ああ、大好きなあの方は暗闇の向こうから、その長くたくましいアレであたしを抱きしめる。あのお方の沢山のアレはあたしの身を包み、その先ちょで優しく、でも激しく、まるでキスするかのようにあたしの肌を突っついてくる。


 ああ、大好きなお方。あたしの体の隅から隅までを知ってるお方。あの方のアレに包まれたあたしは、目を閉じてその温もりを感じる。あたしはもうされるがまま。

 あの方はあたしの敏感になった肌に触れ、たくさんのゾクゾクを与えてくる。弱いところへ次々と与えられる刺激に、あたしはあの方のアレに腕を、脚を、強く絡ませる。それでも刺激は次から次へと襲ってくる。あたしはしがみつきながら、喉から絞り出すように声をあげる。


 そして突然意識が遠のく。その時、あたしはすっごく幸せな気分になって、細かく息を吸いながら体を小さく震わせている。


        ☆


「やあ。今回はご苦労だったね」


 奥行きが五メートルはありそうな、細長い部屋。両側の壁には本棚が並び、隙間がないほど本が詰め込まれている。中央には長机が一つ。その奥――ダークブラウンの机の手前には惣介そうすけ美沙緖みさおの二人が立っていた。机の向こうには、ブラインドを下げた大きな窓を背に、一人の女性が座っている。


 ネイビーのジャケットに、白の開襟シャツ。ボタンを多めに外した胸元から覗くのは、美沙緖に負けないくらいの主張をした曲線だった。肩を越えるほどの長さ後ろで纏め上げた髪には白髪がいくつも交ざっており、一見すると髪全体が灰色のようだ。しかし肌には艶と張りがあり、パッと見では妙齢の女性に見える――年齢不詳の美女だった。

 女性は机の上に置かれた和綴じの本を手にとってパラパラとめくる。小さく細長いが、目尻が上がった美しい形の目が、満足そうに文字を追っている。


「うむ。間違いない『綾目語あやめがたり』の私家版だ」

「あのさぁ、〝教授〟。他に僕たちに言うことない?」


 惣介が半ば呆れたように言う。


「他に言うこと? ああ」そう言って女性――〝教授〟は手をポンと打つ。「銅鏡はどうした?」

「銅鏡?」


 予想外の返答に、惣介が思わず隣の美沙緖へと目を向ける。


「〝双子の卑猥なるもの〟を呼び出す、ゲートの核だよ。『綾目語り』に書いてあったろう? 君は読んでないのか?」

「いや、知らないし、僕が読むわけないし。そもそも、本の内容は〝教授センセ〟から最初に聞いたきりだよ」

「おや。私は、君たちに銅鏡の話をしなかったかね?」

「聞いてない」

「聞いてませんわ」


 惣介と美沙緖が同時に言う。


「……てへぺろ?」


 〝教授〟は小さめの口から、これまた小さな下をチロっと出して、二人にウインクして見せた。


「ナンでも、『てへぺろ』で誤魔化せると思うな! そういう表情しても違和感ないのが、更に腹立つなぁ、もう。

 今回だって〝教授〟が間違って本を送っちゃったから起きた事件だろ?」

「それはまぁ、すまないと思っているよ。いや、ホントに」


 半眼でもの言いたげな表情の惣介を見て、〝教授〟は取り繕うように言う。


「……でもなぁ。せっかく現地まで行ったんなら、気を利かせて持って帰ってくれてもいいのになぁ」


 彼女は机に両肘を立て、チューリップのように開いた手の上に顔を乗せた。そしてどこかふて腐れたような顔をして、ちらちらと二人を見ている。


「……おい」

「本の他には、目立ったアーティファクトはありませんでしたわよ。洞窟の奥には何もありませんでしたし」

「うーん。美沙緖が言うんなら間違いないかな。もう誰かに持ち出されたあとか……」

「洞窟の方は、星石を置いて封印しておきましたから、中に何か残っていたとしても、すぐに出てくることはできませんわ」

「うん。まぁ持ち出されてたとしても、銅鏡だけじゃ触手を四、五本こちらへ送り出すのが関の山だろうしね。

 それに、何かあっても君たちがいれば私も安心だ」

「やらかしグセのある〝教授〟のお守りなんて……もうだ」

「何か言ったかい、惣介? おや、学生が訪ねてきたみたいだ。二人とも、今度、物質世界アッシャーでゆっくり会おう」


 〝教授〟が言い終えると同時に視界のすべてが消えた。〝教授〟はもちろん、机も本棚も、部屋だった全てが。

 代わりに現れたのは、四角い部屋だった。中央には祭壇。その左右には白と黒の柱が立っている。部屋の壁の前には中央に紋章の書かれた旗が、四方に置かれていた。そこは聖別された、魔術結社が魔術の儀式で使う神殿だった。

