瑣末

@mi423

墓標

2021年5月28日、私はその集積をかき集めて、一つの冊子を作った。もう、全部終わらせるつもりだった。冊子は10部作った。紙のメモ帳や、スマホのメモアプリ、バックアップ用のクラウドストレージに捨て置かれたキャンバス、非公開のSNSアカウント、あらゆるところから自らの生み出した言葉の断片をかき集めて、一つのドキュメントにペーストした。レイアウトなどはもうどうでも良かった。そうやって、全てまとめて、コンビニでA4の紙にプリントし、引き出しの奥に眠っていたホチキスでそれらを一つの冊子にまとめた。これが、私の墓標だ。

 5月2日、たった一つ、これなら私でもなんとか命と尊厳を繋ぎ止めておけると思っていたアルバイトを入社間もなくやめた。だらだらと見続けていたSNSも、動画サイトも、何もかも見たくなくなった。ただベットに寝転がりながらぼけっとしながら天井を眺めていた。寝る時間も起きる時間も、もう相当前からめちゃくちゃで、そもそも単純な労働に就くことすら難しかった。目が覚めた瞬間、幸せな夢の世界からどん詰まりの現実に引き戻されて絶望するということが繰り返された。段々と死んでいく自分、そんな自分を、天井から眺め続けた。日を追うにつれて、鈍り、どうしようもなくなっていく自らの性状を見つめ続けるしかないことは、どうしようもない苦痛だった。

 未来も、仕事も、知性も、生きる大義を失っても、私は自分自身に嘘をつくことができなかった。過去の自分の選択を無碍にするくらいであれば、いっそのことこのまま死んでしまった方が良いのではないかとすら思えた。きっと、腹を斬る侍や軍人というのは、こういう気持ちだったのではないだろうか。先にも進めなければ、後にも引けぬ。であれば、もはや自らの信念を殺さぬためにも、その場で自らの世界を終わらせなければならない。そうでなければ、命よりも大切な、自らの信仰するあり方というのが、滅びてしまうのだから。

 とはいえ、私にはそこまでの極端さはない。雨にも負けて、風にも負けて、何も救うことができないばかりか、自分が自分として生きていこうと思うだけでこの社会を受け入れることができなくなり、あらゆる人に迷惑をかけなければいけないであろう自らの貧弱さに絶望して、カッターナイフを動脈の通っているであろう位置に押し当てる度に、ここで自らの命を断ち切ってしまうくらいであれば、もう誰にどんな迷惑をかけることになったとしても、まだ生きていてもいいかと思うのである。

 どうせ、死んだ後には何もない。それはつまり、主観的目線では、この世界の消滅を意味するのだ。どうせ消えて無くなる世界であれば、善も悪もない。それならば、自らが生きていてはいけない理由も、ないだろう。

 私はきっと傲慢だ。傲慢で、どこまでも厚かましい。その傲慢が死んだ時、私はその冊子をばら撒くのだ。墓標としてばら撒くのだ。

 三日後、私の葬式は営まれる。

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