分の校舎の廊下を足早に歩いていった。
住宅街の一角に立地している何処にでもありそうな没個性的な校舎が、僕の通う公立の高等学校。県立Q高等学校だ。
別にこの学校が嫌いというわけではない。
家からチャリで通えるという理由だけで、この高校を選んだのは僕自身だし、この学校の自由な校風も自分に合っていると思うからである。
一応我がQ高校は県内でも三本の指に入る進学校で、毎年有名大学に数多くの生徒を送り出す事でも知られ、政治家やミュージシャン、人気作家や有名俳優も輩出する難関校でもある。
一部では公立の雄とも称される事もあると漏れ聞く。
男女比はほぼ五対五の割合の、ごく平均的な公立の共学校。
もしかしたら奇跡的な出会いがあって彼女ができ、心ときめく時間を共有することもあるかもしれない。
そして早ければ二年、遅くても三年の春には大学受験を意識。上手く運べばおそらく、そこそこの大学への推薦入学が決まり、当たり障りのない退屈な三年間の高校生活に別れを告げる事だろう。
将来のビジョンは今のところ全くと言っていいほど描いていない。
能天気と思われればその通りなのだが、両親の放任主義もあってか、まあ、好き勝手に気の赴くまま高校生活を送らせてもらうつもりだ。
成り行き上、演劇部に関わってはいるが、席を置いいる訳ではなく、本気で将来演劇の道に進む気は毛頭ない。
今も演劇部の舞台稽古に付き合っている最中に、教室に置き忘れてきた、稽古中の舞台の脚本を取りに戻るため抜け出してきたところだ。
一年生の教室は西棟の四階にある。
講堂は高校の敷地内のほぼ北東側のはずれにあって、教室は生徒用玄関のある南側。早足で歩いても二、三分はかかる。
ほぼ対角線上に校内の端から端まで移動するのは億劫だが、これは致し方ない。
時計の針はすでに午後5時を大きく回っている。
こんな中途半端な時間帯に四階の渡り廊下を渡って、主に普通教室が占める西棟に来るのは、高校入学以来、初めてかもしれない。
僕のクラスは渡り廊下を左に曲がって奥から三番目の教室だ。
この日はやけに廊下が長く感じた。暑さのせいだろうか?
僕の左耳には、「Q高~っ、ファイト! ファイト! ファイト!」と、一周一・五キロメートルの高校の敷地外のランニングコースを駆けている、女子駅伝部の軽快な掛け声。
右耳からは、金管楽器の奏でる見事な高音の音色……、トランペットだろうか。その直後に音程の安定しない――おそらく楽器初心者と思われる、新入生の同じくトランペットの調子外れの不快な音色。
更に耳をそばだてると、野球部員のバッティング練習の甲高い金属音。
テニスボールを弾くラケットの「パーン!」という乾いた音。合唱部の澄み切った爽やかな歌声。
雑多で、部外者には単なる騒音にしか聞こえないかもしれない――この時間、この校舎内にいる者にしか耳にすることができない――“放課後ノイズ”が、暑さと湿気で脳みそがとろけ出しそうな僕の躰の隅々にまで、遠慮なく土足で踏み込んでくる。
さらに、目を襲う容赦のない強烈な西陽。
僕はその教室の前方向、教卓と黒板のある方の開き戸を開けた。
そこはとうに授業も終わり、夕日が差し込む一年C組の教室。
カーテンがすべて閉じられているおかげで西陽をモロに浴びずに済んだが、部屋に充満して淀んだ熱気というか、炎熱が僕の全身に直撃を喰らわせる。
当然、こんな灼熱地獄のような教室にいる生徒などいるはずもなく……、と思って教室に一歩踏み込もうとした瞬間、俺はソレを目にして固まってしまった。
人生において、目が点になる、目が釘付けになる、開いた口がふさがらない、背筋が凍り付く等の経験はそうあるものではない。
では、なぜ?
そこには本来あってはならないものを視認したからだ。
窓際の席の、前から(黒板のある方)二番目の席に誰か座っている。
制服からいって女子生徒だ。
確かその席はクラスきって――いや学年・学園一の――イケメンで運動部のエースかつ誰からも慕われている完璧星人の出雲神内の席……だったはず。
担任の怠慢で席替えは入学当初のまま。
僕は伊勢万代。あいうえお順に席が決められているから、後ろの席は出雲神内だ。
なぜ俺がそこまで詳しいかというと、その席の真後ろが俺の席だからということもあるが、出雲とは中学からずっと同じクラスで、同じ高校を受験して合格。さらにクラスも偶然一緒。
何かと彼とは接点が多く、さすがになにか因縁めいたものさえ感じていたからだ。
特に親友というわけではないが、いつも男友達数人とつるんで遊びに出かける時などは決まって出雲もその輪に加わっていた。
神内の席の椅子に、ややうつむき加減で座っているひとりの女子生徒。
彼女の着ている上着もすでに夏服用の半袖の制服だ。
男子の制服は伝統的な詰襟スタイルで、夏用は長袖か半袖のいわゆる白いワイシャツと決められている。
セーターやベストの着用は派手なデザインや色彩のものでなければ基本自由だが、著しく極端な着崩しは指導の対象となるらしい。
女子用はセーラー服を元に、若手デザイナーが手掛けたデザインを採用しているのが特徴だが、夏服は胸のあたりが過剰に強調されたデザインで、一部の女子生徒からは不人気だといった声も聞かれる。
その女子生徒は有ろうことか、左手でスカートをめくり、右手をその中を入れて一心不乱に弄っている。
顔は机に右頬をつけて窓際を向いているせいで、こちらからは表情を窺うことはできない。
頭をよぎったのは、「さすがにそれは無いよな……」という巨大文字。
僕は女子生徒の行為を目にした途端、金縛りにでもあったようにその場を一歩も動くことができなかった。
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