 魔術結社HJ。〝天命の狩猟団ヒンメル・ヤークト〟という名の古い結社だ。その魔術結社で、惣介と美沙緖は魔導書やアーティファクトの蒐集を行っていた。

 祭壇前に立っていた惣介と美沙緖が、互いに顔を見合わせる。


「こりゃ近いウチに、絶対に駆り出されるね」

「ですわね」


 そう言って惣介は呆れ顔を、美沙緖は諦め顔を浮かべた。


        ☆


「目の見えない同級生? だからそんな、研究室にはいないって。何度も言ったじゃない」


 アパートの階段を上りながら、麻奈まなは言った。後ろには小さなボストンバッグを持った高範たかのりがついてきている。

 行方不明になった麻奈が見つかったと高範の元へ連絡があったのは、訪ねて来た二人組に会ってから三日後のことだった。麻奈の同級生だという女性が、遠く離れた病院にいることを教えてくれたのだ。

 高範はすぐに教えられた病院へかけつけた。意識はあったが麻奈は衰弱しており、一週間ほど入院していた。そして今日、無事に退院したのだった。


「え? でも、麻奈が病院にいるって連絡までくれたんだぜ。えーとなんて名前だっけな。目の見えない、胸の大きな」

「胸ぇ? ちょっと高範、浮気したんじゃないでしょうね!」

「いや、違うって。男連れだったし、えっと……マジで名前なんだったかなぁ」

「とにかくそんな女性ひと知らないって」


 麻奈は自室の鍵を開けて、久しぶりの我が家へと入って行く。高範もそれに続いた。


「でも、お前、行方不明になってた時の記憶ないんだろ?」

「それ以外はちゃんと覚えてるわよ。もう、いいじゃない」

「まぁ、お前が無事だったならいいんだけどね」


 言ってから、高範は本当にどうでもいい気がしてきた。名前どころか会ったはずの二人の顔も、会った事実すらも思い出せないほど、どうでもよくなっていた。

 荷物を置いて、床に座っている麻奈の横へ高範も座る。二人はベッドに背を預けるようにして座っていた。すぐに高範の右手が麻奈の肩を抱き寄せる。麻奈はそっと頭を高範に預けた。


 高範は左手を麻奈の頬に当てると、自分の方を向かせる。彼女は目を閉じて軽く顎を突き出した。そして二人の唇が重なろうとした瞬間、玄関のチャイムが鳴った。

 驚いたように、二人の動きが止まった。


「……ああ。もう」


 ため息をついて、麻奈が言う。その声はやたらと色っぽい。それに興奮したのか、高範が強引に唇を重ねてきた。


「っう」


 思わず開いた麻奈の唇の間に、高範の舌がぬるりと入ってくる。しばし互いに舌を絡ませる。ドアのチャイムが再び鳴った。唾液の糸を引きながら、二人の唇が離れる。


「俺が見てくるよ」


 そう言って高範は玄関へと向かった。目を潤ませた麻奈が、惚けた顔でそれを見ている。

 来たのはどうやら宅配便のようだった。すぐに高範が小さな箱を持って帰ってきた。高範の持つ箱を見て、惚けていた麻奈の表情が引き締まった。


「近頃は、配達員にも外国人がいるんだな」

「外国人?」

「さっきの配達員。あの顔立ちでエジプトから来たって言われたら、俺は信じるね」


 高範は箱をローテーブルの上に置き、再び麻奈の横に座った。そして先ほどの続きをしようと顔を近づけてくる。

 しかし麻奈はそれに応えない。軽く高範の顔を押しのけると、机に置いた箱を手に取った。


「麻奈?」


 憮然とした表情を浮かべながら、高範が言う。そのまま後ろから麻奈を抱きしめようよして、軽く抵抗される。


「ごめん。これちょっと開けさせて」


 麻奈は段ボール箱を開けた。中には桐箱が入っていた。それを取り出し、桐箱の蓋を開ける。

 高範は彼女の体に腕を回したまま、肩越しにそれを見ている。 


「? それ、なんだ?」


 箱の中には直径二十センチほどの円盤が入っていた。茶色と緑色がまざった色合いの錆びたような円盤。中央には丸い取っ手があった。その取っ手を中心に、太い鞭のようなものがいくつも伸びている様子が浮き彫りにされている。さにその周りには不思議な紋様が描かれていた。


「ああ。これ……」


 熱っぽいため息と共に、麻奈は箱ごと抱きしめた。その様子に驚き、高範は彼女の顔を覗き込む。

 麻奈は幸せそうな、しかし高範が見たことのない淫靡いんびとろけるような微笑みを浮かべていた。


                <了>

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