我慢できずに、あたしは来てしまった。こんな遠い場所に。酷く不便な場所に。

 ここまでは、駅で声を掛けてきたオジサンに連れて来てもらった。いやらしい目であたしを見てくるオジサン。運転中にあたしの太ももを触ってきた。それもゾクゾクするような触り方で。だから、つい……車で……。


 お礼よ。お礼。そりゃ、あたしもあの方に会いたくて、その、少し疼いてたけど。ホントにお礼。

 でもここに来てホントに良かった。みんな、見ず知らずのあたしを歓迎してくれる。丁寧に扱ってくれる。


 え? オジサン? そういえばいつの間にかいなくなっていた。

 まぁ、どうでもいいわ。だって、あの方にもうすぐ会えるんですもの。

 能面をつけた巫女が、あたしに言ったの。あの方はあたしを待っているんだって。会うための準備をしないといけないって。

 ああ。夢でなく会えるのね。それまで我慢できないかも。

 だって……指が勝手に……。


        ☆


 メタリックレッドのコンパクトカーが、緑の山並みの間を走っていた。某球団のイメージカラーのような、派手な色の車体。「わ」ナンバーのついたそれは、惣介そうすけたちの乗るレンタカーだ。


 運転席には惣介の姿。後部座席には美沙緖みさおが座っている。ナビに従い、車は山間部を通る県道を走っていた。

 高範たかのりから話を聞いた翌日、二人は中部地方の山奥へと向かっていた。午前中にレンタカーを借りて移動を始め、すでに三時間半が経っていた。


 まもなく夕刻に近づこうかという時刻。車は谷間たにあいの、棚田が並ぶ集落へと入ってくる。棚田には雑草が生い茂っており、農作物が長い間作られていないことを示していた。

 ふと、道の端に、山間の集落には不似合いな高級車が停まっているのが見えた。ホワイトパールの国産セダン。ナンバーは県内のものだ。

 惣介は車を停める。


「ついていきましてよ?」

「いや、いいよ。美佐緒サンはいざって時のためにここで待ってて」

「中を調べた瞬間、引き込まれるかもしれませんでしてよ?」

「怖いことを言わないでよ。美佐緒サンが言うと冗談に聞こえないから」

「あら。あそこまで歩いてドアを開けることが、三秒でできまして?」

「無理。でも、三秒の更に先かもしれないでしょ? もし何かあったら、時間は稼ぐから助けてよね」


 惣介は左手にルービクキューブを持つと、外へと出た。左手を器用に動かして、手の中のルービックキューブを動かしていく。視線はセダンに向けたままだ。

 ゆっくりとセダンに近づき、運転席側の窓を見た。助手席側のシートが倒れている。それに覆い被さるように服を着た人の背中が見えた。窓に顔を近づけ、更に中を覗き込む。服装からして男性か。

 中の人はこちらの様子に気づくことはなく、ピクリとも動かない。

 惣介は窓をノックして見せる。だがそれに反応して中の人が動くことはなかった。


「寝てる……にしちゃ、格好が変だよね」


 惣介がドアハンドルに手をかけた。ひと呼吸おいて、思い切って引っ張った。ハンドルは拍子抜けするほど簡単に動く。


「おい、アンタ」


 ドアを開け、車内へと上半身を潜り込ます。左手の親指をルービックキューブの角に引っかけて、咄嗟に動かせる状態を作る。そして助手席に覆い被さるように倒れている男性の肩に触れた、その瞬間――

 触れた場所から砂でも触ったかのように肩が崩れた。二の腕の半ばまでがシートに落ちる。


「!」


 惣介は思わず手を引っ込めると、そのまま車の外に体を出した。乗って来た車の方へ視線を向ける。惣介の視線を受けて、美沙緖が車から降りた。


「何か見つかりまして?」


 車の横に立ち、美沙緖が声をかける。


「……被害者、かな?」


 美沙緖が惣介の元へと歩いてくる。目は相変わらず閉じているが、白杖は持っていない。その歩みもしっかりとして不安はなかった。


「他に何かありまして?」

「残念ながら、本の〝ほ〟の字もないね。あるのは男のミイラのみ」


 横に来た美沙緖に、惣介は場所を譲る。美沙緖は車の中を覗き込んだ。

 美沙緖が男のミイラに触れると、今度は頭部や腕の一部を残し、ほぼ崩れてしまった。落ちた拍子に、男の顔が美沙緖の方を向く。その表情に苦しさはなかったが、何かに驚いているように見えた。


「腐敗臭はありませんのね」

「ん? ああ。そう言えば変な臭いはなかったね。車はまだ新しいから、時間をかけてミイラになったわけじゃなさそう」

「この集落に人は……いそうにありませんわね」


 惣介と美沙緖は、辺りを見回した。棚田には雑草が生え、所々に点在する家屋も随分と古い印象を受ける。人が生活をしている気配はない。そもそも人が住んでいるのなら、こんな所にミイラが放置されていることはないだろう。もっとも、住んでいるのが〝普通の〟人間ならば、だが。


「〝教授〟は小さな古い神社……って言ってたっけ?」

「ええ。ナビにデータがあればよろしいのですけど」


 二人はレンタカーへと戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る